2019年1月2日水曜日

数式やパズルを熱く語り合う「数学イベント」へ行ってみよう 初心者も参加できる2019年イベント キグロ 数学コミュニケーター

数式やパズルを熱く語り合う「数学イベント」へ行ってみよう

初心者も参加できる2019年イベント
キグロ
数学コミュニケーター

初心者でも参加できる数学イベントがたくさん

年が明け、2019年が始まりました。新しい元号の始まる年、思い切って何か新しいことを始めてみませんか。
そう、たとえば――「数学イベント」なんて、いかがでしょう。
数学ではなく、数学イベント。実は世の中には、数学のイベントが多数存在するのです。そこには数学に魅せられた者たちが集まり、ロマンを熱く語ったり、ゲームに興じたり、難しい理論を肴にお酒を飲んだりしています。
「そんなことして楽しいの?」と思うかもしれません。しかし楽しいのです。それはもちろん、筆者が数学好きであることが最大の理由です。ところが、数学にほとんど興味のなかった方でも、イベントに参加して以来、興味を持って勉強を始めたという方もいます。
こんな経験はありませんか? 友人に連れられて入ったカフェのコーヒーがあまりに美味しくて、自宅で淹れるようになった、とか。たまたま読んだ歴史小説の登場人物があまりにカッコよくて、その人に関する本を読み漁るようになった、とか。
数学でも、同じことが起こります。ちょっと勇気を出して行った数学イベント。そこで知った定理に感動して、その定理の周辺分野を勉強するようになる、なんてことがあるのです。
この記事では、2019年に参加すべき数学イベントを3つご紹介します。いずれも数学初心者にオススメのイベントですので、どうぞ気軽に参加してみて下さい。

大型イベント『ロマンティック数学ナイト』

最初に紹介するのは、『ロマンティック数学ナイト』です。
数学×ロマンティック! その名の通り、数学のロマンを語る夜のイベント。このイベントでは、数学にロマンを感じている方々(「ロマンティスト」たち)の熱いプレゼンを聞くことができます。動員数は毎回200名ほど。六本木や渋谷などの会場で、カクテルとともに数学を味わうことができます。
2018年のロマンティック数学ナイト開幕直前の会場の様子
プレゼンは一人5〜10分程度。十数人の愛に溢れるショートプレゼンが、次々に繰り出されます。
プレゼンといっても、講義ではありません。自分が魅せられた定理や興味のある分野の、いったいどこがそんなにロマンティックなのかを、熱く語るのです。
たとえば、「面積」のような数学的対象でも、時代によってその見方は変化しています。そのことを示すために、有名な円積問題「与えられた円と面積が等しい正方形を、定規とコンパスのみで作図せよ」の歴史を解説するプレゼンがありました。他にも、「ゼータ関数の3Dモデルの中に入ってみる」や、「数学用語や概念を詠んだ和歌の紹介」などもありました。
発表内容は千差万別。小学生でもわかるような小話から、大学で扱われるような専門的なテーマまで出てきます。当然、すべてのプレゼンを理解することは不可能です。それでも、ロマンティストたちの「熱」は伝わるはず。
数学の面白さが分からない、という方は、まずロマンティック数学ナイトで、その熱を感じてみてはいかがでしょうか。
(プレゼンでは、200名ほどのお客さんが数学のロマンに耳を傾けています)
開催は年3~4回の不定期。場所は主に六本木や渋谷です。参加には事前申込と参加費が必要です。公式Webサイトまたは公式Twitterで、開催時期と申込方法をご確認ください。
ロマンティック数学ナイト 公式Webサイト 公式Twitter
行ってみたいけれど、わざわざ東京都心まで出るのは……という地方在住の方もご安心を。ロマンティック数学ナイトは本家のほかに、有志による『ロマンティック数学ナイトプライム』も開催されています。これまでに長野県松本市や茨城県つくば市、愛知県名古屋市などでも開催されました。
次回は2019年1月13日(日)、東京都三鷹市で開催予定。ぜひチェックしてみてください。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59149

5年目を迎えたゼロ除算の発見と重要性を指摘した:

再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
 Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
 (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)  Sep. 2016 305 pp.            (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL

再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切

(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016        305 pp. (Springer) 
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上

神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。

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カテゴリ:カテゴリ未分類
​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?

面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
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面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。

 
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23

ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.



Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler
1/0=0/0=0 (201422日再生核研究所)

ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0

https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html


1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras
1/0=0/0=0201422日再生核研究所)

 再生核研究所声明 436 (2018.7.30) : 数学教育の原理 ― 省察と改善

数学の教育の原理を省察しながら現状の問題点を指摘したい。これは主にゼロ除算の理解の遅れと数学界の在り様の問題点から発想した自然な想いである。もちろん、独断と偏見に満ちた見解であり、 文化とは重い歴史の産物であるから軽々しくは 考えられず、変える、改善は容易に進められない。これは遅れた日本のサッカーが中々世界規模のレベルに達せられないのと同様である。
何の為の数学か、数学教育の目標や理念を絶えず反芻し、在るべき姿を希求するのは当然大事である。それは 初心に帰れという言葉に表される。現在、理念の無い、行動や勢いで盲目的に動いている状況は世の世相とも言えるのではないだろうか。本末転倒の現象さえ多く見られる。真理を追究している者がデータを偽装したりして、あべこべの行動をとっているのは顕著な例である。
まず、数学教育の理念であるが、これについては考察したことがある。そこでまずふりかえって置きたい:
再生核研究所声明327(2016.10.18)  数学教育についての提案:
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:
再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神と感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―

と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心を無くし、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。
数学の教育については、下記も参照:
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について
以 上
上記は、もっともなことと追想される。そこで在るべき姿から乖離している現状を具体的に簡潔にふれたい:
1) 数学界の在り様として、あまりにも研究重視で、成果を急ぐような世相の中で、抹消の研究、細かすぎてあまり意味のない研究にはまり、基本的な在りようから乖離して、研究者の知的好奇心や真理の追究の心や 数学を楽しむような精神を弱め、いたずらに労力を費やして 数学の魅力や効用、良さが上手く研究・教育されていないのではないだろうか。
2) 余りに専門化して お互いにお互いの数学が理解できず、したがって評価もできず、分科会、分野に視野が限られて 数学としての理解が曖昧、盲目になっているのではないだろうか。これは進んだ結果の末梢的な現象と率直に評価すべきである。新規な世界を重視し、開拓するように心がけたい。
3) 数学の研究の高度化と称して、あまりにも深い、難しい研究課題が注目され、基本的で大事な課題や新規な研究課題がおろそかにされる傾向はないかと反省したい。公的資金をもって教育・研究として研究活動を行うからにはその社会的な意義を明らかにして、研究の大義を掲げるべきである。過去の経緯や、権威に基づいたものは尊重されるべきであるが、それらばかりではなく、その研究の意義を社会的にも絶えず明らかにすべきである。数学者は勝手に難しい問題に挑戦していて、自己満足に陥っているようなことはないだろうか。 ― 数学者はお互いに褒めあって囃し合っているが、我々にはそのような研究は何の意味もないという、かつての同僚の言葉が 想い出される。 ― 反省すべき点として、数学界最高の賞であるフィールズ賞でさえ、社会的な扱いは 殆ど無視されているようであり、数学界の存在は 社会的な存在としては 余りにも小さい現実を重く受け止めたい。
4) 数学の教育においても、数学を良きものとの感情から、ややもすると数学者のまずい教育の結果 世に数学嫌いを生み出し、また数学不信の世相を作っている現実が相当にあるのではないだろうか。 しばしば 数学者嫌いの世相が見られるのではないだろうかと危惧される。
要するに美しい数学を 芸術のように楽しみ、考え方も真理の追究の範として活かし、社会に活かすように、教育し、研究活動を行ないたいということである。
                                以 上


 

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