もし自衛隊が「国防軍」と名乗ったら、
当然、訴訟になるだろうが、
最高裁は国防軍という呼称を無効にできますか?
憲法9条を改正したいけど無理だ。
だって国会総議員3分の2で可決しないとアカンねんやろ?
事実上、改正でけへん!
これじゃ日本国は永遠に「日本国軍」を持つことはムリか!
そう思っていませんか?
ご心配なく!
憲法9条なんか変えなくとも、
日本国は他国と遜色ない「国軍」を持つことができる!
憲法改正は不要だ。
なんでか?
憲法9条は
「傘をさしてはいけない。ただし雨の日は例外」
と定めているような吉本顔負けのお笑い条文である。
まず日本国は自衛権を放棄していない。
また憲法9条は、
「侵略のための陸海空軍、その他の戦力をもってはいけないが、
自衛のためならその限りではない」
と解釈できる。
なぜなら最高裁判所が「戦力たる自衛隊は合憲」
という事実上の判決を出したから。
(自衛隊は戦力でない、というアホ意見は無視しましょ)
自衛のための、その他の戦力(自衛隊)を持っても良いとなったのだから、
自衛のための、陸海空軍(国軍)を持っても良いという
方程式がここに成立するのである。
この最高裁の事実上の判決によって、
自衛のための「陸海空軍(国軍)」を持つことも可能になった!
さらにいえば自衛のために
北朝鮮がややこしいことを始めたら先制攻撃できる。
先制攻撃も「自衛」の範疇に入れたらええだけのこと
「自衛隊は平和憲法により 専守防衛策をとっており
北朝鮮等外国を攻撃できる武器を持っていない。
だから憲法改正すべき」という声も聞くが、
そもそも平和憲法を言い訳にして、専守防衛策をとっているに過ぎない。
自衛のために北朝鮮を攻撃できる武器を持てるのに持ないからいけないのだ。
そういう武器を持てばいいだけ。
憲法9条なんてどうにでも解釈できるんだから、
今日からでも「武器」を持つことだ。
「憲法9条に交戦権を認めない」と書いてあるからダメというのもいるが
交戦権はなくとも自衛権はあるのだから、充分交戦できる。
また現憲法は先制攻撃ができないと言う者もいるが
「自衛」の名の下で先制攻撃なんか簡単にできる。
それでも交戦権がないのだから何も手出しできない、と言い張るバカもいるが
交戦権はなくとも自衛権はあるから戦えるのだ。
なんならミサイルに「これは自衛のミサイルだぜ」と張り紙をつけ、
相手方にぶっ放せば完璧に「自衛権の行使」となるww
補足もし最高裁が「国防軍」の呼称を無効とすると、
自衛隊そのものも無効としないといけないジレンマに陥る。
自衛のためのその他の戦力(自衛隊)を
持っても良いのに
自衛のための、陸海空軍(国軍)を持ってはダメという
変な方程式が誕生してしまい、
そうなれば最高裁が「自衛隊を事実上合憲とした経緯自体
問われかねないことになるから。
となれば、はれて国防軍の誕生ってか?
国防、国防と言って 軍拡を 行えば、相手も公正の原則で、軍拡を行い、軍拡で みんな滅びる方向ですね。
ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47: 肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
再生核研究所声明 111(2013.2.20)
日本国憲法によって、日本国および日本軍を守れ、― 世界に誇る 憲法の改悪を許すな
再生核研究所は 日本国の在るべき、基本的な在り様について 次のように提案してきた:
再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案
再生核研究所声明8: 日本国の防衛の在り方について
再生核研究所声明11: 国の構成について
再生核研究所声明 25:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて
再生核研究所声明39:普天間基地問題の総括 ― 戦略なき対応と文化力
再生核研究所声明 46:日本国の1つの国家像、あるべき姿について
再生核研究所声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性
再生核研究所声明 109(2013.2.8)中国の出軍は、道理であり、日本の出軍は憲法違反である - 公正と法とは何か、おかしな日本のNHKと世相
これらを要約すれば、世界に誇るべき、日本国憲法の精神によって、国の在りようを進めていこうということにある。これは、世界の平和は、まずは、国連、すなわち、国連常任理事国、第二次世界大戦戦勝国に任せ、日本は謹慎し、内実を図り、平和憲法の精神で進めれば良い。出過ぎて良いことは何もないと言うことである。いまだ、世界も見えず、庇護を受け、自立心もない、己が 分を弁えよ。― EUや世界は進化しているのに、日本は東西冷戦時代や戦前のような 集団防衛構想など、全般的に古い時代を志向しているように見える。アメリカの傘の中での、国防安全を志向したり、いまさらの軍備増強の風潮である。日本は 高い文化力、経済力で、和の精神を基本に 平和憲法の精神で、世界に展開できると考える。世界は大きく開かれているのだから、優秀な人材を育成し、世界と世界史に誇れる日本国憲法の精神に回帰し、世界に貢献できる国家を志向しようではないか(再生核研究所声明109)。
しかるに、NHKを始め、マスコミ、日本の偏狭な政治勢力が 世界的にもおかしいほど、軍事的緊張を喧伝したり、軍備増強を煽ったり、さらに、憲法改悪まで公言してきたのは 狂気的な世相であると嘆かざるを得ない。ただ幸いなのは 戦前とは異なり、日本の軍関係者が 極めて冷静、真摯な態度をとっているように見えることである。
マスコミ関係者や、一部の政治家には、何とか、軍事緊張を煽って、日本から戦争を始めたいような 相当 組織的な力が 広範に働いているように感じられる。それは、中国の政権交代期を狙って、永年安定していた、尖閣諸島領有権問題を 自ら引き起こし、挑溌していること、それらを中国の侵略などと言い換える悪質、卑劣な形相に現れている。
今や、平和憲法が 日本の侵略を押さえていると解釈できよう:
日本国憲法第9条:
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本国憲法前文(一部):
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
今や、憲法が 日本の兵士と日本国を守っている実状が 良く見えるだろう。平和を憎むように、世界に誇る憲法を何とか改悪して、戦争が できるようにしたいと考えているように見える。
戦前なら別であるが、真面目に 慎ましく 世界に経済、文化で貢献しているような国を武力で侵略できるような世界の状況かと考えれば 中国などの脅威などは全くの幻想であることに気付くだろう。実際、中国は 世界中に人を出しており、2000年の歴史上、日本は中国をしばしば侵略してきたが、中国は1度も日本を真面に侵略したこともなく、広大な自分の国を纏めるのに精いっぱいではないだろうか。万里の長城は 何のためにあるのかと考えたい。実際、中国は 小さな北朝鮮さえ 手なづけられないように見える。
憲法の改悪は、国の在りようの基本を変えるものである。今こそ、世界に誇れる日本国憲法を 世界の人々と共に守り抜き、世界史の進化を志向しようではないかと訴える。
以 上
再生核研究所声明 123 (2013.8.18): 日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである
(2013.8.10.08:35 再生核研究所代表と電車の中で話しているときに、突然、自然に構想が湧いたものである)
植民地支配を受けた多くの国が、文化面ばかりではなく、経済的にも豊かになり、反って植民地支配の恩恵を受けているようにみえる状況は 広く見られる。このような場合、 自立とか、独立は 反って変な状況をもたらす面も無いとは言えない。もし悪い政府に帰属されれば、そのような存念を一層深めるのではないだろうか。
日本国とて、敗戦によって、自由と民主主義が与えられ、女性の解放、多くの良き明るい文化をもたらされた面は多く、そのような点では 戦勝国アメリカに対する、謝意と敬意を抱くのは当然である。
しかしながら、日本国は より自立した国家を目指すべきである。その主な理由を 簡潔に纏めてみたい。
アメリカに一層従属していれば、戦後アメリカが侵してきた軍事面での失政に 同盟国としての参戦 あるいは、軍事的な貢献は 実際避けられなかったろう。ベトナム戦争、その後におけるアラブにおける軍事介入など、アメリカの大義なき戦争への参戦である。すなわち、アメリカに対する盲目的な従属は危険であり、命も 経済面での損失も計り知れない犠牲を強いられたであろう。- ここで、アメリカと一緒に 軍事、経済を同盟国として、一緒に進めたいという考えには 一理あると考えるが、再生核研究所の志向は、自立した国家として、適切に助言し、共に世界史の進化を志向しようとの考え方である(再生核研究所声明 25:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。アメリカ国民にとっても、上記ベトナム戦争や、アラブ軍事介入などは望ましいものではなく、そのような愚かな方向に行かないように同盟国として、頼られ、信頼される国家たるを目指すべきである。
上記のように敗戦によって、大きな明るい文化がもたらされたことは高く評価されるが、他方、ここ60年を越えて、日本固有の美しい文化が侵され、競争社会、評価主義などがグローバリゼーションの名の下に広範な影響を受けて、日本社会が暗い、悪い方向に向いている状況が 顕著に出てきている。
対アメリカと比較すれば、多くは、日本社会や日本文化の方が優れているのに、反って悪い社会や低質な文化を受け入れているように見える。
現在のような 従属的な在りようを続ければ、どんどん日本の美しい文化が侵され、日本国の 日本国たるもの を失ってしまうのではないかと危惧される。
しかるに、少しでも自立した真面な国家を志向しようとしたら、マスコミを始め、検察や言論界など政界に圧力をかけて、アメリカ従属姿勢を志向し、日本国の自立を自ら放棄しているように見えるのは はなはだ残念である。
当たり前の、自立した真面な国家を目指そうではないか。そのような方向で、世界史の進化を志向し、世界に貢献していきたい。 基本は、平和憲法の精神で、平和憲法の維持によってできると考える。
以 上
付記:
3.30 美しい国、日本(2008/2/11):
今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!
日本の借金、初めて1000兆円超える
日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
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