2015年1月16日金曜日

記事 新潮社フォーサイト2015年01月13日 11:30「遺伝子検査」で危惧される「差別」「プライバシー」の問題 - 大西睦子

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新潮社フォーサイト2015年01月13日 11:30「遺伝子検査」で危惧される「差別」「プライバシー」の問題 - 大西睦子

日本でもようやくサービスが始まったが……(C)時事
 私たちの大切な遺伝子情報は、半分は父親から、残りの半分は母親から受け継いだもので、生涯変わることはありません。そしてその情報は子どもに受け継がれます。その遺伝子情報には、将来に発症する可能性のある病気のリスクが隠されています。最近、遺伝子検査により、個人の遺伝子情報に基づいて病気の予防や早期発見、治療が可能となってきました。2013年、ハリウッドの人気女優アンジェリーナ・ジョリー(39)がこの検査を受け、将来の乳がん予防のために乳房切除手術を受けたというニュースは世界中に流れたため、記憶している人も多いでしょう。
 ところが、この新しい検査の普及に伴って、米国では目下、科学雑誌などを通じてメディアや専門家による様々な問題点の議論が繰り広げられています。今回は、その中でも深刻な問題の1つ、「差別化とプライバシー」について考えたいと思います。
「個別化」に潜む「差別化」
 遺伝子検査によって、1人ひとりの体質にあった「個別化医療(personalized medicine)=オーダーメイド医療」の実現が期待されています。ところが、その「個別化」の裏には、実は「差別化」という問題が潜んでいます。米国では昔から様々な差別が問題になっていますが、最近、新しいタイプの差別、つまり遺伝子差別が大きな社会問題になっているのです。
 米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に「責任ある遺伝学協会(Council for Responsible Genetics : CRG)」という民間団体があります。ハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)などの著名な科学者やジャーナリストらによって設立されたこの組織が、遺伝子差別のケースを全米で初めて公表しました。
 CRGは、遺伝子差別により、保険や職を失った500例もの個人や家族の具体的ケースを報告しています。それによると、差別を受けているほとんどの人は、臨床的に健康で、遺伝子疾患の症状も全くありません。
 例えば、体内に鉄が過剰に増加する「遺伝性ヘモクロマトーシス」は、瀉血(しゃけつ=体内から血液の一部を抜き取る治療)などで、病気の合併症の予防が可能です。ところが、遺伝性ヘモクロマトーシスと診断された女性は、現在は健康であるにもかかわらず、明確な医学的証拠もないまま健康保険の契約を一方的に解除されました。
 また、政府の仕事に応募した中年男性が、遺伝子検査によって先天性脂質代謝異常である「ゴーシェ病」の保因者であることが分かったのですが、この人も、発症はしていないにもかかわらず雇用を拒否されています。
 さらに、「フェニルケトン尿症(先天性の代謝異常症により、出生後早期に治療されない場合、知能障害や発達障害を引き起こす)」の治療を受けた後、食事療法により正常に成長した女性は、新しい職場で高リスク患者と判断され、グループ健康保険の加入を拒否されています。
 他にも、BRCA2遺伝子の変異のため、女優アンジーと同じように乳がん予防のため乳房切除をした女性が、手術後に職場から解雇されたというケースもありました。
「遺伝子差別禁止法」
 米国の雇用均等に関する法律は、年齢、人種、性別、出身地や宗教などに基づく雇用差別を禁止した連邦法です。また、法律の執行を監督する機関として、「米国雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Commission:EEOC)」が設置されています。雇用差別を受けたと思う人は誰もがEEOCに訴えることができます。
 そのうえで、2008年に、米国では「米国遺伝子情報差別禁止法(Genetic Information Non-Discrimination Act:GINA)」が連邦レベルで成立しました。この法律で、遺伝子情報に基づく健康保険に関する差別(加入の資格や保険料の決定など)、雇用者による差別(雇用、解雇、仕事の割当、昇進や降格の決定など)が禁止されました。GINAは、遺伝子差別や医療情報の不正な使用から、米国民の権利を守る第一歩だったのです。
 そのEEOCへの「遺伝子差別」の訴えは、2010年201件、2011年245件、2012年280件、2013年333件と年々増えています。
 例えば、ニューヨーク州にある介護やリハビリセンターの『ファウンダーズパビリオン社』は、EEOCから差別の訴えを起こされ、和解のために37万ドル(約4400万円)を支払うことになりました。
 同社は、雇用の決定後、雇用する前の健康診断として、家族の病歴を要求しました。前述した通り、GINAによって、遺伝子情報を要求したり(この場合は家族の病歴)、遺伝子情報に基づいて雇用の決定をすることは禁止されています。結局、同社は、他にも遺伝子情報を要求した138人に対して総額11万ドル(約1300万円)を支払わねばならなくなりました。
 さらに同社は、身体障害者であるという理由で2人の従業員を解雇し、妊娠を理由に3人の女性を雇用拒否または解雇していました。被害を受けた5人には、総額26万ドル(約3100万円)を支払うことになっています。
遺伝子検査を断念した医師
 このように、GINAは雇用側の遺伝子差別防止に一定の効果があるように思えますが、一方で、少なからず問題点があります。
 GINAの可決は飛躍的な前進ですが、保護の対象が包括的ではなく、生命保険(Life Insurance)や所得補償保険(Disability Insurance)、長期介護保険(Long Term Care Insurance)に関しては適応されません。現在、カリフォルニア、オレゴン、バーモントの3州ではこれらの適応を拡大する法律を可決していますが、他の州ではいまだに適応されていないのです。
 米紙『ニューヨーク・タイムズ』によると、ペンシルバニア州で外科レジデントとして某大学病院に勤務するブライアン・S医師(33)は、彼の母親を苦しめている神経疾患「遺伝性血管性白質脳症 (CADASIL)」の原因となる遺伝子変異を受け継いでいる可能性が50%の確率であります。彼は生命保険や長期介護保険の申請をしたいので本当は遺伝子検査を受けたいのですが、悩んだ末、検査を断念しました。遺伝子情報が記録として残ることを恐れたのです。同紙の取材に対しても、彼の姓やその他に彼を識別できるような情報を掲載しないように要請しています。
 ハーバード大学医学部遺伝学者のロバート・グリーン教授は、アルツハイマー病になりやすくなる遺伝子素因を持っていることを知った人たちの行動を研究しました。彼らは、遺伝子素因を持っていない人たちと比べて、長期介護保険に加入する可能性が5倍も高くなりました。アルツハイマー病の遺伝子素因を持つ多くの人が、より高い保険料を払わねばならなかったり、加入を拒否される可能性を懸念していることも分かりました。
 米国の保険会社『ノースウェスタン・ミューチュアル生命保険会社(Northwestern Mutual Life Insurance Co.)』は、顧客がもし遺伝子検査をしていればその結果を提示するよう求め、結果の共有を顧客が拒否した場合、より高い保険料の支払いを求めるか、あるいは加入の拒否につながることを規定しています。同社の広報担当者は、「どんな医療情報が省略されても、保険会社は、契約を断る権利をもっています」と語っています。
 グリーン教授の調査によれば、今のところ他の12の保険会社は、顧客に対して遺伝子検査についての明確な質問をしていません。ただし、グリーン教授が会社の幹部になぜ質問しないかと尋ねたところ、ある社の幹部は、「私たちもいずれ(顧客への質問を)行うだろうが、我が社が最初にしたくはない」と答えたそうです。
 GINAが成立しましたが、医師による遺伝子検査では結果が医療記録に残るため、保険や雇用における心配が続いています。そのため、ブライアン・S医師のように遺伝子検査を断念する例が他にも多くあるのです。
企業の遺伝子サービス
 病院では、一般的に血液を用いて遺伝子検査を行いますが、私たちの体の全ての細胞は基本的に同じ遺伝子で構成されていますので、どの細胞からでも検査ができます。ですから、採血などの医療行為なしで、髪の毛、爪や頬粘膜からも検査ができるのです。
 そこで最近、医療機関ではなくても、直接、個人がインターネットなどを通じて、消費者直結型(Direct-to-Consumer:DTC)の遺伝子検査を専門業者に依頼できるようになりました。その結果はオンラインで個人が確認するシステムなので、医療記録には残りません。
 例えば、米国の『23andMe』という会社は、ビジネスとして多くの消費者に遺伝子検査のサービスを提供しています。利用者は、約1万円で「23andMe遺伝子検査キット」を購入し、唾液を自分で採取して返送するだけで、254種類の病気のリスクなどを判定した遺伝子検査の結果がオンラインで確認できるというシステムです。ちなみに、2006年に同社を共同で創立したCEO(最高経営責任者)のアン・ウォイッキ氏は、『Google』社の共同創業者であり技術部門担当社長でもあるセルゲイ・ブリン氏の奥さんです。
 ところが、2013年11月、米国FDA(食品医薬品局)は、診断精度に大きな問題があるとして、同社の遺伝子検査サービスの中止命令を下しました。その後、同社は米国立衛生研究所(NIH)から約140万ドルの研究費を獲得し、製薬会社やアカデミアとの共同研究を開始しました。さらに医師などとも連携し、科学論文の報告をしています。イギリスでは最近になって同社の遺伝子検査サービスが始まっており、米国でも近く再開する可能性が伝えられています。
遺伝子情報は誰のもの?
『23andMe』社のホームページによると、同社はすでに80万人以上の顧客の遺伝型を蓄積しており、そのうち80%は研究の参加に同意しているそうです。これほどの支持を得られたのは、楽しく遺伝学を学び、自分の遺伝子情報を知るというサービスの紹介に努めたからだと思われます。
 GoogleやYahoo 、Facebookがメールやソーシャルネットワークのサービスをフリーで提供する代わりに、利用者の個人情報や嗜好など様々な情報を集めて市場の製品の宣伝などに利用したい人にその情報を提供することでビジネスにしていることはよく知られています。それと同じように、『23andMe』社の長期的目的は、大量の遺伝子情報を集めて大規模な「バイオバンク」を作り、医学的研究のために販売したり、あるいは新しい特許を獲得することです。その大前提として、同社は顧客のインフォームドコンセント(医療行為や治験などの正しい説明を受け、十分に理解した上で合意すること)を獲得し、かつ顧客のプライバシーを守らなければなりません。ただし実際は、プライバシーを守ることの保証が非常に難しくなってきています。
 こうした問題については、歴史と権威ある米医学雑誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』でボストン大学のジョージ・アナス教授が指摘したり、メディアでも米誌『ニューズウィーク』などでさかんに議論されていますので、以下のサイトを参考にしてください。
 実際、例えば科学誌『ネイチャー』が「プライバシー保護:ゲノムハッカー(Privacy protections: The genome hacker)」と題した記事で紹介しているMITの計算生物学者ヤニーフ・アーリック博士の指摘は、非常に恐ろしい可能性を示唆しています。というのも、自らの遺伝子情報を提供することで遺伝子研究に参加した人々について、公に入手可能な情報と相互参照することで、その個人個人を特定することが可能であるというのです。
 日本でも、すでに『DeNA』や『ヤフー』などで遺伝子検査のサービスが始まっています。医療の発展のためには、遺伝子情報を収集し、研究を進めることが不可欠です。それによって将来、より優れた個別化医療の実現が可能となるからです。
 ただし現在、日本には米国のような遺伝子差別禁止法が存在しません。今後、米国と同様に、プライバシーや差別の問題が起こる可能性は極めて大きいでしょう。個別化と差別化のバランスを維持するために、早急な法制度の整備や、遺伝子検査についての教育や議論が必要だと思います。
 ですが、留意しなければならないのは、あまりにも規制を強化しすぎることで利用者が国内での遺伝子検査を嫌がり、米国など海外企業に依頼することで日本人の遺伝子情報が大量に海外流出する事態は避けるべきだということです。そうなると、日本の医療研究にも大きな障害になるということにも注意するべきだと思います。
大西睦子
執筆者:大西睦子
内科医師、米国ボストン在住、医学博士。1970年、愛知県生まれ。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、2008年4月からハーバード大学にて食事や遺伝子と病気に関する基礎研究に従事。
これは科学の進歩によって生じる大事な、難しい問題ですね。 
個々の場合によって対応は違いますから、法などの遅れが生じないように。

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