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NEXT MEDIA "Japan In-depth"2015年03月16日 12:49【クリステルさん、殺処分ゼロ訴える】~“命の花”プロジェクトを高校生と
赤、白、ピンク、黄色…色とりどりに咲く美しい花たち。この花の下には殺処分された犬や猫の骨が土に混ぜられ埋まっている。これは普通の花とは違う、少し特別な“いのちの花”だ。
日本では、一年間に約13万頭の犬や猫が殺処分されていることをご存じだろうか。青森県立三本木農業高等学校動物科学科愛玩動物研究室の生徒たちは、殺処分された犬や猫の骨を砕いて土に混ぜ、花を育てる活動を通して「命の尊さ」と「青森県の殺処分の現状」を訴えている。この活動に感銘を受けた動物保護団体「クリステル・ヴィ・アンサンブル」代表滝川クリステルさんと、同高校生徒たちによるイベントが15日、東京・恵比寿で行われた。
滝川さんの財団は昨年5月に立ち上げられ、「2020年までに殺処分ゼロ」を掲げて、様々な活動を行っている。テレビで彼女たちの活動を知り、感動した滝川さんの下に届いたのは、学生の一人、石橋香織さんの「一緒に活動したい」という手紙。滝川さんはすぐに現地に足を運び、生徒たちと一緒に骨を砕き、花を植える作業を体験した。「(作業中)首輪の破片などが出てくるとこみ上げるものがあったが、泣かずにこらえて作業した」という。滝川さんが彼女たちを招き、今回のイベントが実現した。
イベントでは、集まった人たちが、鉢に花の苗を植え替える「鉢上げ」体験をした。高校生たちに手伝ってもらい、自分の手でバケツの土に砕いた骨を混ぜ、それを鉢に入れて苗を植える。出来上がった鉢を滝川さんが袋に入れて、笑顔で手渡す。最後に生徒たちから、「大切に育ててください」などの手書きメッセージが渡された。
石橋さんは、「多くの人に(殺処分の)現状を知ってもらいたい。私たちの活動が広まっているのが少しずつ見えてきて嬉しい。」と話した。3月で高校を卒業し、トリマーの専門学校に進学するという。「専門学校のオープンキャンパスでは、定期的に犬を洗わず、汚い状態で連れてくる飼い主がいると聞いたので、飼い主さんたちに、飼い方についてもアドバイスしてあげたい。」と意欲を語った。
滝川さんは、「2020年に向けて、この花が増えるのではなく、減っていてほしい。」と話し、「殺処分ゼロ実現の目標である2020年までこの活動を続けていきたい。SNSなど、いろんな形で広めて言ってもらいたい。」と、多くの人が命の大切さを知り、この活動が全国に広がることに期待感を示した。
殺処分ゼロに向けては、一部の地方自治体などで積極的な取り組みが見られたり、超党派の議員連盟が結成されたりなど、前向きな動きも見られる。しかし、8週齢規制などに関する動物愛護法のより厳格な適用や生体販売禁止の問題など、課題は多い。今やペットは私たちの生活になくてはならない存在。社会の問題としてより深い議論と対策が必要だろう。http://blogos.com/article/107920/
全面禁止は 非現実的では。
8.28 なぜ地球は食物連鎖というルールの中で存在しているんでしょうか? そこに大きな意味みたいなものが存在しているんでしょうか?
素晴らしい質問です。 自然は厳しいので、多様性を有する形に生体系を作って、生物の生存を図っているように見えますね。 生命の目指す先は、まだ分かりませんが、生存すること、知ること、感動することを求めているのは確かですね。
次を参照してください。 尚そこで言われている、元祖生命体は、遺伝子という実在するもので、実現しているともいえますね。 遺伝子は生物を乗りついで生きていますね。何を目指しているのでしょうか。
再生核研究所声明 68(2011/09/02) 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
(背景: 2011/8/27/19:30 : 生ビール付きで 中華料理のご馳走を沢山頂き、最後にコ-ヒーを頂いているときに、突然閃いた考えです。 実は、― 我が家の大事件が入りました。なんと燕の巣が 大きな蛇に襲われ、買い物から、帰ったら、既に襲われ、親がわめいていたというのですね。 狙われやすい方の巣に 雛が孵って、そろそろ飛べるころでした。 見たことも無い 大きな蛇が下にいたということです。 痛切残念です。 2011/6/20/11:10 ― の事件後、生物の在り様について、重苦しい思いで その事件のことを反芻して来ました。 お釈迦様はそのような有様をどのように観られて、生物を どのように捉えておられたのでしょうか。 実はその蛇、4年前、子供の蛇で、25cmくらいで、 悔しそうに燕の巣を眺めていたのを良く覚えていて、あの蛇が成長して、とうとう夢を叶えたのかと 同情の気持ちが少し湧いていました。 何という辛抱で実現した希有の事件だろうということです。 相当に難しいところにある燕の巣です。 他方、燕のツガイは 毎日一生懸命にえさを運び、夜家族でかたまって静かに休んでいる誠に愛しい情景を見て来ました。 もし、飛び立てば、 広い天空を飛びまわり、南国まで旅して、恋人を連れて戻り、新しい家族を作るのが 永い習性です。 蛇に襲われ、雛は生涯をあっという間に閉じ、親たちはその日から、目標も失ってしまったのです。 ―― しかしながら、思えば、 食ったり、食われたりは、生物界の厳然とした事実です。 私も、小学校5年生で、友情に芽生えた友を失ってから、実に多くの友、両親、親族、恩師たちを沢山失って来ました。 これをどのように捉えるかですね。 その間、 ― 地上の星 / 中島みゆき [公式] : 人の世の哀しみをのりこえて、 庶民賛歌を歌いあげたものである ― 背後には 人世をみつめる 真摯な心がある。 ― を繰り返し、不思議な感動をもって 拝見して来ました。) それで、 突然、ひとりでに、閃いた直観は、生きることも、死ぬることも 等価 である。 食べる立場も、食べられる立場も等価 であり、いずれも諒である。 死の母なる永遠の世界からみれば、生物はみな 等価であり、長い生も、短い生も同じようなものである。 小学校5年生で生涯を終えた友も、それから何十年も生きていろいろ経験をしていても 大きくみれば、本質をみれば、同じようなものである。
いろいろやりたいことが有れば ― 感動することが有るということは、それだけ、人生を豊かにするだろう。 しかしながら、それらは、所詮 儚い幻のような存在である。されば、さめているよりは、好きなことに夢中になっていた方が良いとも言える。 死を恐れ、嫌がる情念は、 生命力の現われであるから、それらは好ましいものである。 人生とは、我々の生命力が、 我々を駆り立てて、動かしているものである。
およそ生物とはそのようなものである。しかしながら、生物の存在、そして人間の存在は、限りなく尊いものである ことを確認して、
最も大事なこと (再生核研究所声明13)、
人生、世界の存在していることの意味について (再生核研究所声明12)
社会生活を営む原理(再生核研究所声明1)
を、 確かに想起しておきたい。 また、このような見方は、
超越への道、悟りへの道 (再生核研究所声明19)
を補完するものであると考える。
以 上
映画「二百三高地」
高地の突撃を繰り返しながらも戦死者が続出するだけでまったく成果を上げられず、非難を浴びる乃木希典大将(仲代達矢)と、なぜか彼を交替させようとしない明治天皇(三船敏郎)。
そして親友の乃木を見かねて現れた児玉源太郎大将は「味方の弾が味方に当たっても構わない」と豪語する。そんな中、兵士たちは疲弊し、次々と斃れてゆき、かつてロシアとその国の文学を愛していた教師(あおい輝彦)の心には、ただ敵に対する憎しみだけが募っていき、ついにその想いは乃木に対してぶつけられていく・・・。
正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。
正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。
芥川龍之介「侏儒の言葉」より
十一月二十七日、司令部は二百三高地攻撃を決定した。その日、小賀は捕虜の通訳を命じられたが、「兵には国家も司令官もない、焦熱地獄に焼かれてゆく苦痛があるだけ」と拒否、その言葉は激しく乃木の胸を打った。
あと、乃木大将が前線視察に赴いたときに一人の兵士に声をかけましたが、兵士から「どうせわしらは消耗品ですさかい・・・」の言葉を聞いた大将は、驚きと落胆の表情をしていました。(さすがはベテラン俳優です。今の俳優にはない演技です)
『陛下のせきしをこんにちまで無駄に殺してきたのは誰じゃっ!!貴様たちじゃないんかっ!いくさは気合いじゃぞっ!しりごみする前に実行せい!』
「こ、児玉ぁ!わしゃ木石じゃないぞッ!!」と乃木が親友・児玉におもわず叫んでしまい、その台詞に児玉が「乃木ィッ!!おぬしの苦衷なぞ斟酌しとるヒマは儂にはないッ!!儂が考えてることはのう、ただこの戦争に勝つこと! それだけじゃッ!!」と一蹴する
「全ての命に、限りがあるのならば、海は死にますか・・・・・、教えてください」
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