2018年10月30日 投稿者: SII
「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
常識との戦い
時空間の本質
考えるまでもない常識というものがある。
例えばあなたが地球から飛び立つロケットを見る時を考える。
もしロケットの窓に、宇宙飛行士の友人が映っていたなら、あなたは、ロケットと共に上に飛んでいく彼を認識できるだろう。
ではロケットが、マッハ31(アポロの最高速度)くらいの速度をいきなり出したとする。
その場合には、友人は確認出来ないかもしれないが、その速度を計る事は出来るだろう。
もちろんしかるべき計測装置があればの話だが、ロケットの速度はマッハ31と計測されるはずである。
しかしもし、立場が逆なら、宇宙飛行士のあなたには、地上から見送る友人が見える。
自分かロケットによって動いているのに対して彼は、動いてない。
もし友人の速度を計ったなら、その速度は0となるだろう。
もしロケットの窓に、宇宙飛行士の友人が映っていたなら、あなたは、ロケットと共に上に飛んでいく彼を認識できるだろう。
ではロケットが、マッハ31(アポロの最高速度)くらいの速度をいきなり出したとする。
その場合には、友人は確認出来ないかもしれないが、その速度を計る事は出来るだろう。
もちろんしかるべき計測装置があればの話だが、ロケットの速度はマッハ31と計測されるはずである。
しかしもし、立場が逆なら、宇宙飛行士のあなたには、地上から見送る友人が見える。
自分かロケットによって動いているのに対して彼は、動いてない。
もし友人の速度を計ったなら、その速度は0となるだろう。
というような話は、明らかに地球の動きや、太陽系や、銀河系すら、広大な宇宙の中を常に動いているという事実を華麗に無視している。
しかしそれは、我らが存在する「時間と空間なんてもの」の本質を考える上ではどうでもいい。
その本質を考えるのに、必要なのは、あなたと友人の、異なる2つの速度だけだ。
しかしそれは、我らが存在する「時間と空間なんてもの」の本質を考える上ではどうでもいい。
その本質を考えるのに、必要なのは、あなたと友人の、異なる2つの速度だけだ。
誰が何をしてようと、どう動いてようと、この空間と時間というのは不変なもの。
「あなたと友人とロケットの話」が示している時空間の本質とはそういう事である。
「あなたと友人とロケットの話」が示している時空間の本質とはそういう事である。
そして相対性理論は、その認識が間違っているのだとする理論である。
不変な速度で観測されるモノ
例えばもしも、人間という生物が、常に秒速1mの速度で観測されるような存在だとしたらどうか。
地上に立ってるだけのあなたが、マッハ33のロケットに乗った友人を観測した場合、その速度は秒速1m。
逆にロケットの友人が、地上のあなたを計った場合も、その速度は秒速1m。
普通、そんな事はありえない。
地上に立ってるだけのあなたが、マッハ33のロケットに乗った友人を観測した場合、その速度は秒速1m。
逆にロケットの友人が、地上のあなたを計った場合も、その速度は秒速1m。
普通、そんな事はありえない。
しかしそんな事がもしありえるなら、それは観測し合う二人の間で、体感的な空間の長さや、時間の流れる速度がズレているのだと考えるしかない。
今の人類の知見ではそう考えるしかない。
今の人類の知見ではそう考えるしかない。
だが古代ギリシャより続く2000年以上の科学の歴史の中で、そんなモノは発見されなかったから、そんなモノはないという考えはいつの間にか常識となっていた。
そんなモノとは、つまり「どのような運動状態にある者が観測しようとも、不変な速度で観測される何か」である。
電磁波と光
余計な事をしてくれたのはマックスウェルとかいう物理学者だった。
彼は電気が磁気を、磁気が電気を生み出すという事実から、「電磁波」というものを予想した。
彼は電気が磁気を、磁気が電気を生み出すという事実から、「電磁波」というものを予想した。
電磁波とは、つまり電気と磁気が連続して形成された波であるが、マックスウェルは記号化した電気や磁気で作った数式をいじくる内に、この概念を発見した。
さらに彼は、数式をいじり、その速度まで導出してしまった。
そしてその速度の値が、実検により確認されていた光速度(秒速30万kmくらい)と同じだったから、彼は「電磁波とは、つまり光である」と結論した。
さらに彼は、数式をいじり、その速度まで導出してしまった。
そしてその速度の値が、実検により確認されていた光速度(秒速30万kmくらい)と同じだったから、彼は「電磁波とは、つまり光である」と結論した。
後に電磁波の存在はしっかり確認され、光がその一形態だという事もわかったが、それは問題をはっきり浮き彫りにしてしまった。
常識を捨てる
マックスウェルが立てた、電気と磁気の関係を示した数式は、観測者の時空間的な位置を限定していない。
つまりその数式が示す電磁気のふるまいは、誰が観測しても、同じになる。
家に引きこもってようと、新幹線に乗ってようと、「あなたの読む本の文字数」や「あなたが好きなゲームジャンル」が変わらないのと同じだ。
電磁気のふるまいは変わらない。
その速度も。
その速度も。
マックスウェルの式から導き出される光速度が、観測者の運動状態に左右される事はない。
彼の式の正しさを証明する事は、光速度が不変である事を認めることと同義なのである。
彼の式の正しさを証明する事は、光速度が不変である事を認めることと同義なのである。
マックスウェルは紛れもなく天才である。
その間違いを見つける事は誰にも出来なかった。
その間違いを見つける事は誰にも出来なかった。
それでも常識を信奉していた世界中の偉大な頭脳達は、なんとか光速度の不変性を無効にする抜け穴を探しまくった。
「常識を捨てる」という単純な発想に至ったのは、大学での態度が悪かった為に、目指していた研究職につけなかった、若き日のアルベルト・アインシュタインだけだった。
特殊相対性理論
座標系と座標変換
時空間の中のある位置を示す為に『座標系』という概念は存在する。
我々が生きているとされる3次元の世界では、ひとつのある座標系は4つの数値によって表現される。
横の座標x。
縦の座標y。
奥行きの座標z。
それに現在時刻の座標tである。
ある座標A(x=A、y=A、z=A、t=A)に存在する物が、別の座標B(x=B、y=B、z=B、t=B)まで移動する場合、それは座標AからBへの変換を意味する。
相対性理論以前は、現実の世界における、座標AからBへの変換の際に、tはさほど問題にならなかった。
なぜならtは、位置座標x、y、zがどのように動こうと、常に決まった速度で動くから。
我々が生きているとされる3次元の世界では、ひとつのある座標系は4つの数値によって表現される。
横の座標x。
縦の座標y。
奥行きの座標z。
それに現在時刻の座標tである。
ある座標A(x=A、y=A、z=A、t=A)に存在する物が、別の座標B(x=B、y=B、z=B、t=B)まで移動する場合、それは座標AからBへの変換を意味する。
相対性理論以前は、現実の世界における、座標AからBへの変換の際に、tはさほど問題にならなかった。
なぜならtは、位置座標x、y、zがどのように動こうと、常に決まった速度で動くから。
例えば1秒の間に縦の(x軸)方向に5m、動いたモノを観測する場合を考える。
まず動く前の座標系Aを、「x=0、y=0、z=0、t=0」だとする。
座標系Aからの観測では、モノの移動後の座標系Bは、「x=5m、y=0、z=0、t=1秒」となっている。
もしモノが1秒に動いた距離がx軸方向に546m、y軸方向に21m、z軸方向に6532975mだったとしてもtだけは変わらない。
1秒後のモノの座標系は「x=546m、y=21m、z=6532975m、t=1秒」である。
まず動く前の座標系Aを、「x=0、y=0、z=0、t=0」だとする。
座標系Aからの観測では、モノの移動後の座標系Bは、「x=5m、y=0、z=0、t=1秒」となっている。
もしモノが1秒に動いた距離がx軸方向に546m、y軸方向に21m、z軸方向に6532975mだったとしてもtだけは変わらない。
1秒後のモノの座標系は「x=546m、y=21m、z=6532975m、t=1秒」である。
上記のような座標変換は、時空間がモノ(x、y、z)の動きに不変である場合に成り立つ。
しかしマックスウェルが意図せず証明してしまったように、時空間はどうやら不変ではないらしい。
しかしマックスウェルが意図せず証明してしまったように、時空間はどうやら不変ではないらしい。
そこで、光速度が不変である事を前提とした座標変換である『ローレンツ変換』が考え出されたのである。
ローレンツ変換
tの変化速度が不変でない場合を、想定するだけならば容易い。
それは、例えば「x=0、y=0、z=0、t=0」の座標系から、1秒で、x軸方向に5m移動したモノを観測した場合に、その座標系が「x=5m、y=0、z=0、t=2秒」になっていたりする可能性を認めるという事である。
何かおかしい感じはするかもしれないが、そういうものだと納得するだけなら誰でも出来ると思う。
何かおかしい感じはするかもしれないが、そういうものだと納得するだけなら誰でも出来ると思う。
ローレンツ変換は、変換時に、光速度が常に光速度になるように調整した座標変換である。
実際的に、それはtが不変でない座標変換であった。
実際的に、それはtが不変でない座標変換であった。
ローレンツ変換はローレンツという人が提唱したからローレンツ変換と呼ばれている。
だが惜しい事に、ローレンツはこの変換法を現実の世界には適用しなかった。
だが惜しい事に、ローレンツはこの変換法を現実の世界には適用しなかった。
適用した結果が、『特殊相対性理論』であった。
ミンコフスキー時空
ローレンツ変換は光速度の不変性を示しているだけではない。
それによると、tの速度が、人間が認識できるレベルで変化するのは、光速度にかなり近い速度のモノを観測する場合に限られる。
これは、たいていのものの速度が、光速度の1%にすら到達出来てない、我々の日常の領域では、従来の「tの速度を不変とした変換」が近似的に使えるという事を示している。
それによると、tの速度が、人間が認識できるレベルで変化するのは、光速度にかなり近い速度のモノを観測する場合に限られる。
これは、たいていのものの速度が、光速度の1%にすら到達出来てない、我々の日常の領域では、従来の「tの速度を不変とした変換」が近似的に使えるという事を示している。
そういうtが不変でない空間を『ミンコフスキー時空』と呼ぶ。
ローレンツ変換とはつまり、「光速度が不変であるミンコフスキー時空における座標変換」。
そして特殊相対性理論とは、「現に存在している時空間は、光速度が不変であるミンコフスキー時空である」という事を主張する理論なのである。
ローレンツ変換とはつまり、「光速度が不変であるミンコフスキー時空における座標変換」。
そして特殊相対性理論とは、「現に存在している時空間は、光速度が不変であるミンコフスキー時空である」という事を主張する理論なのである。
光時計の思考実検
多細胞、脳、哺乳類、人間。
どの段階で手に入れたのかは知らないけど、我々の持つもっとも実用的な道具は、想像力に間違いない。
光による時空間のズレを調べたいと思ってもそれは難しい。
そこでアインシュタインは、想像の世界で、それを調べる事にしたのである。
どの段階で手に入れたのかは知らないけど、我々の持つもっとも実用的な道具は、想像力に間違いない。
光による時空間のズレを調べたいと思ってもそれは難しい。
そこでアインシュタインは、想像の世界で、それを調べる事にしたのである。
アインシュタインは光速で動きながら、光を見たらどうなるか?
そういう実験を頭の中で繰り返した(『思考実験』というやつだ)。
そういう実験を頭の中で繰り返した(『思考実験』というやつだ)。
彼の行った実験は、現在ではよりわかりやすく改良されている。
例えば『光時計』というのを想像しよう。
例えば『光時計』というのを想像しよう。
これは縦方向に30万kmの長さの時計である。
また、この時計の上下はレーザーの発射口になっている。
まず上から発射されたレーザーが、下に届くと1秒と時を刻み、次は下からレーザーを発射、上に届くとまた1秒という機構になっている。
光速度が秒速30万kmだという事を利用した時計という訳である。
また、この時計の上下はレーザーの発射口になっている。
まず上から発射されたレーザーが、下に届くと1秒と時を刻み、次は下からレーザーを発射、上に届くとまた1秒という機構になっている。
光速度が秒速30万kmだという事を利用した時計という訳である。
では光時計と共に、次は透明ガラスで作られた「スケルトン仕様ジェット」に乗り込もう。
そしてジェットを秒速11.16km(マッハ31)で横方向に加速させてみる。
あなたが光時計を見ると、もちろんその時計は30万kmレーザーの度に1秒と、実に正確に時を刻んでいる。
そしてジェットを秒速11.16km(マッハ31)で横方向に加速させてみる。
あなたが光時計を見ると、もちろんその時計は30万kmレーザーの度に1秒と、実に正確に時を刻んでいる。
ここで、ジェットの中のあなたと光時計を見ている友人の目を考える。
彼にはいったい何が見えるのか。
ジェットが横に動いている為に、光時計のレーザーの道筋が斜めになっているのが見えるはずである。
それは光時計の上下間の道筋が長くなっている事を意味している。
だが光速度が誰から見ても不変な為に、普通に考えるなら光時計は友人の目には狂って見える。
彼にはいったい何が見えるのか。
ジェットが横に動いている為に、光時計のレーザーの道筋が斜めになっているのが見えるはずである。
それは光時計の上下間の道筋が長くなっている事を意味している。
だが光速度が誰から見ても不変な為に、普通に考えるなら光時計は友人の目には狂って見える。
だがこの世界が観測者によって時空間を変形させるとするならどうか?
仮に加速している光時計が、止まっている友人には縮んで見えるなら、その縮みが、移動によるレーザーの道筋の変化を打ち消すだろう。
仮に加速している光時計が、止まっている友人には縮んで見えるなら、その縮みが、移動によるレーザーの道筋の変化を打ち消すだろう。
しかしだとすると時間はどうなるのか?
あなたは光時計と一緒に動いているのだ。
友人から見れば縮んでいる光時計と並んでいる。
あなたは光時計と一緒に動いているのだ。
友人から見れば縮んでいる光時計と並んでいる。
ここで、光時計は縮まないとして、時間がズレるとアインシュタインは結論した。
つまり友人の見る、動いている光時計の1秒は、光時計と共に移動しているあなたが見る1秒とは異なっている。
友人の時間の方が、あなたの時間より速く過ぎ去るたのだと考えたのである。
つまり友人の見る、動いている光時計の1秒は、光時計と共に移動しているあなたが見る1秒とは異なっている。
友人の時間の方が、あなたの時間より速く過ぎ去るたのだと考えたのである。
時間のズレの求め方
光時計を利用する事で、秒速(11.16だと半端で面倒だから)10kmで動くあなたと、動いていない友人との体感時間のズレも簡単に調べられる。
とりあえずあなたの1秒が、友人にとってどのくらいの時間かを調べてみる。
友人の見る「レーザーの道筋(30万キロ)」を斜辺、そして「縮んでいる(と想定できる時空間的な)光時計の縦の長さ」と「ジェットの移動距離(10)」を残りの2辺とした直角三角形を描いてみよう。
直角三角形の斜辺cと残りの2辺a、bとの関係が、
友人の見る「レーザーの道筋(30万キロ)」を斜辺、そして「縮んでいる(と想定できる時空間的な)光時計の縦の長さ」と「ジェットの移動距離(10)」を残りの2辺とした直角三角形を描いてみよう。
直角三角形の斜辺cと残りの2辺a、bとの関係が、
だという「ピタゴラスの定理」に、判明している数値を代入すると、
「光時計の時空間的長さ」が約299999.9998333333km に縮んでいるという事がわかる。
光速度は不変の秒速30万kmなので、友人の1秒の間に体感するあなたの1秒は0.999999999444(299,999.9998333333÷300,000)
つまりあなた達の時間の1秒ごとのズレは0.000000000556(1÷0.999999999444=1.000000000556)秒くらいという事になる。
光速度は不変の秒速30万kmなので、友人の1秒の間に体感するあなたの1秒は0.999999999444(299,999.9998333333÷300,000)
つまりあなた達の時間の1秒ごとのズレは0.000000000556(1÷0.999999999444=1.000000000556)秒くらいという事になる。
仮に、あなたがそのままの速度で 3110400000000秒(10万年)旅した後、その間ずっと動かずにいた友人と再会したとしたらどうなるか。
友人の時計はあなたのより1729.3824秒も進んでいるのである。
友人の時計はあなたのより1729.3824秒も進んでいるのである。
特殊相対性理論の時間の遅れの式は、記号を使い一般化すると、
となる。
Tが「静止した観測者」。tが「加速してる物体」。vが「物体の速度」。cが光速度である。
Tが「静止した観測者」。tが「加速してる物体」。vが「物体の速度」。cが光速度である。
宇宙の最高速度
光時計の式などを使い、光速度以上の速度のモノを観測する場合を考えたらわかるが、答は明らかに無意味なものとなる。
つまり時空間の長さが虚数(2乗したら-記号がつく数)となってしまう
これは光速度が、この世界の最高速度である事を示しているのだろうか?
示しているとされている。
そしてその証拠は他にもある。
つまり時空間の長さが虚数(2乗したら-記号がつく数)となってしまう
これは光速度が、この世界の最高速度である事を示しているのだろうか?
示しているとされている。
そしてその証拠は他にもある。
特殊相対性理論の数式から導かれる、重大な結論に、有名な
がある。
Eはエネルギー、mは質量、cは光速度である。
Eはエネルギー、mは質量、cは光速度である。
勘違いされがちだが、実はこの式は、静止している状態の物体のエネルギーを表す式である。
相対性理論の数式によると、ある速度vで動く物質のエネルギーは
相対性理論の数式によると、ある速度vで動く物質のエネルギーは
となるのだ。
そしてこの式において速度vを光速として考えた場合、やはり無意味な答が出てくる。
つまり0で割った数(そんな数は存在しないか、無限大)になる。
そしてこの式において速度vを光速として考えた場合、やはり無意味な答が出てくる。
つまり0で割った数(そんな数は存在しないか、無限大)になる。
つまり、マックスウェルの電磁気の式が、光速度が不変ある事を示しているように、特殊相対性理論の式は、光速度が宇宙の最高速度である事を示しているのである。
光を追い越した時
虚数と無限
でも、ある数式からは虚数が、ある数式からは無限(?)が導かれるのは奇妙なんだろうか?
こういうのを単に、計算の仕方が間違っているからと決定するのは容易い。
この場合は、光速度が最高速度だとすれば、vにそれ以上の数値が入る事はないから
この場合は、光速度が最高速度だとすれば、vにそれ以上の数値が入る事はないから
同時にこれは、光速度より速い物が発見された時、この世界が我々の現在の知識では理解出来なくなってしまう事を示しているように思える。
アインシュタインも常識に縛られてたんじゃないだろうか?
マックスウェルが導いてしまった不変の光速度が常識外れだったように、我々は、無限や虚数のステータスなど存在する訳ないという常識に、まだ縛られてるんじゃないだろうか?
プラスとマイナスの反転
また、光速度まで加速出来ないのなら、なぜ光は光速度なんだと疑問に思ったかもしれない。
ひとつの突破口は、光の質量を0だと考える事である。
いささか奇妙さは残るが、質量0なら、mの後の数が「現にありえる謎の数」だろうと無限だろうと、問題はなくなる。
0には何をかけても0だからである。
いささか奇妙さは残るが、質量0なら、mの後の数が「現にありえる謎の数」だろうと無限だろうと、問題はなくなる。
0には何をかけても0だからである。
そういう訳で、現在は、否定的な確認もされていないし、光は質量0だという考えが一般的である。
また、これはある意味、さらに奇妙だが、光速度以上の速度のモノは、-の質量を持つ事になる。
では光速度に達していないモノを加速し、光速度を越えさしたなら、どうなるか?
数式上では、ただ質量が-になるだけだ。
しかし現実の世界ではどうなるのだろうか?
数式上では、ただ質量が-になるだけだ。
しかし現実の世界ではどうなるのだろうか?
一般相対性理論
最も困難な選択
実は特殊相対性理論は、最初から欠陥品であった。
実は、この理論は、電磁気よりも古くから知られていた、あらゆる物に働く力を無視していたのだ。
その力とはつまり、あらゆる質量に働く力、『重力』である。
実は、この理論は、電磁気よりも古くから知られていた、あらゆる物に働く力を無視していたのだ。
その力とはつまり、あらゆる質量に働く力、『重力』である。
そこでアインシュタインの前には三つの選択肢があった。
まず、「とにもかくにも、重力を考慮しなければ上手くいくのだから、とりあえず無視していればいい」と開き直るという選択。
それに「という事はこの理論は間違いだったのだ。惜しいけど捨てよう」という諦める選択。
アインシュタインは、最後のひとつ、最も困難な道を選択する。
つまり彼は、特殊相対性理論が欠陥品にならないような、新しい重力理論を考え出す事にしたのである。
まず、「とにもかくにも、重力を考慮しなければ上手くいくのだから、とりあえず無視していればいい」と開き直るという選択。
それに「という事はこの理論は間違いだったのだ。惜しいけど捨てよう」という諦める選択。
アインシュタインは、最後のひとつ、最も困難な道を選択する。
つまり彼は、特殊相対性理論が欠陥品にならないような、新しい重力理論を考え出す事にしたのである。
そして結果的に、考え出された理論こそが、『一般相対性理論』であった。
高重力と急発進加速
重要なのは、重力という力がどのような力なのかという事だとアインシュタインは考えた。
『万有引力の定理』は、一般相対性理論以前に、主流であった重力理論だが、それを提唱したニュートンは、その力がどのように働くのか、どういう仕組みなのかを説明出来なかった。
答を得る為に、アインシュタインは再び想像世界での実験に励んだ。
彼はエレベーターを使ったが、我々ははやり、もっとハイテクなものを使うのが相応しいと思う。
彼はエレベーターを使ったが、我々ははやり、もっとハイテクなものを使うのが相応しいと思う。
例えばあなたが、宇宙を漂う「箱形の家」で孤独に暮らすひとりぼっち君だとする。
ある時、未知の自然現象か、何かの陰謀か、突然、強力な重力惑星が近場に出現した。
箱家は重力に引っ張られ惑星へと近づく。
それまで、低重力の中をふわふわ漂っていたあなたは、突然重力を感じるようになり、壁に体をぶつけてしまう。
ある時、未知の自然現象か、何かの陰謀か、突然、強力な重力惑星が近場に出現した。
箱家は重力に引っ張られ惑星へと近づく。
それまで、低重力の中をふわふわ漂っていたあなたは、突然重力を感じるようになり、壁に体をぶつけてしまう。
しかし重力惑星はすぐに消え去り、箱形内は再び低重力となり、あなたの体はまた宙に浮いた。
謎だらけの状況を打開する為、あなたは、遠く賢者の暮らすという星系に行くことにする。
あなたは箱形を、ジェットに変形させて、賢者の星系へと急発進した。
あなたは箱形を、ジェットに変形させて、賢者の星系へと急発進した。
ところであなたにはちょっと抜けてる所があった。
急な加速は低重力のふわふわをまたも打ち消し、あなたはまた壁に体ををぶつけてしまったのである。
急な加速は低重力のふわふわをまたも打ち消し、あなたはまた壁に体ををぶつけてしまったのである。
等価原理
惑星の高重力でも、加速でも、低重力場は打ち消され、あなたは壁に押し当てられた。
加速運動の力と、重力は明らかに類似する特徴を持っている。
加速運動の力と、重力は明らかに類似する特徴を持っている。
類似してるんじゃなく、そもそも同じなんだとアインシュタインは考えた。
つまり重力とは加速する力なのだと、結論したのである。
ついでに重力と加速の影響が区別できない事実に『等価原理(とうかげんり)』という名前までつけた。
ついでに重力と加速の影響が区別できない事実に『等価原理(とうかげんり)』という名前までつけた。
しかし重力と加速する力が同様のものだとして、それが何だっていうのか?
実は、それは大きなきっかけになりうる。
実は、それは大きなきっかけになりうる。
なぜなら重力が加速なら、加速に関係する考え方を、重力の考察に応用できるという事なのだから。
質量が時空を曲げる
アインシュタインは等価原理を信じ、加速のような力を質量に及ぼすような時空の仕組みを探した。
『リーマン幾何学』はあまりに、おあつらえ向きであった。
アインシュタインは運がよかったのか、彼の考えを数学的に矛盾なく扱う事が出来る方法がそれしかなかったのかは、わからない。
リーマン幾何学は、平坦でない空間の、特に異なる点同士の距離について扱う幾何学である。
平坦でない空間、例えば曲がりくねった空間に、アインシュタインはあらゆる物質を置いてみた。
特殊相対性理論では、加速により時空間が曲がった。
それと逆ではないのか?
ねじ曲がった空間では、それにより物質は加速する。
それと逆ではないのか?
ねじ曲がった空間では、それにより物質は加速する。
ねじ曲がった空間。
それこそ答に思えた。
質量は、時空をねじ曲げるのであり、重力とはその影響による加速だったのである。
それこそ答に思えた。
質量は、時空をねじ曲げるのであり、重力とはその影響による加速だったのである。
特異点について
ブラックホール
曲がる時空をイメージするのは難しい。
しかし重力が引力でなく、時空の経路を曲げるものなら、それは質量がないらしい光すら捕らえられる事を意味している。
しかし重力が引力でなく、時空の経路を曲げるものなら、それは質量がないらしい光すら捕らえられる事を意味している。
一般相対性理論の数式の明確な解を最初に導いたとされるシュヴァルツシルトは、光すら逃れられない強すぎる重力場を予想した。
光が本当に宇宙の最高速度ならば、それはただひたすら中心に無限収縮する点となるだろう。
そんな意味不明なもの、アインシュタインは信じたからなかったが、今ではそれらしき天体は本当に発見されている。
そんな意味不明なもの、アインシュタインは信じたからなかったが、今ではそれらしき天体は本当に発見されている。
そのような天体は『ブラックホール』、その無限収縮する中心点は『特異点』と呼ばれている。
ビッグバン
あらゆる質量が時空を曲げ合う世界は、どうやら永久不変を許してくれないらしい事も明らかとなった。
一般相対性理論の数式では、どのように考えようとも、この宇宙空間は、広がっているか、収縮しているかでなければならない。
一般相対性理論の数式では、どのように考えようとも、この宇宙空間は、広がっているか、収縮しているかでなければならない。
今では、銀河系の動きから、この宇宙は、拡大を続けているらしい事が明らかとなっている。
時間を巻き戻していったら、宇宙は収縮し、最終的には、またしても特異点が現れるが、現在、多くの人が、その事実をそのまま受け止めている。
つまりこの宇宙は特異点から始まる事で始まったのであると。
そうだとして宇宙の歴史を考えるのが、いわゆる『ビッグバン理論』である。
つまりこの宇宙は特異点から始まる事で始まったのであると。
そうだとして宇宙の歴史を考えるのが、いわゆる『ビッグバン理論』である。
再び虚数
特異点を避ける方法として、スティーヴン・ホーキングは妙な宇宙モデルを提唱した。
彼によると、この宇宙の始まりが「虚数の時間」の宇宙。
あるいは「虚数の方向に向いた次元」を含む宇宙だったなら、特異点は回避できるのだという。
あるいは「虚数の方向に向いた次元」を含む宇宙だったなら、特異点は回避できるのだという。
虚数の時間なんて存在しうるだろうか?
確かに物理学の式にはよく、虚数記号iが現れるが、あれは、たいてい、数式をわかりやすい形に変換する為の、数学的道具としてである。
確かに物理学の式にはよく、虚数記号iが現れるが、あれは、たいてい、数式をわかりやすい形に変換する為の、数学的道具としてである。
虚数に限らない。
無限も、マイナスの数字や、時にはたかが0ですら、物理学の式に現れた時、我々は、間違いを認めるか、常識を捨てざるをえない。
無限も、マイナスの数字や、時にはたかが0ですら、物理学の式に現れた時、我々は、間違いを認めるか、常識を捨てざるをえない。
存在するはずの数字は、「間違いへの警告」なのか?
それとも数学の限界をしめしているのか?
それとも数学の限界をしめしているのか?
エッセー
無限
例えば『超ひも理論』のように、万物の最小の大きさを定めたなら、特異点は止まる。
少なくとも、偉大なユークリッド(幾何学研究で非常に有名な古代ギリシャの数学者)が定義したような点ではなくなる。
少なくとも、偉大なユークリッド(幾何学研究で非常に有名な古代ギリシャの数学者)が定義したような点ではなくなる。
重力が跳ね返ったり、逆に作用する可能性があっても、特異点はだいぶ問題でなくなる。
無限というのは、数学者には好かれるのだけど、物理学者には嫌われる。
無限は他にもあると思う。
想像の中で、またロケットに乗ってほしい。
そしてロケットを加速させる。
無限にだ。
相対性理論的には、ロケットの速度が光速度に到達する事はない。
しかしやがてロケットの速度は、光速度の99.999……%と、ひたすらに9の数を増やし続ける。
あなたの時間は、止まっている僕に対して、相対的に短くなり続ける。
多分ブラックホールにあなただけ吸い込まれた場合にも同じ事が起こる。
つまりあなたの時間は実質的に止まる(無限になる(?))
想像の中で、またロケットに乗ってほしい。
そしてロケットを加速させる。
無限にだ。
相対性理論的には、ロケットの速度が光速度に到達する事はない。
しかしやがてロケットの速度は、光速度の99.999……%と、ひたすらに9の数を増やし続ける。
あなたの時間は、止まっている僕に対して、相対的に短くなり続ける。
多分ブラックホールにあなただけ吸い込まれた場合にも同じ事が起こる。
つまりあなたの時間は実質的に止まる(無限になる(?))
その時、僕にあなたはどう見えるのだろうか?
僕の生涯の間、あなたは多分、止まってるのだろう。
僕がどれだけ長生きであってもだ。
僕の生涯の間、あなたは多分、止まってるのだろう。
僕がどれだけ長生きであってもだ。
僕が不死身であった場合はどうだろうか?
やはりあなたは止まってるのだろうか?
ずっと?https://gamethankyou.com/science/physics/theory-of-relativity/
やはりあなたは止まってるのだろうか?
ずっと?https://gamethankyou.com/science/physics/theory-of-relativity/
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
行ってきました:世界を変えた書物展
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs
NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした:
With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
とても興味深くみました: ゼロ除算(division by zero)1/0=0、0/0=0、z/0=0 2018年05月28日(月) テーマ:数学 これは最も簡単な 典型的なゼロ除算の結果と言えます。 ユークリッド以来の驚嘆する、誰にも分る結果では ないでしょうか? Hiroshi O. Is It Really Impossible To Divide By Zero?. Biostat Biometrics Open Acc J. 2018; 7(1): 555703. DOI: 10.19080/BBOJ.2018.07.555703 ゼロで分裂するのは本当に不可能ですか? - Juniper Publishers ↓↓↓ https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所 2014年2月2日
再生核研究所声明 459(2018.11.01): 数学者の反省、数学教育の反省
再生核研究所は 広く世の意見を求め それらに対する回答、見解を表明している。特にゼロで割る問題についての 数学の初歩についての歴史的な発見 を契機に 数学に対する意見がいろいろ 一般の方々から寄せられている。そのような社会の反響から、数学界の問題、数学教育の問題が次第に露わになってきた。そこで数学界の反省の観点から要点を纏めてみたい。 ある意味において神学とも言える数学の普及と数学の健全な発展と世に貢献すべき数学の在りようからの 独断と偏見に満ちた 視野の狭い一つの見解である。 次も参照:
再生核研究所声明 458(2018.10.29): 神の存在と信仰 - 悟りへの心得
再生核研究所声明 451(2018.9.14): みんなの数学、大衆の数学 ― 和算の風土を取り戻そう
再生核研究所声明285(2016.02.10) : 数学者の性格、素性について
まず、世の数学に対する 結構広く存在する自然な心情、- 数学はダメ、数学は嫌い、興味も関心も無い、話したくもない。 これは 数学界の基本的な問題であり、数学教育の基本的な過ちを表していると言えるのではないだろうか。これでは数学自身の存在が脅かされ、文化を支えるべき数学が 基本的な役割を果たしているとは言えない。多くの素敵な人たちが、 受験勉強や教育の場で 数学に虐められたと表明している。 高校時代の素敵な女性にそのように 卒業後56年を経たクラス会で表明されて この声明のきっかけを得た。 ある化学の教授が 数学がどうも苦手で 化学を専攻せざるを得なかったという言葉も 永く、心に響いている。高校の担任は数学の先生で、50年を超えてクラス会に招かれている程だから、人物良好、尊敬される存在である。しかし、数学の教育は受験の必要性に迫られて 型にはまった教育にならざるを得なかった。それでも当時はまだ受験事情は 甘い余裕のある時代であった。 現在は受験数学の過熱さは凄くなっている現実があるのではないだろうか。 そのような事情は、数学嫌いな人々をどんどん多く育てている現実があるのではないかと危惧している。
ところが、このような状況に対して、数学好きな人々は 己が才能の優秀性を示す好機と見、数学者はこのような風潮を助長させているような状況が相当に見られると考えられる。 ― 多くの数学者は実際、受験の数学などに困っているような人は 既にダメと発想して、そのような状況を無視されてきたのではないだろうか。
― 数学の先生が、数学嫌いな生徒を馬鹿にするような風潮が広く見られ、多くの生徒が永く傷つき、数学と数学の先生に恨みさえ懐いている現実は 相当に見られるのではないだろうか。また数学の歴史には 競争をしたり、自分の才能を示したいという数学者の存念が表れているが、研究の面では 仕方がなく、数学者が自己中心で視野も狭く、子供っぽいとの批判も 研究上はやむを得ないと弁明せざるを得ない。しかしながら、競争のための数学界では情けない。 ノーベル賞などの価値観に対しては、文化への、社会への貢献の視点で確立しているように見られるのに対して、数学界ではいわば競争のための数学、分からない内容での評価があって、一般の人には状況が分からない、それ故に社会の関心が湧かない状況にあることにも注目される。
日本では数学ができる、頭が良い、高学歴の変な文化を育て 数学の社会的な存在基盤を弱くして 閉じた狭いエリート社会を構成している状況が広く見られる。 数学の研究、教育が 広い社会的な存在にならず、閉じた極めて小さな存在になっていると思われる。数学界のいろいろな賞等フィールズ賞でさえ、マスコミや世の話題にもならず、それらは 我々にとって何の意味もないと多くの人は興味を懐かず、無関心である。 数学者自身理屈っぽく、社会性がなく、変人が多く、自己中心の視野の狭い人々の集まりと 考えられているのではないだろうか。 ― 研究者としては やもう得ない面と考えられるが 教育面では改めたい。
前向きに考えれば、まず数学教育の中心を 数学の楽しさ、数学の精神を身に付ける教育への回帰を提案したい。受験や選別、競争のための型にはまった訓練を超えて、多くの人々が数学とは 楽しいものであるとの認識を持つような教育を まずは 志向すべきである。 当然、数学者は真理を求める真摯な態度で 公正で、競争や優秀性の観点の精神ではなく 人々から尊敬されるような人物と見なされるべき人物を志向すべきである。- ポルトガルでは サッカーが大衆レベルで人気が有り、それ故にサッカー選手は 尊敬の 話題の中心である。 日本では 数学の愛好者が多く、数学者は尊敬され、 数学が社会の話題で多い。これは無理としても、そのような在りようを志向するのは良いのではないだろうか。
受験のための数学より、文化のため、文化の基礎のための数学、芸術、楽しみのための数学の視点は 大事ではないだろうか。
マスコミやマスメデア関係者には いわゆる 文系が多く、特に上記で述べたように数学嫌い、数学者嫌いの方々が多く、数学界の情報は 社会的な広がりを見せない異常な状態ではないだろうが。それで分かり易い、スポーツ、芸能、ドラマ、犯罪の扱い、追究などの異常な氾濫を招いていて、数理科学の情報が閉ざされているのではないだろうか。これはもちろん、狭い見解、偏見であろう。
数学者や数学教育についてのご意見など頂ければ、美しい数学のために 活かしたい。めて、この地域では 柚子が沢山なっていて、美しく色づいている。
以 上
再生核研究所声明 456(2018.10.15): ゼロ除算算法発見の瞬間
最後に添付するが ゼロ除算算法の重要性のゆえに ゼロ除算算法発見の瞬間 を回想して 記録を確かなものにしたい。
ゼロ除算算法は 解析学、幾何学など初等数学全般に広い影響を与え、 アリストテレス、ユークリッド以来の世界を拓き、微分の概念さえ変え、特に微分方程式論は この新しい概念、算法のゆえに 大きな改変が求められている。
ここで、ゼロ除算算法とは要するに孤立特異点をもつ解析関数において孤立特異点での値をローラン展開の正則部の初項 係数C_0 で定義することで、形式的に1/0=0/0=z/0=0 の結果を考慮しながら結果を吟味しつつ応用して行くということである。ゼロ除算算法は 本質的には定義であり、仮説であり、その重要性のゆえに公理のようなものである。
世にゼロ除算は大丈夫かの疑念が有るように感じられるので、上記のように特に吟味を要請している。良い成果を得る限りにおいて大いに楽しもうと提案している。既に、沢山の驚嘆すべき良い結果を得ている。
そこで、その発見の瞬間を振り返って置きたい。 下記の最初の記録は 発見後 宿舎に戻って 直ぐにブログに書いた貴重な記録である。
学内構内にある宿舎から歩いて30分くらいのところにある ジンボーという大きなショッピングセンターを 週に2回くらい歩いて行き、 買い物をして 宿舎に戻る習慣がありました。 当然、週末はよく行きます。 給与を頂き、物価安のポルトガルのアヴェイロ お金のことは気にせず、 買う度に 得をしたように感じられる幸せな時代でした。さらに、身分が研究員でしたので、楽しい自由な研究が職務で 週一回主に外国、学外の方による1時間の講演がありますが、それに出席が義務づけられていた以外は特に業務が無かったので、自由な時間がたっぷりもてた楽しい時代でした。 ショッピングセンターでは 人のよいご夫妻、若い娘さん達の店員がいるレストランで 何でも自由にとって頂ける店で 好物を好きなだけ頂ける夕食をとるのが習慣でした。 ですから幸せ一杯で両手に買った食品をもって キャンパス内を通り、宿舎に向かっていました。 そこで、 学内の池のほとりに差し掛かった時、 何かあると直感して、独りでに 静かに立ち止まりましたら、すると突然閃きました。 その時、確かに月が真上にありました。 電光のように閃めいたのです。 関数 f(z) = e^{1/z} の原点での値は1であると。その時、理由はなく結果だけが閃いたのです。 当時は まだゼロ除算算法は考えられておらず、数値としてのゼロ除算1/0=0/0=0だけが認識されていましたから、 この直感には凄い飛躍が有ります。 実際、 その関数の原点の周辺には 神秘性が漂っていて 深い謎に覆われているときでした。世の常識では その関数は原点で 真性特異点をもち、ピカールの定理で、原点を除いた原点の近傍で 例外の複素数1個(ピカールの除外値)を除いて、すべての複素数を無限回とるなど 複素解析学の深い定理があり 値分布理論の雄大な数学の素を与えています。 その時、特異点 原点自身で、1の有限確定値を取る と直感したのですから、 凄い発想と言えます。 後で気づいたのですが、 その値1は ピカールの除外値 自身でした。ローラン展開の負冪項が すべて原点でゼロであることを言っていますので、 正しく、ゼロ除算算法の発見の瞬間です。
理屈以前に、理論、論理以前に 電光のように一瞬に閃いたということです。
これが記録して置きたい真実、事実です。 あの夜のことが 鮮やかに思い出されます。興奮して、宿舎に着くや直ぐにブログに書きました。
ゼロ除算算法は 基本的な算法として 数学の基本的な演算となるのは、既に歴然です。アリストテレス、ユークリッド以来の世界観の変更さえ求めています。
添付附録:
PCから貴重な記録: ゼロ除算算法の 始めの瞬間:
複素解析・特異点:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:
複素解析・特異点:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:
関係者:
解析関数論における大発見:
2014.3.8.20:
中華料理を頂き、たっぷり買い物をして戻りました。月が中天、特異点の様子を考えながら歩いて来ました。良く、考えが湧く、池のほとりに差し掛かった時、驚嘆すべき 結果を得ました。解析関数の基本です: e^{1/z} は 原点で真性特異点、猛烈な不連続性を持ち、神秘的な性質を持ちます。ところが何と、原点では 1の値をとることになる!! これで、関数論の歴史は 大きく変わることになる。 直ちに公開、公論で、世界史の進化を志向したい。
2014.3.8.20:30[ブログから]
________________
実数で論文を2編 昨日までに完成、そこで複素解析の検討を始める。直ぐに、無限遠点の概念があり、複素解析では奇妙、変な状況に成っているのに気づく。無限遠点は 数ではないが、幾何学的にすべて美しく纏まっている。1/0=0なら複素数を1/zは複素数にちょうど1対1に写している。しかし、0が 不動点に成っている。初頭の問題とともに納得が行かないので、この問題を検討して行きたい。
2014.3.30.11:10
_________________
e^{1/z} は原点で考えない、{1/z}は原点で、無限遠点を対応させる、しかし、無限遠点は数ではないからですね。矛盾では?上記のように対応させると 1として確定値が定まる。無限遠点を考えるとき、1/0=0の考えを持たなかったのか??
2014.3.30.15:50
__________________
研究の発端は、上記矛盾を見逃さない。1/0=0の尊重、1/z の関数の ゼロ点の像が ゼロであることの尊重です。そのような関数は、実関数の時と同様 基本的であると考える。そこでまず、従来の美しい複素解析学において、ゼロで割る場面以外は そのまま尊重、成り立つと確認する。そこで、1/0=0 を取り入れると、例の無限遠点がストンと非連続的に落ちていると考える必要があり、一次関数などの1対1対応など崩れて、嫌な感じが出ますが、分母をゼロにする点だけを例外にして進める。極などいろいろな性質は、極で、無限遠点をとると考えないで、無限に増大しているとして、その様を捉えれば、従来の言葉の修正で対応できる、する。この考えで、新しい何かの定理ができれば、素晴らしい1歩では? 上記例から、真性特異点で確定値を取るが言えれば、凄い結果ではないでしょうか。
2014.4.1.11:35
解析関数論における大発見:
2014.3.8.20:
中華料理を頂き、たっぷり買い物をして戻りました。月が中天、特異点の様子を考えながら歩いて来ました。良く、考えが湧く、池のほとりに差し掛かった時、驚嘆すべき 結果を得ました。解析関数の基本です: e^{1/z} は 原点で真性特異点、猛烈な不連続性を持ち、神秘的な性質を持ちます。ところが何と、原点では 1の値をとることになる!! これで、関数論の歴史は 大きく変わることになる。 直ちに公開、公論で、世界史の進化を志向したい。
2014.3.8.20:30[ブログから]
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実数で論文を2編 昨日までに完成、そこで複素解析の検討を始める。直ぐに、無限遠点の概念があり、複素解析では奇妙、変な状況に成っているのに気づく。無限遠点は 数ではないが、幾何学的にすべて美しく纏まっている。1/0=0なら複素数を1/zは複素数にちょうど1対1に写している。しかし、0が 不動点に成っている。初頭の問題とともに納得が行かないので、この問題を検討して行きたい。
2014.3.30.11:10
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e^{1/z} は原点で考えない、{1/z}は原点で、無限遠点を対応させる、しかし、無限遠点は数ではないからですね。矛盾では?上記のように対応させると 1として確定値が定まる。無限遠点を考えるとき、1/0=0の考えを持たなかったのか??
2014.3.30.15:50
__________________
研究の発端は、上記矛盾を見逃さない。1/0=0の尊重、1/z の関数の ゼロ点の像が ゼロであることの尊重です。そのような関数は、実関数の時と同様 基本的であると考える。そこでまず、従来の美しい複素解析学において、ゼロで割る場面以外は そのまま尊重、成り立つと確認する。そこで、1/0=0 を取り入れると、例の無限遠点がストンと非連続的に落ちていると考える必要があり、一次関数などの1対1対応など崩れて、嫌な感じが出ますが、分母をゼロにする点だけを例外にして進める。極などいろいろな性質は、極で、無限遠点をとると考えないで、無限に増大しているとして、その様を捉えれば、従来の言葉の修正で対応できる、する。この考えで、新しい何かの定理ができれば、素晴らしい1歩では? 上記例から、真性特異点で確定値を取るが言えれば、凄い結果ではないでしょうか。
2014.4.1.11:35
_______________________
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
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