2015年1月18日日曜日

アジアの憂鬱 日本が強いのか、アジアが弱いのか

アジアの憂鬱 日本が強いのか、アジアが弱いのか
雑音をシャットアウト、アジアトップクラスのイラク相手に堂々とJapan wayを披露
アジアカップ初戦のパレスチナ戦を4-0で快勝し、グループリーグ最難関のイラク戦を迎えた日本代表チームを悩ませたのは、対戦相手の戦術ではなく、アギーレ監督の八百長疑惑に進展があったという報道だ。当然のことながら、こうしたネガティブな外部要因は徹底的に遮断する必要がある。このような状況下で選手たちが次の試合に向けて集中して臨めるかどうかがこの試合の一つの見どころだった。
結果として一見快勝に見える初戦の4-0という結果と比較すると、1-0というのは物足りない気がするが、内容そのものは初戦の不安を吹き飛ばすものだったと言える。どの部分が良かったと言えるのか、そしてその良かったことを素直に受け取って良いのか、データを基に分析をしていきたい。
日本のストロングポイントは技術力、俊敏性、規律であり、それを十分に生かしたサッカーをJapan wayとして下の年代からトップまで目指している。技術力や俊敏性、規律等は正直曖昧な表現であるが、Japan wayと呼ばれるサッカーを展開した時、それはある程度ポゼッション率やパスの本数、そして成功率として我々の目に見えてくる。
アジアの強豪国の一つであるイラクを相手に60%を超えるポゼッション率で、562本のパスを86.7%の成功率で回し、14本のシュートを放った日本のサッカーは最少得失点差とはいえ十分に内容で圧倒していたと言える。クロスの数こそパレスチナ戦の27本から13本と半分以下に減ったが、味方に繋がった数は3本から6本と倍に、成功率は11%から46%と約4倍増えた。初戦、単に放り込むだけのクロスだったものが「目的」をもったクロス、可能性を高めるゴール前の入り方に改善されていた。それは長友が一度切り替えしてファーサイドにいた本田に出したクロス、後半、本田と交代して入った武藤から逆サイドから少し遅れて入ってきた清武に出したクロスを見ても出し手と受け手の意識が大きく変わったことが良く分かった。これだけボール支配率で圧倒し、相手をシュート5本、枠内シュートわずか2本に抑えられていれば「サッカーは何が起こるか分からない」という古くからの言い伝え(もちろん事実だが……)通り「まさか」の敗戦以外は想定しづらい。
しかし、その目線を上に向けた時、相変わらずDuels(50%対50%の状況下でどちらがボールを奪ったかを示すデータ)における日本の勝率は37%だ。先のワールドカップにおけるトップ4のドイツ、アルゼンチン、オランダ、ブラジルのいずれもが常に50%超。仮に奪われても次のプレーにおいてかなりの確率で奪い返すという勝利に限りなく近いマジックナンバーだ。パレスチナ戦でも50%を割り、これだけ内容に差があったこの日の試合では37%と40%を切っていた。このDuelsとは単にセカンドボールの取り合いという意味合いだけでなく、「予測」「コンパクト」「インテンシティ」という守備をするうえで最も重要な要素を測る指標でもある。現時点でこのデータがJapan wayを遂行する上で出来ていない部分だということを記憶にとどめておいて頂きたい。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150117-00010002-soccermzw-socc
再生核研究所声明169(2014.6.25) サッカー観戦の印象 と 日本チーム強化の戦略
(サッカーファンからの要望によって、日本チームを強くする戦略を考察した。)
ワールドカップ日本の観戦をして、自国チームが負けるのは、生物の本能に由来するように、嫌なものである。 誰でもそうではないだろうか。― 生命には、本質的に切なさが存在する。― 数学などの研究を永くしてくると あまりにも厳しい世界で とても志す気には成れない。数学などの研究は 何十年のスパンで 長期戦略で進める求道や 真理の追究、人生の志に由来する。
サッカーは 子供の頃校庭でよくやったものであるが、勝負と言えるようなことをやったことは無く、全くの素人である。
しかし、今回の日本戦を見て、良い戦略、強化方法が思い付いたので、上記要望も寄せられた経緯も有るので、触れて、提案したい。言うは易く、行うは難しい??
特に、ギリシャ戦などでは、全体的な力では相当優位にあるように見えたが、結局、引き分けに終わった苦しい戦いであった。どうしてだろう。 それは、ゴールを決められない決定的な弱点にある。 ゴールを決めることは、サッカーで 優位に立つ 重要な、肝心な点 ではないだろうか。初戦についても言える。コロンビア戦についても言える。ゴールの機会は、結構あったと言える。
そこで、次のような訓練は 如何であろうか。
ゴールを狙える立場の人は、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決める訓練を徹底的にやる。
この訓練は ゴールキーパーにはよらず、 何時でも安定的に練習ができ、何時でも、最も有効にゴール決める方法である。 本能かも知れないが、ゴールを狙うとき、わざわざキーパーにぶつけているような例が多く見られる。これは、極めて残念な場合である。ゴールを狙う機会はそう多くはないので、痛切残念、そのような場合には、国中でため息が聞かれる状況と言える。
条件反射的に、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決めるような訓練を 徹底的にして欲しい。
総合的な力を付けるのは、専門家の課題であるが、この要点をしっかり訓練すれば、戦力は飛躍的に向上するのではないだろうか。実際、ゴールを決めている場合、ゴールの枠にぶつかって、ゴールを決めている場合が多く見られる。既にそのような訓練を意図的に行っているのではないだろうか。
サッカーの印象は、アジアや日本は まだまだ伝統が浅く、世界レベルから見ると、まだ力不足は否めない。 伝統は甘くはない。世界的になる、世界を狙う精神がどのようなものか、その精神がまだ、しっかり身についていないと言うことではないだろうか。 これは単にサッカーばかりではなく、近代科学や民主主義、人権、評価システム、大学の在りよう、マスコミの在りよう、政治家の在りようなどなど、欧米から 入ってきた多くが表面的な物まねで、それらの深いところの理解が 浅く、しっかりしていない状況と同様ではないだろうか。輸入したものを身に付けるのは、教えられ、学んだものを身に付けるのは、 一朝一夕にはゆかないのが、道理ではないだろうか。長期的な視点に立って、頑張って欲しい。
以 上

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