再生核研究所声明 439(2018.8.7): 人間として生きることとは - ある一面から
慣性の法則によれば、同じような生活を送っていると、この状況はどのような意味を有するのだろうかと ある種の不安とともに感じることがある。人間は、人間とは何者で、人生とは何だろうかと 同じような問いを想い返しては繰り返していると言える。まず、基本は 人間は作られた存在だから、作られたように生きる他はない。人間は生物、そして動物であるから、それらの要求を満たしたいと考えるのは 当然である。衣食足りて礼節を知る、恒産無ければ恒心なしも当然である。すなわち、生活や家庭内などの生活が相当に良い状況の中、さらに 自由な身になった場合に 人間は何を志向するだろうか。人間は何をしたいと思うだろうか。人間は多様で志もいろいろであるから、それらによって具体的な取り組みは 人によって違うが、心はみな通じていて、 良い思い、感動するようなことを志向するだろう。人生の基本定理、人生の意義は感動することにある。そこで良い感動が続くのは望ましいと考え、 その素は何だろうかと考えれば、人は世の名人や偉人の心構え、人生観、人生から多くを学ぶことができるだろう。そこで一芸に秀でたものの共通の心を理解し、共感、共鳴を覚え、普遍的なものを捉えられるだろう。 そこで、 人間とは何ものかと高次に考えることができるだろう。
人間は何を求めているのか。ここ 一様にゼロ除算の研究にはまっているが、どのような時に鋭い感動と喜びが湧いてくるかと問うている。共同研究者の奥村氏やPuha氏が想像もできないような新規な結果をメールで送って来た時など 激しい喜びが湧いて来る。そう新規な世界に触れるとき 人間の人間的な歓びが湧いて来るのでは ないだろうか。もちろん自分で考えが湧いたときも同様であり、ようするに新規な世界に触れたとき人間は大きな 喜びが湧いてくる存在ではないだろうか。 そこで人生の基本定理に対して、人の生きるは 真智への愛にある、真智とは 神の意志のことであると表現した。 要するに、真実が知りたい、本当のことが 知りたい、世界を知りたい それが 人間の 究極の意志、喜びでは ないだろうか。この文章には少し飛躍があるのではないだろうか。新規なことと、神の意志のこと、事実の関係である。 数学では、新しい結果には感動するが基本的で大きな意味のあるものこそ大きな感動を呼ぶ、それはそうであるが、基本的で大きな意味を有するの解釈、捉え方は 人によって異なるが、それらに共感、共鳴が伴っていることが 大事な点ではないだろうか。真偽が明瞭でない場合には真偽を明らかにしたいは事実の解明であり、それは真理の追究の基本的な 要素である。神の意志とは世界がどのようになっているか、ということであるが、それは基本と深さを伴った認識といえる。新規、事実、真理、共感、共鳴、世界観、神の意志はある統一性のあるものを指している。
以 上
2018.8.5.14.05 盛夏 一気に。
2018.8.5.15:25
2018.8.5.18:56 何か足りないか。
2018.8.5.20:10
2018.8.6.06:03 何か足りないところを進めてみた。
2018.8.6.16:00
2018.8.6.18:18 夕立、凄い。まだ赤くなっていないトンボが沢山飛んでいた。
2018.8.6.22:19 ある種の曖昧さがあるが。
2018.8.7.05:40 これは微妙な声明であるが、その心は何か。急に涼しい朝を迎える。
2018.8.7.06:02 完成として、公表。
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