2015年1月27日火曜日

「日本の歴史歪曲は東京裁判から始まった」

「日本の歴史歪曲は東京裁判から始まった」
 「日本の歴史歪曲(わいきょく)は根が深い。昭和天皇の戦争犯罪を断罪しなかった東京裁判がその始まりだ」
 米国における日本史研究の権威、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のハーバート・ビックス名誉教授(76)=写真=は、本紙の電子メールによる取材に応じ、安倍晋三首相が主導する日本の歴史歪曲の根源を1946年5月から48年12月にかけて行われた東京裁判に求めた。米国が主導した東京裁判では、軍部強硬派のトップだった東条英機・元首相をはじめとするA級戦犯7人を絞首刑に処し、16人に終身刑を言い渡した。しかし昭和天皇については「戦争に直接介入した証拠がない」という理由で、起訴しなかった。
 ビックス教授は「昭和天皇は、軍部強硬派の操り人形ではなく、日中戦争や真珠湾攻撃で積極的な役割を果たし、影から操った人物だった。東京裁判の後、日本人は『天皇に戦争責任がないのなら、日本国民も責任を負う必要はない』という認識を持つようになった」と語った。
-日本は昨年、昭和天皇実録を編さんした。
「実録が編さんされた時、ある日本のメディアからコメントを求められたが、二つの理由から拒絶した。実録が、昭和天皇の誤りに関する記録を全て削除して美化のみを追求しており、またそのメディアが『批判的なコメントは載せられない』とくぎを刺してきたからだ。実録は、昭和天皇が非政治的かつ形式的な立憲君主にすぎなかったという誤った前提に立っている」
-昭和天皇も戦争犯罪に責任があるということか。
「そうだ。実録には、昭和天皇が自分の責任を認めている外国首脳との対話録が反映されていない。第2次大戦当時の昭和天皇のリーダーリップについても記述がなかった。これは、日本の歴史学界が蓄積してきた膨大な資料と矛盾する。昭和天皇は、積極的な行動派君主だった。昭和天皇は、37年に始まった日中戦争を率い、戦争の熱病にとらわれ、41年に東条英機を首相に任命して戦争内閣に直接参加した。真珠湾と東南アジアに戦線を拡大する決定も、事実上、昭和天皇が下した。昭和天皇は、敗戦が迫った時も降伏しないとこだわった。昭和天皇がもっと早く降伏していたら、広島や長崎への原爆投下は避けられた」
-東京裁判で米国が昭和天皇を起訴しなかった理由は何か。
「連合国軍総司令官だったマッカーサー元帥が、昭和天皇を積極的に保護したからだ。マッカーサーは戦後、日本を米国の統制下に置いて速やかに安定させるため、象徴的な国家指導者が必要だった。そこで免罪符を与え、この時から日本の歴史歪曲が始まった。日本の右翼は、天皇に対する批判をテロで阻んできた。60年には、皇室を侮辱した月刊誌『中央公論』の社長宅に極右勢力の人物が侵入し、家政婦を殺害した。57年には、第2次大戦に参戦した旧軍出身者が戦争の惨状について書いた本がベストセラーになったが、右翼が立ち上がり、絶版にするよう出版社を脅迫した」
羅志弘(ナ・ジホン)ニューヨーク特派員http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/01/24/2015012400821.html

「日本史研究の権威」ハーバート・ビックス名誉教授インタビュー
「天皇に戦争責任がないのなら、国民も責任を負う必要はない」
日本人は誤った認識を持ち、自ら歴史を反省することが困難に
ドイツの反省も周辺国との関係から…日本はこれまで米国にしか気を使わず
日本に反省させるためには、国際的協力で圧迫すべき

-日本は、ナチスの犯罪を最後まで追跡・処罰するドイツとは対照的だ。
 「歴史を自発的に反省する国はほとんどない。米国は、ベトナム戦争での住民大量虐殺を反省しなかった。ドイツは特殊なケースだ。国境を接するフランスなど周辺国や、ナチスの犯罪を積極的に批判した東ドイツとの関係から、反省しないわけにはいかなかった。またドイツの政治家は、ナチスを批判することが欧州でドイツの立場を高める効果的な方法だということを、経験を通して理解していた。しかし日本は戦後、米国の保護を受けたため、周辺国との関係に神経を使う必要は別になかった」
-安倍首相と日本の右派は、慰安婦問題に敏感に反応している。
「韓国や中国、東南アジアの女性を性奴隷にした慰安婦の件は、日本の極右政治家にとって致命的な弱点だからだ。日本が再軍備に乗り出した場合、韓国・中国など周辺国が真っ先に思い出す被害が慰安婦問題だ。しかし日本の極右勢力は、現在、外の世界で女性の人権がどれほど重要な課題として取り扱われているかをきちんと理解できていない。日本が慰安婦問題を否定すればするほど、国際社会で日本のイメージは悪くなるだろう」
-右傾化を批判されているにもかかわらず、安倍首相の連立与党は先の総選挙で大勝した。
「自民党は、選挙前と比べて4議席を失った。維新の党など極右政党が惨敗したことに見られるように、右翼の勝利と見るのは難しい」
-韓日、中日関係は悪化するばかりだ。どのように解決すべきか。
「日本の反省が先決だ。日本が半世紀にわたる暗い過去から抜け出し、戦争責任を認めなければ、周辺国との対立は解決できない。国際的協力を通して、日本が反省するよう圧迫すべきだ。また、東アジアの軍事的緊張を緩和し、日本が再軍備する必要性を感じなくて済むようにすべきだ」
羅志弘(ナ・ジホン)ニューヨーク特派員
多くの日本人は天皇や皇族に戦争責任を求めるを好まず、天皇の責任さえ、側近や国家の機関の責任者が 負うべきだと考えているのでは?
すなわち、 実際的な政治的な権力を持っていない、与えるべきではないと見ているのでは。 
相当な期間、 象徴的な存在として 尊敬しているのでは?
再生核研究所声明 5 (2007/04/08): 靖国神社問題に対する提案:
戦後、60年以上も経た現在においても、機会あるごとに靖国神社問題が取り上げられ、多くの議論が繰り返えされているのは、極めて残念なことである。これでは日本が論理的な思考能力が足りないと言われても仕方がないと考える。声明1の 「公正の原則」 に従ってあるべき姿を提案したい。
1) 先ず、近代に確立した, また確立されなければならない 「政治と宗教の分離の原則」 に 厳格に従うべきであり、よって公人としての参拝は厳格に禁止されるべきである。また同時に 靖国神社に対する国の政策による活動及び補助も当然禁止されるべきである。
2) しかし、国や社会を良くしようと考える公人たる者が 国の為に殉じた人達に敬意を表わしたいと考えるのは極めて自然であるから、私人としての参拝はこれを禁じるべきではなく、参拝に当たっては個人の立場である事を明確にすること。さらに、戦争で傷ついた諸外国の人たちの心情を察し、これらは慎ましく行い、マスコミなどは双方の気持ちを汲んで 報道に当たっては慎重に扱うように期待したい。
3) 靖国神社の宗教法人としての自主性を重んじ、神社は法人としての責任で運営されるが、法人としての神社は 戦死者を祭っている事に鑑み、常に祭られている人やそのご遺族の方々の心情と国民の意思を最大限に尊重していく事が望まれる。しかし、法人は一法人であり、その法人が運営する宗教に対する個人の対応は 全く個人の自由であり、靖国問題は一法人と個人の自由な関係と捉えよう。
4) 3)の観点で、特に所謂戦犯についての合祀については これを疑問視する考えが諸外国ばかりではなく、日本人の間でも起きることは 日本人の心情と日本の歴史に基づいても理解される。戦いを指揮した者は敗戦に至った場合には責任を果して来ていると考えられる。さもなければ、その指揮下で亡くなった者の立場はどのようになるでしょうか。従って、この点については神社の検討の余地があると考える。-- しかし、戦犯とよばれる人たちも同じ犠牲者であるという立場にも正当性があると考えるが、この点については、国民と被害を受けた諸外国の人々の心情に よく配慮する必要があると考える。
5) 第2次世界大戦について、十分な反省と謝罪の気持ちを表明していき、もろもろの各論的な問題についての無用な繰り返しやぶりかえしをせず、明るい未来の友好親善の視点を強めていくように努力していくことが望まれる。特に 多くの戦争はどちらが悪いかの問題ではなく、戦争そのものが悪であり、双方に悲惨な状況を生み出していくものと考えて行きたい。
6) 戦死者のご遺族の方々は 上記第1―2項についてご不満の念を抱かれるのではないかと考えます。 そこで、日本国の首相は新年に当たって伊勢神宮を参拝するという美しい伝統を持っているのに鑑み、同じように靖国神社を参拝するような伝統を自然な形で作られたら如何でしょうか。ご提案致します。
以上

2.7 第二次世界大戦と日本の良心(2007/4/12):
この感想は、私と同じ年代の人たちには、圧倒的に支持される自信があります。
「声明」は、軽い現代の常識的立場の整理だと思いました。この程度の見解が「第2次世界大戦について、十分な反省」をした結果だかどうか、頼りないようにおもいました。この声明案の基本的な問題は、「第二次世界大戦をどう考えるか」「いわゆる戦犯をどう考えるか」の二つに絞られると思います。 小学校入学が満州事変、中学入学の時が日中戦争、4年の時に第二次大戦、高専卒業の時に終戦。正に戦争とともに大きくなりました。戦中派として「第二次世界大戦をどう考えるか」という問題についての回答は、「声明」が考えている現代の一般的常識とはかなり違います。
話を進めるために、是非「世界史」を勉強してください。といっても、私の勉強の中心は、
次の資料を折に触れ、繰り返し見て、私の若き日の記憶と照らし合わせるだけです。「総合世界史図表(第一学習社)1987」「総合日本史図表」「コンサイス世界史年表」「世界年表(河出書房)」それに高校の教科書です。今日もこの返事を書くために世界史図表をめくりなおしました。
世界史はまさに戦争の歴史です。とったりとられたり、栄枯衰盛、食うか食われるかの争いです。この図表(全240頁)の半分ほどの120頁以降、欧米各国の世界侵略のすさまじさが記録されています。スペイン、イギリス、オランダ、フランス、アメリカ、それにロシアなどいわゆる当時の先進諸国が、インド、アフリカ、カナダ、アメリカ、南米、中央アジア、シベリア、にむけた目に余る身勝手な侵略戦争の歴史です。中国だってその渦のなかで、周辺諸国を侵し、欧米からは侵される、不思議なお混乱のなかにありました。これらの大国は、17世紀から20世紀にわたって、世界各地を恐るべき勢いで、傍若無人に侵略しまくって、植民地にしてしまいました。
 20世紀に入った頃、スペインはフィリッピンを、オランダはインドネシアを、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島、それにオーストラリアを、フランスはベトナム、カンボジャ、ラオスを、つまり東南アジアの全域を侵略しつくしていました。アメリカも遅ればせながら、スペインからフィリッピンを奪っています。太平洋の島々もイギリス、フランス、アメリカの領地にくみこまれてしまいました。その上、勢いをつけたイギリス、ドイツ、フランス、ロシアなどが、競って中国侵略を着々と実行していました。日本に対しても、中国に対する侵略と同じ手法で、治外法権の外人居留地をもうけたり、不平等条約を押しつけたり、で明治維新以来、侵略の初期段階にあったと思っています。ロシアと中国の清朝も、中国東北地区から韓国へと勢力を拡大すべく圧力を強めていました。
このような欧米諸外国からの侵略に対する危機感や対抗意識が、私の若い頃の日本の底流にあったと思っています。諸外国はみんなお行儀がよいのに、日本だけが侵略者でした、などとはどのようにひっくり返っても言えません。第二次世界大戦の本質は、世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。
次に「いわゆる戦犯をどう考えるか」です。第二次大戦を前述のように考えているから、戦争裁判がまともなものであったとはとても考えられません。国際紛争には常に二つの正義が存在します。
どちらがより悪い侵略者だったかを考えるべきです。非は明らかに諸外国にあると私は思っています。 どちらがより悪い侵略者だったかを純客観的に考えられる人はいません。非はいつも相手側にあるものです。しかも勝敗がつけば、必ず敗者側に押しつけられるものです。それが正しいなどというわけにはいきません。たった1回の東京大空襲で非戦闘員の一般市民を徹底的に殺戮して10万人の死者を出し、同じ非人道的な殺戮をあちこちの都市でおこないました。その上、1発の原爆で広島20万人の非戦闘員を殺戮したことも許せません。このような桁外れの悪逆非道を犯した犯人を裁かないで、戦争裁判の正当性を主張することなどはとても承伏できません。戦犯問題は茶番です。
戦中派の私の第二次世界大戦と戦犯についての基本的な考え方です。靖国問題などは、わたくしにとって、どうでもいいことです。うまく処理してくれることを願うだけです。
第二次世界大戦と日本の良心の返事
どうも歴史的事実とズレているようです。
第一次大戦終了以降の国際社会は日本も締結した不戦条約に見られるような自衛以外の戦争の違法化に進んでいました。
そもそも1920・30年代の日本は、すでに世界有数の軍事力を持った国家であり、1932年の脱退まで国際連盟の常任理事国でした。
欧米の侵略におびえた幕末期と同じ危機感で国際情勢を語るのは明らかにおかしいと思います。
中国に対する主権侵害を禁じた九カ国条約も締結されており、帝国主義の時代は終焉していました。
このような時代に第一次大戦以前の感覚で中国への侵略を行った日本は残念ながら時代錯誤であったとしか言いようがありません。
また、太平洋戦争の主な発端は中国への侵略によって経済制裁を受けた日本が、戦争継続のため資源を南方に求めたことです。
「ABCD包囲網」というのは日本の自業自得です。
1943年の大東亜政略指導大綱では占領地の「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」を帝国領土に編入することが
決定されるなど「アジア解放」の大義名分とはまったく異なる実態を見ることができます。
要するに太平洋戦争は、東南アジアの欧米植民地を日本の統治下に置き、重要資源産出地にいたっては日本領土とするための侵略戦争であり、
そうした意味での「大東亜の新秩序」の樹立です。

再生核研究所声明201(2015.1.23)ドラマ、言論、文芸、世相、関心を 近未来志向にしよう
NHK 大河ドラマ、朝ドラ、あるいは各社テレビ局の多くのドラマは 社会に大きな影響を与え、文化や世相の元になっていると考えられる。ニュースや各種新聞社の記事なども同じような大きな存在であると考えられる。各種出版物も同様である。
もちろん、現代的な話題が中心であることは、幅を含めての現在の重要性が極めて重大であるから、当然である。その原理は慣性の法則にあると考えられる。
ここで触れたい視点、考えは、過去の題材に対して、近未来の題材、関心、扱いが、過去のものに対する扱いに対して、非常に少ないのではないだろうか ということに思いを致すことである。
NHKなどの、大きなドラマが過去の題材を扱う意義は 何だろうかと問うて、逆転志向を始めよう:
過去の歴史を振り返り、いわば日本としての文化の継承と共に 日本人としてのアイデンテティの継承を確立したい、は 大河ドラマなどには、高邁な精神として有るのではないだろうか。その意義は極めて大きいと評価し、考えられる。また人々を導く、教育的な要素を持つのも当然である。他方、多くのドラマに過去の題材が使われているのは ドラマとしての楽しみ、娯楽としての位置づけではないだろうか。この観点では、水戸黄門や時代劇の大岡越前の現れる番組などが顕著な例と見られよう。
何らかの意味における 教育的な配慮、そして、楽しみの観点、それらから判断して、逆点させて近未来の題材をもっと増加させては どうであろうか。変えられない、過去よりも 自由を働かせ、夢も含められる 近未来の題材 は如何であろうか。
実は、この声明の発想の元には、特に外交問題などで、過去の嫌な問題を繰り返し 堀り返し、いたずらに国家間の関係を悪化させている現状に対する嫌気がある。過去のことに拘りすぎて、未来志向の部分が弱いのではないだろうか。いろいろな国際紛争や大震災などの問題でも、少し歴史が進むと、このようになって、このように対応できる時代が来るのだ と言うような視点が欲しい。 世界の世相を明るい方向に持っていきたい。それには、新時代における、新世界におけるビジョンが 必要である、 そのような世界観を持った思想の上に、論説など言論界も、文芸界も より具体的な肉付けを与え、ドラマや文化を支える多くの人々の参加が そのような方向で必要である。意識改革が必要である。 求められる。
このような、紛争が起きた。次の時代には、このような組織が機能して、このように対応できる。大震災などでも同様である。日・中・韓 は このような関係になって、大いに漢字文化圏として、共存、共栄でき、共鳴できるなどの 具体的な在りようを描いて、面白いドラマなどを制作して行くのは如何であろうか。過去の戦争ものをドラマ化するより より優位な在りようではないだろうか。 未来志向を提案したい。
言論界はもっと近未来のビジョンを明瞭に示し、世界の人々に 明るく示すような積極的な姿勢が望まれるのではないだろうか。在るべき世界に想いを致して行こう、夜明けの世界から見れば、未だ夜明け前の暗い時代と言える。
以 上

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