How to enter the 'flow state' for effortless creativity
Taking a modern look at a millennia-old concept.
02 November, 2018
- We experience the "flow state" when a given task becomes effortless and time slips by without our noticing.
- The concept has appeared in many ancient philosophies like Stoicism and Taoism, and modern research has confirmed this experience is real.
- By learning more about the flow state and how to trigger it, we can both work more productively and feel more satisfied with life.
When writing the Principia Mathematica, Isaac Newton was said to have forgotten to eat, bathe, and sleep. Michelangelo, too, often became so engrossed in his paintings that he would forget to eat or sleep. Some of you have undoubtedly had an experience where the hours felt like minutes, when you were so wrapped up in the task at hand that forgetting a meal is a real risk.
If that's the case, then you've experienced something called the "flow state."
The idea of flow has been around for millennia. The Taoist concept of wu wei, or effortless action, is very similar to flow, as well as Aristotle's idea of eudaimonia, or the state of possessing a "good spirit." However, this ancient concept has only recently been empirically studied and characterized.
Psychologist Mihály Csíkszentmihályi (pronounced me-high chick-sent-me-high) first studied flow states in the 1970s. The experiences of painters such as Michelangelo inspired him to study the phenomenon, which he definedas "being so involved in an activity that nothing else seems to matter. The ego falls away. Time flies. Every action, movement, and thought follows inevitably from the previous one, like playing jazz. Your whole being is involved, and you're using your skills to the utmost." It's an absorbing, intrinsically rewarding state that we enter when performing certain tasks.
What's the flow state about?
Flow only happens when you've got the right level of skill for a task with the right level of challenge. Specifically, Csíkszentmihályi identified three components necessary to enter the flow state:
- The activity must have a clear set of goals and progress, which adds direction and structure to the task.
- The task at hand must have clear and immediate feedback, which enables the person to adjust to the evolving nature of the task and know how well they are doing.
- There must be a good balance between the perceived challenge of the task and the individual's own perceived skills.
Painting, for instance, is a great task to induce to the flow state. It's clear when a painting is finished, it's clear how well one is doing, and, if the painter has talent, the act of painting can be satisfyingly challenging.
When in the flow state, an individual experiences intense focus and concentration on the present moment. Their actions and awareness merge, so that it seems like the task is almost performing itself. Despite this, there's still a sense of personal control over the task at hand, and performing it feels intrinsically rewarding. It's a sublime experience that many people spend their lives in pursuit of, and it's the practical manifestation of the phrase "find a job that you love, and you'll never work a day in your life."
The graph below shows how important the right mixture of challenge and skill is to enter the flow state. Too little skill and too much challenge will produce anxiety, while too little challenge and too much skill will simply be relaxing.
Wikimedia Commons
How to go with the flow
Almost everybody experiences flow at one point or another during their lives. While about 15 percent of people report that they never experience flow, some lucky few have been found to have an autotelic personality, or a propensity to seek out and experience flow. Based on the Big Five personality traits, autotelic people tend to score high in extraversion and conscientious and low in neuroticism and agreeableness. This last feature may seem odd, but autotelic people's low agreeableness has more to do with a certain arrogance and self-centeredness — the personality of the "cantankerous creative" — than with outright hostility towards others.
For the rest of us, however, flow is something we need to relentlessly pursue. In utilitarian philosophy, the paradox of hedonism states that pursuing happiness directly does not yield happiness; rather, happiness is a byproduct of performing work and activities that we love to do — in short, performing the intrinsically rewarding tasks that give us flow. This isn't just in the realm of philosophy either; there's empirical evidence that experiencing flow increases positive sensations and emotions.
Arguably, the most important criteria in the pursuit of flow is to pick the right task. Many things that we seek out in our leisure time — such as watching TV — don't really provide us access to the flow state. Instead, tasks that are likely to encourage flow tend to have high consequences (e.g., rock climbing or public speaking), clear feedback, and take place in a rich and varied environment (so not your office cubicle). Steven Kotler, co-founder of the Flow Genome Project, identified several flow "triggers" that make entering the flow state more likely. To hear him describe these triggers and how to achieve flow, check out the video below.https://bigthink.com/personal-growth/what-is-the-flow-state?rebelltitem=3#rebelltitem3
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
そもそも創造とは 人類が知らなかったこと、できなかったこと、考えなかったことを、新たに発見し、できなかったことを可能にし、考えることで、生命作用の多くの部分が創造活動であると言える。創造性の意味については 添付の文献を参照。
例えば、数学界では、微積分の発見とか、日々発表される論文の中の定理などは 顕著な創造活動の結果であるが、芸術作品、文学作品、科学における発見、工業における発明、技術など、広範囲に及び人間の知的活動の殆どに及んでいると言えるだろう。しかしながら、最大の創造とは 出産、育児にあるとも言える。
創造とは 世界史を拡大することである と定義したい。 世界史とは 人類の得た、感じ、知り、想像するすべての情報の総体である。人間存在の原理とは、生存に心がけ、知り、求め、何でも究めようということであるから、豊かな創造性とはまさしく、良く生きることに他ならない。人間として良く生きるこということは、生命の輝きとしての 豊かな創造活動にあると言っても良い。
創造活動の蓄積である、もろもろの科学の進歩が 人間を解放して、世界を拡大し、人間存在の意義を高めていると考えられる。
この声明の趣旨は、如何にして、創造性を高めるか について、省察することである。特に、大事な創造性の観点から、日本の教育の在りようが 改善されるべきではないか という観点に思いを致すことにある。
1)創造性は情念、感情の中から生命作用として湧いてくるものであるから、感情や情操が大事ではないだろうか。この観点から、日本の教育が 知識偏重、枠に はめすぎではないだろうか。
2)学術界では 大学院学生や研究者が日々それぞれの分野で研究活動を行っている。そこには流れや、流派のようなものがあって どんどん先へと研究を進めている。 ここで、
a)確立した研究分野の細分、先と 共に 新しい研究の芽 を育てるように絶えず配慮したい、多様性と自由性を尊重したい。
b)真の独創性には、 ゆとりと時間が 必要であるから、成果主義のような成果を追うような環境は、齷齪したような状況は 良くないのではないだろうか。 大学の法人化後の、成果主義、任期制の導入等で大事な若い研究者が、 じっくりと研究を行なえる環境を壊しているのではないか と危惧している。
c) 重要な発見が、 偶然性、 間違い、新奇な現象、にあることに鑑み、 そのような機会を広く展開し、そのような現象を見逃さない態度に留意したい。
d) 特に日本など、 後進国に見られる 顕著な例が、 良い研究や発見が、評価できず、折角の重要な発見を活かせない状況は、 基本的に現在でも変わらない実情がある。 良い研究とは何かが分からずに、先進国に伺いを立てているのが現実ではないだろうか。 これは哲学の軽薄さ、基礎の欠落から来ているのではないだろうか。 良いものとは何かと 絶えず問うべきである。
e) 特に、創造では 新奇な現象、新しい概念、考え方が 大事であることを強調して置きたい。 それらの基礎は、生物繁茂の原理でもある、多様性にある。
f) 特に、価値の創造、すなわち、価値あるのものとは何かの、新しい考え方、 評価の創造性、すなわち、優れているとは何かの考え方の 創造性を 重視して行きたい。
3) 生命活動の発現としての 創造の基は 幼年期、若い時期における人生観の 構成に関していて、小・中・高などの教育の在りようは 大事ではないだろうか。 その大事な人間形成時に 知識偏重の教育は、良くないのではないだろうか。日本の学校教育は 創造性の観点からも 基本的な問題を抱えていると考える(再生核研究所声明 76:教育における心得 ― 教育原理)。
以 上
添付:
www.choicetheory.jp/about/about4.html
創造性とは、既に知っている整理された行動と求めているものが得られないときに、新たなアイデアを生み出すために、脳が情報を再整理している状態のことであり、どんな人にも備わっている能力です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
www.japancreativity.jp/juyou.html
創造の定義
1.創造性研究者たちの「創造の定義」
創造性を考える以上、「創造」とは何かを定義しておく必要がある。私は「日本創造学会」会員の方々に1983年に「創造とは何か」のアンケートを出し、83人の方々から回答を得た。ここに、現在も会員の方々の定義をピックアップすると、次のようになる。 【創造とは何か】*掲載は出典記載の順/所属は2002年度名簿より ●伊賀丈洋 「人間の思考状態には受動(感性)と能動(破壊と創造)があり、創造とは能動状態での思索または行動である」 ●伊東俊太郎(麗澤大学) 「創造とは、問題を解決する、素材の新しい組み合わせ、新しい理論への変換を可能にする新たな視点の発見である」 ●大鹿 譲(福井工業大学) 「人類が神の意志によって地球上で覇を称えるに至った原因たる活動で、同時に人類の滅亡の原因となる活動」 ●恩田 彰(東洋大学) 「異質の情報や物を今までにはない仕方で結合することにより、新しい価値あるものをつくりだす過程である」 ●岩渕幸雄(情報知識学会) 「創造とは、戦略的発想の原動力である」 ●江川 朗(総合経営研究所) 「創造とは、きわめて異質の発想を実現した社会的成果。発想とは諸情報の変形、加工、組合わせによる異質の意味化」 ●江崎通彦(朝日大学大学院) 「今よりすぐあとの世界(未来)に夢を実現する」 ●金子達也(日立製作所) 「独創とは尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし。経歴することなし」 ●川喜田二郎(㈱川喜田研究所) 「なすに値する切実なものごとを、おのれの主体性と責任において、創意工夫を凝らして達成すること」 ●國藤 進(北陸先端科学技術大学院大学) 「ある主体にとって既知のことがらを組合わせ、その主体にとって、ある観点からみて有用な未知のことがらを構築すること」 ●小島英徳(智無庵コミュニケーションセンター) 「今のやり方を否定しながら、一歩づつ成果をあげる。そのためには、今のやり方に全生命をぶっつけてゆくこと」 ●関 博剛((有)若草ホーム産業) 「意識と下意識を含めての全情報を、目的に志向して、機能的に統合運用し、一つの文化を生み出す全人格的所作」 ●高橋 浩(現代能力開発研究所) 「質的な変革としてとらえたい。ものなら機能・構造の変革、社会ならしくみやしきたり・やり方の変革など」 ●戸田忠良(戸田技術士事務所) 「従来自他の記憶にはなかったシステム、形、物、方法、機構などを新たに考案し表現すること」 ●西 勝(明治学院大学) 「平凡に新しいことがら、ものが生まれること。消滅をも含め、全生物に喜ばれ、できれば定義不要にまで自然と」 ●比嘉佑典(東洋大学) 「創造とは、個人の中に、事物の中にある古い結びつきを解体し、新しい結びつきにつくりかえることである」 ●久田 成 「創造とは、脳梁経由の人間の大脳の左右両半球の情報交換を基幹とした新しい文化を生み出す行為のことである」 ●檜山哲男 「創造とは、自己を忘ずる熱中の坩堝の中で、左脳と右脳が調和した瞬間に生まれる閃きである」 ●星野 匡(㈱プランネット) 「何らかの価値を有する、新しいアイデア・思想、その表現、あるいは表現としての事物を、意図的に生み出すこと」 ●村上幸雄(栄養化学研究所) 「最高の創造は自己創造=自己表現である。これが栄養で大きく影響される可能性についての科学的研究が必要」 ●師岡孝次(東海大学) 「現実を理想に近づける活動をいう。対象は"もの"でもシステムでもよい」 ●渡辺俊男(余暇開発センター) 「新しい神経回路を開発することによって、未来性に有益な理論をつくりだすことである」 2.私の創造の定義 これらの方々の定義づけを参考にして、私は「創造」を次のように定義した。「創造とは、人が異質な情報群を組み合わせ統合して問題を解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」である。この内容と創造性の研究領域を重ねると、以下のようになる。 ■創造の定義
(作成・高橋誠) 参照・「創造力事典」(日科技連出版社) |
再生核研究所声明147(2013.12.27) 創造性についての 第二考察
創造性については
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
で広く触れており、もっともなことが書かれていると考えるが、改めて触れたい観点が湧いたので、言及して置きたい。
まず、創造性の意味、定義などの基本的な考察については、上記声明を参照。いずれにせよ、新しく生み出すこと、新しく考え出すこと、作り出すことなど、が創造性の基本的な意味ではないだろうか。しかしながら、これらの意味さえ正確であるとは言えないだろう。アメリカ数学会誌に 数学の論文について、次のように書いてあったことを肝に銘じて、論文執筆について心がけてきた: 論文は
1) 新しい結果でなければならない、
2) 当たり前ではいけない、- 発展する結果の流れで、小さな段階的な結果は これに含まれる、
3) 正しい結果でなくてはならない、
4) 一定の人の興味を惹くものでなければならない - 先生とお弟子さんだけが興味を持つような結果は良くない、
5) 論文の表現が適切でなければならない。
いずれも大きな、深い問題であるが、新しい結果が、創造性に当たるのではないだろうか、すなわち人類史上で、初めての結果でなければならないは、論文の条件である。知られた結果の拡張、一般化、類似、より精密に調べたような研究が 論文の大部分であると言えるが、 難問を解いた、大事な基本的な定理や概念を得たなどは、高度な創造性と考えられるものもある。
そこで、どうしたら、高度の創造性が得られるか、が 世の大きな関心事ではないだろうか。
創造活動としては、芸術、文学、音楽、科学、数学など殆ど 人間の営みの大部分が創造活動にあたり、生命活動の表現とも考えられ、どうしたら、高度の創造性が得られるかは 分野、個性、文化などにも大きな影響を受けるのではないだろうか。
述べたい中枢から、触れよう。創造性、創造活動とは 人間の精神活動の表現、表れであり、創造性を高めるためには 人間の生命活動を健全に活かすことである、その原理は、好きなように、伸び伸びとできる環境を整えることである。
そこで、創造性を高めるいろいろな視点が 声明91 あるいは、そこに挙げられた文献で、広く論じられている。
ここで、触れたいのは、日本の詰め込み方式、受験勉強の過熱が 折角の才能をだめにし、創造性のみずみずしい才能をころしているのではないかという視点である。
我々の脳が、訓練によってどんどん発達するのは 語学、スポーツ、芸術、計算などでもみられる顕著な例である。至る所に現れる歴然とした事実と言えるのではないだろうか。
そこで、知識偏重、センター試験などにみられるような、解答方式の学習をやり過ぎると、全人的な発達が阻害され、一部の特定の部分の発達した、変な人格や、奇人を大量に教育、育成させ、しいては、創造性豊かな人材ではなく、変な人たちによる 変な社会が構成される危険性があるのではないだろうか。― 実際、人生の意義とは何か、人は何故生きているか、など、基本的な問題を問わないで、ただ受験を目標に、ただ知識を集め、問題解きの訓練にうつつをぬかして、大学に進学したら、大学では、既にどうしら良いか分からないような学生になっている状況が 実際多いと考えられる。さらに、大学でも真面目に教育されるように勉強して、大学院から先にうまく進んでも 何時の 間にか、やっていることの 人生における意義をみい出せず、精神的に放浪するような人生を送るのは 世に多い。人生の基礎がおろそかになっているばかりが、創造性の精神さえ乏しく、貧しくなっているのではないだろうか。社会に出ても ふらふら世相に流されて生きていて、人物たる人物は少なく、政治社会でも そのような変な現象は 広く見られるのではないだろうか。
テレビ普及時には 一億総白痴化が危惧され、共通テスト開始時には、そのようなおかしな制度は 教育の根幹に抵触すると 批判が広範に聞かれ、数年で破綻するとされたが、一度出来た制度は 一時代を成すように続いてきたが、流石に、改める風潮が出てきている(再生核研究所声明20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する;「大学入試センター試験」の廃止を歓迎する(佐藤匠徳(さとう・なるとく)(奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)バイオサイエンス研究科教授))。
多くの人が、自由を求め、またいわば、社会の上流階級に属そうとする為に、良い大学を目指して、受験体制を乗り越えていこうとの世相には、自然なものがあり、具体的な対応には大きな問題がある。しかし、全人的な教育、創造性を失わずに 人を活かすための教育と受験制度の在りようについては、絶えず検討して、専門化、受験に特化したような教育に成らないように、大学人、教育界に検討をお願いしたい。― 悪い教育に成らない様な 絶えざる努力を求めたい。
以 上
創造性については
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
で広く触れており、もっともなことが書かれていると考えるが、改めて触れたい観点が湧いたので、言及して置きたい。
まず、創造性の意味、定義などの基本的な考察については、上記声明を参照。いずれにせよ、新しく生み出すこと、新しく考え出すこと、作り出すことなど、が創造性の基本的な意味ではないだろうか。しかしながら、これらの意味さえ正確であるとは言えないだろう。アメリカ数学会誌に 数学の論文について、次のように書いてあったことを肝に銘じて、論文執筆について心がけてきた: 論文は
1) 新しい結果でなければならない、
2) 当たり前ではいけない、- 発展する結果の流れで、小さな段階的な結果は これに含まれる、
3) 正しい結果でなくてはならない、
4) 一定の人の興味を惹くものでなければならない - 先生とお弟子さんだけが興味を持つような結果は良くない、
5) 論文の表現が適切でなければならない。
いずれも大きな、深い問題であるが、新しい結果が、創造性に当たるのではないだろうか、すなわち人類史上で、初めての結果でなければならないは、論文の条件である。知られた結果の拡張、一般化、類似、より精密に調べたような研究が 論文の大部分であると言えるが、 難問を解いた、大事な基本的な定理や概念を得たなどは、高度な創造性と考えられるものもある。
そこで、どうしたら、高度の創造性が得られるか、が 世の大きな関心事ではないだろうか。
創造活動としては、芸術、文学、音楽、科学、数学など殆ど 人間の営みの大部分が創造活動にあたり、生命活動の表現とも考えられ、どうしたら、高度の創造性が得られるかは 分野、個性、文化などにも大きな影響を受けるのではないだろうか。
述べたい中枢から、触れよう。創造性、創造活動とは 人間の精神活動の表現、表れであり、創造性を高めるためには 人間の生命活動を健全に活かすことである、その原理は、好きなように、伸び伸びとできる環境を整えることである。
そこで、創造性を高めるいろいろな視点が 声明91 あるいは、そこに挙げられた文献で、広く論じられている。
ここで、触れたいのは、日本の詰め込み方式、受験勉強の過熱が 折角の才能をだめにし、創造性のみずみずしい才能をころしているのではないかという視点である。
我々の脳が、訓練によってどんどん発達するのは 語学、スポーツ、芸術、計算などでもみられる顕著な例である。至る所に現れる歴然とした事実と言えるのではないだろうか。
そこで、知識偏重、センター試験などにみられるような、解答方式の学習をやり過ぎると、全人的な発達が阻害され、一部の特定の部分の発達した、変な人格や、奇人を大量に教育、育成させ、しいては、創造性豊かな人材ではなく、変な人たちによる 変な社会が構成される危険性があるのではないだろうか。― 実際、人生の意義とは何か、人は何故生きているか、など、基本的な問題を問わないで、ただ受験を目標に、ただ知識を集め、問題解きの訓練にうつつをぬかして、大学に進学したら、大学では、既にどうしら良いか分からないような学生になっている状況が 実際多いと考えられる。さらに、大学でも真面目に教育されるように勉強して、大学院から先にうまく進んでも 何時の 間にか、やっていることの 人生における意義をみい出せず、精神的に放浪するような人生を送るのは 世に多い。人生の基礎がおろそかになっているばかりが、創造性の精神さえ乏しく、貧しくなっているのではないだろうか。社会に出ても ふらふら世相に流されて生きていて、人物たる人物は少なく、政治社会でも そのような変な現象は 広く見られるのではないだろうか。
テレビ普及時には 一億総白痴化が危惧され、共通テスト開始時には、そのようなおかしな制度は 教育の根幹に抵触すると 批判が広範に聞かれ、数年で破綻するとされたが、一度出来た制度は 一時代を成すように続いてきたが、流石に、改める風潮が出てきている(再生核研究所声明20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する;「大学入試センター試験」の廃止を歓迎する(佐藤匠徳(さとう・なるとく)(奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)バイオサイエンス研究科教授))。
多くの人が、自由を求め、またいわば、社会の上流階級に属そうとする為に、良い大学を目指して、受験体制を乗り越えていこうとの世相には、自然なものがあり、具体的な対応には大きな問題がある。しかし、全人的な教育、創造性を失わずに 人を活かすための教育と受験制度の在りようについては、絶えず検討して、専門化、受験に特化したような教育に成らないように、大学人、教育界に検討をお願いしたい。― 悪い教育に成らない様な 絶えざる努力を求めたい。
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
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そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
a2+b2=c2
1+1=2
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
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