裁判員制度10年、薄れる市民参加 選任手続き、昨年出席2割
二〇〇九年に導入された裁判員制度で、裁判員を選ぶ手続きへの市民の出席率が下がり続けている。昨年一年間の裁判員候補者のうち、選任手続きに出席した人は約二割で、過去最低となった。裁判員制度の最大の理念は「市民参加」だが、来年五月の施行十年を前に、形骸化が懸念されている。
同制度では毎年、有権者から無作為に、裁判員の候補となる人を選び、名簿を作成。この名簿を基に、事件ごとにくじで裁判員候補を決め、「選任手続期日」に裁判所に来るよう告知する。裁判長による意思確認などを経て、さらにくじを行い、裁判員を決める。
最高裁によると、「選任手続期日」に裁判所に来るよう告知された裁判員候補は一七年、十二万百八十七人。このうち、実際に出席した人は二万七千百五十二人で、出席率は22・6%だった。制度が始まった〇九年の40・3%から下がり続けている。告知を受けても、「重要な仕事」などを理由に辞退する人が増えている。
背景には審理の長期化がある。最高裁によると、ゆとりを持って審理計画を組むようになったことなどが影響し、裁判員裁判の平均日数は〇九年の三・七日に対し、一七年は一〇・六日まで伸びた。同年の調査では審理日数が長いほど、辞退率が高い傾向があった。
白鴎大法学部の村岡啓一教授(刑事訴訟法)は「制度が始まって九年たっても関心が高まっていない。国民の側も裁判員になることが義務という意識が薄らいでいる」と分析している。http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018111102000067.html
再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。
アメリカの陪審員制度みたいに、
陪審員が決めた判決内容で結審って感じになれば話も違ってくるかもしれないが、
上級審に持って行って判決内容をひっくり返せるシステムでは、
やるだけアホらしいと思うわなw
ホント、日本の司法制度ってロースクールもそうだが、
カッコだけ外国の真似をして中身スカスカってパターンが多いわなw
陪審員が決めた判決内容で結審って感じになれば話も違ってくるかもしれないが、
上級審に持って行って判決内容をひっくり返せるシステムでは、
やるだけアホらしいと思うわなw
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カッコだけ外国の真似をして中身スカスカってパターンが多いわなw
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