2018年11月20日火曜日

再生核研究所声明 4642018.11.20): 多数決で決定する、投票で決定する危うさ

再生核研究所声明 4642018.11.20):  多数決で決定する、投票で決定する危うさ

民主主義の表面的な理解で、何でも投票によって多数決で決定しようとは 相当に確立した伝統に多くの国では なっている。 例えば政治社会などでは初めから、投票で決めようは世間の常識で、政策論争の是非での背景が 弱いのではないだろうか。 典型的な学である数学の世界では 数学の真偽は投票によることは無く 論理の厳格な検証で決められるが、評価となると確定的な基準がないため、相当人為的な要素が絡み、最終的には投票による決定を行なわざるを得ないだろう。 多くの学問でも いろいろな分野で専門化が進み、評価すべきことの内容を関係者が理解できず、 単細胞的に、盲目的な判断を求められることが多い。大きな学会の委員の選挙なども 全然人物が分からないのに投票を求められることが多い。 そうすると多数決の原理の基礎さえ失われて、形式的な おかしな手続きになっている場合が 多いのでは ないだろうか。関係する制度は 実際面の視点から いろいろ改善が 必要ではないだろうか。 原発稼働の是非、憲法改正の是非など、 素人には真面目に考えると責任ある判断などできるとは考えられない。 それにも関わらず 投票を求められる状況は 投票の意味を考えて、それらの意義、予想される状況など適切で見識のある論調が展開され、いわば民度を挙げる努力などを 言論界、マスコミが絶えず行うことが 求められる。 本来、民主主義の国では言論界、マスメディアの健全な活動が重要である。
投票で決める実質的な意義をしっかりさせ、形式的な投票は避けるべく制度の進化を考えるべきでは ないだろうか。 
無責任な投票は 時として 派閥的、群れの働きのような弊害を生む要素が増大し、悪い意味での空しい、政治的な動きを冗長させる。
政治社会では意図的な多数化工作のような、喧伝などで悪い影響が現れる危険性が出てくるが、このようなことは 一般的な どのような組織でも起こり得ることでは ないだろうか。
投票による多数の決定は 弊害も多いことを 絶えず反省して 運用に配慮することが 大事では ないだろうか。
特に、政治問題についての視点では 次も参照:
再生核研究所声明 33 (2010/04/02): 民主主義と衆愚政治
再生核研究所声明 50(2011.2.24):  日本における 民主主義の脆さ、危うさ
以 上

2018.11.17.14:53 社会問題は複雑で、表現すると歯切れが良くなくなってしまう。 文章に筋が入らない。
2018.11.17.20:14
2018.11.18.06:00 当たり前のこと、新規性が無い。
2018.11.18.15:12 良いとする。
2018.11.18.20.38
2018.11.19.05:54 大した内容ではない。
2018.11.19.20:52 柚子取り、庭掃除、庭の整備など終日作業する。
2018.11.20.05:37 いろいろな意見を広く聞く、参考にするは大事、しかし、決定を多数決で決めることは 問題ではないだろうか。適切な判断を行える者とはどのような人か。星座の美しい朝。
2018.11.20.06:06 完成、公表。

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