2015年1月30日金曜日

自分が、何も意識しなくても勝手に行動していて、それを自分が傍観しているような気分にるときがあります。 実際には自分がしたい通りに動いて、思い通りに会話もするのですが、なぜか自分の意 識が身体から離れているような感じです。 説明が漠然としていて申し訳ないのですが、これを理解できる方はいますか?

自分が、何も意識しなくても勝手に行動していて、それを自分が傍観しているような気分にるときがあります。
実際には自分がしたい通りに動いて、思い通りに会話もするのですが、なぜか自分の意
識が身体から離れているような感じです。
説明が漠然としていて申し訳ないのですが、これを理解できる方はいますか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11141256726
人間は多にして、慣性の法則で、環境の中で 流されているような存在ですね。 散歩中、意識しないで、ひとりでに歩いているようですね。 人生においても、生活でもそのような面が。
自分は自分ではなく、何者かによって作られ、生かされているようですね。
再生核研究所声明 134 (2013.10.5): 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間
(再生核研究所は 社会貢献の一環として、さらには 多様な意見に接して視野を広め、修行のため、多様な意見に対して 見解を表明してきている。しかるに、
2013年9月30日 0:29  私の命よりも 私が大事? ・・・ 「私の命」というとき、そこには命に先駆けて私というものがあることになります。 命である私ではなく 私の命であるわけですから。私の命がなくなった。それでは 私というものは どこへ行ったのか? 命である私であるなら、命の消滅と共に私も消えると思うが。 私たちは 命よりも 私が大事なのではないでしょうか?」 との質問に触れ、次のように回答している:
これは大問題を含んでいますね。 私とは何かですね。 命は生物としての生命として 命とは何かが得られますね。 私とは、私の精神、 思想だと理解すると そのような面は 出て来ますね。 それらは、 死を越えていますね。 実際、自分の存念を守るため、死を選んだ人は 世に多いですね。― これについて、2013.10.2 朝の目覚め後、 ひとりでに声明の構想が湧いたので、 成文化したい。
上記のように 私の命は、生物、動物としての命と ここでは定めよう。
命より大事な私の 私の意味が 重要ではないだろうか。 ここに言う私とは何かである。
指摘されているように、生物としての命が消滅すれば、精神作用を行なっている、私は消滅して、意味を成さないのではないかとも考えられる。 したがって、ここに言う私とは、現に抱いている存念、思想、精神などを表わしていると考えられる。単に精神活動している私を 意味しないと考えるべきである。
そこで、生物的な命を越えているような 事実、事、事例などをまず、参考にしたい。
命をかけて、大事にしたものは 何だろう。
再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間)
で 否定的に評価した、忠臣蔵で多数の命をかけて、仇討ちを果たした例は 典型的な例ではないだろうか。主君に対する想い、不正義に対する憎しみ、武士の名誉 それらは、同志の多数の命を越えていたと考えられる。また、殉教、殉職、殉死などもそうである。
また、無数の戦場における兵士の戦死は、私の、個人の命を越えている、確かな証拠である。- 直接的には 命令に従う、任務の遂行 が有るものの、背後には 家族のため、民族のため、国家のため、同志のために が有るのは、歴然である。(2013年9月25日 12:29  あなたは国のために命をかけることができますか? ― 回答: 誰でも 国の為には 命をかけたくなり、かけなければなりませんね。それが 国では)。
しかしながら、多くの人は志のうちに、夢のうちに生きていて、そのために人生をかけているは世に多く、それらの中に 大いなる私が存在していると言える。芸術家も 研究者も、求道者も もはや、消えて行く必然性を有する個人的な命を越えて、自分の延長と考えられる大きなものに帰依して、その私を大事に思うのではないだろうか。
これは誠、人間だけにできる、己を越えた存在に帰依しようとする、尊い人間らしい、状況では ないだろうか。ここに、人間賛歌の想いを強くする。
滅ぶべき命を越えた、高い、超越的な精神的な帰依である。 それこそ、大きな私であると言える。人間の心の底には 神性が有るのではないだろうか。 良心、義に対する、感動する、崇高さにひかれる精神である。 私は、私を越えた存在であると言える。
以 上

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