「62歳、住所不定、無職」の新人作家・赤松利市さんが小説「らんちう」で書かずにはいられなかった“ロスジェネの相対的貧困”
5年目を迎えたゼロ除算の発見と重要性をした:再生核研究所 2014年2月2日
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:
ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
カテゴリ:カテゴリ未分類
そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html
1+1=2 ( )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
再生核研究所声明 468 (2019.1.4) ゼロと無限の意味と関係
ゼロと無限の正確な意味と関係を簡明に記述したい。厳格な記述がここでは 大事である。
先ず、ゼロと無限の ここでの定義である。定義は論理の初めに大事である。ここではゼロとは、複素数のゼロのことで、複素数体の加法における単位元で したがってゼロの定義は 厳密に定義された。それを 複素数平面に表現して、幾何学的には複素平面の原点を表すと考えれば、ゼロは複素数面上に表現されていると考えられる。
次は無限の定義である。これはいろいろ意味や定義もあるので、ここでは 厳格に次のように定義しよう。 簡単に言えば、所謂複素解析学における無限遠点のことであり、無限の意味を明瞭にしたい。複素平面の一点コンパクト化という概念がある。 複素平面のあらゆる円盤の外に存在する点を想像して それを無限遠点と名付けて考える。そのような点は存在するだろうか。想像上の点なので理想点とも呼ばれているが、その想像上の点はz平面上に球を置いて、z 複素平面から球面上に立体射影すると、そのような理想上の点は 実は球面の北極に対応する点として考えられ、球面上では明確に この点に対応する点として、球面上では見えるように 明白に 捉えられる。 立体射影については 詳しい解説が幾らでも参照できるので、図を見ながら、参照して頂きたい。
すると、ここで言う、無限とは 無限遠点のことで、球面上では 北極点に対応する点として定義され、実在感もして、あらゆる円盤の外に存在する点であることも理解できるだろう。- ここで、あらゆる円盤の外を考えるのは 位相空間論で 平面のコンパクト化の概念を導入するために必要な表現である。-
ところで、この無限は、実数の場合ならば、実軸上の あらゆる区間の外にある点を考えるのであるから、プラス無限大やマイナス無限大を 表現していることが分かり、この無限の定義は適切であること、定義の裏付けとしての良さを理解できるだろう。
そこで、問題はその無限遠点は どのように表現されるだろうか ということである。 それは数だろうか。
複素解析では 無限の方に存在するとして 無限の記号∞で表現してきた。 複素解析では 符号なしの無限で、北極に対応する点である。 直線上をどのような方向に 行っても対応する球面上の点は 北極点に到達するから、この考えは自然で、諒解できるだろう。この考えは100年を超えた考え方で、世の定説と考えられている。- 大事な論点は 無限は近づく、極限の考え方で 捉えられているという 観点である。無限には、極限の概念が必要である。― 近づく、限り無く近づくという考え、概念である。限りなく遠ざかるも同様である。
ところがゼロ除算の発見で、天地が入れ替わるような事実が発見された。これは ゼロと無限の本質的な関係を述べている。基本的な関数W=f(z) =1/z を考える。z がゼロに近づくとき、W は限りなく無限遠点、無限に近づいていくことが 容易に分かる。これは歴然である。限りなく無限に近づいていくのだから、1/0 を無限としたくなるのは当然である。実際、1/0 = ∞ と書きたくなり、書いている本も多い。近づいている様をそのように表現していると言明すれば、それは定義であるから、正しい。適切な表現である。∞ の意味は厳密に定義された。 1/0 の意味は如何であろうか。当然、普通の分数でないことは明らかである。 実際、もし、それを a と置けば 1= a x 0 =0 となり、矛盾になってしまう。 我々の今の考察では、1/0 で 関数W=f(z) =1/z で z がゼロに近づいた先を表している意味と解釈される。すなわち、等式 1/0 = ∞ は 両辺とも極限を通して、両辺の意味が与えられる。近づいて行った先を表している。この意味は正確に正しい。
ところがこの状況で ゼロ除算の発見とは 次のようなものであった。関数W=f(z) =1/z
の原点 z =0 の値は 何と ゼロであるというのである。この事実は沢山の動機づけと具体例で示され、結果は既に 数学的な実体 であると言える。- この件は、ここでは触れず、事実として進める。
ゼロ除算では 1/0 の意味は もちろん普通の分数ではないが、関数W=f(z) =1/z
の原点 z =0 の値が ゼロであるという意味である。この意味はもちろん明白である。
我々は沢山の動機づけと定義を導入したが、この表現が最も簡明で良くゼロ除算の意味を表現していると考えている。
実関数y=1/xのグラフを書いて その関数の原点での値をゼロとすれは、ゼロが、原点がグラフの中心で美しい点を表していることを見ることができるだろう。 そこに現れたのが、強力な不連続性である。実関数y=1/x は 正の方向からゼロに近づけば、正の無限大に、負の方からゼロに近づけば負の無限大に近づくのに、原点での 値は何とゼロである。
ここで実に面白いのは、1/0 について、2つの解釈が有って、一方では無限で、他方ではゼロである。天と地の違いで、無限は極限の概念で捉えられ、ゼロは関数値として確定値、すなわち数ゼロで表された事実である。
無限とは非有界に発散していく先を表す、無限遠点のことで、近づいて行った極限点は 数字ゼロで表されている。- 無限遠点がゼロで表されていることを表現している。これで、ゼロと無限の関係は 捉えられたであろうか。 いろいろ冗長に述べたが、ゼロと無限の関係は、無限遠点がゼロで表されると厳格に述べられる。 ゼロも無限遠点も厳格に述べられ、それらの関係も厳格に述べられている。
数学的にはこれで良いが、神の意志を想い、なぜ無限遠点がゼロで表されたのであろうと哲学的な考察を進めるのは 楽しい。
これについて、想いを少し述べて置きたい。無限遠点とは想像上の点であり、それを表す数は 存在しない。ゆえにそれを表現する数も存在しない。 そのような時にゼロで表現する。
すなわち、ゼロには存在しないこと、不可能性を示す意味が存在する と考える。ゼロの役割と意味が存在すると考える。関数y=1/x は 正の方向からゼロに近づけば、正の無限大に発散する。 その先を表現する数は存在しない。それ故に ゼロで表されると神の意志を想って理解するのが良いと考える。
2つの例を挙げよう。
1 + 1+ 1+ ……
1 + 2 +3+ ……
のように 限りなく加えて行けば、それらは、どうなるだろうか。部分和の極限値を考えて それらは +∞ と考えられる。ところがゼロ除算の世界では それらの結果は 何とゼロになることが 広範な例ばかりではなく、厳格に導かれた。この驚嘆すべき結果は、上記神の意志と考えられる原理によって理解するのが良いと考える。我々は数学の論理を超えて 分かったと理解したい、納得したいものである。
ここで、結果ゼロであることに対して、それでは、上記で 途中から加えて行ったらどうなるかと考えて それらも再びゼロになるが、明らかな矛盾に陥ると考えてはならない。級数の和が上の場合のようにゼロになるとき、級数の和は実は、普通の意味での和ではなく、新しいある意味での和になるということである。- これは 条件収束級数における和と同じように元々の意味での和でない場合と同じようで、我々は新しい意味での和を考える必要がある。― 結果としては、無限を確定値のように考えていた場合、実際はゼロで表される。
それは、上記神の意志による。 数学的にも厳格に導かれる。
ゼロと無限遠点の関係を実現する リーマン球面(立体射影における球面)に代わる新しい空間のモデルとして、ホーン・トーラスのモデルが最近得られた。
サイトの美しいトーラスを見て下さい。ゼロと無限遠点が接していることが分かる。我々はゼロと無限が似たような性質があると感じてきたが、実はそれらは接していて、一つの2面であることが分かった。原点を通る直線はホーン・トーラス上では 2つの閉曲線に写るから従来の世界観とは違った新しい空間であることが分かる。
ゼロの歴史は結構知られているが、無限の歴史は不明なので下記を添付して置きたい:
歴史
紀元前400年から西暦200年頃にかけてのインド数学では、厖大な数の概念を扱っていたジャイナ教の学者たちが早くから無限に関心をもった。教典の一つである「スーリヤ・プラジュニャプティ」(Surya Prajnapti)では、すべての数は可算、不可算、無限の3種類に分類できるとしている。さらに無限には、1方向の無限、2方向の無限、平面の無限、あらゆる方向の無限、永遠に無限の5種類があるとした。これにより、ジャイナ教徒の数学者は現在でいうところの集合論や超限数の概念を研究した。
以 上
再生核研究所声明 466 (2019.1.2): 不完全な 現代初等数学、数学の基礎
現代数学の不完全性、現代数学の基礎には本質的な欠陥があることを できるだけ簡明に、明瞭に表現したい。 数学の現状は 数学界にとっても、人類にとっても 恥ずかしい状況であり、それを認識するのは 歴史的な必然であるから、数学の修正過程すら 我々の力量、我々の良心と真理を追究する精神のレベルを表現するものと考えられる。我々の文化の程度を表すとも言えるだろう。低俗で野蛮な文化時代は、世界史上にいろいろ存在する。
そもそも数学とは、算術の四則演算を基礎に 組み立てられていると言える。なるほど
世界最初の本格的な学術書ユークリッド原論では厳格に四則演算が確立され、展開されていたとは言えないが ピタゴラスの定理、比の重要な概念やユークリッド互除法、アルキメデスの放物線で囲まれた面積の求積などから 数の認識は相当に 深いと言える。ところが既にユークリッドの先人、アリストテレスは 物理的な概念から、ゼロで割ることは不可能であると主張され、現代でもギリシャ文化の強い影響を受けている、欧米の文化圏では 相当にゼロを嫌い、ゼロ除算に拒否反応が 強い。
他方、ゼロを発見して 算術の法則を確立した インドのBrahmagupta (598 -668?) はその際に 既にゼロ除算0/0=0 を正しく述べ、その後数百年に亘って、インドではゼロ除算 1/0 を問題にして、何と現在でも世界で10人くらいが追究している数学愛好者、数物、計算機関係の研究者たちが存在する。1/0 について、奇怪な数を考えたり、それらを含める理論体系を模索している状況すら存在する。
ゼロ除算でまず、触れるべきことは、ゼロ除算は不可能である という、数学界の永い間の定説と、アインシュタインの言葉に代表されるように、ゼロ除算は、物理学上の懸案の問題である という状況である。すなわち、ゼロ除算を普通の除算のように 掛け算の逆で考えれば、ゼロ除算が不可能であることは 直ちに証明されてしまうので、数学的に議論の余地は 無くなってしまう。 他方、物理学などでは 分数で公式が表現される基本法則が数多く存在するが、それらの公式で 分母がゼロの場合の意味づけが問われ、ゼロ除算が本質的な問題を引き起こす。 - ブラックホールは 神がゼロで割ったところに存在するなどと、神秘的な表現が出回っている。
ところが、ゼロ除算は意外な展開を見せた。1/0 の意味が問題であった と言える。1/0 そのものは意味がないから、関数f(z)= 1/z で z がゼロに近づいた先に定義されると 人は理解して、殆どの人々は今でもそう考えて、結果として 無限、あるいは 無限のようなもの であると考えている。実数の世界で、考えれば プラス、マイナス無限大と考えるだろう。ところが、拡張分数や代数的構造、一意性の概念、自然性からその基本関数の原点での値は ゼロとすべきことが、沢山の実例から発見された。数学的に表現すれば、解析関数f(z)のz=0での値を 近くでの近づく値、極限の考えで考えてきたが、特異点z=0 での値は、不連続的に 値0 を取っているという発見である。 そもそも数学では、特異点自身では 考えず、 何時も特異点を除いた近傍で 解析関数を考えて来たという事実である。原点で特異性を許す 原点での近傍で解析的な関数F(z)に対して、 関数F(z)/z の原点での値が 何時でも有限確定値として定まるという、ゼロ除算算法 が発見された。それが我々の発見した、ゼロで割れるという、我々の意味である。従来考えない 考えてはならない 特異点での関数値が考えられる というのであるから、この考えは 全く新しい世界、数学である と言える。- 特異点の周りではなく、特異点そのもので 我々は数学が考えられる。 その意味で、特異点で考えない数学は、不完全であり 一部の世界を論じているに過ぎない と言える。この意味で、未だ数学は不完全である と言える。
今まで考えなかった、ゼロで割る問題は、明確な意味で ゼロで割れて、初等数学全般に広範な影響を与え、ゼロ除算の知見は 現在900件を超え、ユークリッド幾何学、解析幾何学、微積分学、微分方程式論、複素解析学 など 初等数学全般に及んでいる。典型的な例として、無限遠点がゼロで表されること、\tan(\pi/2) =0, いわゆるy軸の勾配はゼロであり, \exp(1/z) は 原点で、ピカールの除外値 1の値を取っていることが挙げられる。直線の性質、三角形、三角関数の公式、円や2次曲線諭などにも 沢山の欠陥が発見された。勾配の概念や微分法の概念すら不完全である と言える。
初等数学全般の修正、補充は 美しい数学の体系には避けられない。関係学術書は言わば穴だらけで、欠陥に満ちている と言える。 ゼロ除算算法は、ゼロと無限の関係を明らかにして、単に数学を超えて 天動説の変更や進化論のように 世界観の変更を齎し、新たな夜明け、時代を招くだろう。
以 上
再生核研究所声明 465 (2019.1.1): 年頭にあたって
- 1年の計
思えば、元日にこのような表題で纏めたことは無かった。1年の計は元旦にあり と言われているのに そのような趣旨の声明が無いのは 思えば不思議な感じを受ける。 ちょうど時間が旨くとれる状況なので 一気に纏めてみたい。
年齢的に X,Y,Zの場面が いつ起きても不思議ではない状況にあることを しっかりと捉える必要がある。
まず、X とは入院などでメールができない状況である。Yとは、意志表示ができない状況である。Zとは、意識が無い状況である。 したがって、いかなる場合にも平然と、それらに対応できる心構えを整えることを 修行として、心がけることが 大事である。 その原理は、それらに際して、後悔しないように準備に励ことである。それ故に、存念を率直にブログ、face book, 論文、声明などで表現して これまでとして、何時でも終末を迎えられるように すべきである。
― 上記メールができることであるが、著名な数学者の言葉であったと思うが、我れ思うゆえに我あり、我れメールするがゆえに、我れ存在すると多くの人は理解するだろう。
実際、多くの人にとっては、情報を得ることで、その人の存在を認識するだろう。交流できることが 生きている意味と捉えられるだろう。
実際、多くの人にとっては、情報を得ることで、その人の存在を認識するだろう。交流できることが 生きている意味と捉えられるだろう。
そのような 終末を迎える原理として、 ゼロ除算の帰結である 生命のグラフ、 すなわち 多くの過程は 初めに戻る との教えは 大きく貢献するだろう。
人間の存在は 感情的なものであるから、その折り、その折り、楽しくしたいことを、したいようにするのが 良いと考えられる。 数学を志し、人生の意味、世の存在の意味を問うてきた者 として、それらを追究して行きたい情念は 当然であり、それらの道を 続けていくことになる。 それは そうであるが、より具体的に表現するのが 1年の計の 表題の意味である。 心の赴く方向性である。
先ず、数学では、ホーントーラスのモデルに関する研究と論文の完成、ゼロ除算を総合的に纏める著書の出版を進めること、そこに湧いてくる新たな問題の解決、小さく纏められる題材を短い論文に纏めて どんどん いろいろなところに 発表する。 指導的な数学者たちに直接理解を求める働きかけを 広範に行い、理解者を内外に探し、交流を図ること。 具体的な研究課題として、ゼロと無限大の 歴史を調べ、それらの関係を確立する数学の論文を書き、 論文として発表するように 努力する。
ホーントーラスのモデルは、尚、自然性を率直に受け入れられない心情が残るが、ゼロと無限の一致には深い愛を感じる。 神が数学を言語として世界を創造された との観点から、神の意志 を問うていきたい。
ゼロ除算に対する存念、結果などを声明や、英文声明で 旨く表現して 発表する。発表は多重的に広範に行うこととする。 - この大義は、我々の数学には基本的な欠陥があり、人類の名誉のためにも 広範な修正が求められている という、数学者の良心にある。 - ゼロ除算の理解を広める偉業を成し遂げるため、意志を継いでくれる後継者の育成にも 大いに気遣っていきたい。
概ね、人生、社会とは如何なるものか、ある見解を得つつある。 再生核研究所声明の趣旨に従って、素人の立場から、無視されることを承知して、人類への愛を込めて、具体的に提案できるものが思い浮かぶものがあれば、表現して 発表して行きたい。
もちろん、義務的なことは誠実に実行して、良心に忠実に従っていきたいは 当然のことである。
以 上
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