2015年1月22日木曜日

江戸時代の公開数学問題「算額」で

江戸時代の公開数学問題「算額」で
和算の粋を楽しむ
数学の問いを神社仏閣に掲げ、公開の場で算法勝負をする「算額」。大名から庶民まで、身分の上下を超え、当時の数学ファンがこぞって熱中したオリジナリティ溢れる和算問題の数々、現代人のあなたはどこまで解ける?

はじめに
算額とは何か
みなさんは,算額というものをご存知だろうか。主に江戸時代に,神社仏閣に奉納された数学の絵馬のことである。現在でも,日本の神社には小型の絵馬がかかっているが,江戸時代にはもっと大型のものに,数学の問題と答えを描いて奉納したのである。世界でも稀にみる習慣と言えるだろう。
現在神社などに掲げられている絵馬は,小型のものが多い。おおよそ縦横10~20cm程度だ。算額はもっと大型だ。平均的なもので,縦90cm×横180cmほど。ざっと畳1枚分と考えてよい。算額は,神社仏閣の軒先に掲げることが多かった。建物の高い位置に目立つように取り付けられるため,そのくらいの大きさが必要だったわけだ。
算額が掲げられた目的は,大きく分けて4つほどあったと考えられている。
○問題が解けたり,数学の腕が上がったことを神仏に感謝する。
○数学の研究発表の場として活用する。
○自分の流派の宣伝をする。
○慶事を記念して奉納する。
いずれにしても,数学と神仏とを結びつけ,感謝の念を表するということでは共通しているのではないだろうか。受験数学が幅を利かせている昨今,じつに清々しい気持ちにさせられる。江戸時代にこうした習慣があったことは,良き伝統として語り継いでいきたい。
実際の算額の形は横長の長方形のものが多いが,正方形・五角形・縦長の長方形・扇形などのバリエーションもある。人目につくことが目的とされたため,彩色を施すなど目立つデザインを意識していたようだ。勢い図形問題が多くなったのは,算額という性質上仕方がないだろう。その代わり,図形問題には凝ったものが数多く残されている。これが和算の特徴のひとつと言える。
これらの問題は,現在の中学・高校の数学で解けるものが多い。ただし,中にはかなり高度なテクニックを必要とする難問も残されている。お互いに競うようにして,新しい問題を作っていったため,高度になっていったのである。
当時世界最高レベルに達していた問題も作成された。球に関する定理を用いるソディーの六球連鎖の問題や,円に関する定理を用いるシュタイナー環の問題などがその例である。そこでは,ヨーロッパの最先端の数学に数十年先駆けた問題が扱われていた。ソディーの六球連鎖に至っては,西洋数学の定理として発表されたのが20世紀半ばのことだから,100年以上先駆けていたことになる。和算が世界に誇れることのひとつだ。
世界遺産と算額
算額は身近なところに残っている。たとえば,世界遺産に登録されている神社仏閣がそうだ。
人目につくことが大切だったため,算額は有名な社寺に掲げられることが多かった。いわゆる名所・旧跡などは,掲額するのにもってこいの場所だった。現在世界遺産に指定されている有名社寺にも,算額が残っている場合がある。そのいくつかを紹介したい。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41829
まず岩手県中尊寺から。金色堂で有名な奥州平泉の中尊寺だが,算額も奉納されており,阿弥陀堂に1面,地蔵堂に2面現存している。中尊寺にはその他にも,不動堂などに4面が記録として残っている。日本三景のひとつ,広島県厳島神社にも1面現存している。世界的な観光都市京都にも,清水寺に復元されたものが1面残されている。
また世界遺産ではないものの,現在でも有名な観光地に算額が残っている。日本三景の残りの2つ,天の橋立と松島近辺の社寺にあるのがそれである。天の橋立のたもとにある智恩寺文殊堂には3面が,松島近くの塩竈神社には5面現存している。
その他にも,長野の善光寺,京都の八坂神社・北野天満宮,埼玉の氷川神社,愛知の熱田神宮などの全国の名刹・古社にも,算額が残されている。
現在は失われてしまったが,東京の浅草寺・湯島天神・神田明神・富岡八幡宮・増上寺,千葉の成田山新勝寺,神奈川の鶴岡八幡宮・川崎大師,栃木県日光山,大阪の住吉大社,奈良県興福寺,香川県金刀比羅宮,福岡県太宰府天満宮などの神社仏閣に掲額の記録が残されている(中には復元されたものもある)。算額は主に江戸時代に奉納された。ただし,その慣習は明治になっても続いた。中には昭和になってから掲げられたものも,ごく少数ながら存在する。
現在どのくらいの数の算額が存在しているのだろうか。現存している算額は,おおよそ900面である。新しく発見されたり,あるいは逸失するものもあるため,その数は微増減する。
ただし,本来はもっとたくさんの算額が作られ掲げられていたと考えられている。江戸時代から現在に至るまでの過程で,紛失・破棄・焼失したものが多数あるからだ。とくに,太平洋戦争で焼失した算額は相当数にのぼると推定される。
それではかつてどのくらいの算額が,存在していたのだろう。正確な数字は不明だが,ある程度根拠のある数を示すことができる。江戸時代に書かれた和算書の中に,算額を書き留めたものが残っているからだ。江戸期には,各地の算額を書き写した算額集が出された。代表的なものが,藤田貞資(ふじたさだすけ)門下が出版した『神壁算法(しんぺきさんぽう)』(1789年),『続神壁算法』(1807年)だ。「神壁」は,神社の壁を意味する。神社の壁に掲げられた算法,つまり算額を表している。なかなか気の利いたネーミングではないだろうか。
各地に残っている和算書に書き残された現存しない算額を集計すると,およそ1700枚となる。少なくとも記録に残っているだけで,900+1700=2600枚の算額が,かつて日本に存在したことになる。
本書は,現存するものを含め記録に残る算額の中から興味深い28題を選び,当時の解法と対比しながら解説を加えたものである。同時に,和算家のエピソードや和算界のできごとなど,細かな情報を盛り込んだ。算額を通して,江戸時代の精神風土のようなものを感じていただけたら幸いである。
それでは,算額ワールドへようこそ。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41829?page=2

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上

ゼロ除算100/0=0, 0/0=0の意義:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 1/0, 0/0=0をもたらしたこと。
2) ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた(注参照)。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、 独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;
すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかの未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 世界観や文化に大きな影響を与えている。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
2014.12.14.15:20

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