全国民必読 女性の時代、さてどう考える? 未来の天皇「やっぱり愛子さまがいい」vs「当然、悠仁さま」賢者の知恵コラム一覧
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一度は大議論になったが、男児誕生によって消えた「女性天皇」論争。そもそも「男系男子」でないと絶対いけないものなのだろうか?未来の天皇候補二人に関する国民的議論をいま一度考える。
なぜ愛子さまじゃダメなの
「愛子さまを天皇にするという考え方はそんなにおかしいでしょうか。イギリスやオランダなど、ヨーロッパでは女帝なんて普通ですし、むしろ『女帝のほうが栄える』なんてジンクスすらある。男女関係なく、一番上の子が継げばいいのに。愛子さまが可哀想です」(日本駐在の外国人ジャーナリスト)
「伝統を守る意味でも悠仁さまが天皇になるのが当然です。そもそも、法律でそう決まってるのだから、愛子さまが即位するのは無理な話ですよ」(皇室担当記者)
「女性の輝く社会をつくる」そう掲げた安倍首相は、第二次改造内閣では5人の女性閣僚を起用し、女性登用促進のアピールに余念がない。しかし、手をつけようとしないデリケートな女性関連問題がひとつある。「男系男子」に限定されている皇位継承権問題がそれだ。
「現在の皇室典範では、皇位は男性の天皇や皇太子の皇子しか継ぐことができない。つまり、父親側に天皇の血が流れている男子でないといけないんです。
皇位継承者は現在5人。皇太子殿下、秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さま、三笠宮さまの順です。しかし、未来の天皇ということになれば、悠仁さましかおられない」(皇室ジャーナリスト)
今上天皇は現在81歳。今でも精力的に公務や宮中祭祀に取り組んでおられるものの、それがいかに肉体的、精神的に大変なことか。そう遠くない未来、現在の皇太子殿下が天皇に即位すれば、天皇より年下の皇位継承者は、弟の秋篠宮殿下と甥の悠仁さましかいなくなってしまう。
そして、次の天皇の唯一の実子でありながら、天皇になれない愛子さまはどのようなお気持ちで国民に接すればよいのだろうか—。悠仁さまという次世代の継承者がいるとはいえ、思春期を迎えている愛子さまの心中を忖度する人も少なくないはずだ。
悠仁さまが生まれるまでは一定の勢力を占めていた女性天皇容認論者も、すっかり問題は解決したとばかりに沈黙を守っている。だが、いまはまさに女性の時代。愛子さまが未来の天皇になることを議論してもおかしくはあるまい。まず、「愛子さま即位派」の意見から聞いてみよう。
'12年、野田政権のもとで行われた「皇室制度に関する有識者ヒアリング」にも参加したジャーナリストの田原総一朗氏が語る。
「2000年近くもひとつの皇室が続いた国は、日本以外どこにもない。天皇というのは世界に例のない存在で、まさに日本の民族性、文化の象徴なのです。その伝統を守っていかなければいけないと思うけれど、だからといって女性天皇はダメという現状はおかしい。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41688
再生核研究所声明82(2012.3.16) 皇室の在りようについての 一考察
まず、日本国の永い歴史で中心的な役割を果たしてきた、日本の皇室については 高く評価し、また日本国の文化的な誇りでもあると考える(美しい国、日本; 再生核研究所声明23[付記] 参照)。
最近、国家元首の問題や女性皇族問題などが話題となっているので、 日本の皇室の在りようについての 考察を行って置きたい。
この考察の出発点は もちろん、日本国の永い歴史における皇室の役割の評価と あるべき姿との調整、調和である。
ここで、在るべき姿とは何か。 それは世界史の展開に対する評価と位置づけ、そして、自由、平等、博愛の原則である。 基本的な人権の尊重は、人間の尊厳に直結する 個人の固有な権利であり、皇族といえども保証されるべきである。 生まれながらに日本国の天皇の任に就かされることは、甚だしい人権侵害であると言わざるを得ない。これは皇族離脱の権利も広く保証されるべきであるという、見解に繋がると考える。また、皇族が日本国の在るべき姿について適切に指導できると 十分な裏付けと準備もなく 期待するのは 適切な見方ではないと考える。 よって、国家元首と言っても 実際的な意味を持たせるべきでなく、現在のように象徴的なものであると 考えるべきである。国家元首の件は 現在の憲法以上の意味を持たせるべきではなく、天皇によって任命された日本国首相が すべて 国家の責任を負うべきであると考える。
世界は 世界が大きな一つの国のように発展するのが 世界史の必然的な流れであると考える。 そのとき、日本国は ある纏まりのある相当な自治権を有する国となるだろう。 その時、皇室は 日本国の永い歴史上に存在する、家長的な存在、特に 日本文化の象徴的な 中心的な役割 を果たすと期待される。
上記文脈で見えて来る皇族の在りようは、 明治天皇のようではなく、現在の皇室の在り様、あるいは江戸幕府時代の皇室の在りようを暗示させるように見える。 この観点で、世界の先進国イギリスにおける 在りようや ヨーロッパ諸国の在りようを参考に 具体的には 1歩1歩考えていくと 柔軟に考えていけばよいと考える。
女性の皇族の問題(女性宮家の問題など)は 前向きに進め、皇族方をある程度大きくし、天皇などについても辞退が できたり、適任者が就任できるような余裕を持たせるような在りようが良いのではないだろうか。
現在、民主主義の問題が露になり、政治家は自分の保身や人気取りに気遣いし過ぎて 国家をおろそかにし、 国を危うくしている状況が 世界的に危惧される。 政治家不信は 世界的な風潮ではないだろうか。 誰が日本国の歴史と日本国に責任を持っているのかさえ、明確ではないような世相である(再生核研究所声明73:日本国首相の役割 参照)。
他方、天皇をはじめ、皇族の方々は、永い歴史上に存在する歴史上の存在であり、政党や派閥、特定団体を越えた 高い次元、視点に立てる存在である。 そこで、ある程度皇族を充実させ、政治などについても影響力を行使できるような在りようは、 現在の民主主義の次の時代の在りようとして、考える余地を残しておくのは 賢明な在りようではないだろうか。
政治の在りようは やがて進化して、愚かで、野蛮な政争などは無くなり、社会科学と人間の進化によって 専門家が各級の判断をするようになるだろう。そのとき 政治を取り巻く世界は安定して 緩やかな王政のような形がとられるだろう。
また、当分 夜明け前の時代には、 政治的な実権と国家元首を兼ねる大統領制よりは、 イギリス、日本などの 議員内閣制の政治体制の方が、政治体制として 優れていると評価したい。
以 上
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