2019年1月25日金曜日

「終末時計」、滅亡まであと2分 昨年と変わらず

「終末時計」、滅亡まであと2分 昨年と変わらず

(CNN) 人類滅亡への残り時間を象徴する「終末時計」について、核兵器などの脅威を分析する専門家らは24日、滅亡の時を表す午前0時まであと2分との見解を示した。針の位置は最も滅亡に近づいた昨年から変わらなかった。
終末時計は米科学誌「ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスツ」が1940年代から続けている分析に基づいて発表される。
同誌は針が動かなかったことについて「悪いニュース」との認識を表明。核兵器の脅威と気候変動の影響が滅亡へのリスク要因だと述べた。
核兵器に関しては、米国によるイラン核合意と中距離核戦力(INF) 全廃条約からの離脱に言及。気候変動の領域では、温室効果ガス削減の枠組みを定めた「パリ協定」からの離脱を宣言したトランプ米政権を非難する見解を示した。
とりわけ気候変動については「最悪の影響を食い止めるため、世界の国々は地球規模での二酸化炭素(CO2)の総排出量を今世紀が終わるかなり以前の段階でゼロにまで削減しなくてはならない」と指摘した。
終末時計の残り時間が2分となるのは、米国と旧ソ連が水爆実験を行った1953年以来。「終末」が最も遠のいていた1991年、午前0時までの残り時間は17分だった。https://www.cnn.co.jp/world/35131783.html

再生核研究所声明 472 (2019.1.25)  万物流転、世の無常、心

人世 全般について ある纏まりのある、感情が 湧いているので、その面から率直に表現したい。先ず、藤原道長の この世をば わが世と思ふ望月の欠けたることもなしと思えば。秀吉の 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
ゼロ除算が拓いた 生命の曲線 ― 多くの過程は元に戻る。人間は自らの意志で生まれたのではなくて 何者かによって造られたものである。造られたように生きざるを得ない。我々の頼り 源は 結局は 我々の心に従わざるを得ない。生命、人間としても我々の在りようは 相当に見えているが、定かには分からない。 深く心から湧くところに尋ねることが肝要である。心の統一と安定、良き感動が湧くように である。身に余る、贅も、名誉も、創造も、業績など一切のものは 心の調和が無ければ、ただ空しいだけ となるだろう。我々が価値あるものと考えていたものも、願って求めていたものも、志さえ 絶えず変化して 留まることを知らないのが 我々の心である。心は、絶えず 適当な変化と 創造性と新奇さを求めるが、それらとて、変化して どんどん変わっていく心境を齎す。
万物流転、世の無常とは 世の大きな流れであり、環境の変化である。人の心もその流れに
影響されて変化して行くものである。 それらの背後には 神の意志 が存在すると感じられるが、それらはもちろん定かには分からず、信仰として直観すること になる。
ここで 言いたいことは簡単である。 要するに、人世も 社会も複雑で 捉えどころがなく、絶えず変化している。個人は 大きな生体の 単細胞的な存在 であるが、全体の状況を感じながら、己の心に深く思いを致して、そこに存在する神性、良心に従って生きていくのが 良いということである。
人生を終えるとき 全てものものは、生まれる前のように 大いなる 母なる世に 帰ることになるだろう。
拘らず、 淡々と 自らの心に違って行けば 良い。

この文脈で関係する精神は:

芸祷とは爆発だ、どんどん爆発を続けて行く ー 岡本太郎
自転車は走っていないと安定しない ー アインシュタイン
活動してやまないもの ー ゲーテ
天上天下唯我独尊 - お釈迦様

以 上


再生核研究所声明86(2012.4.25) 未だ おめでたい人類 - 先史時代

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。
人類は最も大事なこと を確認して(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと ― 世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある ― )、大いなる世界を志向すべきである(再生核研究所声明 32: 夜明け ― ノアの方舟)。 実際、人類は、生と死の問題を克服して(再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について)、 人間存在の原理に従って、進むであろう( ― ここで、人間存在の原理とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。 - 夜明け前 よっちゃんの想い。)。 しかしながら、人類が 何時でも 世界史を 閉じる 悟りの境地 に達することが望まれる(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この声明の趣旨は
1)この世で最も大事な真実は 唯一つ、最も大事なこと、 人類の生存であり、 その目標に従って 総合的な戦略をすすめること
2)内部的には、個人的には己が生命を輝かせる道を 歩めるように努力すること(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)、
3)それらのために、何よりもまず、 地球を良く治めよ
ということにある。
原理は、人類の生存は ひとりでに保証されるものではなく、自然や生態系などの広範な管理、運営、創造によって可能になるものであり、多様性の原理 によって、広範な科学の進歩が不可欠であるということにある。

以 上

再生核研究所声明 1142013.4.20: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する 

(本声明は 2013.4.13: 8時半頃、研究室に向っているとき、電光のように閃いて 構想が広がったものである)

声明

再生核研究所声明86:  未だ おめでたい人類 - 先史時代

で述べているように、人類の絶滅は 地球の運命と共に避けられないだろう。そこで、生命の代表である人類が、大いなる意志を 再生核研究所声明 32:夜明け ― ノアの方舟 のように働かせるのは 最も崇高な人類に課せられた義務である。 しかし、人類が最も大事なことに気づかず(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)、偶発的な戦争や人口増大、環境汚染、急激な感染症や地球環境の変化で、人類の絶滅を招く危険性は 高いと考えるべきである。
しかしながら、人類の生存には 少しは先がある と考えるのは当然としても、大いなる生命の、すなわち、元祖生命体(再生核研究所声明 36:恋の原理と心得の 細胞的な存在 である個々の人間の終末は、そんなに遠いものではない。そこで、人類の歴史の終末と己が最後の時を重ね合わせ、想いをめぐらし、生存期間の充実を大局的に思考すべきである。
何が、世界史で評価されるべきであろうか。地球外生物は 人類の歴史をどのように評価するだろうか?
彼らは、まず、人類が 生命をどのように捉え,人生をどのように捉えたかに注目し、お釈迦様を以て、人類を高く評価し、科学面では ニュートン、アイインシュタインを以て人類のレヴェルを評価するだろう。数学の発展については、オイラーの公式の発見を以て、人類の高い智性を認めるだろう。さらに日本歌謡界のレヴェルの高さに感銘して、美空ひばり様の歌など、生命の切なさを歌い上げたものとして、上記に劣らない高い評価を下すだろう。人類の芸術についても 深い理解を示すだろう。しかしながら、異なる感性、感覚を有する地球外生物にとっては、人類の世界史の理解を まずは 人類が得た数学の全体の理解から始めるだろう。数学こそが、生命活動の客観的な表現と言えるからである。人類が得た手段、電波、原子力、計算機、人類の成した 衛星月に到達し、太陽系外にメッセージを送った事実は顕著な記録となるだろう。
この声明の趣旨は、人類の歴史に想いを寄せ、世界史の進化を促し、個々の、自分の人生の意義を確認して、自分たちの世界史の評価と自分の人生をきちんと捉えて、後悔の無い充実した人生を送くろうと志向することにある
島争いや、敵対行為など 野蛮な世界を抜け出して、夜明けを迎えたい。

再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

を参照。また各人が、おのおのの世界観で この種の展望、評価を行ない,纏めることは意義あることであると考える。
(再生核研究所声明は 将来バイブルのようになるだろう。なぜなら、お釈迦様以来、 人生、世界全般の在り様について 分かり易く、簡潔に、述べられた文献は 世に稀だからである。)

以 上


再生核研究所声明 119 (2013.5.18):  冷酷な神々、自然    見捨てられた 人類

これは 宗教上の神々を意味せず、人類を助け、救ってくれるような存在は無く、人類の生存の可能性は ひとり 人類の努力に任されていると言うことを表現したものである。

声明

再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代:

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の可能性の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。以下略。

次も想起して置きたい:

再生核研究所声明 114: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する

人類を生み、育くんで来た自然とて、優しい存在では無く、絶えず変化し、環境の破壊や汚染で、自然とともになどとは 言っていられない状況である。食物連鎖の法則や老、死などは 生命の本質として、世界を観なければならない。誠、造物主がおられて、このような厳しい状況を創造されたとすれば、それは極めて非情であるとも考えられる。あらゆる生命を肯定するということは、食物連鎖の法則や老、死などを諒として、受け入れなければならない。 否、生命の存在を肯定できる それらを越えるものが 有るだろうかと思考する。 在ることの意義として、 感動を考えれば (再生核研究所声明 12 : 人生、世界の存在していることの意味について) 愛、学問、芸術、こそ;真、善、美、聖の追究こそ、人間としての生きがいである ということになる。 ここで 特に愛とは、男女の愛、親子の愛から始まって、共生、共感、共鳴を伴う好ましい関係喜びを与える関係である。学問とは 真理の追究であり、芸術とは、生命の表現である。 聖とは、神性を有する人間が大義に生きることである。広大な宇宙で 地球は極めて孤独な存在であり、宇宙の特異点であると理解できる。宇宙を理解するには この地球に宇宙を反映させる他 手段は無い (再生核研究所声明 116: 宇宙空間、星間交流から人間を考える )。
孤独で、哀しい運命を共有する 弱い人類は 団結し、生態系を大事にして、家族のように 共生、共感、共鳴できるようにしようと 訴える。それが この声明の趣旨である。上記 造物者とは、生命にとっては、人間にとっては 真実 両親であり、親ほど有り難いものは 世に無い。

以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿