超新星ハンター:山形のアマ天文家が100個発見
毎日新聞 2015年01月04日 15時29分(最終更新 01月04日 20時31分)
超新星を追うようになった経緯を語る板垣公一さん=山形市内で2014年11月27日、山中宏之撮影
星の進化の最終段階で生じる大規模な爆発「超新星」の発見数で日本一を誇る山形市のアマチュア天文家、板垣公一さん(67)。豆菓子の製造販売会社「豆の板垣」社長として働き、忙しい日々を過ごす中、12月13日に100個目の超新星発見という偉業を成し遂げた。
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「一つの新聞記事があってね。本当にかっこいいと思った」。世界的な超新星ハンター・板垣さんは新聞の切り抜きのコピーを取り出した。
1963年1月の紙面。静岡県の少年が新しい彗星(すいせい)を発見したと報じたものだ。「手作りの望遠鏡」という文字が見出しに躍った。
小学生の頃は、太陽の光を集めると火が出たり、ものが大きく見えたりする「レンズ」に興味津々だった。月を見るなど、少しずつ天体への関心が高まっていた中、目に入ったのが新聞記事だった。星を「見る」ことから「探す」ことへシフトしていった。
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高校卒業後、家業の豆菓子会社を継いだが、星を追い求める気持ちは衰えなかった。2002年には「彗星・新星・超新星」の三つを発見した「天体発見3冠」を日本人で2番目に達成した。
一つの星が進化の過程で2度にわたって爆発する様子を世界で初めて観測したのは04年から06年にかけての業績。英科学誌ネイチャーに掲載された。「たまたま、撮っていただけ。すべて偶然」と謙遜するが、04年に観測した超新星が約10日で光を失った後、2年間継続して同じ場所を撮影し続けた。そして06年10月、再び超新星を観測した。
01年の1個目の超新星発見から驚異的なペースで発見を続け、06年度には文部科学省・科学技術政策研究所の「科学技術への顕著な貢献(ナイスステップな研究者)」に選ばれた。
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新聞記事に触発された日から半世紀以上がたった。ハンターとしてのモチベーションは依然として高い。
「大物を見逃してしまって。超新星を探し始めて最も悔しかった」と話すのは、14年3月に別の機関が発見したと発表した「100年に何個も見つからないほどの超新星」(板垣さん)。観測される1週間前からずっと撮影し続けていた板垣さんだったが、見つけることはできなかった。「もう1段階コントラストを下げていれば」と後悔はやまない。http://mainichi.jp/select/news/20150104k0000e040159000c.html
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上
再生核研究所声明189(2014.12.23) ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明185:
Announcement 185: The importance of the division by zero z/0=0
において、ゼロ除算の結果と意義について簡潔に纏めてみたが、ゼロ除算の研究を進める立場から、研究の魅力的な面について述べたい。
まず、そもそも研究とは何かを復習し、人生の意義を確認したい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
すなわち、 真智を求めることは 人間として生きることにほかならない。しかるに、ほとんど当たり前の ゼロ除算が発見された経緯をみても、さらに、真実を知らされても、真智を求めない人は多く、実際には、人はそんなに 真智を求める精神が高いとは言えず、愚かな争いを続けてきている様をみても、人類がそんなには賢い生物でないことが分かるだろう(再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点)。逆に、自由が与えられて、 野生動物以下の面が少なくない(再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間)。大いに自戒したい。
しかしながら、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の研究は 数学ばかりではなく、物理学や哲学の問題にも直結している。
ゼロ除算を数学の立場からみれば、西暦628年インドでゼロが記録されて以来の発見であるから、全く未知の新しい数学、前人未到の新世界の発見である。すなわち、ゼロで割るは 不可能であるゆえに 考えてはいけないとされてきたところ、ゼロで割ることができるとなったのであるから、それでは、そのとき、どのような世界が開かれてくるか、と全く未知の世界を探検できる。 現在、新しい結果は 出版済みの高校生にでも理解できる簡単な論文、
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
と検討中の21ページの原稿
H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Takagi,
A new concept for the point at infinity and the division by zero z/0=0
(note).
のみである。現在、数学は高度化、深化、細分化して、難しいのに、ゼロ除算の研究はほとんど新しい数学で、基本的、初期の段階であるから、大いに素晴らしい基本的な研究ができる状況にあると言える。
ゼロ除算の最も関与している研究は まず 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究ではないだろうか。実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、 ゼロ除算の物理学への影響である。 これは、ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れているので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields, Tokyo Journal of Mathematics (in press).
が、この分野の最初の論文で、Dr. M. Dalla Riva氏 が半群でゼロ除算の一意性の一般化を論じて幾つかの成果をノートに纏めているだけで 広い研究課題が存在すると考えられる。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる全く新しい研究分野と言える。
全く、新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、 よく理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる方は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関係が出てくるのが、数学の研究の楽しさであると言える面は多い。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、 ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学である。
小学生にも理解できる、新しい基本的な数学、概念が現れた。 基本的なゆえに、ゼロ除算は、universe の理解に大きな影響を与えるのではないだろうか。この世界が どれくらいの広がりがあるかは 分からない。しかし、ゼロ除算は、簡潔な結果をもたらしたが、ゼロ除算は 同時に 新たな神秘的な構造を 世にもたらし、数学の世界を一層深いものにしている。
以 上
追記: ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
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