2019年1月23日水曜日

ゼロ除算単語(DIVISION By ZERO)

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ゼロ除算単語

ゼロジョサン

ゼロ除算とは、0による割り算である。分が0の分数の事もす。
「いいか~?割り算をする時に、割る側は絶対に0にしちゃ駄だぞ~!」
「わかった!」 そんな純な君は今後、何も問題なく算数数学を勉強していく事だろう。
だが「なんで?と思ってしまった諸君。
ようこそ…計算マニア数学嫌いの界線へ…

概要

ゼロ除算は前述の通り「数を0で割る事」であるが、数学世界ではタブーである。
電卓に打てばERRORを吐きだすし、C言語整数では動作が停止する。
過去米海軍マイクロソフト社のソフトを採用し試運転した所、入ミスによりゼロ除算が発生してしまい推進システム麻痺機が2時間半も上で停止しまった例もある。恐るべしゼロ除算
そもそも0自体が特殊な数であり、他の1や2等の自然数実数等の様にホイホイ扱えるものではないのだ。
(0自体については記事「0」を参照のこと。)

タブーの理由

りんごで考える

割られる数をA、割る数をB、商をC、余りをDとすると次の様に表記できる。(ただし全て自然数である。)
  A÷B=C…D
ではこれを文章問題にするとどうなるのか?
先生りんごがA個あり、これをB人で分けようと思います。1人に何個行き渡り、何個余りますか?」
生徒「1人C個もらえ、D個余ります。」
では、この文章問題に「10÷0」を当てはめるとどうなるのか?
先生りんごが10個あり、これを0人で分けようと思います。1人に何個行き渡り、何個余りますか?」
生徒「なにいってだこいつ」
これは困りましたね。冷静に考えると0人で分けるってのが意味深です。
しかし、生徒君は以下の考えからある答えを導き出しました。
例えば10÷3を計算する時、10からは3が3回引けて1余るから、10÷3=3…1
つまり、10からは0がいっぱい(限回)引けて、でも減る事はないから10余るから…
10÷0=…10 だ!
確かに生徒君の考え方は悪くありません、余りがある割り算では有効な考え方です。
ところで、分数にはA/B = D/B+C(/は括線)という書き換えがあります。これを生徒君の答えに当てはめるとどうなるでしょう。
10/0=10/0+ ⇒ 0=
なんと、両辺から10/0を引くと0=が導き出されてしまいました。これは有り得ないですね。
これで少なからず「ゼロ除算って何かおかしいぞ…」というのを感じてもらえたでしょうか。
この説明では意味ワカメ。という方は当記事の掲示板で他の説明をしてる方が居るのでそちらも参考に。
ちなみに今回は説明の為を数の様に扱っているが、本来限大記号)は数の様に扱ってはいけない。
限大記号については記事「∞」を参照のこと。 と言いたかったが曖昧さ回避記事の為内容がないよう…)

代数で考える

    a=b        両辺にaを足す
   2a=a+b      両辺から2b引く
2a-2b=a-b       左辺をa-bで括る
2(a-b)=a-b       両辺をa-bで割る
    2=1
この計算式は数学的直感やセンスがないと一「あれ!?」となってしまう。(人によっては考えても分からない。)
しかし、このもらしい計算式にはゼロ除算が含まれている。(a=b なので a-b=0である。)
この計算を利用する事で「全ての数は等しい」事を明する事が可である。 ⇒アンサイクロペディア「1=2」exit
(偽(ゼロ除算)から導き出した偽(全ての数が同値)なので問題ないのだが。)

三行で教えろ

(x+x)(x-x)=x2-x2=(x-x)x  左辺と右辺をx-x(=0)で割る
x+x=x                    両辺をxで割る
2=1                      ありえん(笑)

「0かもしれないもの」で割るのもNG

数学の問題を解く時に、次のような式に辿り着いたとしよう。
ab = ac

なんとも両辺をaで割りたくなる。そうすればb=cという非常にわかりやすい答えが得られるのだ。
しかし、ここは、踏みとどまってほしい。そのaは0かもしれませんよ?
このような時にどうすればいいのかを考えてみよう。

まず、予備知識として以下の式を考えよう。
xy = 0
この式は「xが0 または yが0」を意味している。もちろん両方が0という可性もありえる。
「xが0」とは限らないし、「yが0」とも限らないのが注意点だ。

それでは、最初の式に戻り、移項して因数分解してみよう。

ab =  ac 
ab - ac = 0
a(b-c) = 0

xy = 0 と似た形になったので、同じように扱うことができる。
この式は「aが0 または b-cが0 」を意味している。もちろん両方という可性もありえる。
「aが0」とは限らないし、「b-cが0」とも限らないのが注意点だ。

しかし、最初の式の両辺をaで割ると、「b-cが0」を意味する式が得られる。「b-cが0」とは限らないのに…
もともと「aが0 または b-cが0 」という意味だった式は、「両辺をaで割る」ことによって、「aが0の可性を奪われてしまう」のだ。
「式の両辺をaで割る」とは、「式からaが0の可性を勝手に奪い取る」ことを意味する。
その結果、本来「b-c が0」とは限らないのに、「b-c は確実に 0」という誤った結論に至ることになる。
これは1=2という誤った結論を導くのによく使われるトリックである。

めると、
「0かもしれない値 a で両辺を勝手に割る」のはNGであり、得られた式は必ずしも正しいとは限らない。
ただ、「0かもしれない値 a で両辺を割って得られた式」と「a = 0」のうち少なくとも片方は正しい。

n/0=∞説

昔、バースカラ2世という偉人は「n/0=(n≠0)」と定義しゼロ除算の問題を解決しようと試みた。
確かにlim[n→0+]1/nはである(反例グラフy=1/xを想像してもらえると理解しやすい)。
1/10 = 0.1
1/1 =1
1/0.1 = 10
1/0.01 = 100
1/0.001 = 1000
1/0.0000…1 = 10000…0
1/0 = 
しかし、lim[n→0-]1/n(マイナス方面から0に近づいていく)はどうだろうか。こちらは反例グラフが下に向かって伸びていくので-となってしまう。しかし本質的にはも‐もn/0のはずである。つまりこの定義だけでは=-となってしまうのである。
よって、n/0はとは定義できないのである。

「不定」と「不能」

ゼロ除算自体が「定義されてないから」「タブーだ」「してはいけない(め)」と扱われているが、実はゼロ除算の結果は「不定」と「不」の2つに分けられる。

不定

不定は読んで字の如く、「数が定まらない」という事をす。0÷0を想像してもらいたい。果たして答は何になるのだろうか?
仮に0÷0の商をXだとする。A÷B=CはC×B=Aに書き換えられるのは周知である。
0÷0=X ⇒ X×0=0
ゼロ乗算の積は0である。つまりXには何を入れても式は成立するのである。
0÷0の商は「全ての数」となってしまうのである。まさに数が定まっていない状態である。

不能

はいわゆる「解なし」である。N÷0を想像してもらいたい(Nは0以外の適当な数でいい)。こちらはどうなるだろうか?
ここでは例としてN=5とし、5÷0の商をXだとする。
5÷0=X ⇒ X×0=5
ゼロ乗算の積は0である。しかし、書き換えた式の右辺には0以外の数字が来てしまっている。
つまりXにはどんな数を入れても式は成立しないのである。N÷0の商は「解なし」となってしまう。

ところでWindowsに付属の電卓ゼロ除算を行うと数による返事は帰ってこないのだが、不定と不によって返事が違うのはご存じだろうか。
不定計算を行うと「結果が定義されていません」。不計算を行うと「0で割る事は出来ません」とそれぞれちゃんとした返事が返ってくる。
ただERRORを吐きだされるより思いやりの気持ちを感じますね。感じない?あぁ、そう。

ゼロ除算に纏わる計算

0の逆数

逆数とは、元の数と掛け合わせると積が1になる数の事である。2の逆数は1/2であり、a/bの逆数はb/aである。
0は何を掛けても積は0となるので逆数が存在しない。0は一逆数を持たない数である。
極限ゼロと極限限同士の積は計算方法によって解が違うので当てにならない。
  • lim[x→0]x*(1/x) = lim[x→0]x/x = 1
  • lim[x→0]x*(1/x)2 = lim[x→0]1/x = 
  • lim[x→0]x * lim[x→]x = 不定
何故答えが不定になってしまうのか?それは同じ極限ゼロにも極限限にも大小関係があるからだ。
lim[x→0]xもlim[x→0]2xも、両方計算してしまえば同じ0になってしまう。しかし前者を分子にし、後者を分にすれば答えは1/2となる。同じ極限値でも式によって大きさが違うので、それを較して「答えは如何程か?」と定める事はできないのである。

00(0の0乗)

一般的に「1」の方が都合が良いとされているが、「定義されてない」「0」という説もある。

0説

lim[x→+0]0x=0 つまり、0は何乗でも0なんだから0乗でも0に決まってるだろ。という説である。

1説

lim[x→0]x0=1 つまり、0乗すれば元が何だろうが1になるんだから0でも1になるに決まってるだろ。という説である。
これだけ聞くと0説とレベルが同じに感じる。
実はxxのグラフ(想像しにくいと思われるのでGoogle先生「x^xで検索」exitを参考)は一見x=0の時1を通っている様に見えるが、実はその点に限り定義されてない。つまりxxはx=0に不連続点を持っているグラフである。
ちなみに、lim[x→0]xx=1である事も計算されている。
00=1と定義してるプログラムも少なくなく、ドナルド・クヌースは「0x数学的意義があまりいが、x0は様々な場面で使用できるので形式的に便利」とっている。

定義されてない説

n1=n
nk+1=nk×n
数計算のルールより、数が1ずつ増えていくというのは、nを1つずつ掛けるのに等しい。
つまり、逆に言えば数が1ずつ減っていくというのはnを1つずつ割るのに等しい。
k=0の時、 n0+1=n0×n=n なので、n0=n/n=1 は明らかである。
しかし、n=0の時は0/0となりゼロ除算となってしまうので不定となってしまう。よって00も定義できない。

ゼロ乗算しても0にならない数は存在するか?

ここまで筆者は「0を掛けたら0である」を当然に様に言い回してたが、果たしてこれは事実なのだろうか?
昔の偉人は「2乗してマイナスになる数なんてある訳ない」と考えたが、なんだかんだで虚数iを作ってしまった。
θ90えてるのに直三角形はねーよ」と思ったら、色々頑って単位円を使って度の拡に成功した。(拡というよりも三の定義自体を大幅に変えてしまったのだが… 三角関数を参考せよ。)
もしかしたら0を掛けても0にならない数は存在するのでは?計算してみる事にする。

計算

0の定義…  0は足しても何も変化しない。X+0=Xである。
         0はRを除き乗算すると0にする。X×0=0であるが、R×0の場合はその限りではない。
ここでは0を掛けても0にならない数Rを考えていく。
0=0+0         両辺にRを掛ける
R×0=R×(0+0)   分配法則を使う
0×R=0×R+0×R  0×R=Mとする
M=M+M
さて、Mは0×Rの積なのでM≠0のはずである。しかしM=2Mという式が発生してしまった。
これを解けばM=0となってしまい前提条件と矛盾としてしまう。
結果、0を掛けても0にならない数Rは存在しない。そう、数学者は「機としての拡」は出来ても今まで使用してきた物が使えなくなってしまう物を作る事は出来ないのだ。悲しきかな。

とても興味深く読みました
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???   
∞は定まった数ではない・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
5年  ゼロ除算の発見と重要性をした:再生核研究所  2014年2月2日

再生核研究所声明 470 (2019.2.2)  ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて

ゼロ除算100/0=0の発見は 初期から ゼロ除算の発見時から、 歴史的なものと考えて、詳しい過程を記録してきたが、ゼロ除算の影響は 初等数学全般に及び、 天動説が地動説に代わるような世界観の変更を要求している。 言わば新しい世界を拓く契機を与えるだろう。世界史は大きく動き、新しい時代を迎えられるだろう。― これは我々の世界の見方が変化すること、心の在りようが 変化することを意味する。 しかるに 発見5周年を迎えても その大きな影響を理解しない世情は、人類の歴史に 汚点を刻むことになるだろう。 数学の論理は 絶対的であり、数学の進化も 大局的には必然的なものである 
(再生核研究所声明 467 (2019.1.3):  数学の素晴らしさ ー 数学は絶対的な世界である)。

一数学者として このようなことは、真智を求める者として、愛する者として、研究者の良心にかけて、 断言せざるを得ない。 また表現は、応援者たち、理解者たち、関係者たちが 相当に言わば晩年を迎えている実状を鑑みて、率直にならざるを得ない。実際、我々は明日の存在を期待してはならない状況にある:

再生核研究所声明 465 (2019.1.1):  年頭にあたって - 1年の計 
(部分引用: 年齢的に X,Y,Zの場面が いつ起きても不思議ではない状況にあることを しっかりと捉える必要がある。
まず、X とは入院などでメールができない状況である。Yとは、意志表示ができない状況である。Zとは、意識が無い状況である。 したがって、いかなる場合にも平然と、それらに対応できる心構えを整えることを 修行として、心がけることが 大事である。 
その原理は、それらに際して、後悔しないように準備に励ことである。それ故に、存念を率直にブログ、Facebook、 論文、声明などで表現して これまでとして、何時でも終末を迎えられるように すべきである。
― 上記メールができることであるが、著名な数学者の言葉であったと思うが、我れ思うゆえに我あり、我れメールするがゆえに、我れ存在すると多くの人は理解するだろう。
実際、多くの人にとっては、情報を得ることで、その人の存在を認識するだろう。交流できることが 生きている意味と捉えられるだろう。
そのような 終末を迎える原理として、 ゼロ除算の帰結である 生命のグラフ、 すなわち 多くの過程は 初めに戻る との教えは 大きく貢献するだろう。)

世にゼロで割ってはいけない、ゼロ除算は不可能であるや不定であるという常識は、全くの狭い見方、考え方、発想で、自然な意味でそれらは可能で、できないといって避けていたゼロ除算から、実は誰も考えたことのない世界が現れ、それが初等数学全般に及ぶことが
900件を超える知見で明らかにされてきた。
要点は、解析関数を考えるときに、特異点そのものでは考えず、特異点を除いた部分で関数を考えて来たのに、実は孤立特異点そのもので、解析関数は、有限確定値を取ることが 分かったことである。― 例えば、解析関数 W= exp (1/z) は 原点z=0 でピカールの除外値1を取っている(ゼロ除算算法)。― 何と、この関数は原点の近くで、ただ一つの例外の数を除いて、すべての複素数値を無限回取るとされてきたが、その例外値が実は、特異点で取られていた。 その意味で、全く新しい数学が発見されたという事実である。 その影響は900件を超える知見を齎し、初等数学全般に大きな影響を与える。既に確立しているホーン・トーラスという、アリストテレス、ユークリッド以来の リーマン球面に代わる空間が発見された。我々の結果は そのように自然な分数の意味で、1/0=0/0=\tan(\pi/2)=0 と表現されるが、その影響は 世界観の変更に及び、現在の世界は、ゼロ除算の新しい世界から見ると、未だ夜明け前と表現される。現在全体の様子を著書に纏め中である。

少し具体的に内容について触れて置く:
まず代数学的にはゼロ除算を含む簡単な体の構造(山田体)が与えられているが、このことの認識が抜けているのは 代数学における 相当に基本的な欠陥 であると考えられる。体の構造はあまりにも基本的であるということである。
幾何学においては無限遠点がゼロで表されることから、無限遠点が関与する幾何学、平行線、直線、円、三角形、2次曲線論など広範な幾何学に欠陥が存在する。曲率、勾配などの概念の修正が求められる。我々の空間の認識は 数学的にはユークリッド以来 不適当である と言える。図形の式による孤立特異点を含む表現で、孤立特異点でゼロ除算算法を用いると いろいろ面白い図形や、量が現れて、新規な世界が現れてくる。無限、特異点として考えて来なかった世界における新しい現象が現れてきた。これは未知の広大な世界である。
解析学では、いわゆる孤立特異点では、そこでは一切考えて来なかったが、孤立特異点そこで、ローラン展開は ゼロ除算算法として意味のある世界が拓かれているので、全く新しい数学を展開することが可能である。直接大きな影響を受けるのは微分方程式の分野で ゼロ除算算法の視点から見ると、 微分方程式論は 相当に欠陥に満ちていると言える。典型的な結果はtan(\pi/2)=0である。微分係数がプラス、あるいはマイナス無限大と考えられてきたところが 実はゼロで、微分方程式論に本質的な影響を与える。特異点でも微分方程式を満たすという概念が生まれた。
複素解析学ではゼロ除算算法の応用、影響の大きさから、そのように重要なゼロ除算算法の意義の解明が望まれる。様々な解析関数の孤立特異点の値は数学辞典、公式集の新たな章になるだろう。三角関数など初等関数については既に相当な結果が得られている。未知の世界である、孤立特異点での関数の性質を研究する、新世界における問題が広がっている。
一般的な視点からの要点とは、まず、我々はゼロで割れることを、厳密な意味で与えて、言明し、その広範な影響が出てきたこと。それと裏腹に ゼロと無限の関係を明らかにして、永い懸案のそれらの概念を明らかにして、それらの関係が確立されたことである。特に この基本的な関係は リーマン球面に代わるモデルとして、ホーン・トーラスとして 幾何学的に明示される。― それで、無限とゼロの意味とそれらの関係が分かったと言える。最近物理学者も興味を寄せてきているが、ホーン・トーラス上の数学は、今後の課題である。

ゼロ除算算法とは 強力な不連続性を伴った 仮説であり、仮定である(数学そのものがそのような構造をしている)が、 ゼロ除算そのものの意味は依然不明であり、その意味の追求は ブラックホールの解明のようにゼロ除算算法の研究を行うことで、意味を追求していくことになる。その本質は、どうして そのように強力な不連続性が与えられているか、無限とゼロの関係を追及していくことである。もちろん、universe の現象として捉えていく必要がある。

5周年を迎えるに当たって、我々は世に ゼロ除算の理解を広く求め、かつ、関係者の研究への参加と協力を求め、かつお願いしたい。
数学の教育関係者、出版関係者には初歩的で基本的な新しい数学からの広範な影響を 教育・文化に反映させるように協力をお願いしたい:

再生核研究所声明 431(2018.7.14):  y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界? 

(部分引用: 原点から出る直線の勾配で 考えられない例外の直線が存在して、それが
y軸の方向であるということです。このような例外が存在するのは 理論として不完全であると言えます。それが常識外れとも言える結果、ゼロの勾配 を有するということです。この発見は 算術の確立者Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の発見で、 ゼロ除算の意味の発見と結果1/0=0/0=0から導かれた具体的な結果です。
それは、微分係数の概念の新な発見やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える数学ばかりではなく 世界観の変更を求める大きな事件に繋がります。そこで、日本数学会でも関数論分科会、数学基礎論・歴史分科会,代数学分科会、関数方程式分科会、幾何学分科会などでも それぞれの分科会の精神を尊重する形でゼロ除算の意義を述べてきました。招待された国際会議やいろいろな雑誌にも論文を出版している。イギリスの出版社と著書出版の契約も済ませている。
2014年 発見当時から、馬鹿げているように これは世界史上の事件であると公言して、世の理解を求めてきていて、詳しい経過なども できるだけ記録を残すようにしている。
これらは数学教育・研究の基礎に関わるものとして、日本数学会にも直接広く働きかけている。何故なら、我々の数学の基礎には大きな欠陥があり、我々の学術書は欠陥に満ちているからである。どんどん理解者が 増大する状況は有るものの依然として上記真実に対して、数学界、学術雑誌関係者、マスコミ関係の対応の在り様は誠におかしいのではないでしょうか。 我々の数学や空間の認識は ユークリッド以来、欠陥を有し、我々の数学は 基本的な欠陥を有していると800件を超える沢山の具体例を挙げて 示している。真実を求め、教育に真摯な人は その真相を求め、真実の追求を始めるべきではないでしょうか。 雑誌やマスコミ関係者も 余りにも基礎的な問題提起に 真剣に取り組まれるべきでは ないでしょうか。最も具体的な結果 y軸の勾配は どうなっているか、究めようではありませんか。それがゼロ除算の神秘的な歴史やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える事件に繋がっていると述べているのです。 それらがどうでも良いは おかしいのではないでしょうか。人類未だ未明の野蛮な存在に見える。ゼロ除算の世界が見えないようでは、未だ夜明け前と言われても仕方がない。)

以 上


ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.



Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler
1/0=0/0=0 (201422日再生核研究所)

ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0

https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html


1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras
1/0=0/0=0201422日再生核研究所)

 

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