How to Help Students Heal From 'Math Trauma'
Education Week-2 時間前
I teach people how to teach math, and I've been working in this field for 30 years. Across those decades, I've met many people who suffer from varying degrees of math anxiety. In its worst manifestations, math anxiety ...https://www.edweek.org/tm/articles/2018/11/06/how-to-help-students-heal-from-math.html
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明 459(2018.11.01): 数学者の反省、数学教育の反省
再生核研究所は 広く世の意見を求め それらに対する回答、見解を表明している。特にゼロで割る問題についての 数学の初歩についての歴史的な発見 を契機に 数学に対する意見がいろいろ 一般の方々から寄せられている。そのような社会の反響から、数学界の問題、数学教育の問題が次第に露わになってきた。そこで数学界の反省の観点から要点を纏めてみたい。 ある意味において神学とも言える数学の普及と数学の健全な発展と世に貢献すべき数学の在りようからの 独断と偏見に満ちた 視野の狭い一つの見解である。 次も参照:
再生核研究所声明 458(2018.10.29): 神の存在と信仰 - 悟りへの心得
再生核研究所声明 451(2018.9.14): みんなの数学、大衆の数学 ― 和算の風土を取り戻そう
再生核研究所声明285(2016.02.10) : 数学者の性格、素性について
まず、世の数学に対する 結構広く存在する自然な心情、- 数学はダメ、数学は嫌い、興味も関心も無い、話したくもない。 これは 数学界の基本的な問題であり、数学教育の基本的な過ちを表していると言えるのではないだろうか。これでは数学自身の存在が脅かされ、文化を支えるべき数学が 基本的な役割を果たしているとは言えない。多くの素敵な人たちが、 受験勉強や教育の場で 数学に虐められたと表明している。 高校時代の素敵な女性にそのように 卒業後56年を経たクラス会で表明されて この声明のきっかけを得た。 ある化学の教授が 数学がどうも苦手で 化学を専攻せざるを得なかったという言葉も 永く、心に響いている。高校の担任は数学の先生で、50年を超えてクラス会に招かれている程だから、人物良好、尊敬される存在である。しかし、数学の教育は受験の必要性に迫られて 型にはまった教育にならざるを得なかった。それでも当時はまだ受験事情は 甘い余裕のある時代であった。 現在は受験数学の過熱さは凄くなっている現実があるのではないだろうか。 そのような事情は、数学嫌いな人々をどんどん多く育てている現実があるのではないかと危惧している。
ところが、このような状況に対して、数学好きな人々は 己が才能の優秀性を示す好機と見、数学者はこのような風潮を助長させているような状況が相当に見られると考えられる。 ― 多くの数学者は実際、受験の数学などに困っているような人は 既にダメと発想して、そのような状況を無視されてきたのではないだろうか。
― 数学の先生が、数学嫌いな生徒を馬鹿にするような風潮が広く見られ、多くの生徒が永く傷つき、数学と数学の先生に恨みさえ懐いている現実は 相当に見られるのではないだろうか。また数学の歴史には 競争をしたり、自分の才能を示したいという数学者の存念が表れているが、研究の面では 仕方がなく、数学者が自己中心で視野も狭く、子供っぽいとの批判も 研究上はやむを得ないと弁明せざるを得ない。しかしながら、競争のための数学界では情けない。 ノーベル賞などの価値観に対しては、文化への、社会への貢献の視点で確立しているように見られるのに対して、数学界ではいわば競争のための数学、分からない内容での評価があって、一般の人には状況が分からない、それ故に社会の関心が湧かない状況にあることにも注目される。
日本では数学ができる、頭が良い、高学歴の変な文化を育て 数学の社会的な存在基盤を弱くして 閉じた狭いエリート社会を構成している状況が広く見られる。 数学の研究、教育が 広い社会的な存在にならず、閉じた極めて小さな存在になっていると思われる。数学界のいろいろな賞等フィールズ賞でさえ、マスコミや世の話題にもならず、それらは 我々にとって何の意味もないと多くの人は興味を懐かず、無関心である。 数学者自身理屈っぽく、社会性がなく、変人が多く、自己中心の視野の狭い人々の集まりと 考えられているのではないだろうか。 ― 研究者としては やもう得ない面と考えられるが 教育面では改めたい。
前向きに考えれば、まず数学教育の中心を 数学の楽しさ、数学の精神を身に付ける教育への回帰を提案したい。受験や選別、競争のための型にはまった訓練を超えて、多くの人々が数学とは 楽しいものであるとの認識を持つような教育を まずは 志向すべきである。 当然、数学者は真理を求める真摯な態度で 公正で、競争や優秀性の観点の精神ではなく 人々から尊敬されるような人物と見なされるべき人物を志向すべきである。- ポルトガルでは サッカーが大衆レベルで人気が有り、それ故にサッカー選手は 尊敬の 話題の中心である。 日本では 数学の愛好者が多く、数学者は尊敬され、 数学が社会の話題で多い。これは無理としても、そのような在りようを志向するのは良いのではないだろうか。
受験のための数学より、文化のため、文化の基礎のための数学、芸術、楽しみのための数学の視点は 大事ではないだろうか。
マスコミやマスメデア関係者には いわゆる 文系が多く、特に上記で述べたように数学嫌い、数学者嫌いの方々が多く、数学界の情報は 社会的な広がりを見せない異常な状態ではないだろうが。それで分かり易い、スポーツ、芸能、ドラマ、犯罪の扱い、追究などの異常な氾濫を招いていて、数理科学の情報が閉ざされているのではないだろうか。これはもちろん、狭い見解、偏見であろう。
数学者や数学教育についてのご意見など頂ければ、美しい数学のために 活かしたい。めて、この地域では 柚子が沢山なっていて、美しく色づいている。
以 上
再生核研究所声明 442(2018.8.10): ゼロ除算研究の大義と研究協力へのお願い
一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える。
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える。
しかるに 2018.8.8.8:40 突然に全体の構想が湧いてきた。 そこで、できるだけその忠実な表現を試みたい。 その主旨は ゼロ除算の研究の重要性とその研究を進めるための各種協力の要請である。
ゼロ除算の研究の意義、重要性は単純明快であると考えられる。世にゼロ除算は不可能であるとか、ゼロで割ってはいけないは世界の常識でありインターネット上でもそのような方向で間違った情報が氾濫しているばかりか、数学界でも 禁じられた世界で永くタブーとして確立している。 その神秘的な歴史は アリストテレスにさかのぼると言われ、直接的にも算術の確立以来1300年を越える、悪しき認識で現在に至っている。4年以上前に ゼロ除算を偶然発見して、 直ちにその重要性を指摘、理解を求める努力を行ってきたが、 あまりにも永い悪しき伝統のゆえに中々理解されず、現在に至っても公認、認知されているとは言えず、全体的には無視か誤解の状況にあると判断される。 例えば非ユークリッド幾何学の発見のように 全く新規な世界が現れたのであるから、初期の段階で拒否の心が強いと言える。しかしながら、発表論文や講演を1つでも読み、聴講すれば、その意義の重大さに驚嘆させられるのではないだろうか。 実際には、あまりにも驚嘆して、受け入れられず、 発見された新世界を覗かない人すら多い。 全く新しい数学で、理解を求めるのが困難な状況が有り、この4年間の経緯がそれらをよく示している。 新しい数学を紹介するために 従来数学を変更する具体例は800件を超えていて、公表している。
最初の段階における構想を著書の形に纏め、一応の理論として公表、広く意見を求めている。 全く新規な数学で、初等数学全般の改変が求められていると表現されているので、その意義の大きさは歴然である。 典型的な具体例は \tan(\pi/2)=0、すなわち、 y軸の勾配がゼロであると表現され、それは幾何学、解析学、ユークリッド幾何学に大きな影響を与え、 ユークリッド以来の我々の空間の認識を変える必要性が求められている。我々の初等数学は不完全であり、完全化が求められているというのであるから、ゼロ除算の研究の重要性は明らかであろう。
割り算の考えの変更で 小学生以降の算数、数学の教育の変更が求められ、それは大きな世界が 拓かれることを意味する。
そこで、新しい数学の理解を得ることの困難な状況に対して、多くの人の理解が得られるように各種協力を 歴史の大義を受けて、要請したい。 もとより、数学を日本のスケールで論じる気持ちはないが、 しかしながら、日本で、世界の初等数学全般を変更し、数学を美しく完全化するという構想が進めば、もともと輸入に頼って来た欧米数学に対して 欧米数学を基本的に変え、美しい数学を建設できる絶好の機会と捉えれば、 ゼロ除算研究の大義に参画される熱情が湧いてくるのではないかと考える。 これを楽しく考えて見よう。 世界の初等数学に公式1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 が載り、1000年を越える悪しき世界史を変更、ゼロ除算は自然な考え方で可能で、 ゼロ除算の成果は普遍的に活用され、ユークリッド幾何学は 完全化され、修正されたと言える時代を直ぐに迎えられるだろう。 日本国の世界に対する顕著な貢献として、 数学界を越えて世界史に貢献できる絶好の機会であると考える。
この情念に、多くの人々が参加され、新しい世界を共に喜びに満ちて開拓したいと考える。 各種できるところでのゼロ除算研究・教育活動への協力を広くお願いしたい。
以 上
再生核研究所声明432(2018.7.15):無限に広がった平面を捉える4つの考え方
無限に広がった平面の概念は 2200年以上前にユークリッドによって捉えられ、ユークリッド幾何学が体系づけられた。それはユークリッド原論と呼ばれる世界最初の学術書とされ、聖書とともに世界史上の超古典である。無限に広がった空間とは砂漠の広大な広がりから生まれた概念とされるが、特徴は平行線の公理、すなわち、交わらない2直線、平行線の存在する空間で、それは三角形の内角の和が180度、平角をなすとも表現される。ユークリッドの壮大な構想を振り返りたい。しかしながら、この事実は既に疑いをもたれ、平行線の公理を避ける様に原論は構成されているという。ともあれこの空間の考えは4つ述べる無限に広がった平面に対する発想の基本の第1のものである。
ユークリッドの不安は2000年を経て疑われ、3人の巨人によって 非ユークリッド幾何学が発見された。その物語はあたらしい幾何学として述べられ 感銘深い世界史上の事件と捉えられる。平行線の存在が 否定される幾何学が現れてきた。同時に数学とは何かと問われ、絶対的な真理としての数学から、数学とは公理系から出発して論理的に展開される理論体系であって、真偽や価値とは無関係の関係からなる理論体系であると変化した。初期には抽象的な変な世界の数学ではないだろうかと考えられたが、現在ではユークリッド幾何学ではない、非ユークリッドの幾何学が展開されていると考えられる。ちょうど数学の基礎を与える解析関数論の世界では、複素平面上に球面を載せて立体射影の対応で平面を写せば、直線を円の1種と見なせば、平面上の円も直線も立体射影で球面上の円に写るという美しい対応関係が成り立つ。この対応でユークリッド平面全体は球面上の北極を除いた全体と1対1の対応をすることが簡単に分る。直線のいずれの方向でも無限の彼方に行けば、北極点に対応する点に到達する様を見ることができる。そこで平面の無限の彼方を想念上に存在するものとして無限遠点と名付けて平面に無限遠点を加えて拡張平面と考える。すると拡張平面は全体として球面全体と1対1に対応して美しい世界が現れる。立体射影で円は円に対応し、写像は交わる角を不変に保つなど美しい性質を持つ。直線は半径無限大の円と考える発想も自然に受け止められるだろう。円や直線を表現する方程式もそう述べているように見える。始めて無限遠点と立体射影の性質を学んだとき、人は感銘し、喜びに感動したのではないだろうか。無限に広がる空間が、ボール一個で表現されたからである。直線を一方向に行けば、丁度円を一方向に行けば円をくるくる回るように、無限遠点を通って反対方向から戻って来る ー 永劫回帰の思想を実現させている。それゆえにこの考え方は100年以上も揺るぐことはなく、すべての教科書、学術書がそのように述べている超古典的な考えであると言える。 ― 実は、それらは、相当に違っていた。そう発想できる。
この拡張平面の考え方が第2の考え方である。平面のすべての方向の先に無限遠点が存在して球面上で見れば その想像上の点は北極に対応するという。
ところが 2014年2月2日に発見されたゼロ除算1/0=0の結果は、基本的な関数W=1/z の原点における値をゼロとすべきことを示している。これは驚嘆すべきことで、無限大や無限遠点を考えていた世界観に対して、強力な不連続性をもって、無限遠点が突然にゼロに飛んでいると解釈せざるを得ない。原点に近づけばどんどん像は無限の彼方に飛んでいく様が 確かに見えるが、その先が突然ゼロであるというのであるから、人は顔をしかめ、それは何だと発想したのは当然である。アリストテレスの連続性の世界観に反するので、その真偽を問わず、そのような考え、数学は受け入れられないと多くの数学者が断言し、それらは思い付きではなく、2年、3年と拒否の姿勢は続いたものである。そこで、初等数学の具体例で検証することとして、現在800件を超える、ゼロ除算有効の例を探した。それで、ゼロ除算は 我々の世界と数学の実体であると公言して論文や数学会、国際会議などでも発表して来ている。
これが第3の無限平面の捉え方である。強力な不連続性のある空間。
その様な折り、全く意外なところから、意外な人から、2018.6.4.7:22 ロシアのV. Puha氏から Horn Torus のモデルが提起されてきた:数学会でも 無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点ではなく、中心自身であること。ローラン展開は特異点で有限確定値をとり、典型的な例は\tan(\pi/2) =0で大きな影響を解析学と幾何学に与えると述べて 論文などにも発表して来ました。それでリーマン球のモデルを想像すると強力な不連続性を認めることになります。4年間そうだと考えてきましたが 最近ロシアの若い研究者 Vyacheslav がゼロ除算のモデルとして 美しい
Horn Torus & Physics
https://www.horntorus.com/
geometry of everything, intellectual game to reveal engrams of dimensional thinking and proposal for a different approach to physical questions.
を提案してきました。(0,0,1/2)に中心を持つ半径1/2の球面への立体射影からさらにその中心から、その中心と元の球面に内接するトーラスへの写像を考えると無限遠点を含む平面は ちょうどHorn Torusに1対1上へ に写るというのです。これが拡張平面のモデルだというのですから、驚嘆すべきことではないでしょうか。ゼロと無限遠点は(0,0,1/2)に一致しています。ゼロ除算は初等数学全般の修正を求めていると言っていますので、多くの皆様の教育と研究に関わるものと思い、メーリングリストを用いてニュース性をもって、お知らせしています。何でも助言やご意見を頂ければ幸いです。どうぞ 宜しくお願いします(2018.6.8.14:40)(関数論分科会に対して)。
その後、この対応におけるHorn Torusには 美しい性質がいろいろ存在することが分かって来た。例えば、2018.7.7.8:30 構想が 電光のように閃いた:円内と円外は 関数論、解析的には 完全に同等である。この完全性を表現するには リーマン球面は不完全で、ホーン・トーラスの方が良いと考えられる。リーマン球面は 立体射影の考えで、 ユークリッド幾何学を表現するものとして美しいが 実は代数学や幾何学と上手く合っておらず、無限の彼方で不完全であったと言える。進化した解析学や代数学は ユークリッド幾何学を越えて、ホーン・トーラスを ゼロ除算による完全化とともに 数学の実体として表していると言える。
ところが既に上記サイトで紹介したようにHorn Torus に ゼロ除算とは無関係に、特別の情念を20年以上も抱いてきていて (Now another point: You repeatedly asked, how I got the idea with the horn torus. So I will answer: In my German texts from 1996/98 that is described rather extensively as a background story, but in the English excerpts from 2006 and later I only address the results.)、上記サイトでいろいろ述べられているように 世界の記述にはHorn Torusが 良いと述べている。元お医者さんで 現在は退職 楽しい人生を送っているという70歳になるWolfgang Däumler という人で 既にメールで交信しているが、極めて魅力的な人物で、ヨット遊びや小型飛行機で友人に会いに行く途中だとか面白い話題を寄せている。 何故そのようなモデルを発想されたのが 繰り返し問うているが、納得できる説明は未だ寄せられていない。 注目しているのは 全くゼロ除算の認識の無い方が ゼロ除算を実現させるモデルを長年抱いてきたという 事実である。 - そこで、ゼロ除算の真実を知って、どのような世界観を抱くかを注目している。
第2の型では もし、x軸の正の方向にどんどん進んで行けば、やがて無限遠点に達しは それは負の無限と一致しているから、無限遠点を経由して戻って来るということになる。しかしながら、第3の型では、負の方向とは関係なく、無限の彼方に行けば突然原点に戻るという世界になる。第4の型では、正の無限の彼方に行けば、それは原点に連続的に対応しているから、ゼロと無限は一致しているから、xの正軸は閉曲線に写って連続的に閉じていて、負軸も同等に閉曲線に写って連続的に閉じている。
現在、第3と第4の何れが拡張された全平面のモデルとして適切であるかを問題にしている。 如何であろうか。
以 上
再生核研究所声明 436 (2018.7.30) : 数学教育の原理 ― 省察と改善
数学の教育の原理を省察しながら現状の問題点を指摘したい。これは主にゼロ除算の理解の遅れと数学界の在り様の問題点から発想した自然な想いである。もちろん、独断と偏見に満ちた見解であり、 文化とは重い歴史の産物であるから軽々しくは 考えられず、変える、改善は容易に進められない。これは遅れた日本のサッカーが中々世界規模のレベルに達せられないのと同様である。
何の為の数学か、数学教育の目標や理念を絶えず反芻し、在るべき姿を希求するのは当然大事である。それは 初心に帰れという言葉に表される。現在、理念の無い、行動や勢いで盲目的に動いている状況は世の世相とも言えるのではないだろうか。本末転倒の現象さえ多く見られる。真理を追究している者がデータを偽装したりして、あべこべの行動をとっているのは顕著な例である。
まず、数学教育の理念であるが、これについては考察したことがある。そこでまずふりかえって置きたい:
再生核研究所声明327(2016.10.18) 数学教育についての提案:
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:
再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神と感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―
と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心を無くし、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。
数学の教育については、下記も参照:
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8) 受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について
以 上
上記は、もっともなことと追想される。そこで在るべき姿から乖離している現状を具体的に簡潔にふれたい:
1) 数学界の在り様として、あまりにも研究重視で、成果を急ぐような世相の中で、抹消の研究、細かすぎてあまり意味のない研究にはまり、基本的な在りようから乖離して、研究者の知的好奇心や真理の追究の心や 数学を楽しむような精神を弱め、いたずらに労力を費やして 数学の魅力や効用、良さが上手く研究・教育されていないのではないだろうか。
2) 余りに専門化して お互いにお互いの数学が理解できず、したがって評価もできず、分科会、分野に視野が限られて 数学としての理解が曖昧、盲目になっているのではないだろうか。これは進んだ結果の末梢的な現象と率直に評価すべきである。新規な世界を重視し、開拓するように心がけたい。
3) 数学の研究の高度化と称して、あまりにも深い、難しい研究課題が注目され、基本的で大事な課題や新規な研究課題がおろそかにされる傾向はないかと反省したい。公的資金をもって教育・研究として研究活動を行うからにはその社会的な意義を明らかにして、研究の大義を掲げるべきである。過去の経緯や、権威に基づいたものは尊重されるべきであるが、それらばかりではなく、その研究の意義を社会的にも絶えず明らかにすべきである。数学者は勝手に難しい問題に挑戦していて、自己満足に陥っているようなことはないだろうか。 ― 数学者はお互いに褒めあって囃し合っているが、我々にはそのような研究は何の意味もないという、かつての同僚の言葉が 想い出される。 ― 反省すべき点として、数学界最高の賞であるフィールズ賞でさえ、社会的な扱いは 殆ど無視されているようであり、数学界の存在は 社会的な存在としては 余りにも小さい現実を重く受け止めたい。
4) 数学の教育においても、数学を良きものとの感情から、ややもすると数学者のまずい教育の結果 世に数学嫌いを生み出し、また数学不信の世相を作っている現実が相当にあるのではないだろうか。 しばしば 数学者嫌いの世相が見られるのではないだろうかと危惧される。
要するに美しい数学を 芸術のように楽しみ、考え方も真理の追究の範として活かし、社会に活かすように、教育し、研究活動を行ないたいということである。
以 上
数学の教育の原理を省察しながら現状の問題点を指摘したい。これは主にゼロ除算の理解の遅れと数学界の在り様の問題点から発想した自然な想いである。もちろん、独断と偏見に満ちた見解であり、 文化とは重い歴史の産物であるから軽々しくは 考えられず、変える、改善は容易に進められない。これは遅れた日本のサッカーが中々世界規模のレベルに達せられないのと同様である。
何の為の数学か、数学教育の目標や理念を絶えず反芻し、在るべき姿を希求するのは当然大事である。それは 初心に帰れという言葉に表される。現在、理念の無い、行動や勢いで盲目的に動いている状況は世の世相とも言えるのではないだろうか。本末転倒の現象さえ多く見られる。真理を追究している者がデータを偽装したりして、あべこべの行動をとっているのは顕著な例である。
まず、数学教育の理念であるが、これについては考察したことがある。そこでまずふりかえって置きたい:
再生核研究所声明327(2016.10.18) 数学教育についての提案:
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:
再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神と感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―
と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心を無くし、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。
数学の教育については、下記も参照:
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8) 受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について
以 上
上記は、もっともなことと追想される。そこで在るべき姿から乖離している現状を具体的に簡潔にふれたい:
1) 数学界の在り様として、あまりにも研究重視で、成果を急ぐような世相の中で、抹消の研究、細かすぎてあまり意味のない研究にはまり、基本的な在りようから乖離して、研究者の知的好奇心や真理の追究の心や 数学を楽しむような精神を弱め、いたずらに労力を費やして 数学の魅力や効用、良さが上手く研究・教育されていないのではないだろうか。
2) 余りに専門化して お互いにお互いの数学が理解できず、したがって評価もできず、分科会、分野に視野が限られて 数学としての理解が曖昧、盲目になっているのではないだろうか。これは進んだ結果の末梢的な現象と率直に評価すべきである。新規な世界を重視し、開拓するように心がけたい。
3) 数学の研究の高度化と称して、あまりにも深い、難しい研究課題が注目され、基本的で大事な課題や新規な研究課題がおろそかにされる傾向はないかと反省したい。公的資金をもって教育・研究として研究活動を行うからにはその社会的な意義を明らかにして、研究の大義を掲げるべきである。過去の経緯や、権威に基づいたものは尊重されるべきであるが、それらばかりではなく、その研究の意義を社会的にも絶えず明らかにすべきである。数学者は勝手に難しい問題に挑戦していて、自己満足に陥っているようなことはないだろうか。 ― 数学者はお互いに褒めあって囃し合っているが、我々にはそのような研究は何の意味もないという、かつての同僚の言葉が 想い出される。 ― 反省すべき点として、数学界最高の賞であるフィールズ賞でさえ、社会的な扱いは 殆ど無視されているようであり、数学界の存在は 社会的な存在としては 余りにも小さい現実を重く受け止めたい。
4) 数学の教育においても、数学を良きものとの感情から、ややもすると数学者のまずい教育の結果 世に数学嫌いを生み出し、また数学不信の世相を作っている現実が相当にあるのではないだろうか。 しばしば 数学者嫌いの世相が見られるのではないだろうかと危惧される。
要するに美しい数学を 芸術のように楽しみ、考え方も真理の追究の範として活かし、社会に活かすように、教育し、研究活動を行ないたいということである。
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
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そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
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面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1+1=2 ( )
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)





















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