2018年11月20日火曜日

ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0

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1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0.

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明464(2018.11.20):多数決で決定する、投票で決定する危うさ

民主主義の表面的な理解で、何でも投票によって多数決で決定しようとは 相当に確立した伝統に多くの国では なっている。 例えば政治社会などでは初めから、投票で決めようは世間の常識で、政策論争の是非での背景が 弱いのではないだろうか。 典型的な学である数学の世界では 数学の真偽は投票によることは無く 論理の厳格な検証で決められるが、評価となると確定的な基準がないため、相当人為的な要素が絡み、最終的には投票による決定を行なわざるを得ないだろう。 多くの学問でも いろいろな分野で専門化が進み、評価すべきことの内容を関係者が理解できず、 単細胞的に、盲目的な判断を求められることが多い。大きな学会の委員の選挙なども 全然人物が分からないのに投票を求められることが多い。 そうすると多数決の原理の基礎さえ失われて、形式的な おかしな手続きになっている場合が 多いのでは ないだろうか。関係する制度は 実際面の視点から いろいろ改善が 必要ではないだろうか。 原発稼働の是非、憲法改正の是非など、 素人には真面目に考えると責任ある判断などできるとは考えられない。 それにも関わらず 投票を求められる状況は 投票の意味を考えて、それらの意義、予想される状況など適切で見識のある論調が展開され、いわば民度を挙げる努力などを 言論界、マスコミが絶えず行うことが 求められる。 本来、民主主義の国では言論界、マスメディアの健全な活動が重要である。
投票で決める実質的な意義をしっかりさせ、形式的な投票は避けるべく制度の進化を考えるべきでは ないだろうか。 
無責任な投票は 時として 派閥的、群れの働きのような弊害を生む要素が増大し、悪い意味での空しい、政治的な動きを冗長させる。
政治社会では意図的な多数化工作のような、喧伝などで悪い影響が現れる危険性が出てくるが、このようなことは 一般的な どのような組織でも起こり得ることでは ないだろうか。
投票による多数の決定は 弊害も多いことを 絶えず反省して 運用に配慮することが 大事では ないだろうか。
特に、政治問題についての視点では 次も参照:
再生核研究所声明 33 (2010/04/02): 民主主義と衆愚政治
再生核研究所声明 50(2011.2.24):  日本における 民主主義の脆さ、危うさ
以 上

再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
                
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x  が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。 
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f  割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―

以 上
文献:
Castro, L.P.Saitoh, S. Fractional functions and their representations.  Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では
無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。


割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

明治5年(1872)

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート)  https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・

1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。

Reality of the Division by Zero z/0 = 0
Einstein's Only Mistake: Division by Zero

0を引いても引いたことにならないから:

君に0円の月給を永遠に払いますから心配しないでください:


再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)

ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は  既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

再生核研究所声明463 (2018.11.19):  ゼロ除算を理解すると 世の中に対して どのようなメリットがあるでしょうか。 ― 回答

一般の方から寄せられた率直な質問です。 多くの人が数学者はどのような社会貢献をしているのか疑問に思っているような状況が広くあるのでは ないかと考えられます。
教育における数学の貢献、自然科学における数学の貢献は歴然ですが、研究成果の社会貢献になると、難し過ぎ、抽象的すぎ、細かすぎ、分からない、どうでも良いと思われることにハマっている。 それ以前に全然わからないというような印象が あるのでは ないでしょうか。
ゼロ除算についての上記のようなご質問に対して、率直に真正面から回答してみたい。
ゼロ除算の理解は、小学生でも十分に分かる内容ですが、神秘的な歴史を有していて、ゼロ除算不可能は アリストテレスに遡り、数学的にも算術の確立者 Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の問題であると言えます。 また物理学上の問題から、アインシュタインの人生最大の関心事であったと言われています。天才オイラーの間違いなどともいわれるように 多くの天才的な数学者が関与して来ています。インド人の永い苦しみの様も 最近詳しく報告され、現代に至っても奇怪な理論が、見解が インターネット上を賑わしています。

ところが、ゼロ除算の本質は、簡単で明らかですが、それでも発見後4年を経ても 世の理解は 十分とは言えません。 これらの事情を見て、まずは、ゼロ除算は、人間の愚かさ思い込んだら変えられない独断と偏見に満ちた存在であることを 良く教えてくれる。 このことが ゼロ除算を理解する最大の、メリットであると考えられます。 簡単なことが 天才たちでさえ 既成概念にとらわれて 理解できず、解明できなかった 歴史の重い事実です。 数学界から 不可能の烙印を押され、それはまるで絶対的な命題であるように受け止められ 疑うことをせず、その壁を乗り越えられなかった 事実です。 事実は 本当に簡単な事でした。
インド人たちの永い間の努力と 現在でも 自分の考えに囚われて 新しい事実を受け入れられない人たちが相当いる。 マインドコントロールという言葉がはやったことがありますが、 すっかりはまっていて 抜けられない姿を 結構広く見ることが できます。数学者がかえって古い世界にハマっていて、素人の方の方が理解しやすい状況は 結構良く見られる。あまりにも深く学習しすぎてしまったので、なかなか新しい数学に理解をしめせないようです。心が向かないようです。
ゼロ除算の理解は、人間の性(さが)を理解するのに 貢献するでしょう。
ゼロ除算は、数学的には、 真っすぐに立った電柱の勾配がゼロであること y軸の勾配がゼロであることを示すので、勾配の考えに新しい感覚と世界観をもたらしますが、その背後にはアリストテレス、ユークリッド以来の世界観の変更、初等数学全般の変更を要求する基本的な理論、数学が存在します。 - 素人に聞くと相当多くの人が真っすぐに立った電柱の勾配はゼロであると回答されることは 驚きです。しかし、数学では考えられないとなっている変な状況です。 -  しかしながら、一般の人たちが学んで楽しく、感銘するものを探せば、それはどのようなものかと考える。 数学を超えたような影響の視点です。 - 平面をどんどん遠ざかっていくとどうなるかを考えると、無限遠点に至ると考えられますが、ゼロ除算の結果 無限の彼方は 実は始めの原点に一致していることが分かった。
― この表現ではまるで宗教的、哲学的な視点であると理解されるだろうことは、 良く分かります。 - 実際、これは誤解であるが ゼロ除算は宗教的だ、 哲学的だと印象を述べた数学者が結構いる。 しかし、立体射影の考えを参照されれば、簡単に数学として、その意味を捉えることができます。 ゼロと無限大のある意味での一致の発見が ゼロ除算の拓いた新世界の事実です。 ゼロと無限大はいろいろ似たような性質が有りましたが、その関係が露わにされてきた。 意味が明らかになってきた。
ゼロと無限大の一致は 世界観に大きな影響を与えました。はじめと終わりの一致、両極端の一致と普遍化すると新しい世界が見えてくるのではないだろうか。実際、衝撃が永く続き新しい世界が見えて来るように感じられました。ゼロ除算発見以前の世界と、発見後の世界では 相当に変化してきて、賢くなってきた、世の中が良く見えるようになってきたような感覚を懐いています。 このような衝撃を感じられれば、ゼロ除算の大きな一般的な貢献と言えると思います。 天動説を変えて地動説を受け入れたような大きな変化です。
ゼロ除算は、考え方の変更で 多くの誤解をするが、それ故に数学的な考え方や、 発想の仕方で、数学的な論理とは何か。 考え方の仕方などで、大いに修行、訓練になると考えられる。 できないとされていたことが、できるようになった発想の仕方は、非常に教訓的で感銘を受けるのでは ないだろうか。 ― 全く思いがけないことが起きて、それが真実であった。 その衝撃です。
物理的な連続性の概念はアリストテレスによって主張され、欧米の文明に甚大な影響を与えたとされるが、ゼロ除算で現れた強力な不連続性の概念は、沢山の驚くような具体例を明らかにしているが、 不連続性の考えは、今後 新しい世界観としてどんどん広まっていくと考えられる。 基本的な例をしっかり理解することによって、新世界の現象をどんどん発見し、理解が進むだろう。 ゼロ除算の拓いた世界は、実際、 新しい数学、世界であると言える。 - 実際、できないとされていたことが できるようになったというのだから、新しい世界が拓かれたと言える。しかも、それは 算術の基本に関わる変更である。
次も参照:
再生核研究所声明 455(2018.10.9):   ゼロ除算は幾らの価値がありますか、人間をどう救うのですか
― 回答
(一部)除算の発見とその理解は、人間精神の開放 に寄与するでしょう。まずは、人間が、予断と偏見に満ち、盲目的で 単細胞的な存在 であることを教えてくれるでしょう。これは哲学の祖、ソクラテスの言葉 汝みずからを知れ という、深い問いを思い起させるでしょう。 ゼロ除算の理解は 人間精神の開放 に大きく寄与するだろう。それは、人間を救う と表現しても過言ではないと 言える。 ゼロ除算算法の結果、人生図形 というグラフを得たが、それは、人生とは如何なるものか 良く表現していて、実際 悟りの心 にも大きく貢献するだろう。 ゼロ除算算法のない世界は、実際、未だ未明の時代、野蛮な時代 と言える。 新世界は 既に見えている。 次も参照:
再生核研究所声明 452 (2018.9.27): 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館(2018年9月8日―24日 )

以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。

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​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?

面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
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面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。

 
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23

ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)


1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)


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