お金で買うしかない」2つの幸せ」って?専門家が語る、「幸せ」と「お金」の関係
2015年3月6日10時30分ウレぴあ総研
お金で買うしかない」2つの幸せ」って?専門家が語る、「幸せ」と「お金」の関係
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お金の「そうなんだ!」「本当?」といったいろんなヒントをファイナンシャルプランナーの筆者が分かりやすく教えます。今回のテーマは「お金でしか買えない幸せ」というお話です。幸せをお金で買うなんておかしい?いやそうでもないのです。
安いだけで買ってはいけない!節約せずにお金が貯まる買い物術
■幸せはお金では買えないものだが
大原則として、幸せはお金で買えるものではありません。しかし、よくよく考えてみると、多くの幸せはお金で手に入れるものだったりします。
お気に入りの服を見つけて衝動買いするためには、お金が必要です。新作ゲームソフトで遊びたいと思うのならお金が必要になります(無料プレイだけで幸せならいいのですが)。友達と楽しい時間を過ごすとき、スタバのお茶代あるいは飲み代を出して「場所」を手に入れることになります。
とはいえ、本当にお金がないなら友達と過ごす場所を自宅にすることもできますし、アウトレットやフリーマーケットで服を探せば、お金はそれほど問題ではなくなります。むしろお金で手に入れるのは難しい「ゆとりのある時間」の確保や「大事な人の存在」のほうが重要になってきます。
お金をかけて結婚式をどんなにゼイタクにしたとしても、人生をともに過ごしたいと思いあう結婚相手を見つけることはお金と関係ないところで努力しなければなりません。やはり幸せはお金で買えないという気がしてきます。
しかし、これからの人生において、どうしても「お金で買うしかない幸せ」2つあるのです。
お金の専門家であるファイナンシャルプランナーの立場から、今回は少し「お金で買う幸せ」について考えてみましょう。
■「家」にまつわる幸せはお金で買うしかない
お金が幸せに直結するテーマの一つは「家」です。
マイホームに家族が住む幸せを思い描いたり、自分の家があることで安心が得られるとしたら、これはお金で買わなければなりません。家がない状態は不安定だということは誰でも感じることだと思います。マンガ喫茶をはしごしながら一年を過ごすことは、仮に家賃より安上がりであってもストレスでしょう。ちゃんとした仕事について生活を営みたいのであれば家は欠かせません。
30代から40代になると、一生のすみかとして家を買うことになります。3000万円以上になることも多い買い物は人生で一番高い買い物になりますが、これにより「住むところはある」という安心を得たり、家族が楽しむよりどころ、文字通り「ホーム」ができることになります。
しかし、金額を見れば分かるとおり、そのためにかかるお金は高額です。一部を予め貯めておき頭金として出し、残りをローンにして数十年かけて返します。返済がありますから、仕事がイヤだからと無職になることはもう許されません。しかし、部屋に帰ってくつろぎ、家族に「お帰りなさい」と言ってもらえることでまた仕事をする元気をもらえるわけです。
できるだけ無理のない金額で家を買うことや、上手な返済計画を考えることも幸せと連動するお金の問題です。いい物件は高く、遠くてやや狭い物件は安くなります。幸せをどこまでお金で買うか悩ましいテーマです。
また、賃貸派で家を買わなくてもいいよ、という人も、一生家賃を払い続ける「お金」が必要なのは事実です。家を買わなくてもやはり、お金の問題となってくるわけです。親の家をそのままもらえる場合であっても、相続税や固定資産税は払わなければならないので、これまたお金の問題となってきます。
■「こども」にかかる幸せはお金で買うしかない
もうひとつ、お金が幸せに直結するテーマは「こども」です。
子どもを育てるのは楽しいことがもりだくさんです。マンガ「よつばと!」に出てくるような楽しいシ子育てチュエーションは本当にやってきます。私たちはよく「超かわいい!」といいますが、子育てをしている親の立場から言わせてもらえば、「超かわいい!」と心から思うのは、子育てしているときです。
しかし、子どもを育てていくことは、ほとんど「お金」の問題です。子どもにご飯を食べさせ、服を買い与え、保育園や幼稚園の通園料を払わなければなりません。週末はどこかにおでかけすればお金がかかりますし、習い事や塾、予備校などいくらでもお金がかかります。確実に毎月何万円もかかります。
高校や大学の学費も高額で、7年間で900~1000万円くらいはかかるといわれています。子どもが社会人になるまでのあいだかかるお金の総額は2000万円ともいわれます。ある程度は節約できたとしても、ゼロというわけにはいきません。
子どもを働かせて自分にかかるお金を稼がせるようなことはできませんので、文字通りこれは「親の全額負担」です。子どもの笑顔は親のお金があって成り立つのです。
親になる、ということは、子育ての責任を負うということですが、これはほとんど「お金の責任」でもあるわけです。幸せをかみしめつつ、お金がかかる苦労も乗り越えていかなければならないのです。
■お金で買える幸せは堂々とお金で買えばいい
「幸せはお金で買えるものではない」と無邪気に言っていられるのは学生時代までの話です(実はこれも親にお金を出してもらって成り立っている幸せだったのです!)。
少なくとも、幸せとお金の問題はセットであることを自覚しておく必要があります。そして「家」と「子ども」はどうしても幸せをお金で買わなければならない要素です。
お金で買える幸せは、誰にも悪びれることなく堂々とお金で買えばいいのです。もちろん、幸せがある、ということが仕事をがんばる励みにもなります。もしかしたら、「幸せのためにお金が必要だ」と自覚していることが、仕事の成績にもつながるかもしれません。
ときどき、幸せとお金の関係を考えてみると、自分のこれから進むべき方向が見えてくると思いますよ。http://news.livedoor.com/article/detail/9857611/
再生核研究所声明125(2013年8月24日):お金の問題 - 貨幣について - 本質論
(2013年8月17日再生核研究所声明に関心を抱く人の 夏休みを利用して 順次触れたい)
まず、お金の述語を確認しておこう:
貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。
広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。
貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して信用が存在することが必要条件である。政府は、租税の算定に通貨を用いる。
なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に地獄の沙汰も金次第という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が その本質が見出される。人間の価値には 生命が救われたりする状況は 資本主義の発達したアメリカではアメリカンドリームとは 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が
ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍(不変)的な価値を持つとされる、金でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。
さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明72(2011年12月6日)慣性の法則 - 脈動、乱流は人世、社会の普遍的な法則も参照。
そこで、人間の多くの欲求がお金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。
美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。
これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる 再生核研究所75(2012年2月10日)声明:政治·経済の在りようについても参照。
宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からもお賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。
されば、お金とは何かお金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。
本の価値と1000年円が 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのがお金の本質であると言えるだろう。
お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以上
再生核研究所声明206(2015年2月12日)女性の生態、主婦の生態
人間の個性はいろいろであり、主婦の立場もいろいろであるが、女性や主婦の根源的な有り様を纏めてみたい。次に、男性の生態、亭主の生態と対で考察したい。
女性とは、何であろうか、主婦とは何だろうか。それには、女性の関心の所在を見極めれば良い。女性は、頼りを求め、育児と食の関心が強い存在である。頼りを求めるは、愛の問題や恋の問題が深いと言える。家庭を持つ以前の難題については次を参照:
再生核研究所声明36:恋の原理と心得
再生核研究所声明124(2013年8月20日):恋の機微 - 恋の極意
育児と食の関心は次の段階であるが、当然、若くから、準備されていることは当然である。世に多く見られる。これらを総括すると、猿などの家族で、育児に勤しむメスザルと
主婦の立場では、生も死も大した問題では無く、宗教も多くは深い意味を持たず、学問、芸術、政治なども多くは大きな関心ではなく、大きな存在ではないだろう - これらにおいて、男性勝りに能力が高く、関心の強い方は世に多いが、一般的とは言えないだろう。
結論的に言えば、女性は男性に比べて、より原始的な安定した、自然と神に近い存在といえよう。美しい女性を育てるには、愛情に恵まれ、経済的な基礎に基づく、豊かな生活が必要である。男性には、夢を与える志があるのが望まれる。世の男性の奮起を促したい。
以上
再生核研究所声明207(2015年2月13日)男性の生態、亭主の生態
人間の個性はいろいろであり、亭主の立場もいろいろであるが、男性や亭主の根源的な有り様を纏めてみたい。これは再生核研究所声明206(2015.2.12)女性の生態、主婦の生態と対で考察したい。
男性とは、何であろうか、亭主とは何だろうか。女性の関する難題については次を参照:
再生核研究所声明36:恋の原理と心得
再生核研究所声明124(2013年8月20日):恋の機微 - 恋の極意
世の亭主の批判は定着化しているのではないだろうか?それはソクラテスの悪妻として2000年以前から変わらない、主婦と亭主の根源的な関係である.-逆に男性が家庭に埋没していれば、女性は、物足りないと 女性より 家庭を持たないで、悟り、人生を肯定することは極めて難しい原理があることに注意を喚起して置きたい。もちろん、良き伴侶を見つけることの重要性は男性の一大事であることも、古来変わらない原理である。
以上
再生核研究所(2008年5月24日)15声明:空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国はいまや世界のどこにも無いと記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府にはしっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 以上。
国の借金千兆円を突破6月末時点
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(; _;)(; _;)シクシク·(-.-;)·(◎_◎)·(^ _-)DB(-_ ^)指切りげんまん
日本の財政を考えるより
日本の借金時計
財部誠一財部誠一ジャーナルより
全国都道府県の借金時計より
日本の借金時計(数字はうそをつかない)より
新しい政策機構「チャンーアルバムニューストップポケモンン」よりhttp://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
リアルタイム財政赤字カウンターより
日本日経経済復活の会 http://www.tek.co.jp/p/debt_time.html
米国借金時計:リアルタイム http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る09年度、失業手当て急増田http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者もみんな困るのでは?1代自分だけうまく行っても、2代、3代お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典:フリー百科事典「ウィキペディア(ウィキペディア)」。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
私は動いていないAM - 短編映画を - ウォール街を占拠せよ
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカの専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
(ネバダレポートの要旨)
1.公務員の総数および給料の30%のカット。ボーナスは全てカット。
2.公務員の退職金は100パーセントカット。
3.年金は一律30%のカット。
4.国債の利払いは5〜10年間停止。
5.消費税は15パーセント引き上げて20パーセントへ。
6.課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7。資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券/社債につい
ては、5〜15%のの課税。株式は取得金額の1%課税。
8。預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカのボツワナ共和国の国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀は法律により国債を直接購入(政府=財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカの植民地にならざるを得なくなります。以下略
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
- 松井誠、「第38回国会衆議院本会議1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー·テレサ
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