2015年3月20日金曜日

地球のためエコや動物保護を標榜している団体や人(人間)は偽善者だと思いませんか?

地球のためエコや動物保護を標榜している団体や人(人間)は偽善者だと思いませんか?
↓以下の意見に対して賛同・反論はありませんか?
自然破壊に待ったをかけたのは、「人間の生活に不都合が生じるかもしれない」という懸念があったからであって、決して草木といった植物に配慮した結果ではない.「地球に優しく」という言葉は、人間の綺麗な生き物でありたいという願望から生まれた言葉であって、人間の深淵にあるのは他の生き物と何ら変わらない血みどろの生存本能のみである.ならば、「地球に優しく」ではなく「人間に優しく」というべきだと思う.絶滅危惧動物保護も同様に偽善である.なぜなら、もし絶滅危惧動物が人間の特権階級を脅かす存在になったとすれば、人間は必ずその絶滅危惧動物を抹殺するからである.人間が管理できない生き物には、消えてもらうという考え方故に、人間が地球上で特権階級まで上り詰めたのだと思うのだ.人間の暮らしの繁栄によって、絶滅という名の崖っぷちに追いやられた生き物の立場になってみれば、絶滅危惧保護を標榜する人間に対して抱く感情は、憎悪ではないだろうか.よって、人間の良心を満足させるための絶滅危惧動物保護は偽善だと言えないだろうか.ならば、善悪の規範は何なのだろうか.http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11143317831
要するに生態系、環境の保存は 人間存在の基礎ですから、いろいろ環境に思いをするのは大事では?

再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念
先ず、アースデイの概念であるが、グーグルで検索すると、環境関連の会議で、環境問題についての討論集会、環境のかかえる問題に対して人びとに関心をもってもらおう、 地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動  などから、地球環境を大事にしようという概念が 鍵となっているようである。
そこで、地球について改めて、考察し、かけがいのない地球 に想いを致し、元祖生命体における人類の使命(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)を自覚するように 訴えます。
広大な宇宙空間で、地球のように 生命が繁茂し、人間のような ある程度の精神作用や自由意志を有する高等生物が生息する天体は 未だ見つかっていない。 このことからも、既に 地球が広大な宇宙の中で、かけがいのない存在 であることが分かる。 人類が存在して、初めて、全てのことは始まるから、人類の生存は 最も大事な ことになる(再生核研究所声明13)。 雄大な生態系において、人類はその頂点に位置していて、自由意志と能力によって、地球や生態系に重大な影響を与えている。 実際、人類が望めば、原爆などで地球を破壊し、生命の絶滅も可能であろう。しかしながら、実は、人類の自覚が無ければ、このままでも 生態系が破壊され、少なくとも人類絶滅にいたるのは 物理的にも 容易に想像される。
実際、地球外から地球を見れば、人類が如何に自然と生態系を破壊して来たかが、良く理解できる。人類こそ、地球の生態系を蝕む、がん細胞のような存在であることを しっかりと理解する必要がある。がん細胞が増殖すれば、生態系は乱され、やがて がん細胞すら存在しえなくなるのは明らかである。
このような観点から、地球環境の保全、特に生態系の保全に特別な想いを致すのが、アースデイの理念 でなければならないと考える。
生きている地球が、地震などを起こすのは道理である。 地球と仲良く生きるとは、地震などにも柔軟に対応できる生き方をするということである。母なる地球が在って、豊かな生態系が在って、はじめて人類の生存の基礎ができるのである。 それらの持続可能な在りようを追求するのが、元祖生命体の代表である人類の 真に崇高な使命である。大義である。
生態系の在りようは 多様性によって裏付けられているが、その実体は未だ 人知の及ばない領域とも言えるから、人類は謙虚になって、
1)  人類の立ち入らない島や、地域の制定
2)  あらゆる生物種の保存
に努力するように訴える。 人生で確かなこととは 生きて存在しなければ何も始まらない (生命の基本定理) ということであり、生態体系の保存に心すべきであり、元祖生命体の進化を見守りたい。 また、広い存在領域の確保のためにも、地球外への進出も企てたい(再生核研究所声明32)
以 上

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