「善の研究」西田幾多郎の旧宅、きょうから解体 京大やグーグルが保存へ
解体作業が始まった、哲学者・西田幾多郎の旧宅=8日午前、京都市左京区(志儀駒貴撮影)
「善の研究」などの著書で知られる京都学派の創始者で、京大教授だった哲学者、西田幾多郎(きたろう、1870~1945年)が50代のころに住んでいた京都市左京区の旧宅で8日、老朽化などを理由に解体作業が始まり、報道陣に最後の姿が公開された。
京大によると、旧宅は木造2階建てで、西田は大正元(1912)~11(1922)年に居住。思索に行き詰まると、2階の外廊下(縁側)を往復しながら哲学と格闘したという。
晩年、散歩をしながら哲学にふけった琵琶湖疏水沿いの散歩道は「哲学の道」として観光名所のひとつになっているが、京大大学院文学研究科の林晋(すすむ)教授は「旧宅の2階外廊下は、いわば『哲学の廊下』。旧宅に住んでいたのは最も哲学の研究に没頭した時期で、西田にとって一番思い出の詰まった家だった」と解説する。
解体後、跡地にはマンションが建設される計画。2階外廊下や書斎の一部は京大総合博物館に保存される。また、内部の様子はインターネット検索サイト「グーグル」のストリートビューで近く公開され、旧宅の廊下を“仮想体験”できるという。http://www.sankei.com/west/news/160608/wst1606080039-n1.html
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M.Yamane,
New meanings of the division by zero andinterpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014),pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamardand tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & MatrixTheory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
人間とは何ものかによって 作られた存在 であり、気づいてみたら生まれていた、存在していた。夢中で生きていたら、それらはみな言わば作られた存在として、基本的なありようは定められていたといえる。気づく以前は本能原理の基で、多くは環境に左右され、環境に合ったように多くの動物のように 生きているといえる。
作ったものに意思があるとすれば、それはちょうど作ったものの意思に従って生きているだけであるともいえる。― この観点では、人間の自由意思の存在さえ疑わしくなる。自由意志の存在しないところでは是非は 問えず、全ては神域に属することになる。
人間は生物であり、動物であり、生物や動物の本能、生きること、種の繁栄を求め、そして、人間存在の原理、感動することを求め、真智への愛などが人間の基本である。
男女の愛、家族愛、真理の追究、好奇心、新規なものに興味を抱く、愛国心や名誉心、褒められたいなどの基本的な欲求も 作ったものの意図 を想像すれば、極めて当然で、人間の本性が顕にみえてくるだろう。そのような意味では、人間すらロボットや多くの動物、子供たちのようにみえてくる。
そのような意味では、善人も悪人も 分けた意味では 本質的には存在せず、みな本質的には同じような存在であるといえよう。たまたま悪い条件、環境で育ち、歪められた精神を有して、誰でも願う基本的な欲求が満たされず、自己中心的に行動してしまう状況に追い込まれてしまっているといえる。
多くの独裁者や権力者が 自分の生命、家族を守るためなど、極めて基本的なものを守るために、異常に権力を志向して おかしい状況に追い込まれてしまっている様を本質的にみることができるだろう。裕福なものや高官達も本質的には同じようではないだろうか。基本的なこと、基本的なところを守るために過剰に発想(行動)してしまい、おかしな状況に追い込まれている様を多くみることが出来るだろう。― 庶民から見れば、おかしな異常感覚にみえる状況は世に多いのではないだろうか。
そのような視点からみえてくる人間とは、いじらしい人間である。作ったものの定められた原理に忠実に従い、行き過ぎた存在、そのような意味で、いじらしい人間として、共感、共鳴、理解できれば、俗にいう悪い人も許せる大きな心を持てるのではないだろうか。広い視野と慈しみのような心を 同じ運命を共有している者として持てるのではないだろうか。
世の悪の素とは、身勝手になってしまい、自己中心に考えてしまうことではないだろうか。
それは余裕が無い状況ともいえる。そのような意味では、 良い社会を作る原理は 次に述べられている 公正の原則にあるといえる:
再生核研究所声明1(2007.1.27): 良い社会を作るには。
作られた人間、いじらしい人間といえば、生命の基本定理、生きて存在しなければ始まらない、いつまでも存在していたい、生きていたい という原理に人間は縛られていて、この原理から、解放されず、いつまでも縛られている、哀しい人間のことである。次も参照:
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
哀しくとも、浅ましい存在ではなくて、賢明で爽やかな存在になりたい。
以 上
再生核研究所声明305(2016.06.17) 出産の報に接して
友人が出産の喜びを伝えてきたが、これは友人に関わらず、一般に出産の問題から、人生の問題を考えて置きたい。
多くの人は自分の子の出産に際して、明かりが灯されたような希望、夢が湧いてくるのではないだろうか。人生の意義は感動することにあると 言い切ったことに対して、ある女性が 出産した時が人生で最も感動した瞬間だったと回想したという。よく理解できる。 生命とは何だろうか、人生とは何だろうか、生きるということが どのようなことかに関わっているからである。
なぜ、生命は、人生は始まったのか。両親の思いは代々、世代 世代くり返されてきたが、
それらは 同じようではないだろうか。多くは子供たちの将来の問題に関わらず、自然に極めて基本的な生命の営みの結果、恋などを通して出産を迎えていると言える。もの心付けば 異性に興味を抱き、片割れである人間は
(No.81, May 2012(pdf 432kb) - International Society for Mathematical ...www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
Traduzir esta página19/03/2012 ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。骨格は .... の上に立って判断されるべきです (再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の. 審判)。実際、何十年も経って、...
)
異性に惹かれて、自然に出産に至る。大事なことは これらは、声明303などに述べられているように、そのように、生物、動物、人間は作られているという事実である。人生には意義が有るだろうか、意味が有るだろうかの問題ではなく、生物の基本的な営みとして、そのように作られているということである。
人生、苦しい時は、どうして苦しい人生を苦労して、生きなければならないのかと、生まれてきたことを恨みたくなったり、生まれて来なければ良かったと思うときは 少なからず有るのではないだろうか。苦労して、子供のために心配し、尽くしている両親を恨みたくなることさえあるのではないだろうか。
真実は、両親さえ、そのような心情には答えられず、生命の切ない定めで、現在に至ったと哀しい想いをするだけでは ないだろうか。
出産について言いたいことは、それは生命の基本的な営みで、強い必然性があって、我々の思考を超えたところにあるということである。それは、人生や、世界の存在の問題は 我々の思考を超えたところに存在するということである。
出産という慶事に際して、人口問題などの難題については 改めて、考察したい。
ただ、この世に生をうけたからには、人生を肯定できるような人生をおくって欲しいと願わずにはおれない。 人生の肯定である。
次も参照:
再生核研究所声明304(2016.06.16): いじらしい人間
再生核研究所声明301(2016.05.23): 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
以 上
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