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GaiaXソーシャルメディア ラボ2015年03月26日 07:38tumblr、Medium、cakes…ソーシャル機能や思想を持つ『ブログプラットフォーム』の使い分けを考察
■ブログ・メディア・プラットフォームの垣根はもはや存在しない?
こんにちは、ソーシャルメディアラボの渕上です。
当ブログではソーシャルメディアについて幅広く取り扱っていますが、昨今の時流によりどうしてもFacebookやTwitterといったSNSを扱うことが多くなっています。とはいえ、YouTubeや電子掲示板、ブログなども立派なソーシャルメディアのひとつ。折にふれて時流を追いかけていきたいと思います。
そこで今回は、15年以上の歴史を持つ『ブログ』の新潮流について考察いたしました。企業や個人がブログを運営するのはもはや当たり前となっていますが、数々のソーシャルメディアが現れたことで、必ずしもブログを使わなくても宣伝や自己表現は可能となりました。
そんな中で現れたのが、ブログプラットフォーム。例えばSNSとして機能を持ったtumblr(タンブラー)や、メディアの機能を持ったMedium(ミディアム)、日本における最先端のブログメディアであるcakes(ケイクス)・note(ノート)など、ブログの種類は多様化しています。
企業や個人など、それぞれのサービスはどういった使い方をするのが適切なのでしょうか。ブログの最前線を読み解いていきましょう。
■目次
1.メディアとかプラットフォームとか……いったい何を指しているの?
2.ブログ・メディア・プラットフォームの垣根は曖昧になっている
3.SNS?ブログ?tumblr(タンブラー)って一体なに?
4.思想を持ったブログプラットフォームの登場
5.プラットフォーム依存の危険性
6.結局Webでは、まだまだテキストが重要
メディアとかプラットフォームとか……いったい何を指しているの?
以上の前文だけでも様々な専門用語が頻出しており、チンプンカンプンな方もいらっしゃるかと思います。生まれたばかりの用語もあり、定義付けも曖昧だったりするのがわかりにくさに拍車をかけているんです。そこで、まず用語を以下に定義します。狭義・広義で意味合いが変わる用語もありますが、大筋で以下のように理解いただければ問題ありません。
■ブログ
・自分の意見や感想を日記スタイルで記載し、それを見た人がコメントを返したりすることができる形式のWebサイト。日本におけるブログとは、大手ポータルサイトのブログ作成ツールを使ってつくられることが多い。
例)アメーバブログ、はてなブログ、livedoorブログなど
■メディア
・情報を人々に伝える機関や事業、システム。本記事ではそれをWebで行なうWebメディアと同意とします。また、メディアは何らかの思想や編集方針を有しています。
■プラットフォーム
ハードウェアやソフトウェア、サービスが動作する基盤となる環境のこと。例えばFacebookやTwitterのようなSNSはそれ自体が思想を持っているわけではなく、ユーザーが思い思いの投稿をしやすくする環境を整えることでサービスを成り立たせています。つまり、ひとつのプラットフォームであると言えますね。
特に「メディア」と「プラットフォーム」の違いは非常にわかりにくいかと思います。
ここでは、メディアには運営する際の編集方針が決まっているのに対し、プラットフォームは場所貸しだけを担い、どんなコンテンツをつくるかはユーザーに委ねられていると捉えていただければ大丈夫です。
メディアは百貨店、プラットフォームはショッピングモール
これらのIT用語は、様々なところで見かけるわりによくわからないコトバでもあるんですよね。以下の記事によい例えがありましたのでご紹介しておきます。具体的なイメージが湧くのではないかと思います。
■メディアは百貨店のようなもので、中に配置されるコンテンツ(店・販売物)はメディア運営者の采配で編集されるのが特徴です。メディア自体がブランド力を有し、その運営には思想が必要となります。
■プラットフォームはショッピングモール。思想を持ったそれぞれのコンテンツ(テナント)が場所を提供されるかたちで運営されます。プラットフォーム自体は思想を持たない場合が多く、コンテンツのブランド力で成り立っています。
百貨店は「メディア」で、ショッピングモールは「プラットフォーム」だというお話。より
ブログ・メディア・プラットフォームの垣根は曖昧になっている
さて、それでは上述の定義を踏まえ、話を進めます。
企業が自社でメディアを持つ(=オウンドメディア)ことは、今や当たり前となりました。従来の企業ホームページでは製品に興味をもってくれるかもしれない層にアプローチすることができず、いくらコンテンツを揃えたとしても集客に繋げるのは難しかったのですね。そこで新しく情報発信用のメディアを立ち上げたり、企業ホームページをメディア化する動きが活発化しました。
企業ホームページがメディアに動的化したように、ブログもメディア化しています。ブログも元々は静的なイメージの強いシステムでしたが、より情報発信力を強くしていくためにメディア化していったのです。なので今では、傍目にはそれがオウンドメディアなのかブログメディアなのか分からないことも多くなりました。WordPressというブログ環境を構築できるシステムも普及し、Webの知識がなくても手軽につくれるようになったのも大きいですね。
例として以下に3つのオウンドメディアを掲載しましたが、すべてWordpressを使用してつくられています。とても従来のブログには見えませんよね。もはやオウンドメディアとブログメディアの垣根はないのかもしれません。
オムロン ねむりラボ
オムロン ねむりラボ
資生堂 ホメ髪.com
資生堂 ホメ髪
エンジニアType
エンジニアType
SNS?ブログ?tumblr(タンブラー)って一体なに?
テーマとしてブログを扱うならば、ソーシャルメディアラボが避けて通れないのがtumblrというWebサービス。一応ジャンル分けするとTwitterと同じ『ミニブログ』というグループに属するのですが、ブログとしての機能以上にSNSとしての機能も備えたプラットフォームなので、どう使えばいいのかよく分かっていない人も多いのでは?
tumblr
かなり多機能なtumblrは単なる個人ブログとしても使えますし、好きなブログをコレクションするスクラップブック、FacebookのようなSNSとしても使うことが可能。この多機能さがtumblrを謎な存在にしているのかもしれませんね。ただ、ポイントとしてtumblr自体は思想を持っていません。ゆえにメディアとは言えないんですね。
言うならば、tumblrはSNS機能に特化したブログプラットフォームなのではないでしょうか。
一見カスタマイズ性などなさそうに見えるのですが、実はデフォルトの設定を少し変えるだけで見違えるようなデザインに様変わりします。企業がtumblrを上手く使ってオウンドメディアをつくった事例があるので、代表的な3つをご紹介しましょう。
tumblrはオウンドメディアに使える!
いかがでしょうか。あまりにハイクオリティで、右上にあるtumblrアイコンがなければ、とてもtumblrでつくられているとはわかりませんね。
これが非常におもしろいところで、tumblr自身はブログプラットフォームを提供しているだけなのですが、ユーザーはtumblrのプラットフォーム機能を使って、まるで独立したオウンドメディアであるかのようにブログをつくることができるんです。
元々SNSとしての機能に優れていることもあり、イチから構築するより簡単にオウンドメディアがつくれるのは他にはない利点ですね。
思想を持ったブログプラットフォームの登場
tumblrもブログとしては異質な存在ですが、昨今さらに新しい形態のブログが登場し始めています。
例えばブログプラットフォームのMedium/ミディアムというサービスは、書きやすさ、読みやすさを徹底的に追求し、あらゆるカスタマイズ性をなくした代わりに、誰でもすぐに最良の環境で執筆ができるような仕組みが構築されています。Mediumはそこにメディアとしての編集方針や思想を練り込んでいるのです。
medium
Mediumではシンプルに、高品質な記事が優先的に表示されます。それは単純なPV数でではなく、滞在時間なども含めて総合的に判断しているようです。つまり、瞬間的にPVを集める煽りやゴシップ記事ではなく、長期的に必要とされる深遠な記事や良い議論の起こる記事を重視する編集方針があるのですね。
こういった形態は、プラットフォームとパブリッシャー(メディアの編集者)を合わせた造語『プラティシャー』と呼ばれています。
もちろんMedium以外にもプラティシャーは存在します。国内外のプラティシャー(とされているメディア)を3つ紹介しておきましょう。
SB Nation
ブランド力の強いスポーツメディアと、ファンの集うスポーツコミュニティが一体化したプラットフォーム。スポーツに関するコンテンツを扱うサイトとしてはクオリティが非常に高く、ファンから影響力の高いサイトとしてランクされています。
SBNATION
CAKES/ケイクス
ベストセラー作家、マンガ家、学者、人気ブロガー、有名ビジネスマン、写真家、音楽アーティストなど、 多様な肩書きの執筆陣のコンテンツが毎日アップされるメディア。1週間/150円の有料会員になるとすべてのコンテンツが読む放題になりますが、無料会員でも読めるコンテンツは非常に多く、読み応えがあります。
CAKES
note/ノート
文章・写真・イラスト・音楽・映像などの作品を投稿し、クリエイターとユーザをつなぐメディア。つくった作品(ノート)は、通常のブログやSNSなどと同様に公開したりシェアすることができ、売買も可能。
note
プラットフォーム依存の危険性
tumblrがオウンドメディアに向いたブログプラットフォームであるとお伝えしましたが、ポータルサイトのブログサービスを利用することも含め、プラットフォームに依存するということはそのプラットフォームと運命を共にすることを意味することを忘れないで下さい。
何らかの事情で運営継続できず閉鎖してしまった場合、今まで掲載した記事はすべて消えてしまいます。もちろんバックアップを取ることは可能でしょうが、ドメインの力は失われますし、移行するにも手間がかかります。
また、プラットフォームに依存するということは、ポリシー改定があった際にも従わなければなりませんし、急なデザイン変更があっても抗うことができません。コンテンツが残るなら体裁は気にしないというのであればいいかもしれませんが、依存することの意味を理解した上で利用することをオススメします。
結局Webでは、まだまだテキストが重要
何かを表現するにあたり、ブログという選択肢は手軽ですぐに始められる最適解とも言えるでしょう。サーバの構築やHTMLファイルの準備、ディレクトリの構造把握など、以前はブログ一つ始めるにも一苦労の時代がありました。
今もWordpressでブログを始めるにはある程度の基礎知識が必要ですが、ライブドア・はてな・アメーバといったポータルサイトに依存したブログサービスや、今回のテーマでもあったブログプラットフォームなら、アカウント登録から数分でブログを始めることができます。
Webで何かを始めることの敷居は年々下がっていますし、いくら理論だけ知っていても使ってみなければ真価はわかりません。確かにオウンドメディアや個人ブログそれぞれに適したサービスは存在しますが、住めば都とも言いますし、とりあえず気になったら使ってみるという思い切りも必要です。
幾多のサービスが生まれてはすぐに消えていくWebの世界で、15年という長い歴史を持つブログというテキストの文化はそう簡単になくなりません。画像や動画がマーケティングの主力となりつつあるとしても、SEOがインバウンドとして強い力を持つ現状では、テキストの検索性は変わらず重要です。結局のところ、皆さんがGoogleの検索窓にタイプするのはテキストでしょうからね。
以上、『tumblr、Medium、cakes…ソーシャル機能や思想を持つ『ブログプラットフォーム』の使い分けを考察』でした。http://blogos.com/article/108705/
再生核研究所声明218(2015.3.19)興味、関心、感動;人間とは
(2015.3.14:13時頃、歩けることの不思議さを感じながら、春先の 昼食後の散歩の折り、自然に湧いた考えである。)
考えの中心が 次の声明にあるので、まず要点を引用する:
再生核研究所声明 76(2012.2.16) 教育における心得 ― 教育原理:
(前略)
まず、大いに注意したいのは、 人間が教育を受けて、大きく性格、人格、価値観、感性などなどが 強い影響を受ける事実である。これは教育を受けて を 環境によってと 広く言い換えられる。 特に幼児教育の影響は甚大であるとも言える。 あたかも人間が形成されていくように思える程である。 顕著な例が、言葉の学習である。 実際、普通の人間ならば、 幼児の時代に過ごした、どのような世界の言語も 自然に話せるようになるだろう。 これは事実驚異的なことと言える。 幼児教育が、どのような環境、教育でどのような影響を与えるかの研究は ほとんど未知の研究分野ではないだろうか。
いろいろな天才の出現; 音楽や芸術の才能、スポーツの才能の開花、数学の才能の開花、などなど広範に及ぶ、才能の開花と環境の影響である。 大きな未知の分野として、触れておきたい。
次に人格形成の時期における問題である。 人は好きなことをやりたくなり、感動する分野で,価値を見出すであろう。 ここが大問題である。どうして、そのような感性がどのような環境、教育で育つのであろうか。 好き嫌いなどの感性、感動する対象がどのようにして定まって来るのであろうか。 固有の人間の生命活動と、環境の極めて複雑な関係で発達するようにみえ、その過程は極めて漠然としているのが現状ではないだろうか。
あまりにも未知のことが広くて、深いので、そこで、基本として自由放任主義や自由を尊重した教育原理が考えられるのは、当然である。また、それは、自然に帰れとも表現されるだろう。
もちろん、これでは、 良き社会人としての人間の成長が望めず、また、社会、文化の継承の面からも基本的な問題が生じる、 そこで、基本的なカリキュラムを用意して、学校生活を 調えて、教育を組織的に行うことになる。
個性を生かす、個人の能力を活かす、個人の全人的な成長を図ること; 良き社会人を育成し、文化の継承を図る、これらは教育の基本的な要素、教育原理であると考えられる。
軍国主義的な教育、偏狭な愛国主義的な教育が、 また、宗教などが 全人格に甚大な影響を与えてきた事実を振り返るまでもなく、学校教育の影響も強く、他方、いろいろな個別的な、専門教育も、特殊教育も個人に甚大な影響を与えてきた多くの例を想起したい。
特に注目したいのは、初めて受けた教育の影響の大きさである。 若いときに受けた教育の影響が 後々まで影響を与えて、3つ子の魂百までもの諺は、教育の故か、人の性格は変わらない事実を 如実に示している。 3つ子の性格は もちろん大きく、環境と教育の影響を受けているのは当然である。 狼に育てられれば、狼のようになってしまう。 大学で、ある専門に惹かれると、終生その学問・研究に惹かれ、没頭して、そこに自分の世界を見出すのは 世に多い現象である。 後で、変更できないような甚大な影響を受けるので、何事初期教育は極めて大事な観点ではないだろうか。
この声明の意図は、教育の枠をはめすぎ、型にはめすぎると、変な人間ができる危険性が高いのではないかと 注意を喚起することである。(以下略)
人間は 多くは本能原理で、生物面では共通にできているが、純粋に趣味、関心、興味、好みなどに於いては 驚くべき多様性を有し、それは社会の多様性、人間世界の広さと深さの原理である。問題は、喜びを感じる、感動することが、人によって相当に違いがあり、それが価値観の相違となって現れてくると言う事である。1日 本当に自由な日が与えられたとき、どのように過ごしたいかは、人それぞれである。価値判断もそれぞれである。そのような感性、人生観や世界観がどのように構成されるかは、人間とは愛するところのものである ともみなせるから、上記声明76のように極めて興味深く、大事な基本的な問題ではないだろうか。
人間には、共感、共鳴したい本能があるから、共通の感動を覚えたり、共通の価値観を持つ者が群がり、ある社会を構成するだろう。これは人間社会に無数に存在する、社会の細胞のようなものになる。俳句会やお花教室、談話会や教室、塾 等々。
8歳で巨大素数の構造に興味がある、6歳で無限に興味があるなど、どうしてそのような興味を抱いたかは、大いに興味がある。一般に、早く、あるいは長く関与したり、学習していると愛情が深まり、興味が深まり、 どんどん能力が進み、感性も発展して、志や夢、感動の元となるは 世に広く見られる。
このように考えて来ると、個人でも、集団でも、人間と数学は同じようなところがあることに気づく。 数学は、膨大に広がっているが、興味を持たれる部分がどんどん発展して、研究者は専門や分野の中に 人生を掛けていくことになる。個人でも、ある集団でもそうである。応用される分野では 要請される課題の研究になるが、純粋数学の場合には本質的に興味によって方向が定まると言える。そこで、なぜ、興味を抱くか、どうしてそのような数学に興味を抱くか、それは、人間とは 何者かと問うことである。何をするように人間は 作られているのだろうか。生存の問題を超えた、高いレヴェルの段階における問題を提起している。人間存在の原理; 存在、智、愛、すなわち、存在することは、 知ることであり、また、何かを求めることである。 存在することを求めるは 当然理解できるが、 しかし、それらを超えて、人間は何を求めているのだろうか。真、善、美、聖と表現されることを求めるは 古来から、知られてきているが、その背後に、感動することを求めるは、当然であるが ― 人間が好きなことをして、好きなことを求めるは当然であるから – 人間は何に感動するかと問うている。すなわち、人間は、何をするように作られているか。それが、個人の生命、もともとのものと環境によって定められていることは 確かである。
数学にいろいろな公理系が有って、いろいろな数学が有るように 人や民族にはいろいろな文化背景を持っていて、感動するもの、仕方、価値観などでも相当な違いが存在する。それらの間の関係と評価、交流などは基本的な問題があるが、人間には、新規なもの、珍しいもの、に興味と関心をもつ本能があるのは確かであるが、最終的な評価はどのようになるであろうか。
この声明は 論旨が不明瞭であるが、基本的な興味深い、未知の世界に注意を喚起させたものとして、未完の声明としたい.
人間は、何をするように作られているかの問題について、相当に良い解答を得ていることに気づく:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
関係話題について、下記の声明も参照:
再生核研究所声明 112(2013.3.14) 公理系からの脱却、論理的思考、逆思考によって、視野を高め、広めよ ― 平成暗黒時代を このまま終わらせて 良いものか
再生核研究所声明173(2014.8.6) 愛が無ければ観えない
再生核研究所声明175(2014.8.8) 人間の擁く 大きな虚像
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
以 上
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