「数学のノーベル賞」とも呼ばれる「フィールズ賞」が置かれた現状と未来への課題とは?
数学の分野で著しい業績を上げた研究者に贈られるフィールズ賞は、1936年に初の受賞者が発表され、その後は4年ごとに新たな受賞者が発表されてきました。数学の将来を担う人物を表彰するという目的で「原則40歳以下」の研究者を対象とし、政治的な色合いを排することなどを理念に掲げたフィールズ賞でしたが、近年はその理念が薄らいできているといいます。
The Forgotten Dream of the Fields Medal – Math with Bad Drawings
https://mathwithbaddrawings.com/2018/07/25/the-forgotten-dream-of-the-fields-medal/
近年のフィールズ賞についてのエントリをブログで公開したのは、数学に関するブログ「Math with Bad Drawings」を運営しているベン・オーリン氏。科学史の専門家であるマイケル・バラニー氏にインタビューを行い、オーリン氏手書きのイラストともにまとめています。
フィールズ賞は、比喩的に「数学のノーベル賞」と述べられることが多い数学に関する賞で、4年に一度開催される国際数学者会議(ICM)において2~4人の受賞者が決定されています。その名称は、賞を提唱したカナダ人数学者のジョン・チャールズ・フィールズの名前から取られています。フィールズ氏は自身の名前を含め、あらゆるものや人物から賞の名称が決められることを嫌っていましたが、提唱者であることと、遺産が賞の基金として寄付されたことから、意向に反して「フィールズ賞」と名付けられることになりました。
フィールズ氏は賞の対象に数学のどの分野を含めるのかを指定しませんでした。また、受賞者の選定については可能な限り自由であること、そして最も大事なこととして、可能な限り政治的な要素を含まないことを望んでいました。賞の内容が過去の業績を評価するものであれば、そこには必ず国家間の競争の概念が持ち込まれると考えたフィールズ氏は、有名な一節「賞は単に過去の業績に対してのものではなく、前途有望な未来のためのものでなければならない」という言葉を残しています。
しかし、そのような理念のもとで設立されたフィールズ賞も、近年では「賞レース」の様相を呈し、「フィールズ賞受賞者」というステータスを求めたバトルが繰り広げられるようになってきているとのこと。バラニー氏は「フィールズ氏は『数学のノーベル賞』として賞を設立した訳ではない」と述べ、フィールズ賞が理念から外れてきていることを指摘します。
バラニー氏によると、かつてのフィールズ賞はノーベル賞ほどの名声を持っていたわけではないとのこと。1940年代から1950年代の数学の歴史をひもとくと、フィールズ賞は「グッゲンハイム奨励金」など多くの著名な賞の1つとして認識されてはいたものの、ノーベル賞や全米アカデミーズのような抜きん出た存在ではなかったといいます。
そんなフィールズ賞が大きく取り上げられ、「数学のノーベル賞」とさえいわれるようになったのは、1966年に起きた2つのできごとだとバラニー氏は述べています。1950年代ごろ、フィールズ賞の受賞者を決めるICM(国際数学者会議)は受賞者の絞り込みに頭を悩ませていました。対象となる数学者の数が多すぎるというのがその理由だったのですが、1966年には受賞者がそれまでの「2人」から「2人から4人」へと拡大されました。
また、1966年の授賞式がソビエト連邦のモスクワで開催されたこともフィールズ賞に大きな影響を残しました。受賞者の1人にはアメリカ人数学者のスティーヴン・スメイル氏が名を連ねていたのですが、スメイル氏がアメリカ人であることが大きなポイントとなりました。当時、アメリカとソ連は冷戦の真っただ中であり、両国の交流は全くないといって過言ではない時代でした。そんな時代にスメイル氏はフィールズ賞を受け取るためにモスクワに渡るのですが、ちょうどその時、アメリカに対して批判的な言動を行っていたスメイル氏は反米活動対策委員会から召喚されていました。
政府側から召喚を受けていたスメイル氏でしたが、なんとこの召喚を無視してスメイル氏はモスクワを訪問してフィールズ賞を受け取りました。この時、冷戦という状況がありながらソ連に渡って賞を受け取るための理由をつけるために「数学のノーベル賞」という概念がメディアで大きく取り上げられることになったといいます。
そんなフィールズ賞が置かれている現状の課題についてバラニー氏はまず、「40歳」という年齢制限の存在を挙げています。「天才数学少年」として才能を発揮してきた数学者ではなく、地道にコツコツと努力と研究を続けてきた数学者にとって、40歳という年齢制限は高いハードルとなっているとのこと。年齢制限をクリアするためにはなるべく若い段階で多くの実績を挙げておく必要があるため、そのほかの要因、とくに「子育て」という大きな仕事が負担になる状況があるとのこと。これは、特に女性の数学者にとって大きな負担になっているとのことです。
次に挙げているのが、いくつかの分野では大衆にとってわかりやすい結果が求められる傾向にあるという状況。誰もが重要と捉える問題を解消することは大きな功績となりますが、第二次世界大戦後の時代において、重要な数学的研究の多くは「企業秘密」や「国家機密」といった壁に阻まれて広く公表されにくいという状況が存在しているといいます。
3つ目の状況としては、「学際的バイアス」の存在が挙げられています。フィールズ賞の受賞者を大学別に分類すると、受賞者はハーバード大学やパリ大学、プリンストン大学などのトップクラスの大学に集中していることがわかるとのこと。これはもちろん、優れた数学者が優れた研究機関に集まるということでもあるために問題とすべきかは微妙なところではありますが、もっと広く受賞者の門戸を広げる必要があるという意味では注目すべきポイントなのかもしれません。
フィールズ賞の将来に必要なものを尋ねられたバラニー氏は、「委員会は4年ごとの受賞者検討の際に理念を再確認し、何が欠けているのか、どの分野の研究が多くの支援を求めているのかを見直すべきだ」としています。バラニー氏はまた、委員会にはそれを行う自由が生まれつき備わっており、それを示すためにフィールズ賞のメダルが存在しているとも述べています。https://gigazine.net/news/20180801-forgotten-dream-of-fields-medal/
The Forgotten Dream of the Fields Medal – Math with Bad Drawings
https://mathwithbaddrawings.com/2018/07/25/the-forgotten-dream-of-the-fields-medal/
近年のフィールズ賞についてのエントリをブログで公開したのは、数学に関するブログ「Math with Bad Drawings」を運営しているベン・オーリン氏。科学史の専門家であるマイケル・バラニー氏にインタビューを行い、オーリン氏手書きのイラストともにまとめています。
フィールズ賞は、比喩的に「数学のノーベル賞」と述べられることが多い数学に関する賞で、4年に一度開催される国際数学者会議(ICM)において2~4人の受賞者が決定されています。その名称は、賞を提唱したカナダ人数学者のジョン・チャールズ・フィールズの名前から取られています。フィールズ氏は自身の名前を含め、あらゆるものや人物から賞の名称が決められることを嫌っていましたが、提唱者であることと、遺産が賞の基金として寄付されたことから、意向に反して「フィールズ賞」と名付けられることになりました。
フィールズ氏は賞の対象に数学のどの分野を含めるのかを指定しませんでした。また、受賞者の選定については可能な限り自由であること、そして最も大事なこととして、可能な限り政治的な要素を含まないことを望んでいました。賞の内容が過去の業績を評価するものであれば、そこには必ず国家間の競争の概念が持ち込まれると考えたフィールズ氏は、有名な一節「賞は単に過去の業績に対してのものではなく、前途有望な未来のためのものでなければならない」という言葉を残しています。
しかし、そのような理念のもとで設立されたフィールズ賞も、近年では「賞レース」の様相を呈し、「フィールズ賞受賞者」というステータスを求めたバトルが繰り広げられるようになってきているとのこと。バラニー氏は「フィールズ氏は『数学のノーベル賞』として賞を設立した訳ではない」と述べ、フィールズ賞が理念から外れてきていることを指摘します。
バラニー氏によると、かつてのフィールズ賞はノーベル賞ほどの名声を持っていたわけではないとのこと。1940年代から1950年代の数学の歴史をひもとくと、フィールズ賞は「グッゲンハイム奨励金」など多くの著名な賞の1つとして認識されてはいたものの、ノーベル賞や全米アカデミーズのような抜きん出た存在ではなかったといいます。
そんなフィールズ賞が大きく取り上げられ、「数学のノーベル賞」とさえいわれるようになったのは、1966年に起きた2つのできごとだとバラニー氏は述べています。1950年代ごろ、フィールズ賞の受賞者を決めるICM(国際数学者会議)は受賞者の絞り込みに頭を悩ませていました。対象となる数学者の数が多すぎるというのがその理由だったのですが、1966年には受賞者がそれまでの「2人」から「2人から4人」へと拡大されました。
また、1966年の授賞式がソビエト連邦のモスクワで開催されたこともフィールズ賞に大きな影響を残しました。受賞者の1人にはアメリカ人数学者のスティーヴン・スメイル氏が名を連ねていたのですが、スメイル氏がアメリカ人であることが大きなポイントとなりました。当時、アメリカとソ連は冷戦の真っただ中であり、両国の交流は全くないといって過言ではない時代でした。そんな時代にスメイル氏はフィールズ賞を受け取るためにモスクワに渡るのですが、ちょうどその時、アメリカに対して批判的な言動を行っていたスメイル氏は反米活動対策委員会から召喚されていました。
政府側から召喚を受けていたスメイル氏でしたが、なんとこの召喚を無視してスメイル氏はモスクワを訪問してフィールズ賞を受け取りました。この時、冷戦という状況がありながらソ連に渡って賞を受け取るための理由をつけるために「数学のノーベル賞」という概念がメディアで大きく取り上げられることになったといいます。
そんなフィールズ賞が置かれている現状の課題についてバラニー氏はまず、「40歳」という年齢制限の存在を挙げています。「天才数学少年」として才能を発揮してきた数学者ではなく、地道にコツコツと努力と研究を続けてきた数学者にとって、40歳という年齢制限は高いハードルとなっているとのこと。年齢制限をクリアするためにはなるべく若い段階で多くの実績を挙げておく必要があるため、そのほかの要因、とくに「子育て」という大きな仕事が負担になる状況があるとのこと。これは、特に女性の数学者にとって大きな負担になっているとのことです。
次に挙げているのが、いくつかの分野では大衆にとってわかりやすい結果が求められる傾向にあるという状況。誰もが重要と捉える問題を解消することは大きな功績となりますが、第二次世界大戦後の時代において、重要な数学的研究の多くは「企業秘密」や「国家機密」といった壁に阻まれて広く公表されにくいという状況が存在しているといいます。
3つ目の状況としては、「学際的バイアス」の存在が挙げられています。フィールズ賞の受賞者を大学別に分類すると、受賞者はハーバード大学やパリ大学、プリンストン大学などのトップクラスの大学に集中していることがわかるとのこと。これはもちろん、優れた数学者が優れた研究機関に集まるということでもあるために問題とすべきかは微妙なところではありますが、もっと広く受賞者の門戸を広げる必要があるという意味では注目すべきポイントなのかもしれません。
フィールズ賞の将来に必要なものを尋ねられたバラニー氏は、「委員会は4年ごとの受賞者検討の際に理念を再確認し、何が欠けているのか、どの分野の研究が多くの支援を求めているのかを見直すべきだ」としています。バラニー氏はまた、委員会にはそれを行う自由が生まれつき備わっており、それを示すためにフィールズ賞のメダルが存在しているとも述べています。https://gigazine.net/news/20180801-forgotten-dream-of-fields-medal/
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明 437 (2018.7.31) : ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である
人の生きるは真智への愛にある。 真智とは神の意志のことである。その素は情念にある。要するに事実、真実を知りたいという 心の底から湧いて来る情熱である。
ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることであるが、割る意味を常識的に掛け算の逆として、0 掛ける x が a の方程式の解と考えれば、そのような解はa がゼロでなければ解が存在しないことが直ちに証明されてしまう。 ゆえにゼロ除算は不可能であるとなってしまう。 ところが算術の確立者が1300年も前に、既にゼロ除算を考え、さらに物理的な観点からアリストテレスがゼロ除算は不可能であると考察を行っているという。しかしながら、Einstein や多くの物理学者や 計算機関係者によってゼロ除算は考えられて来て 永い神秘的な歴史をたどっている。物理学の基本方程式にゼロ分のが現れて その時の意味が問題になり、他方、計算機がゼロ除算に遭うと計算機障害を起こすので、計算機障害を回避したいという動機もある。また、不可能であると言われると 何とか可能にしたいという自然な欲求が 人間の心 には存在する。 ― 実際、数学の歴史は 不可能を可能にしてきた歴史とも見られ、ゼロ除算も可能になるだろうと 予言していた数学者が存在していた。(再生核研究所声明308(2016.06.27) ゼロ除算とは何か、始めてのゼロ除算、ゼロで割ること:相当な記録、解説が蓄積されてきたので、外観する意味で表題の下で簡単に纏めて置こう。
先ず、ゼロ除算とは 加,減,乗,除の四則演算において 割る時にどうしてゼロで割れないかの問題を広く表す。ゼロで割ることを考えることである。西暦628年インドでゼロが文献上の記録として現れて以来議論されてきた。ある専門家によればアリストテレスが物理的にゼロ除算を最初に考え、不可能であるとされたという。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロで割ることは 割られる数がゼロでなければ、不可能であることが簡単に証明されてしまうが、物理法則などには、分数式が現れて、分母がゼロである場合興味深いとして、現代でもいろいろ問題にされ、インターネット上をにぎわしている。この件では、ビッグバン、ブラックホールの理論や相対性理論の関係からアインシュタインの人生最大の懸案の問題であるという言葉に象徴される。他の大きな関心として、計算機がゼロ除算にあって計算機障害を起こした事件から、ゼロ除算障害回避を目指して新しい数体系を考えている相当なグループが存在する。以下略)
ゼロ除算の発見には 思えば、奇妙な状況が起きている。ゼロ除算の本質は、基本的な関数y=1/x の原点での値をゼロと定義して、それを1/0=0 と書くことである。沢山の理由付けや説明の方法は発見されているが、この事実は現代数学の公理系や定理から導くことができない。しかしここから発展されるゼロ除算算法から、現代数学の広範な部分に新規な知見や結果が沢山導かれ、それらを補完しなければ現代数学は 完全とは言えず、いろいろ不備を備えていることが800件を超える具体例で示されている。論理の厳密な展開でなく本質的な説明を簡明に行いたい。ゼロ除算とは、 要するに解析関数の孤立特異点で、そこでの値をローラン展開の正則部の係数C_0 で定義して、その結果を応用するということである。- 関数 W=1/z の原点での値をゼロとする。今まで、孤立特異点で 特異点の周りで考え、孤立特異点に近づけば無限の値に近づくと考え、特異点で極をとると 表現されてきた。 この事実は当然適切で、正しいがゼロ除算では、孤立特異点自身では 固有な値C_0をとるとするのであるから、未だかつて誰も考えたことのない数学、世界であると言える。ゼロ除算の結果を1/0=0/0=\tan(\pi/2) =0 などと表現すれば、 人は それは 何だ、とても信じられない結果で、 論理を越えて そのような数学は興味も関心もないと顔をしかめて表明するだろう。しかしながら、似たような世界史上の事件を想い出したい。- 非ユ-クリッド幾何学の出現で 平行線が無限個存在する幾何学が現れたと言われれば、そのような数学は 正しくても興味も関心も無いと 最初人々は考えたのではないだろうか。
ところが具体的にいろいろ考えれば、そのような世界は当たり前に存在して、 反ってユークリッド幾何学より面白く大きな役割を有することが分かってきている。ゼロ除算の数学でも1/0=0/0=\tan(\pi/2)=0 と言われれば、始めには同じように発想するだろう。しかし、具体的に良く調べてみると、ゼロ除算が無い現代数学が 基本的な欠陥を有することが、沢山の具体例から分かるだろう。ゼロ除算と現代数学は背反するのでは なく、 現代数学の欠陥、例外点として避けていたところを 補完して完全な数学にする性質を持っている。現代数学を完全化させる全く新しい数学が ゼロ除算である。ゼロ除算の余りに大きな影響のために ゼロ除算は数学の公理系の一つに加えられるべきものと考えられる。次も参照:
再生核研究所声明 434 (2018.7.28) : ゼロ除算の誤解と注意点
再生核研究所声明 431(2018.7.14): y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界?
以 上
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
ゼロ除算については、既に相当な世界を拓いていると考えるが、世の理解を求めている状況下で、理解と評価、反響にも関心がある:
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える (再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)
そのような折り、ISAAC マカオ国際会議では、招待、全体講演を行い、ゼロ除算について、触れ、 論文も発表したものの(Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305pp.(Springer) )
今回頭記の200名を超える大きな国際会議で、ゼロ除算と微分方程式について真正面からゼロ除算の成果を発表することができた。
ゼロ除算には、世界史と世界観がかかっているとの認識で、この国際会議を記念すべきものとするようにとの密かな望みを抱いて出席した。そこで、簡単に印象など記録として纏めて置きたい。
まずは、3日目 正規の晩餐会が開かれる恵まれた日に 最初に全体講演を行った。主催者の学生が多数出席されたり、軍の専属カメラマンが講演模様を沢山写真に収めていた。図版を用意し、大事な点はOHPで講演中図示していた。用意した原稿は良く見えるように配慮したので、全貌の理解は得られたものと考えられる。 結びには次のように述べ、示した。宣言文の性格を持たせるとの意思表示である:
{\bf The division by zero is uniquely and reasonably determined as $$1/0=0/0=z/0=0$$ in the natural extensions of fractions. \\
We have to change our basic ideas for our space and world.\\
We have to change our textbooks and scientific books on the division by zero.\\
Thank you for your attention.}
講演に対して、アラブ首長国の教授が、現代数学を破壊するので、全て認められないとの発言があった。後で、送迎中のバスの中で、とんちんかんな誤解をしている教授がいることが分かった。過去にも経験済みであるが、相当に二人共 感情的に見えた ― それはとんでもないという感じである。閉会式に参加者を代表して謝辞を述べられたギリシャの教授が、画期的な発見で、今回の国際会議の最大の話題であったと述べられたが、要点について話したところ、要点の全てについて深い理解をしていることが確認された。さらにゼロ除算の著書出版の具体的な計画を進めたいという、時宜を得た計画が相談の上、出来た。
そこで、講演原稿と図版を出席者たちにメールし、助言と意見を広く求めている。理解できないと述べられた人にも 要求に応じて送っているが、現在までのところ連絡、返答がない。
主催者から、50カ国以上から200名以上の出席者があったと述べられたが、そのような国際会議で、招待、全体講演を行うことができたのは 凄く記念すべきこととして、出版される会議録、論文集の出版に最善をつくし、交流ができた人々との交流を積極的に進めていきたい。尚、正規の日本人参加者は8名であった。
ゼロの発見国インドからは6名参加していたので、1300年も前に0/0=0が四則演算の創始者によって主張されていた事実を重要視してその状況を説明し、特に対話を深め、創始者に関する情報の収集についての協力をお願いした。ゼロ除算について理解した、分かったと繰り返し述べていたが、どうも感情が伴わず、心もとない感じであった。若いカナダの女性に印象を伺ったところ、沢山の具体例を挙げられたので、認めざるを得ない、内容や意義より驚きの感じで、それが講演に対する全体的な反響の状況を表していると考えられる。
歴史は未来によって作られる。今回の国際会議の意義は 今後の研究の進展で左右されるものと考える。しかしながら十分な記録は既に残されていると考えている。
以 上
再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。
偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。
以 上
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