2018年4月17日火曜日

前川喜平さん、数学必修を外すのは亡国政策です

前川喜平さん、数学必修を外すのは亡国政策です

高校数学はなぜ必修でなければならないか~シリコンバレーの成功例が実証

しかし、天下国家とは言いませんが、日本全体の教育、100年と言わず向こう10年の推移を念頭に置くだけでも、高校数学の強化が求められこそすれ、軟化弱体化、さらには廃止など、教育全体を考えるあらゆる観点から、検討の余地は1ミリもありません。

 はっきり言えば、教科の内容ではなく、教え方、教わり方が根本的におかしい「日本型」であるのが元凶であって、大学・大学院さらには国際社会で仕事をしていくうえで、高校数学程度の内容がクリアできていない大学生には活躍範囲に限界が明らかです。
 インドでも中国でも中東でも、途上国からやって来る留学生は軒並み数学が非常に得意で優秀です。
 なぜ?
 数学は、お金が要らない学問だからです。実験物理や化学、また生物などは、高価な機材がないと先端には行けません。
 でも、数学や数理物理は、一銭のお金がなくとも、紙とえんぴつとまじめに取り組む意識があれば、必ず力が伸び、自由な発想があればその先でオリジナルな仕事がいくらでも可能です。
 日本で最初のノーベル賞も湯川秀樹さん、朝永 振一郎さん共に理論物理、紙と鉛筆と念じる心だけからの勝負でした。日本は貧しかったけれど、心は豊かだった。
 数学も同様です。小平邦彦、岩澤健吉・・・紙と鉛筆と想像力、あと可能なら、生徒に根気よくつきあってやれる先生がいれば、もうこれだけで、ビリからトップに躍り出ることもできるのが数学です。
 東洋経済では「貧困」をキーワードに前川さんと法政大学の湯浅誠教授が対談していましたが、湯浅氏は中学高校の5級ほど後輩に当たり、基本的な動機を共有していると思いますので、私がここに書く意図を正確に理解できると思います。
 「難しいから教程から外せ」は、率直に言えば「金満の思想」と思います。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52866?page=5

ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所

再生核研究所声明327(2016.10.18)  数学教育についての提案
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:

再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1)    世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2)    数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3)    非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神と感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―

と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心 を失なわせ、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。

数学の教育については、下記も参照:

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について  
以 上
再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切

(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016        305 pp. (Springer) 
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上

再生核研究所声明3492017.1.24) 衰退する日本の大学 ― 国を憂えて

大学の現状を憂えてその印象を率直に簡潔に表現してみよう。
まず、大学共通テストの弊害を述べてきたが、それは世の多くの人の危惧のように、日本の教育を歪めてきたと考えられる。十分に触れてきたが、画一的なパターン化した、言わば偏差値による個性のない、大学の出現である ― 哲学的精神の欠落、人物たる教育の欠落である。大義がなく、道もない。真智への愛もない:

再生核研究所声明329(2016.10.31) 大学入試の在り様について ― 現実と負担の視点から
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場

次に、いわゆる大学の法人化による相当な混乱である。迂闊にも大学法人化の弊害、悪い影響について述べて来ていないことが分かった。その後に続いて起きてきたのが、定常的な大学予算の減少、教員待遇の悪化、特に大学の事務体制の弱体化である。教員には 研究費、処遇の悪化に反して、教員評価、研究業績など大きな圧力が掛かり、さらに、社会貢献やいろいろな用務の増大で教育や研究どころではない状況が多くの大学に見られる。特に、いわゆる、研究初期の大事な時期、博士論文の性急さや最初の就職先の雇用の厳しさ、任期制付きなど処遇が不安定で、研究体制の弱体化は相当に酷いと言える。創造性の厳しさ、困難さを考慮すれば、人生設計でも生活面でも十分な余裕のある環境でなければ良い研究活動ができないのは当然である。社会の厳しさが大学に皺寄せられ、特に若い世代の処遇、環境を悪化させている。事務組織の弱体化は 大学の雰囲気そのものを悪くさせている。臨時的な雇用やパートなどで賄えば、その不安定な状況は 香り高い大学の雰囲気を損ねるのは当然である。息の永い真理の追究、学芸、芸術にはそれなりの良い環境が求められるのは当然である。
要するに国家はどのように考えれば良いか。文教予算を大幅に増加させ、大学の教職員の待遇を良くし、人員を増加させ、設備を良くするように国策として進めるべきである。― 中国は国策として、数学の研究と教育を重視し、それゆえ、数学の分野での躍進が近年目覚しい。中国が積極的に学生を広い世界に派遣しているのは顕著な事実である。他方、日本では、そのような力を失っているように見える。日本の財政状況が相当に厳しいのは勿論承知している。しかしながら、他方、海外援助を相当派手に(バラマキのような状況とも言える)やっており、さらに、軍事費を大幅に増加させている。海外援助や軍備拡大と大学のどちらを重要視するかの観点で考えるべきである。大学は人を育て、文化を創造、発展させていく原動力、拠点ではないだろうか。民族の、国家の命運を掛けて充実させて行くべきではないだろうか。兵器など軍事援助や治安の援助、経済援助ではなく、文化面での国際貢献を志向したい。香り高い文化で 美しい日本国を侵略する、誹謗する国など 世界に存在しないような、世界がそのようなことを許さないような 日本国の在り様を目指したい。今尚、国家の安全を深く、広く思考し、対策を総合的に講ずるのは勿論大事である。さらに、優秀な研究者、思想家、芸術家を育成し、世界に展開し、世界史を進化させるような大物人物をどんどん輩出させたいものである。

以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿