2018年8月13日月曜日

ゼロってナニ!? ゼロを拒んだ古代の偉人たち

ゼロってナニ!? ゼロを拒んだ古代の偉人たち


要点チェック!
  • 数字の「0」はインドではじめ使われ、アラビア数字の形でヨーロッパに導入されました。
  • 古代のヨーロッパ人は、「数」は「形」を表していると考えていたので、「0」の発見が遅れました。
  • 0の扱いには注意しないと矛盾が出てきてしまいます。
読み終わるまで、あと 0 %
インド人が数学が得意な話の例として、数字の「0」はインド人が発明したってよく聞くじゃないですか。
そうだね。
学校の世界史で知りましたが、インドが影響力を持つ国になったのって、最近なんですよね?
ということは数字の0は最近までなかったんでしょうか。
いやそういうわけでもない。
数字のゼロは9世紀の頃には使われていたよ。別の形としてならもっと昔からあった。
別の形・・?
ゆう、前に「位取り記数法」の話をしたのを覚えてるかい?
はい!覚えています。
数字の表し方、書き方の話でした。
そうだ。
ゼロがなかったら、10とか、101とか、2016とかにある「0」って書けないから、これらの数字を表すことができない。
じゃあ昔はこういった、「0」を含む数字が存在しなかったのかというと、そういうわけでもない。
位取り記数法の中で、「0」は「空位」を表すものとして使われた。ここの位にはなにも存在しないということを表すために。
それなら、9世紀よりもっと昔からゼロは使われてたんじゃないですか?
いや、この「空位」を表すシンボルとして使われていただけで、今みたいに「数」としてのゼロは存在していなかったんだ。
数としてのゼロ・・・?
ほら、方程式を解くときに、必ずゼロって出てくるじゃないか。
2次方程式とかだと絶対に「0」が顔を出す。
そして、ab=0ab=0ならa=0a=0またはb=0b=0という規則を使って方程式の解を求める。
「0」は方程式を解く上で欠かせない存在だ。
しかし、こういった数としての「0」はなかなかヨーロッパでは認められなかった。
それが不思議ですね。存在自体はあったのに。
結果として、インドのほうが数としての「0」の使用が進み、ヨーロッパはそれを取り入れる形になった。
なぜこういう結果になったのか。それには、ヨーロッパに根付くギリシャ哲学と、インドで信仰されていたヒンドゥー教の考え方の違いがあるんだ。
数字の話しているのに哲学の話になるなんて・・
なんだか壮大になってきたぞ。
ぽんさん、知りたいです。教えてください!
よし、じゃあちょっと古代ギリシャの話をしよう。
その前に、ここまでの話をまとめておこう。

数字の「0」の2つの使い方

(1)位取り記数法の「空位」を表す「0」
その位に数字が何も入らないことを表す。紀元前より存在。
例.10,101,2016

(2)数字としての「0」
方程式などに出てくる普通の0。実際に使われ始めるのは9世紀ぐらいから。
例.2×0=0,x+2=02×0=0,x+2=0 

ゼロはどんな「形」をしている?
エジプトでの数学や算数は、はじめは日数を記録したり、土地を維持するための道具として誕生した。
さらに、エジプトの場合は、ナイル川が洪水にあうたびに、土地の境界が分からなくなるということがよくあった。
なのでエジプトでは図形の数学、「幾何学」と呼ばれるものが発達した。
三平方の定理とか、正弦定理とかの話ですね。
そうだね。
あの時代では数学は図形といっしょに発達してきた。図形なしの数学なんて考えられなかった。
なので、1や2という数も、「長さ」であったり「面積」を表す数として理解された。
「数」と「形」がセットでくっついていたわけですね。
そうそう。
ゆう、じゃあ図形的には「0」ってどんな意味があると思う?
・・・。
「0」は「何もない」ですから、長さも面積もありません。
そう、「0」という数は図形の世界には登場しない。意味をもたない。
なので、図形に限れば「0」はまったく必要なかったんだ。
このような、数と形をセットで考える考え方は、当時勢いのあったギリシャにも広がっていく。
ゆうは、「アリストテレス」という人を知っているかな?
あー・・世界史で聞いたような・・「てつがく」の人でしたっけ?
そう。アリストテレスはギリシャに、そしてヨーロッパ社会にすさまじい影響を残していった古代の大哲学者だ。
高校の「倫理」なら彼の哲学は学ぶ機会があるね。
で、数学の話にそのアリストテレスがどう関係するんですか?
アリストテレスは「空虚」や「無限」を嫌っていた。
彼は、この世界には神が存在していると考えていた。
なぜなら、宇宙は丸っこいボールみたいに限りのあるもので、その外側の惑星を動かしているものが存在するはず。
その運動の究極の原因、それこそが神である。
これがアリストテレスの「神の存在証明」だ。
へ、へえ・・・。
こういう理由で神が存在すると考えていたんだから、「無限」とか、無限に関係する「空虚」というものはアリストテレスは大嫌いだった。
ひょっとして、「空虚」ってゼロのことですか?
そうだ。ゼロとは「何もない」ことを表す。数字の「0」は「空虚」が嫌いなアリストテレスの哲学には相性が悪い。
アリストテレスは時の権力者アレクサンドロス大王の学問の師匠であり、結果として彼の教えはヨーロッパ全土に根付いていくことになる、
ゼロを嫌う文化ができたわけですね。
そうなるね。
しかし、アリストテレスの影響を受けず、むしろ「空虚」や「無」に親しむ文化をもっていた地域があった。
それがインドなんですね!
そうなんだよ。
難しいことは省略するが、インドに根付いていたヒンドゥー教では、「空虚」や「無」を嫌う文化はなかった。それらを受け入れていったんだ。
また、エジプトやギリシャと違って、インドでは図形の数学もそれほど発展せず、「数」が「形」に縛られる必要はなかった。
ゼロにどんな意味があるかなんて考えなくて良かったんですね!
そうそう。だから、自由自在に数を使いこなし、インド人の計算力はとても優秀だった。
そしてインド人は「0」を使いこなしていた。
インド人は昔から計算が得意だったんですね!
そんなインドの計算技術をすばやく吸収した人たちがいる。
イスラムの人たちだ。
イスラムはインドを攻略し、インドの計算技術を採用した。
そういうわけで「0」が幅広く使われ始めたんだ。俺たちが使っている「アラビア数字」としてね。
まるで世界史の授業を聞いているみたいだ・・。
そうそう、もちろんイスラムにもアリストテレスの教えの影響はあったから、「0」を使うことには若干抵抗があったみたいだよ。
ただ、イスラムもインドみたいに「空虚」や「無」を受け入れる文化があったから、アリストテレスの教えを断ち切って「0」を使うことができたみたい。
キリスト教が広まっていたヨーロッパの人たちはアリストテレスの影響から、数百年以上「0」を受け入れることができなかった。
「0」を認め、使うことは「神様なんていない!」と宣言しているようなことになるんですよね・・。そうなると難しいのかなあ。
そんなところだろうね。そういうわけで、キリスト教圏は「0」が使えず、イスラム教圏は「0」を使っていた状況がしばらく続いたわけだ。
まとめとこう。

西洋と東洋の「0」への考え方

(1)「0」を嫌う西洋(キリスト教社会)
「空虚」すなわち「0」を嫌うアリストテレスの影響を受け、「0」を認めない。
「0」を認めることは、「神様なんていないよ」と言うことと同じくらいの罪。

(2)「0」を受け入れた東洋(イスラム教社会)
「空虚」を受け入れ、「0」を取り入れる。
また、図形にとらわれない数学や、分数を小数に直して計算しやすくするなど計算技術を高めた。 

ゼロの意識革命
もちろん、ヨーロッパがいつまでも「0」を使わなかったわけじゃない。
1202年、フィボナッチという人が『算盤の書』という本を出版した。
フィボナッチ・・?
フィボナッチって、あの「フィボナッチ数列」のフィボナッチですか?
そのフィボナッチだ。フィボナッチ数列以外にも、彼は偉大な功績を残している。
フィボナッチはイスラム教徒からアラビア数字を学んでいて、『算盤の書』でアラビア数字を紹介した。
アラビア数字はなにしろ計算が便利なんだ。商業が盛んになってきていたヨーロッパではこれが大ヒットした。
フィボナッチ数列だけの人じゃなかったんですね!
実はそうだったんだね。
この大ヒットにより、アラビア数字、そして「0」がヨーロッパに広まり始めたわけだ。
アリストテレスの教えを守ってきた人たちにとっては困ったことですね。
その便利さからゼロや無限が受け入れられていったのは、アリストテレスの教えを守ってきたキリスト教の教会にとっては面白くなかっただろうね。
とはいえ、商業にとって便利だったのだから、止めさせることはなかなかできない。
後にタンピエという人が、神はアリストテレスの法則に縛られないと宣言した。
まあ、いつまでアリストテレスにしがみついてるんだって話ですよね。
この宣言をきっかけに、宇宙は有限だという考えが崩れ始め、後年コペルニクスによる地動説の発見など科学のめざましい発展が始まるんだ。
地動説!学校で昔習った天体の話ですね。
このあたりの発見はとくに有名だからね。
こういった教会の権威を揺るがす考えを見過ごすことができず、教会は弾圧に乗り出した。
そのあたりの話がいわゆる「宗教革命」の話なんだ。
数学でおなじみの「直交座標」を考えたデカルトという人が、アリストテレスの神の存在証明に代わるものを提案したんだけど、まあそれはまた別の話。
とりあえずヨーロッパにゼロがどのように浸透していったか分かってもらえたかな。
ぽんさんは歴史にも詳しかったんですね!ありがとうございます!
このあたりを詳しく書いている本をまた紹介しておくから、まあ興味があったら探してみておいてくれ。

1=2?
あとおまけに、「0」を使った面白い証明を教えよう。
面白い証明?なんですか?
数学の一部の世界ではジョークとして楽しまれている、「1=2」の証明だ。
1と2が等しい??謎の証明ですねそれは・・。
次の証明になる。

1=2の証明(他にもいろいろあります)

a=b=1a=b=1とする。
a=ba=bの両辺にaaをかけて
a2=aba2=ab
両辺からb2b2を引いて
a2−b2=ab−b2a2−b2=ab−b2
両辺因数分解すると
(a+b)(a−b)=b(a−b)(a+b)(a−b)=b(a−b)
両辺a−ba−bで割ると
a+b=ba+b=b
式を整理すると
a=0a=0
a=1a=1だったので
1=01=0
両辺に1を加えれば 1=21=2
えぇーー!?
というわけで1と2は等しい。どうだ?
いや、えっと・・うーん・・。
ゆうが感じている通り、この証明はおかしい。
どこかで間違えているんですよね・・。
そういうことになる。どこが間違えているか、間違い探しだ!
わかりました。やってみます。

3分後・・
ぽんさん分かりました!
両辺をa−ba−bで割っているからですか?
a=b=1a=b=1なので、a−b=0a−b=0です。
なので、a−ba−bで割ることは0で割り算することになる。
「0で割ってはいけない」と学校の先生は言っていた気がします。これでどうですか?
その通り!
ゆうの言うとおりで、「0で割る」ことをしてしまったために、おかしな結果になってしまう。
「0で割る」という行為を数学は「定義しない」からやってはダメなんだが、もし「0で割る」ことを許すと1=21=2みたいな変な結果が出てきてしまうわけなんだな。
「0で割ってはいけない」という言葉にはそういう意味があったんですね!

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所

ゼロ除算関係論文・本


再生核研究所声明 443(2018.8.13):  アリストテレス以来、二千年を越える封印、タブーの解消 - ゼロ除算

一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える。
しかるに 2018.8.11.11:20 突然に全体の構想が湧いてきた。 そこで、できるだけその忠実な表現を試みたい。 その主旨は 声明の題名の通りであるが、その説明を述べたい。
ゼロで割る問題、ゼロ除算は歴史家の分析によれば、最初に考えたのはアリストテレスで、物理的な意味から真空の比、ゼロ除算は不可能であると述べ その後の西欧文化に大きな影響を与えたと言う。狭義ではゼロの発見と算術の発見者Brahmagupta (598 -668 ?)がゼロ除算0/0 を考え、その後1300年を越えて、ゼロ除算は議論されてきたが、 現在でも未明の状態と考えられる。ゼロ除算は2014.2.2発見されて論文などにも公表されているが、そのあまりにも永い歴史のゆえに 中々認知されない状況が続いている。それが殆ど当たり前のことなのに、拒否、受け入れられない状況が続いている。最近も誤解を解消すべく解説をしている:
再生核研究所声明 434 (2018.7.28)  ゼロ除算の誤解と注意点
再生核研究所声明 437 (2018.7.30)  ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である
再生核研究所声明 438(2018.8.6):  ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 の誤解について
そこで、タブーの理由を考察して置きたい。ゼロ除算の結果を複数のヨーロッパの数学者に直接話したときに、アリストテレスの名前をあげて、異様に感情むき出しで拒否されたのは 強力な体験である。表情をサッと変えられた方も結構居た。そのような話しは聞きたくないという強い意志表示であるから、単に数学の話しをしているようには 感じられないものである。それも20年来の友人たちの間での出来事である。背後には永く深いギリシャ文化の影響、無やゼロ、空を嫌う文化背景、無神論を発想しているような 深い拒否反応である。 日本でもゼロで割ってはいけないは永い伝統であるから 受け入れられないは あるが、ゼロについての不愉快な気持ちは 零点や消えること、無くなることなど 不愉快な気持ちが強いようである。
数学的には 簡単にゼロ除算は不可能であることが証明されてしまう事実と共に1/0 は 無限大のようなものであるとの確信が深いためであろう。それがゼロであると言われて天地が ひっくり変える様な驚きを感じるだろう。実際、基本的な関数y=1/x を考えて、xが小さく成っていく時、yの値がどんどん大きく発散している様子を思い浮かべるだろう。アリストテレスの世界観 連続性に反するので、そのような突飛なことは認められないと考えられてきた。そこで、ゼロ除算は 有る意味では神秘的な対象 になってしまう。実際ゼロ除算は、神秘的な問題と考えられてきた。
現在でも、インターネットの世界でもそのような扱いになっている。
永いタブーの理由は、無、ゼロ、空などの忌み嫌う感情、世の連続性に拘るギリシャ文化の強い影響、数学的に明解な 不可能であることの証明 があるためではないだろうか。実際には、最も簡単な方程式 ax =b の解として、分数b/a, 割り算を考えれば、有名なMoore-Penrose一般逆で 解は何時でも一意に存在して 1/0=0 であることは相当に基本的な考えて ゼロ除算は当たり前の周知の筈と考えられるが、上記の永い伝統、思い込みで それらは受け入れられず、沢山の意味付けや例を示されても、中々理解されない状況が続いていると考えられる。しかしながら、ゼロ除算は発見後3週間くらいで、ゼロ除算は割り算の意味から当たり前であるとの道脇親娘(当時6歳)の言明は誠に興味深い。
以 上

再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)

ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は  既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
                
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x  が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。 
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f  割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―

以 上
文献:
Castro, L.P.Saitoh, S. Fractional functions and their representations.  Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では
無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。


割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

明治5年(1872)

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート)  https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・

1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。

Reality of the Division by Zero z/0 = 0
Einstein's Only Mistake: Division by Zero

0を引いても引いたことにならないから:

君に0円の月給を永遠に払いますから心配しないでください:



再生核研究所声明296(2016.05.06)   ゼロ除算の混乱

ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:

再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める

我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。

以 上


考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
ゼロ除算(ゼロじょざん、division by zero)1/0=0、0/0=0、z/0=0

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12328488611.html

ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12348847166.html

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
再生核研究所声明 417(2018.2.23):  ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
再生核研究所声明 418(2018.2.24):  割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答

2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より
再生核研究所声明 424(2018.3.29):  レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.


Einstein's Only Mistake: Division by Zero

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