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砂田 薫2015年01月12日 13:59「日本再興戦略にギャップイヤーは入り、文科省スーパーグローバルハイスクール採択校でも導入が進む」
2014年の「日本再興戦略」の中に、ギャップイヤー!
「日本再興戦略-JAPAN is BACK-」は2013年6月に安倍政権下で閣議決定されたが、この中に大学改革に関する記述がある。それは、「グローバル化等に対応する人材力の強化」の見出しで、「世界に勝てる真のグローバル人材を育てるため、教育再生実行会議の提言を踏まえつつ、国際的な英語試験の活用、意欲と能力のある若者全員への留学機会の付与、及びグローバル化に対応した教育を牽引する学校群の形成を図ることにより、2020 年までに日本人留学生を6万人(2010 年)から12 万人へ倍増させる。」というものだ。中略するが、「高校・大学等における留学機会を、将来グローバルに活躍する意欲と能力のある若者全員に与えるため、留学生の経済的負担を軽減するための寄附促進、給付を含む官民が協力した新たな仕組みを創設する」とあるのは、現在の「官民協働海外留学支援制度~トビタテ!留学JAPAN」につながっている。
ギャップイヤーについては、定義として、「3か月以上の本組織から離れた社会体験(ボランティア・課外留学・旅)や就業体験」(注1)であり、一部「トビタテ!」の奨学生が重なっているが、本丸はその後の記述にある「就職・採用活動開始時期変更を行うほか、多様な体験活動の促進に資する秋季入学に向けた環境整備を行う」の「多様な体験活動」にあたると考えるのが、自然だろう。つまり、この時点では、内容はともかく「ギャップイヤー」という言葉はなかった。
そんな状況下、2013年10月に文科省に「学事暦の多様化とギャップタームの検討会議」( http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/57/index.htm )が立ち上がった。翌年3月まで計5回開催されたが、東大・一橋・慶應等の5学長、経団連の副会長他経済団体から3名、NPO側からETIC.とJGAPの代表理事が委員に名を連ね、産官学民の各セクターから15名のリーダー達が、 「ギャップイヤーの日本や海外の現状や、その在り方」が議論された。筆者は5回中、「世界のギャップイヤーの浸透状況」と「世界の大学のギャップイヤー制度」というテーマで2回情報提供(委員の情報提供は合計5回)をしたが、国家レベルで初めてギャップイヤーが議論されたと言っても過言ではないだろう。その過程で、国際通用性の観点から、東大の造語であった「ギャップターム」を「ギャップイヤー」で議論するという合意が得られた。5月29日に審議内容を集約し、「学事暦の多様化とギャップイヤーを活用した学外学修プログラムの推進に向けて」(意見まとめ)が、検討会議にも全出席していた下村博文文科大臣に手交された(注2)。
公的なギャップイヤー制度導入大学の増加で、私的な一般学生の挑戦も加速する!
翌月6月24日に、「日本再興戦略」(改訂2014―未来への挑戦―)が、閣議決定されたが、「大学改革/グローバル化等に対応する人材力の強化」の戦略の中で、「日本人留学生の倍増に向け、ギャップイヤー等を活用し、希望する学生が国内外で多様な長期体験活動を経験できる環境整備を推進する」とギャップイヤーが記載されている。これは検討会議の審議内容が反映されていることがわかる。日本でも今後、東大や国際教養大に続いて、奨学金や補助金の支援を受けて「ギャップイヤー制度」を導入する大学が確実に増えていく。そうなると、"シャワー効果"ではないが起爆剤となり、自主的にギャップイヤーを取得する若者も、おとなや社会の理解も大きく進むことが期待できる。また無償もしくは低廉、もしくは有給の「ギャップイヤー・プログラム」も登場してくるだろう。(現在の有給の例:JICAの青年海外協力隊や地域おこし協力隊)
ギャップイヤーの意義は、リーダーシップを持った「グローバル人材育成」と「地域課題解決型人材育成」、それに係る「起業家輩出」だと考える。また、シームレスでの「高校→大学→就活→企業人」という直線的なキャリアが万人にとって、はたしてよいことなのかの問題提起になるとも思っている。ストレートに企業社会に入った後が、年功序列や終身雇用の限界が来ている中、「非連続、所属なしのキャリア」を社会人になる前に体験して、レジリエンス(耐性)を高める効果も期待できるからだ。
先進的な高校(SGH)で、ギャップイヤーが進展中!
英国で誕生したギャップイヤーは、高校・大学間のキャリアの「トランジション(移行、転機)課題」とも言える。それゆえ、先進的な高校側も敏感に反応してきている。
国際的に活躍できるグローバル・リーダーの育成を目的とした教育活動を支援する文科省の「平成26年度スーパーグローバルハイスクール(SGH)」の採択校56校(246校応募)の取組を概観すると、例えば、順天学園順天高校(東京)は、「SGHの成果を、国内外のアカデミックな大学との高大連携の拡大につなげていき、将来的には日本の高校生や大学生が国際社会貢献活動として取り組めるギャップターム・イヤーの基盤構築をめざして、国際系の各大学や国際的なNPO機関、国際的な企業などとの連携を図っていく」とある。早速、同校は、英国のギャップイヤー・プログラム提供NPOの「プロジェクトトラスト」(1967年設立。スコットランド西沿岸に浮かぶ内ヘブリデス諸島コール島に本部。英国全国から集まった意欲ある青年を訓練して、世界60ヵ国に毎年300人規模を送り出し、既にに7千名以上がグローバルな世界での社会貢献活動を体験している)と連携を模索している。
昭和女子大学附属昭和高等学校(東京)は、「第3学年次をグローバル・リーダー育成に効果の高いとされるギャップイヤーとして併設大学の海外分校『昭和ボストン』を拠点とした留学プログラムを組み、高大連携の大学準備教育を行う」とあり、これは筆者がJGAP設立時である4年前から提案していた「附属高校の大学入学前ギャップイヤー」の具現化と言える。また、県立長野高校は、「ギャップタームプラン(日本の大学へ進学を希望する海外高校生の短期受入等)」を掲げている。
他でも、SGHに採択はされなかったもののアソシエイト(国立6、公立27、私立21校)としてグローバル・リーダー教育の開発・実践に取り組む中核的な存在である立教新座高等学校(埼玉)は、今年度から、その名も「ギャップイヤー留学」を実施する。これは現高校3年生を対象に、大学入学前の2月からの1ヶ月間を利用するもので、正確には英国のmini gap(短めのギャップイヤー)に相当する。米国バージニア州にあるメアリーワシントン大学の敷地内にあるランゲージセンターで、1ヶ月間に計100時間の英語の授業を受講し、世界から集う留学生と共に集中的に実践英語を学びという。このプログラムは、単に英語力伸長が目的だけでなく、論理的思考力や批判的思考力を同時に学び、ホームステイで異文化理解の促進から大学進学や就職後にも使える力を身に付けることを目的としている。
ギャップイヤーは、新たな"キャリアの創造"!
米国・ニューヨーク・タイムスの新年1月4日付の記事が興味深い。見出しは、「In Fervent Support of the 'Gap Year'」(ギャップイヤーの熱烈な支援にある)。娘のギャップイヤーに反対していた母親が、徐々に変わって支持していくばかりでなく、下の息子に今度はギャップイヤーを勧めるまでの心情のプロセスが書かれている。教育に関して効率第一主義の米国でも、確実に"異変"が大きくなっている様子が記述されている。データに注目すると、2010 年から2013年の間に、ギャップイヤー・フェア(各地の高校や大学で体験者が語る会)の参加者は倍増し、2012年からたった1年で、ギャップイヤー・プログラム参加者が27%増となっている(米国ギャップイヤー協会イサン・ナイト理事長)。ハーバード大やエール大でも入学者にギャップイヤー取得を推奨していることや、ミドルベリー大やノース・キャロナイナ大の研究では、ギャップイヤー経験者は未経験者より、GPA(成績)が0.1から0.4むしろ高いことなども紹介されている。
筆者の持論だが、ギャップイヤーの概念は、日本の人材育成に関する諺でいえば、「かわいい子には旅をさせよ(旅、課外留学等)」「情けは人の為ならず(ボランティア)」「他人の釜の飯を食う(インターン、短期就業等)」だ。別に、ギャップイヤーという言葉を使用しなくても、例えば、都会の生徒が地方に「島留学」するのも、多様性が学べ、ギャップイヤー的でよいと考える。 comfort zone(ぬるま湯的日常環境)を抜け出して、非日常下に身を置き修行し、時には失敗することは、若い世代にとってソフトスキル開発や生きる力につながり、その"実体験"は大きな財産になることだろう。
ギャップイヤーは、「空白」でなく「機会」であり、それは新たな価値であり、"キャリアの創造"である。
(注1)ギャップイヤーの定義と4層構造
スライド1.JPG
(注2)「学事暦の多様化とギャップイヤーを活用した学外学修プログラムの推進に向けて」
文科省ギャップイヤー図.jpg
拝読させて頂きましたが、積極的な姿勢は評価されるべきでは。
日本の戦略が出ていますね。
理解できる。
再生核研究所声明90(2012.5.18): 日本の大学受験体制についての一考察
世の中は 慣性の法則で動いているものであり(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)、教育や教育の在りようなどは 国の文化や社会の影響で簡単には変えられない実情がある。しかしながら、それらは 国家の 真に重要な要点であり、絶えず検討、改善を志向すべきものである。
そもそも大学受験制度とは、自由競争の典型的な表現として、大学を自由に選択し、公正な評価で選別しようとの 普遍的な背景に基づいていると言える。 主にアジアにおける入試制度は 有名な科挙の制度など古代から存在する制度に その原型を見ることができる。
共通テスト以来の問題は、相当に客観的な数値によって、全国的な序列の鮮明化が進み、いわゆる受験戦争の言葉さえ世相になっている。価値の一元化、共通化、一様化は、重要な多様性の視点 から好ましくはないとして、入試の在りようについて検討を求めている:
上記 声明で、 受験勉強が過熱化すると、 本来の教育の理念から、大きく外れ、無駄で有害な特訓のために 有能な才能、感性、創造性、全人的な成長発展を阻害する状況が出て来ると考える(再生核研究所声明 76 教育における心得 ― 教育原理)。何でもほどほどが良いのに、行き過ぎ、過熱化している状況が既にあると考える。 また年齢によって、準備されなければならない大事なことが ないがしろにされている と考えられる。
再生核研究所声明 20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する
センター試験は1988年 共通テストの試行から始められ、いろいろな変遷を経て、現在は大学入試センター試験と改称されて、20年もの歳月を経ている。 発足時のときの議論では、数年で破綻し、結局は元の形に戻るという観測が多かったが、その後 何時も批判的な意見が多く出されているものの 組織が出来てしまったためにか 惰性的に続けられてきている。そこで、次のような状況を考えて、このような入試の在りようを検討し、大学入試センター試験の見直しを行うように提案いたします。
1) センター試験は 多額の経費と人件費をかけながら、悪い効果を生み、いわば大きなマイナスの仕事を 教育界に課していると考えられる。試験の影響としてはマイナス効果の方が大きいと考えられる。 その最大の理由は 共通テスト開始時にも 既に指摘されていたように そのような試験では パターン化して、知識の積み込み方式になり、考える力を落とす という危惧であった。 実際、このような弊害はいたるところに現れ、数学の教科でさえ、型を沢山覚え、時間内で解く方法の技術ばかりが、学校教育や受験勉強においても重視されていて、本来の教育のあるべき姿からの大きな乖離が見られる。センター試験は 日本の教育を軽薄な教育にさせている元凶である と考えられる。そのような試験結果は 軽いデータぐらいの重さしか果すべきではない。しかるに教育界は そのような試験に対応すべく、多くの無駄、悪い教育をおこなっている。
2) 教育においては本来、多様性と個性を活かす事が大事であるはずなのに、型にはめ、一様な水準を作り、貧しい特色のない大学を一様に育てている弊害が顕わになって来ている。センター試験の目指す教育とは およそ人物たる人間教育や善良な市民を育てる重要な本来の教育とはかけ離れたものであり、日本国を覆っている無責任とモラルの著しい低下の結果を生み出している。教育とは本来何であるかの議論さえ忘れて久しい状態で、魂の抜けた教育であると言える。感性豊かな人間性を高める教育や創造性豊かな教育からは程遠い教育と言える。
3) センター試験の影響は 世に数値化と標準化、規格化を進め、社会の多様な価値や個性を失なわしめ マイナス効果を世に氾濫させている。
4) 永い間 同じような入試制度が続いたため、入試が専門的な技術を要求するような弊害が現れ、不要な特殊な訓練を得た者が有利になるような弊害が現れてきている。
その結果、このようなことに柔軟に対応できる特定の学校に人気が集中して、公立高校の人気が落ちてきている。そのために 経済的な豊かさが もろに教育条件に反映するような状況を生み出している。このようなことが進めば、広範な生徒達から多様な才能を引き出せない状況を進めると危惧される。 また、そのような特殊な教育を受ける者が個性を伸ばし、幸せになるとは限らないと考えられる。
5) 2日間にわたって、多くの教職員をいわば ロボットのように 画一的に働かせて、また多額の国費と人件費を費やして、大きなマイナスの仕事を行うのは 好ましくないと考える。
6) センター試験は、世の生徒達にあまりにも細々とした過重な入試対策を要求して、生徒達のみずみずしい才能の開花を疎外し、生徒達の自由な成長を妨げている。 学校教育には、人生や世界や、自然の事をじっくりと想いをいたし、 友情が芽生え、育つような余裕が求められる。 大学入試にはより柔軟に、余裕をもって考えられるような社会へと変革が少しずつ進むことが期待される。 理想としては、個人の個性を活かせるような多様な可能性を広げるような変革である。もちろん、そのうちには、世の秀才達を集めるような所があっても良いが、そこに殺到するような事は望ましく無いと考える。
7) センター試験は、所謂 世の秀才や優秀な人達の才能もわざわざ鈍化させ、活かされていないと考えられる。日本でも秀才教育や天才教育ができるような柔軟な制度の確立が求められる。
8) 共通テスト開始のとき、多くの危惧と問題点が指摘されたものの これで多くの人が 大変な入試業務から解放されると期待されたものであるが、それは空しく、逆に個別入試を行い、また第二次入試や、追試入試、さらに外国人入試や推薦入試、社会人入試、などと多くの入試が始められ、多くの教員は年中入試業務に振り回される状況になっている。大学の法人化の後には、社会貢献や教員評価、受験生確保のために多くの仕事に追われ 教育研究費の大幅減額とともに 悪い、教育、研究環境に陥っていると考えられる。
以上の理由などから、センター試験を見直しする方向での 真剣な検討と対応を求めます。現実的な対応としては、入試そのものが日本国の文化に根ざしている以上、そう簡単ではないと考えて、広範な検討や改革を考えていく事を求めたいと考えます。方向性としては
1) 大学入学資格試験と考える方向で、そのときには センター試験を簡素化し、センター試験に対する特別な対策はしないですむような状況になることが求められる。
2) 逆に個別入試を廃止して、センター試験の一部と他の要素、例えば高校の評価や、推薦状や面接で入試を行う。
3) センター試験を原則廃止して、時々高校生の学力のデータ、状況を得る為やその他いろいろな業務を行うことに センターの組織と機関を使う。
等が検討されるべきであると考えます。教育の在りようについては 絶えず検討を重ねていく事として、教育というと直ぐに学力と考える傾向が強いが、全人的な教育や人物たる人間教育等の面を考えていく必要があると考えます。
以上
特に次の観点を指摘して置きたい:
1) 教育本来の全人的な発達を、過熱な学習が 歪めている事情はないか。
2) あまりにも 競争をあおって、 友情や人間関係の基本が おかしくなっていないか(再生核研究所声明 4: 競争社会から個性を活かせる社会に) - 友情も育たないで、競争 競争で 美しい 瑞々しい社会を築けるだろうか. 結果として、 日本はあまりにも競争意識が強い、ぎすぎすした社会になっていないだろうか。:
3) 勉強だけが、人生でも 社会でもなく、多様な生き方、多様な価値観を持たせ、幅広い、生き方の視点を重視した教育をすべきではないだろうか。
4) 優秀な人材を早くから、永い間型にはめて束縛し、創造性や全人的な発展を阻害しているのではないだろうか。
5) ここで、アングロサクソン系の大学では、 自由、平等、博愛を掲げているものの 奇妙にも知的階層の固定化で、多難な入試の努力を必要とせずに 大学に進学でき、 余裕を持っている事情があるのではないだろうか。 その代り、優秀な人材を補給すべく広く世界から集めている事情がある。ここでも、日本には、ドイツ流の教育制度が 国情に合っていると考えられる。
6) 簡単に述べれば、理想と考えられるのは、教育本来の教育に専念し、特別な入試勉強をせず、多様な大学に人材が、富士山型ではなく 八ツガ岳方式に展開し、多様な在り様を展開することである。 その意味でも、共通テスト以前の方式の方が 多様性の観点からも良いのではないだろうか。
7) 大きな社会に活力を与えるのには、多様な価値、多様性の重視が必要である。 創造性も、そのような多様性の中から、より生まれる基礎ができると考える。
8) 大学院を出るころには、既に疲れてしまっているような状況が有るように見える。 体力や、思想、情操教育、全人的な基礎をしっかりさせなければ、永い人生をうまく生きてはいけないのではないだろうか。
上記公正な受験といっても、現実には、特殊な高校や、学校で特殊な教育をうけた者だけが、良い大学に入れるような状況は、傾向は 一段と強まっていき、日本の教育界を 歪め、貧しい社会を 構成して行くのではないかと 危惧している。
学校も教師も、家族も できるだけ好きな 良い大学に 生徒や子弟を進学させたいとの思いは 当然であるから、 入学させる立場の大学や、文科省は 海外の状況なども参考にして、 大学受験制度が教育界に与える影響の大きさを自覚され、 絶えず、検討,改善を進めて頂きたいとの 希望を述べておきたい。
もちろん、社会も、いわばブランドで 画一的に 評価せず、 また多様な人材を採用、活用すべきではないだろうか。 社会でも組織でも 多様な人材がいた方が、 活力を有し、良いのではないだろうか。 公務員なども、 いろいろな評価によって、 いろいろな人材を積極的に採用するように 努力すべきではないだろうか。
以 上
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