2016年6月25日土曜日

ついに、リーマンゼータの零点を見る サラリーマンのための超入門・リーマン予想(3) 2016.6.23(木) 桜井 進

ついに、リーマンゼータの零点を見る
サラリーマンのための超入門・リーマン予想(3)
2016.6.23(木) 桜井 進




オイラーゼータからリーマンゼータへ

 1859年、リーマンが「素数の個数」を考察することが主題であることを前回紹介しました。



 いよいよ、難攻不落──リーマン予想のど真ん中に進んでいきます。

 リーマンが素数研究のために用いた道具がゼータ関数です。オイラーによって発見されたゼータ関数(オイラーゼータ)はそのままではだめであることにリーマンは気づき、それを発展させることにしました。それが次の結果です。

(1) ゼータ関数ζ(s)は全複素数平面に解析接続される。
(2) ゼータ関数ζ(s)は関数等式を満たす。

 解析接続とは簡単にいえば、実数を定義域とする関数を複素数に対しても定義できるようにする手法のことです。

 たとえば、実数で定義された指数関数xnを複素数zでも成り立つ関数znに解析接続したものはド・モアブルの定理です。

zn=(cosθ+i sinθ)n=cos(nθ)+isin(nθ)

 リーマンはオイラーでさえ覗くことができなかったゼータの新しい風景に到達することに成功しました。解析接続によって複素数平面に舞うゼータの姿を目の当たりにしたのです。

 それでは、いかにしてオイラーゼータが解析接続されるのか、その様子を見ていきます。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47175

図の最後の式が、すべての複素数sへと解析接続を与える式です。この解析接続された関数も再びζ(s)と書きます。


 それがリーマンのゼータ関数(リーマンゼータ)と呼ばれるものです。

 ある関数の解析接続法は1つとは限りません。どんな解析接続法でも同じ関数が出てくるというのが、解析接続の一意性の定理です。

 つまり、ある複素数sにおける値は解析接続法が異なっていても同じものになります。

 解析接続法が異なることは、複素数sに対する値の計算方法が異なることを意味します。

 もし、オイラーゼータについて、値が0になるところ(零点)がわかる“うまい”解析接続法が発見されたならば、リーマンをはじめとする数学者の苦労はなかったでしょう。それが見つからなかったのでみんな苦労しました。


 さて、解析接続を与える式で、s=1-m(mは自然数)のとき、積分項を消して簡単にすることができます。

ζ(s)=ζ(1-m)=-Bm/m

 ここで、Bmは連載「ゼータ関数を支える日本人数学者、関孝和」で紹介した関・ベルヌーイ数です。

 ここで、mに3、5、7、・・・と奇数を代入すると、奇数に対してBm=0なので、次が得られます。

ζ(-2)=ζ(1-3)=-B3/3=0
ζ(-4)=ζ(1-5)=-B5/5=0
ζ(-6)=ζ(1-7)=-B7/7=0

 これより、s=-2、-4、-6、・・・(sが負の偶数)がリーマンゼータの「自明な(簡単な)零点」であることがわかります。

 では、リーマンゼータの「自明でない(難しい)零点」はいかに?

 零点を探査するリーマンの格闘が始まります。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47175?page=2


リーマンゼータの波を見る

 さっそく、そのリーマンが眺めたゼータの零点を「見る」ことにしましょう。


 ゼータの零点の詳細な計算こそがリーマンの偉業です。ここでは「零点を計算する」ことよりも「零点を見る」ことに主眼をおいて「リーマン予想」への結論を急ぐことにします。

 それには、数式処理ソフトが適任であり、手元あるMathematicaを使って、リーマン・ゼータの零点の様子を描かせてみます。


コマンド Plot[RiemannSiegelZ[t], {t, 0, 100}]
 ぜひ読者のみなさんはWolfram Alphaにアクセスして次の呪文

Plot[RiemannSiegelZ[t], {t, 0, 100}]

 をコピペしてPCの画面に映し出される風景をご覧下さい。

 グラフの横軸との切片こそがリーマンゼータの零点です。複素数s=1/2+itの虚部が横軸のtです。

 tの小さい方から、14、21、25付近にあることがわかります。さらに手っ取り早くリーマンゼータの零点の詳細を知るには、次の呪文を打ち込んでみます。

ZetaZero[{1, 2, 3}] // N

 すると、たちまち次の計算結果が跳ね返ってきます。

{0.5 + 14.1347 i, 0.5 + 21.022 i, 0.5 + 25.0109 i}

 これこそ深遠なる物語─リーマン予想のイントロダクションです。リーマンは手計算でこの3つの数値をはじきだしてみせたのでした。

 最初のコマンドRiemannSiegelこそがリーマンゼータの零点の計算の強力な公式となったものですが、それは後回しにして零点をもうすこし詳しく眺めてみます。

 実部を1/2として、虚部tを0から50まで横軸にとって、複素関数ζ(s)の実部と虚部の取り得る実数値を縦軸に描いてみます。


コマンド Plot[{Re[Zeta[1/2 + I t]], Im[Zeta[1/2 + I t]]}, {t, 0, 50}]
 グラフの青線、赤線がそれぞれ実部、虚部のグラフです。すると、t軸でこれら2曲線が交わるところが零点として見えてきます。

 確かにリーマンゼータの零点は複素数sの実部Re(s)=1/2であることが「見えて」きます。

 ここでついでに実部を1/2から0.1だけずらしてみると2曲線はどうなるか見てみます。


コマンド Plot[{Re[Zeta[1/2+0.1 + I t]], Im[Zeta[1/2+0.1 + I t]]}, {t, 0, 50}]
 さきほどのt軸上にあった交点が、t軸上からずれて交点がなくなる様子がわかります。

 グラフを眺めると確かに実部を1/2のときに零点が現れ、1/2からずれると零点が消えることがわかります。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47175?page=3

これこそがリーマン予想であり、この現象(事実)の背後にある仕組みを解明することこそが「証明」なのです。


 余談ですが、私とリーマン予想との出会いこそMathematicaのグラフでした。

 1990年京都で開催された国際数学者会議に出席した際に、インフォーマルセミナーが多数あり、その中にリーマン予想がtが大きいところで間違っているとする発表がありました。

 誰の発表かも覚えていませんが、いまいちぴんとこない結論だったことは記憶に残っています。

 それはともかく、その場所になぜかWolframが宣伝をしていて、"The Riemann zeta function on the critical line, plotted with Mathematica"なる横長(2メートル)のポスターを配布していました。

 それをもらってきて以来、私の部屋の中にはいつもこのリーマンゼータの零点のグラフが張ってあります。


自宅の壁に貼られたリーマンゼータ零点のグラフ(Wolfram社制作)
リーマンの素数公式


 このように電子計算機によるリーマン・ゼータの零点探査は1956年のLehmerに始まります。

 以降、年を追うごとに零点探査は進み、1986年には最初の1,500,000,000個がすべてリーマン・ゼータの零点になることが確認されています。

 この点はまさに「フェルマー予想」と同様の過程を歩んでいるといえます。

 「フェルマー予想」がそうであったように、「リーマン予想」は同じ道筋をたどるのでしょうか。

 そうともいえるし、そうでないともいえます。私が1990年の国際数学者会議で見たような「十分大きなところにおけるリーマン予想の破綻」の可能性が、これから将来、電子計算機により発見されるかもしれません。

 私たちが知る「十分大きな数」自体が問題になることだったあり得ます。そのこと暗示する事件が素数定理の中でおきていました。

 1859年のリーマンの論文「与えられた数より小さい素数の個数について」の中で、リーマンは大きさがx以下の素数の個数π(x)を次のように与えました。


 この「リーマンの素数公式」にあるμ(m)とLi(x)とは次のようなものです。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47175?page=4

 この「リーマンの素数公式」で注目すべき点はαを含んだΣ部分です。このαがリーマンゼータの非自明な(難しい)零点であり、Σはそれらの零点を大きさの順に足していくものです。


 ここがまさにリーマンがリーマンゼータの零点に言及したところです。そのαについて、リーマンは次のようにコメントしています。

実際、この領域内にほぼこれと同じくらい多くの実根があって、しかもそれらの根がすべて実根であることはきわめてたしからしいのである。もちろん、このことについての厳密な証明を得ることが望ましい。私は少しばかり粗雑で成果のでなかった試みの後に、差し当たりこの証明には手をつけないでおくことにした。なぜなら、以下の私の研究の目的にはなくてもよいとおもえてからである。(訳:平林幹人)

 これこそ「リーマン予想」の原風景です。

 リーマンはこの論文の最後に、素数の個数π(x)と素数の個数を近似するLi(x)について、

π(x)<Li(x)・・・☆

 と予想しました。

 実際、GaussとGoldschmidtによってx=3,000,000までなされた、xより小さい素数の個数とLi(x)の比較によれば、この個数の方が最初の100,000番目まで常にLi(x)より小さいことが判明しています。

 しかもLi(x)とこの個数の差は、変動をしながらxとともに次第に増大していることもわかっています。

 たしかに、1<x<1010ではこの予想は正しいのですが、あるNでπ(x)>Li(x)となり、それ以降で大小関係が無限にいれかわることが証明されました。

 大小関係が無限にいれかわることは1914年にリトルウッドによって証明され、さらにその最初のNについては、1933年にスキューズがリーマン予想を仮定して


スキューズ数
 になる前に最初の入れ替えが起こることを示し、1955年にはリーマン予想を用いずにもう1つの限界


 を示しました。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47175?page=5
 リーマンの予想は誤っていたことになります。スキューズは限界を示したのであって、本当のNを求めたのではありません。


 現在でもそれが求められていないことが興味深いところです。いったいどこで(☆)の不等号の向きが入れかわっているのでしょうか。

 素数の振る舞いは想像以上に謎に満ちていることをリーマンですら予想できなかったのです。リーマン予想の破綻を口走った理由がここにあります。

 実は、リーマンによる主公式の証明は厳密ではなく、1895年マンゴルドによって厳密な証明がなされました。そればかりではありません。


 といった、1859年の論文の主張もリーマンは厳密ではありませんでした。

 これはバーゼルの問題を解決しようとしてゼータに遭遇していったオイラーを彷彿とさせます。

 厳密な証明ではなかったがその主張は正しかったのです。その正しい主張こそ、誰にもできなかったリーマンの計算によってうみだされた珠玉そのものでした。

 だからこそ、この論文を目にした多くの数学者によってこれら未解決な証明は解決されていくことになったのです。

 ではいかにしてリーマンは、リーマン予想の風景を横目に見ることになったのでしょうか。次回は、リーマンゼータの零点計算に必要な驚異の「リーマン・ジーゲル公式」に迫ります。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47175?page=6



再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。



ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

                                     

以上



上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0
http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf

再生核研究所声明296(2016.05.06)   ゼロ除算の混乱

ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:

再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題 
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める

我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。

以 上


考えてはいけないことが、考えられるようになった。 
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf

0 件のコメント:

コメントを投稿