再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
この問題は 宗教の大きな問題ばかりではなく、死を畏れるは 知恵の始めなりと言われるように、人間にとっては 相当大事な問題ではないだろうか。 再生研究所声明でも相当に触れられてきている:
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 47: 肯定死
再生核研究所声明 63 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 118(2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ―
再生核研究所声明 120(2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく 肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122(2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14): 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4): 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明192(2014.12.27): 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明203(2015.2.4): 人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11): 宿命論
上記からも分かるように、人生の問題は 相当に死の問題に関わっていることが分かる。多くの人は 死からの解放、自由になれることを望んでいるのではないだろうか。そこで、そのような視点から、その心得を率直に纏めてみたい。
まず、死の実体であるが、死によって我々の精神活動は停止して、何も分からない状態に陥り、一切の感覚を失い、意識を失ったような状態に至ると考えるのが 妥当である。これらは、至るところで経験する事実である。これは 死後の世界が生まれてくる前のようであると 楽しく想像するのが良いと考えられる。 死とは解放であり、全ては言わば天国への道であると考えられる。
およそこの世の全てのことは 必然である地球の絶滅と共に 滅亡し、世界史は消え、上記のように、地球の誕生以前のような状態に至ると考えれば、心持ちとして、この世の問題は 大したものではなく、もっと気を楽にして、楽しく志向するが良いと思われる。
しかしながら、人生では 始めも分からず、先も分からず、現世もよく分からない人間の実態をしっかりと捉えれば、我々の存在と意識を超えた大いなるものをしっかりと捉えられ、われわれは 意識薄い、幼き頃 母親に抱かれていて、すっかり何もかも任せて安らかにしていた時のように 私たちは愛されている という 信仰をしっかりと確立できれば、人生の切なさから解放されるのでは ないだろうか。 信仰の問題は 個人の心の問題であるから、大いなるものの存在は自明であるとしても、捉え方は 個人の 心の状態によるものと考えられる。しっかりとした信仰を持てる者は まこと幸せであると言える。
しかしながら、意識しようが、しまいが、生けとし生けるものは 死によって すべて解放され、救われることは、歴然であると考えられる。
しかしながら、生命の基本定理、生きて存在しなければ 始まらない。人間存在の原理,存在、智、愛 をしっかりと捉えて置きたい。
以 上
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