Johannes Kepler
2015年03月21日(土)NEW !
テーマ:数学
ヨハネス・ケプラー
曖昧さ回避 宇宙補給機については「ヨハネス・ケプラー (ATV)」をご覧ください。
ヨハネス・ケプラー
人物情報
生誕 1571年12月27日
ドイツの旗 ドイツ ヴァイル・デア・シュタット
死没 1630年11月15日(満58歳没)
ドイツの旗 ドイツ レーゲンスブルク
居住 グラーツ、プラハ、リンツ、ウルム
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身校 テュービンゲン大学
学問
研究分野 天文学
数学
自然哲学
主な業績 主な業績の節を参照
プロジェクト:人物伝
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ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年12月27日 - 1630年11月15日)は、ドイツの天文学者。天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱えたことでよく知られている。理論的に天体の運動を解明したという点において、天体物理学者の先駆的存在だといえる。数学者、自然哲学者、占星術師という顔ももつ。欧州補給機(ATV)2号機の名前に彼の名が採用されている。
目次 [非表示]
1 生涯
2 自然哲学
3 ケプラーの法則
4 ケプラー予想
5 著書
6 伝記など
7 主な業績
8 脚注
9 参考文献
10 外部リンク
生涯[編集]
ケプラーは1571年12月27日、ドイツのシュワーベン地方にある自由都市ヴァイル・デア・シュタット (en:Weil der Stadt)にて居酒屋を営んでいたハインリヒ・ケプラーとカタリーナ・ケプラーの間に生まれた長男。天然痘に呪われ、4歳の時に天然痘で視力を落とし、晩年には天然痘で妻子を失った[1]。プロテスタントであり、これは宗教的対立の高まっていた当時の神聖ローマ帝国において、ケプラーに苦難を強いる原因の一つとなった。ケプラーの家は貧しく学校に行くことのできる環境ではなかったものの、奨学金を得て、神学校に進学したのち、1587年、テュービンゲン大学に入学し数学を学んだ。1594年にはグラーツの学校(現在のグラーツ大学)で数学と天文学を教えるようになった。1597年にはバーバラ・ミューラーと結婚。しかし翌1598年にはグラーツを治めていたオーストリア大公フェルディナント2世がグラーツからのプロテスタントの聖職者と教師に町からの退去を命じ、ケプラーは失職する。
そんな折、1599年、ティコ・ブラーエ (1546-1601) に助手として(ケプラー自身の主張によれば、ケプラーはブラーエに共同研究者として招かれたのであって、助手ではない)プラハに招かれ、ケプラーはこれを受諾しプラハへと移った[2]。ティコは大観測家であり、1576年から1597年の21年間、デンマーク(現スウェーデン領)のヴェン島にウラニボリ天文台を建設して天空の観測を続け、さらにプラハでも観測を続けていた。この観測データは望遠鏡のなかった当時、肉眼で観察されたものとしては最高の精度を持っており、正確で膨大な観測データはのちに紆余曲折ののちケプラーの手に入り、ケプラーの法則発見の基礎となった。一方でティコは自らのデータから地動説を支持する証拠を見つけることができず、自ら手を加えた天動説を提唱していた。
1601年にティコが亡くなると、ケプラーはブラーエの後任のルドルフ2世宮廷付占星術師として引き続き仕え、ティコの残した観測データをもとに研究を続けた。しかし、ティコの遺族にルドルフ2世が支払うはずだった観測データの代金はほとんど支払われず、ケプラーとティコの遺族のあいだには争いが起きた。1609年、代表作とされる「新天文学(Astronomia Nova)」を執筆した[3]。「ケプラーの法則」の第1と第2法則もこの論文におさめられている。1611年には3人の子のうちの一人と妻のバルバラが死去し、1612年にパトロンであったルドルフ2世が亡くなると、ケプラーはプラハを離れ、オーストリアのリンツに州数学官の職を得た。1613年にはズザナ・ロイティンガーと再婚し、1618年にはケプラーの第三法則を発表したが、1620年から1621年には故郷ヴュルテンベルグにおいて母カタリーナが魔女裁判に掛けられたため、その地にとどまって裁判と弁護に奔走した。1621年に無罪判決を勝ち取るとリンツに戻ったが、1626年には反乱軍によってリンツが被害を受けたためウルムへと移り、ここで1627年にはルドルフ表を完成させた。1630年、レーゲンスブルクで病死した。
自然哲学[編集]
ケプラー初期の多面体太陽系モデル
太陽近傍
ケプラーの自然哲学の中心は惑星論にある。ケプラーは数を宇宙の秩序の中心とする点や天体音楽論を唱える点で自然哲学におけるピュタゴラス的伝統の忠実な擁護者であった。その反面、コペルニクスやティコ・ブラーエ、ガリレオ・ガリレイも脱却できなかった円運動に基づく天体論から、楕円運動を基本とする天体論を唱え、近世自然哲学を刷新した。
ケプラーの真の功績は、数学的な裏付けを持った物理モデルを提出するという方法の先駆者だった所にある。彼のモデルそのものは誤っていたが、結果的にこれはガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートンを経て古典物理学の成立へとつながっていく。
ただしケプラーの「数学的裏付け」は、まだ合理性において不十分なものであった。例えば彼が初期に提唱した多面体太陽系モデルは、「惑星が6個存在することは、正多面体が5種類しか存在しない事と関連があるに違いない」という思い込みによるものである。またケプラーは火星の衛星が2個である事を予言したが、これは「地球、火星、木星の衛星の数が等比数列をなしている」という思い込みによるものである。結果として火星の衛星の数は2個であったが、その仮説の前提である木星の衛星の数は、当時知られていた4個よりも遥かに多かったのである。
ケプラーの法則[編集]
詳細は「ケプラーの法則」を参照
ケプラー以前の天文学では、惑星は中心の星の周囲を完全な円軌道で運行すると考えられていた。曰く、完全なる神は完全なる運動を造られる、というものだった。惑星は逆行運動をする事が知られていたが、この問題は周転円の考えを導入する事で解決され、最終的にはクラウディオス・プトレマイオスによって天動説はほぼ完成し、長きにわたって惑星は円軌道で運行すると信じられた。
ニコラウス・コペルニクスは地動説を提唱した。現在、それは「コペルニクス的転回」として、発想の大転換を表現する際に比喩として用いられるが、そのコペルニクスもまた、惑星は円軌道で運行するという考えに縛られており、コペルニクスの地動説は従来の天動説に対し、少ない周転円で同程度の精度を出せるだけに過ぎない。実際には、周転円なしでもそれなりの精度が得られるため、理論の単純さのために精度を犠牲にする地動説論者も多かった。逆に、これを引き継いで『プロイセン星表』を作成したエラスムス・ラインホルトに至っては、逆に周転円の数をプトレマイオスの天動説よりも増やしてしまい、かえって煩雑さを増すという結果となった。
これに対してケプラーは、惑星の運動を歪んだ円、もしくは楕円であるとした。惑星の軌道を楕円と仮定するとティコ・ブラーエの観測した結果を説明できることが分かり、後にケプラーの法則とされた。これによってようやく地動説は、従来の天動説よりも単純かつ正確なものとなったのである。
ケプラーの法則によって導かれる結論は、距離の二乗に反比例する力によって、惑星が太陽に引かれているという事実である。ケプラーは「太陽と惑星の間に、磁力のような力が存在する」として、その事に気付いていたが、その力の正体を解明するに至らなかった。後にアイザック・ニュートンによって、その力が万有引力であるとされた。
ケプラー予想[編集]
ケプラーはまた、球を敷き詰めたときに、面心立方格子が最密になると予想した。 この予想はケプラー予想と呼ばれ、規則正しく敷き詰める場合に関してはガウスによって早々に証明されたが、 不規則な敷き詰め方に関しては、400年もの間未解決の問題であった。ケプラー予想は1998年に、トーマス・C・ヘイルズによって、コンピュータを駆使して解決された。
著書[編集]
The Forerunner of Dissertations on the Universe, Containing the Mystery of the Universe1596年出版(宇宙についての先駆的論述、宇宙の謎を含んで、の意)[4]
以下が日本語訳されている。
Somnium
『ケプラーの夢』渡辺正雄・榎本恵美子共訳(講談社,1972年、講談社学術文庫 1985年)
Mysterium cosmographicum
『宇宙の神秘』大槻真一郎・岸本良彦共訳(工作舎、1982/2009年 ISBN 978-4-87502-417-0)
Harmonice Mundi 1619年出版
『宇宙の調和』岸本良彦訳(工作舎、2009年 ISBN 978-4-87502-418-7)
Astronomia Nova 1609年出版
『新天文学』岸本良彦訳(工作舎、2013年 ISBN 978-4-87502-453-8)
伝記など[編集]
ヨハネス・ケプラー 近代宇宙観の夜明 アーサー・ケストラー 小尾信弥,木村博訳.河出書房新社,1971. のちちくま学芸文庫
ケプラーと世界の調和 渡辺正雄編著.共立出版,1991.12.
ケプラー疑惑 ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録 ジョシュア&アンーリー・ギルダー 山越幸江訳.地人書館,2006.6.
ヨハネス・ケプラー 天文学の新たなる地平へ オーウェン・ギンガリッチ編 ジェームズ・R.ヴォールケル 林大訳.大月書店,2010.9.オックスフォード科学の肖像
主な業績[編集]
ケプラーの法則を発見した。
光の逆2乗の法則(強さが光源からの距離の二乗に反比例する)を証明した。
1631年の水星の太陽面通過を予言した。(ガッサンディにより証明)
ケプラー多面体を2つ発見した。
ケプラー式望遠鏡を発明したが実際には製作しなかった。
後にハレー彗星と呼ばれる、1607年の彗星を観測し記録を残した。
1604年の超新星を発見・観測した。
雪の結晶が必ず正6角形になることを発見した。
ケプラー問題を提起した。
ケプラーの八角星を発見した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f 割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している、好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
以 上
文献:
Castro, L.P.; Saitoh, S. Fractional functions and their representations. Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算を掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算は 自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの意見は 割り算を除算の固有の意味から考えて、自明であると結論づけたものであるが、この文脈を追記すると:
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数(商)は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。
さらに、
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法自身は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっている(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
さらに、道脇裕氏が、2014.12.14日付け文書で、上記除算の意味を複素数の場合にも拡張して ゼロ除算z/0=0を導いているのは、新しい結果であると考えられる。
吉田洋一氏は、上記著書で、ゼロ除算の方法を詳しく書かれているにも関わらず、ゼロ除算はゼロであるとの 結果に至っていない。道脇氏が見破ったセロ除算が出ていない。 吉田氏が書かれているように、中世ヨーロッパ、アジアでも、計算機内の計算法でも広範に、使われている方法の 小さな、小さな発想が出ていない。世界は広く、四則演算を習い、使用している人は それこそ膨大な人口なのに 皆道脇氏の発想が出ていないということは 何を意味するであろうか。 もちろん、数学や物理学の天才たちを回想しても 驚くべきことである。 しかも, 物理学には、ゼロ除算が自然に現れる公式が沢山存在して、ゼロ除算は 物理学の 不明な、曖昧な点であったという事実さえ存在していた。世間でもどうしてゼロで割れないかの疑問は 繰り返し問われてきていた、問われている。
この小さな、小さな発想の1歩が出なかった理由は、除算は乗算の逆であって、ゼロ除算は不可能であるという、数学の定説が ゆり動く事がなかったという、厳然とした事実ではないだろうか? 数学的に不可能性であることが証明されていることは、あたかも 絶対的な真理のように響いてきたのではないだろうか。― しかしながら、人類は非ユークリッド幾何学の出現で、数学的な真実は変わりうることを学んでいるはずである。 実際、平行線が無数に存在したり、全然、存在しない幾何学が現れ、現在それらが活用されている。
道脇愛羽さん(当時6歳)は 四則演算の定義、基本だけを知っていて、自由な発想の持ち主であるがゆえに、得られた感覚とも言えるが、無限が好きだとか、一般角の三等分を考えるなど、相当な数覚の持ち主のように感じられる。道脇裕氏は、自由人で、相当な整数論を独力で展開するなど多彩な才能の持ち主であるが、除算の理解にも深く、複素数でも除算の考えができるなど、全く新しい結果を得ていると考える。数学の定説など ものともしない、世界を観ているのが良く分かる。それらの故にこの偉大な1歩を踏み出すことができたと考えられる。
この1歩は偉大であり、小学校以上の割り算の考えを改め、ゼロ除算を 世界の常識にすべきであると考える。
我々は、この発見の契機から、人間の創造性について沢山の事を学べるのではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算が掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算はある自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの自明であるという解釈は 再生核研究所声明194で纏めたので、ここでは高橋の一意性定理を確認して置きたい。
まず、山形大学の高橋眞映 名誉教授によって与えられた 定理とその完全な証明を述べよう:
定理 Rを実数全体として、 Fを R x R からRへの写像(2変数関数)で、全ての実数 a、b、c、d に対して
F (a, b)F (c, d)= F (ac, bd)
および b がゼロでない限り、
F (a, b) = a/b
とする。 このとき、 F (a, 0) = 0 が導かれる。
証明 実際、 F (a, 0) = F (a, 0)1 = F (a, 0)(2/2) = F (a, 0)F (2, 2) = F (ax 2, 0 x 2) = F (2a, 0) = F (2, 1)F (a, 0) = 2F (a, 0).。 よって F (a, 0) = 2F (a, 0)、ゆえに F (a, 0)=0。
この定理で、F (a, 0) を a/0 と定義するのは自然であり、実際、 そう定義する。 ここは大事な論点で、チコノフ正則化法や道脇方式で既にa/0が定義されていれば、もちろん、定理ではF (a, 0) =a/0 が導かれたとなる。
定理は 分数の積の性質 (a/b)(c/d) = (ac/bd) を持つもので、分数をゼロ除算に(分母がゼロの場合に)拡張する、如何なる拡張も ゼロに限る a/0=0 ことを示している。― これは、拡張分数の基本的な積の性質(a/b)(c/d) = (ac/bd)だけを仮定(要請)すると、ゼロ除算は ゼロに限る a/0=0ことを示しているので、その意義は 決定的であると考えられる。 この定理は千年以上の歴史を持つゼロ除算に 決定的な解を与えていると考えられる。
チコノフ正則化法や一般逆の方法では、一つの自然な考え方で導かれることを示しているだけで、いろいろな拡張の可能性を排除できない。道脇方式も同様である。 一意性定理とは、そもそも何、何で定まるとは、その、何、何が定める性質の本質を捉えていて、導いた性質の本質、そのものであると言える。高橋眞映教授の定理は 証明も簡潔、定理の意義は絶大であり、このような素晴らしい定理には、かつて会ったことがない。数学史上の異色の基本定理ではないだろうか。
ゼロ除算は、拡張分数が 直接、自明であるが、積の公式が成り立つと、積極的に性質を導いていることにも注目したい。(ゼロ除算は 新しい数学であるから、そのようなことまで、定義に従って検討する必要がある。)
ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 人は、我々の時代で、夜明けを迎えたいとは 志向しないであろうか。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
高橋の一意性定理だけで、数学はゼロ除算100/0=0,0/0=0を確定せしめていると言えると考える。 実はこの大事な定理自身は 論文にもそのまま記述されたにも関わらず、共著者名に高橋の名前が高橋教授の希望で載っていない:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
ところが、 高橋教授がゼロ除算の一意性を証明したと 当時 アヴェイロ大学にポスドクで来ていた、イタリアのM. Dalla Riva博士に伝えたところ、そんな馬鹿な、反例を作ると猛然と挑戦したのであるが次々と失敗を続けていたが、帰る頃、驚いて高橋の結果は正しいと独自に定理を発見、証明した。― そこで、いろいろ経緯があって、共著で論文を書こうと提案していたところ、ゼロ除算そのものの研究の意味がないとして、論文と研究には参加せず、彼の結果は、齋藤のものとして良いとなった。彼らのあるグループ間では ゼロ除算は意味がないということで、意見が一致したというのである。これは数学が正しくても意味が無いという、見解の人たちが存在するという事実を述べている。アヴェイロ大学でもそのような意見であったので、アヴェイロ大学では、ゼロ除算は研究できない状況になっていた。それらの思想、感覚は、アリストテレスの世界観が宗教のように深くしみわたっていて、universe は不連続なはずがないという事である。ゼロ除算における強力な不連続性は受け入れられない、ゼロ除算はまるで、恐ろしい魔物をみるように 議論しても、発表してもならないと 数学教室の責任者たちに念を押された事実を 真実の記録として、書き留めて置きたい。
独立に証明された、Riva氏と高橋教授は、自分たちの定理の重要性を認識していなかったように感じられる。 他方、齋藤は、最初から今もなお その素晴らしさに驚嘆して感銘させられている。
以 上
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ゼロ除算 100/0=0 は 説明も不要で、記号を含めて 数学的に既に確定していると考える。 もちろん、そこでは100/0 の意味をきちんと捉え、確定させる必要がある。 100/0 は 割り算の自然な拡張として ある意味で定義されたが、 その正確な意味は微妙であり、いろいろな性質を調べることによって その意味を追求して行くことになる:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
100/0=0 というのであるから、それは 100= 0 x0 というような意味を有するであろうかと 問うことは可能である。 もちろん、x を普通の掛け算とすると0x0 =0 となり、矛盾である。ところが山根正巳氏によって発見された解釈、物理的な解釈は絶妙に楽しく、深い喜びの情念を与えるのではないだろうか:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
等速で一直線上 異なる方向から、同じ一定の速さvで、同じ質量mの物体が近づいているとする。 その時、2つの物体の運動エネルギーの積は
\begin{equation}
\frac{1}{2}m{ v}^2 \times \frac{1}{2}m{(- v)^2} =E^2.
\end{equation}
で 一定E^2である。
ところが2つの物体が衝突して止まれば、vは ともにゼロになり、衝突の後では見かけ上
\begin{equation}
0 \times 0 =E^2.
\end{equation}
となるのではないだろうか。 その時はE^2 は 熱エネルギーなどに変わって、エネルギー保存の法則は成り立つが、ある意味での掛け算が、ゼロ掛けるゼロになっている現象を表していると考えられる。 ゼロ除算はこのような変化、不連続性を捉える数学になっているのではないだろうか。 意味深長な現象を記述していると考える。
運動エネルギー、物質は数式上から消えて、別のものに変化した。 逆に考えると、形式上ないものが変化して、物とエネルギーが現れる。これはビッグバンの現象を裏付けているように感じられる。 無から有が出てきたのではなくて、何かの大きな変化をビッグバンは示しているのではないだろうか?
以 上
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