2015年1月5日月曜日

メイフラワー号

メイフラワー号
曖昧さ回避 「メイフラワー」はこの項目へ転送されています。宝塚歌劇団の舞台作品については「メイフラワー (宝塚歌劇)」をご覧ください。
メイフラワー号
300周年を記念した切手(1920年)
メイフラワー号は1620年11月21日(11月11日)、ケープコッド先端に到着した。(衛星写真は1997年のもの)
メイフラワー号(メイフラワーごう、the Mayflower)は、ピルグリム・ファーザーズが1620年イギリス南西部プリマスから、新天地アメリカの、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船の名[1]。マサチューセッツ州プリマスはプリマス植民地の中心地となった。乗客は102名、乗組員は25から30名だった。
メイフラワー号が出発したのは1620年9月16日(ユリウス暦9月6日)[2]で、病気に苦しめられた66日間の厳しい航海を経て、ケープコッド先端の釣り針のようになっているところ(プロビンスタウン港)に錨をおろしたのは11月21日(11月11日)のことだった[1]。本来の目的地はハドソン川河口で、現在のニューヨーク市付近であり、当時のイングランドのヴァージニア入植地の北端あたりだった。ヴァージニア入植地は全米最初のイギリス人移民地で、これより13年早い1607年に建設されたジェームズタウンから入植が始まった[3]。しかし、メイフラワー号はコースを外れてしまい、冬が来たためにケープコッド湾に留まって越冬することになった。1621年3月31日(3月21日)、冬の間船内で生き延びた乗客らはプリマスの岸まで移動し、メイフラワー号は同年4月15日(4月5日)にイングランドに向かって旅立った[1]。
メイフラワー号はその後のヨーロッパによるアメリカ植民地化のシンボルとして大きな位置を占めている。同号に乗っていた25~30名の乗員を除く船客102名のうち、およそ3分の1がイギリス国教会の迫害を受けた分離派に属していた[4]。このピューリタンの非国教徒の一派が信教の自由を求めてこの船に乗った。そのため、アメリカ合衆国にとってメイフラワー号は信教の自由の象徴であり、歴史の教科書で必ず触れられている。先祖がニューイングランド地方出身というアメリカ人は、メイフラワー号の乗客の末裔だと信じていることがよくある。
メイフラワー号の航海およびプリマス植民地についての主な記録としては、後に同植民地の知事になったウィリアム・ブラッドフォードによるものがある。
目次 [非表示]
1 メイフラワー号の来歴
2 ピルグリムの航海
3 乗客
4 2代目メイフラワー号
5 メイフラワー2世号
6 ポップカルチャー
7 脚注・出典
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
メイフラワー号の来歴[編集]
メイフラワー号は主に貨物船として、ヨーロッパ各国(主にフランスだが、他にノルウェー、ドイツ、スペイン)とイングランドの間で貨物(主にワイン)を運んでいた[5][6]。少なくとも1609年から1622年まではクリストファー・ジョーンズ (en) 船長が指揮しており、有名な大西洋横断航海も彼が指揮した[1]。母港はロンドンのロザーハイズ (en)。有名な航海からイングランドに戻った後、1622年3月にジョーンズが死去し、その1年後の1623年にはロザーハイズで解体された。その廃材を使ってバッキンガムシャーのジョーダンズというクエーカーの村のそばに Mayflower Barn が建てられたとも言われているが、疑わしい[7]。
船の寸法の詳細は不明だが、トン数が180トンだということと、当時の商船の典型的な大きさから、全長約90-110フィート(27.4-33.5m)、全幅約25フィート(7.6m)と見積もられている[5]。
乗組員は25名から30名だったが[6]、ピルグリムの1人でもあったジョン・アルデンも含めて5人しか名前がわかっていない[6]。ウィリアム・ブラッドフォードによるメイフラワー号の航海の唯一の記録によれば、サウサンプトンで樽職人をしていたジョン・アルデンはメイフラワー号が補給のためにサウサンプトンに寄港した際に雇われた。希望と野心に満ちた若者で、アメリカ到着後はそのまま残るか、メイフラワー号と共にイングランドに戻るかは本人の自由だったが、残って結婚した[8]。
ピルグリムの航海[編集]
サウサンプトンにあるメイフラワー号の記念碑
もともとの計画では2隻の船で航海する予定だった。もう1つの船は Speedwell というやや小型の船で、オランダのデルフスハーヴェンからピルグリムの何人かをサウサンプトンまで運んだ。
2隻の船は1620年8月15日(8月5日)にサウサンプトンを出港したが[9]、Speedwell は水漏れがひどくなり8月27日(8月17日)にダートマスで修理することになった。
修理を終えて再び大西洋に向けて出航したが、Speedwell で再び水漏れが発生してプリマスに戻ることになった。しかし、Speedwell を調べてもどこにも問題は見つからなかった。ピルグリムらは、同船の乗組員が1年近くに及ぶ航海の契約から免れようと破壊活動したのではないかと考えた[10]。
結局、66日間の航海はメイフラワー号単独で行われ、9月16日(9月6日)にプリマスの Mayflower Steps あたりから出港した[9]。2隻で予定されていた航海が1隻になったため、乗組員と102名の乗客は荷物のスペースが非常に制限されることになった。メイフラワー号はコーンウォールのニューリンに寄港して水を補給している[11]。船内ではネズミ狩りの為アメリカン・ショートヘアを飼育していた。
目的地は北バージニアのハドソン川河口付近だった。しかし船は荒天でコースを外れ、目的地のバージニア入植地よりずっと北方に向かってしまった。出発が遅れたため、彼らがケープコッドに到達したときにはニューイングランドの厳しい冬が始まっていた。ケープコッドの南東の角を回って入植を許された土地まで行くのは危険だったため、入植者らは本来の目的地に到達できなくなった[12]。
法秩序の確立と入植者間で増大しつつあった紛争を鎮めるため、メイフラワー号がケープコッドの先端に錨をおろした11月21日(11月11日)以降に、船上で社会契約説に基づくメイフラワー誓約を結んだ[1]。
入植者らは最初に錨をおろした場所で上陸して雪で覆われた周辺を探検し、アメリカ先住民の無人の村を発見した。彼らが人工的な塚を掘り起こしてみると、一部はトウモロコシを保存してあったが、他は墓だった。Nathaniel Philbrick によれば、彼らがトウモロコシを盗み墓を暴いて冒涜したことから[13]、先住民との軋轢が生じたという[14]。さらに Philbrick は、彼らが数週間かけてプロビンスタウンから海岸沿いに南下してイーストハム付近まで探検し、先住民の貯蔵していたものを略奪したとしている[15]。1620年12月、アメリカ先住民であるノーセット族との友好的とは言えない遭遇(その場所は今では First Encounter Beach と呼ばれている)を経て、彼らが湾の対岸のプリマスへ移ることを決めた経緯が Philbrick によって描かれている。
一方ブラッドフォードの History of Plymouth Plantation によれば、かれらはトウモロコシを見せるために少しだけ船に持ち帰ったとしている。その後、必要な穀物を別の貯蔵穴から頂戴し、6カ月後に先住民に代価を支払ったとき、彼らは喜んでそれを受け取ったと記している。
冬の間、乗客らはメイフラワー号の船内で過ごし、壊血病、肺炎、結核などの病気が発生した[1]。その冬を生き延びたのは約半数の53人で、乗組員も約半数が死んだ[1]。春になると彼らは海岸に小屋を建て、1621年3月31日(3月21日)に入植者らはメイフラワー号を離れた[1]。
1621年4月15日(4月5日)、メイフラワー号はプリマスからイングランドへと出航[1]、5月16日(5月6日)に到着した。
乗客[編集]
メイフラワー号がイングランドを離れたとき、乗組員と102名の乗客が乗船していた。航海中に男子が1名生まれ、2人目は1620年から1621年にかけての冬の間に生まれた。また、航海中に子供が1人死んだが、植民地建設中にさらに1人生まれている。乗客の中心はピルグリム・ファーザーズだが、他にもロンドンの商人が手配してバージニア入植地に送り込もうとした労働者、使用人、農夫などもいた。
生き残った乗客はイギリスからニューイングランド地方への最初の永久移民となった。
2代目メイフラワー号[編集]
1629年、2代目メイフラワー号がロンドンからプリマス植民地に35人の乗客を届けた。その多くは1回目の航海計画にも関わったライデンの清教徒たちである。これは最初の航海で使われたメイフラワー号とは異なる船だった。このときの航海は5月に出航し、プリマスには8月に到着した。この船はその後も1630年、1633年、1634年、1639年に大西洋を往復している。1641年、ジョン・コール船長の指揮でロンドンからバージニア入植地に向けて140人の乗客を乗せて出航したが、行方不明になった。1642年10月18日、同船の喪失がイギリスで宣言された[16]。
メイフラワー2世号[編集]
メイフラワー2世号(プリマス)
第二次世界大戦後、メイフラワー号の航海を再現しようという動きが生まれた。海軍の設計士 William A. Baker によりなるべくオリジナルを忠実に再現した船が設計され、イングランドのデヴォンで1956年9月22日に進水し、1957年春に出航。アラン・ビリエ船長指揮下、1957年6月13日にプリマスの港に到着し、大歓迎された。
この船は今もプリマスの港に係留されていて、一般公開されている[17]。
ポップカルチャー[編集]
プリマス・アーガイルFCのエンブレムにはメイフラワー号がデザインされている。
イエスのメンバージョン・アンダーソンとヴァンゲリスはジョン・アンド・ヴァンゲリスという音楽ユニットを組み、アルバム「フレンズ・オブ・ミスター・カイロ (en)」に "The Mayflower" という曲を収録している。
映画『フライングハイ2/危険がいっぱい月への旅』に登場するスペースシャトルは Mayflower One と呼ばれていた。
ボブ・ディランのアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に収録された曲「ボブ・ディランの115番目の夢」の歌詞にはメイフラワー号が出てくる。
メイフラワー号の航海を描いた映画として、Plymouth Adventure (1952年) がある。
メイフラワー号の船内を描いた舞台作品として『メイフラワー (宝塚歌劇)』(1983年初演)がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E5%8F%B7

再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。 
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f 割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している、好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
以 上
文献:
Castro, L.P.; Saitoh, S. Fractional functions and their representations. Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).


再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
(5月28日、宿舎から研究室に向っているとき、芝生の先に 木立ちが有り、その先に 入り江が見える情景を見て、エデンの花園のように感じた. そして、この声明の原案とエデンの花園の声明構想が閃いた。)
ゼロで割るを グーグルで調べると、2014.5.28.13:35現在
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1. ゼロ除算 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ゼロ除算
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ゼロ除算(ゼロじょざん、division by zero)は、0 で除す割り算のことである。このような除算は除される数を a とするならば、形式上は a⁄0 と書くことができるが、数学において、この式と何らかの意味のある値とが結び付けられるかどうかは、数学的な設定に ...
‎算数的解釈 - ‎初期の試み - ‎代数学的解釈 - ‎ゼロ除算と極限
2. 数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください ...
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp ›... › 数学
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14/05/2007 - maru_i_nekoさん. 答えが ないから。 たとえばー 5÷0=Bとしましょうか。B×0=いくつに なりますか。 ゼロですよね。 とゆーことは、Bはゼロ?と思っちゃいますが、それだったらゼロ×ゼロが 5になってしまいます。おかしいですよね。
となっていて、290万件あるが、非常に当たり前の議論が多く、いわば、常識的な議論が多く、考え方などが幼稚であると考えられる。なを、6番目に再生核研究所の最近の成果が述べられている:
1. 再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る ...
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YoshinoriSaito
21/04/2014 - 再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方 再生核研究所声明148で 結構詳しい状況について説明し、特異点解明:100/0 =0,0/0=0 として 詳しい状況はブログなどでも公開、関係文書は保管されている。2月2日考えを抱い ...
そこで、 その問題から、 数学的な考え方と、創造的な精神について触れたい。
まず、どうしてゼロで割れないのか、という疑問が、繰り返し問われているが、これは世に問われている多くの問題、神の問題などと同様に、論理的に 発想そのものが 相当おかしな議論と言える。
これは、割り算の定義をしっかりさせないで、ふらふら議論している、神の定義もしないで、神のことについていろいろ議論を繰り返している。問題にしている、問題の意味を理解しないで、論じている訳であるから、まことに奇妙な議論であるが、世に多いと言える。注意したい。( 逆に言えば、難しい問題とは、問題の意味さえ分からないとも言える)。
次に、真面目に議論して、割り算、分数の定義に基づいて、 不可能である という議論が多い。それは、それで正しいが、ここで、重要な数学の考え方を指摘したい。
数学で不可能である、できないということは、数学のそういっている数学の理論体系では不可能であるといっている事実である。 数学上の不可能は、そういっている理論体系では 不可能であることをいっている。これは、裏からみれば、それを可能にする理論体系、数学が、考え方が、有るかも知れない という発想に繋がる。上記、グーグル、あるいは人類の歴史上、そのように発想しなかったのは、人類の愚かさであり、永い間の盲点であったと言える。― 実際、数学者が、可能にする考えは無いか と問うのは当たり前のことであるが、ゼロ除算は できないという、 先入観で考えなかったのではないだろうか。 しかし、 その問題は、物理学では ブラックホール現象や、ニュートンの万有引力の法則に 深刻な問題を提起してきている、事実もある。― 実際に、自然に割り算の定義を拡張して、簡潔な結果、ゼロで割れば、何時でもゼロであるという結果が導かれた。それらは、高校生レベルの数学で十分であった:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
数学については、上記声明の中で、発見の詳しい状況、位置づけなどについても触れているが、 新しい結果は、予想できない、驚嘆すべき結果を述べている。複素解析学では、1/0 は無限遠点、無限と考えられており、実数でも ゼロを小さな正か、 負の数でゼロに近づくと考えれば、正の無限大や、負の無限大に発散すると考えるのが、世の常識である。 それが突然、ゼロであるとして、強力な不連続性を示しているからである。 上記声明の中で、世に有る爆発や接触などの強力な不連続性を示す、 基本的な現象の型を与えるのではないかとの明るい、予想を展開している。 ここで、触れたいのは、全く、新規な現象が現れたときの 我々の取り組む姿勢、精神の問題である。
まず、人間とは何者であるかを確認したい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
人間は何でも知りたい、究めたい、それが本能である。 しかしながら、そんなのはつまらない現象であると理解して、考えない英明な方は、それも もちろん良いのであるが、いろいろ考えると楽しいと想像するのが、真理を追究する人間の姿勢に合っているのではないだろうか。ユニバースには 何でもありで、いろいろ裏があると考える方が、人生や研究を豊かにするのではないだろうか。 ユニバースと数学は どのように成っているのか、知りたいと考える。
新しい割り算の意味の位置づけ、評価は 世界史が明らかにするわけであるから、どのような影響を 世界史に与えるかは、もちろん、直ぐには分らない(再生核研究所声明 41:  世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M.Yamane,
New meanings of the division by zero andinterpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalizedinversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in LinearAlgebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
以 上

再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)
ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は  既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

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