2018年4月29日日曜日

終戦と不可侵を約束すれば核不要と金正恩氏

終戦と不可侵を約束すれば核不要と金正恩氏

【ソウル共同】韓国大統領府は、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が「米国と信頼関係をつくり、終戦と不可侵を約束すれば、核を持って苦しく暮らす必要があるだろうか」と述べたと明らかにした。https://this.kiji.is/363149695860245601?c=39546741839462401

【北朝鮮】金正恩「米国と信頼関係をつくり、終戦と不可侵を約束すれば核はいらない」

再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間

人間とは何ものかによって 作られた存在 であり、気づいてみたら生まれていた、存在していた。夢中で生きていたら、それらはみな言わば作られた存在として、基本的なありようは定められていたといえる。気づく以前は本能原理の基で、多くは環境に左右され、環境に合ったように多くの動物のように 生きているといえる。
作ったものに意思があるとすれば、それはちょうど作ったものの意思に従って生きているだけであるともいえる。― この観点では、人間の自由意思の存在さえ疑わしくなる。自由意志の存在しないところでは是非は 問えず、全ては神域に属することになる。
人間は生物であり、動物であり、生物や動物の本能、生きること、種の繁栄を求め、そして、人間存在の原理、感動することを求め、真智への愛などが人間の基本である。
男女の愛、家族愛、真理の追究、好奇心、新規なものに興味を抱く、愛国心や名誉心、褒められたいなどの基本的な欲求も 作ったものの意図 を想像すれば、極めて当然で、人間の本性が顕にみえてくるだろう。そのような意味では、人間すらロボットや多くの動物、子供たちのようにみえてくる。
そのような意味では、善人も悪人も 分けた意味では 本質的には存在せず、みな本質的には同じような存在であるといえよう。たまたま悪い条件、環境で育ち、歪められた精神を有して、誰でも願う基本的な欲求が満たされず、自己中心的に行動してしまう状況に追い込まれてしまっているといえる。
多くの独裁者や権力者が 自分の生命、家族を守るためなど、極めて基本的なものを守るために、異常に権力を志向して おかしい状況に追い込まれてしまっている様を本質的にみることができるだろう。裕福なものや高官達も本質的には同じようではないだろうか。基本的なこと、基本的なところを守るために過剰に発想(行動)してしまい、おかしな状況に追い込まれている様を多くみることが出来るだろう。― 庶民から見れば、おかしな異常感覚にみえる状況は世に多いのではないだろうか。
そのような視点からみえてくる人間とは、いじらしい人間である。作ったものの定められた原理に忠実に従い、行き過ぎた存在、そのような意味で、いじらしい人間として、共感、共鳴、理解できれば、俗にいう悪い人も許せる大きな心を持てるのではないだろうか。広い視野と慈しみのような心を 同じ運命を共有している者として持てるのではないだろうか。
世の悪の素とは、身勝手になってしまい、自己中心に考えてしまうことではないだろうか。
それは余裕が無い状況ともいえる。そのような意味では、 良い社会を作る原理は 次に述べられている 公正の原則にあるといえる:

再生核研究所声明1(2007.1.27): 良い社会を作るには。

作られた人間、いじらしい人間といえば、生命の基本定理、生きて存在しなければ始まらない、いつまでも存在していたい、生きていたい という原理に人間は縛られていて、この原理から、解放されず、いつまでも縛られている、哀しい人間のことである。次も参照:

再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か

哀しくとも、浅ましい存在ではなくて、賢明で爽やかな存在になりたい。
以 上

再生核研究所声明307(2016.06.22) 見かけ、表装と内実、実質

相当に高級な内容を記述しようと発想したのであるが、表現が難しいことに気づいた。そこで、表現し易い例で解説を始めよう。
選挙や代表者の投票などでは、どうしても格好の良さや感じの良さに惹かれて投票してしまう例が多いのでは ないだろうか。性格や感覚的な好みに惹かれるからである。ところが投票される者には特別な役割があって、その役割を果たすのに適任か否かを判断するのが 本来投票のあるべき姿であるとも言える。まさか、スポーツの代表選手の選出に 格好の良さや、感じの良さで選出することはないだろうが、政治家の選出などでは相当にちぐはぐになる、判断する場合は多いのではないだろうか。タレント候補者などで、本当に着く職務を果たすのに適任者か否か大いに疑問が湧く場合が多いのではないだろうか。分かり易い例として スポーツの監督者や解説者と 現役時代の実績の関係など、本来異なる才能ではないだろうが、混同してしまう傾向があるのではないだろうか? 学術の世界でも、創造的な業績をなしたものと、評価できる能力には異なる面があるのではないだろうか。芸術の世界でも、そのような観点で考察する必要があるのではないだろうか。いろいろな 権威の基 についても考察を深めることが大事ではないだろうか。この観点では、投票で、民主的に考えるも基本的な問題を抱えていると言える。良い政策か否かを素人集団で ただ投票で決めれば良いは本質的な問題を抱えていると考えるべきである。
表装と内実と捉えると、世の多くの問題に、問題を普遍化できる。現れた情報で、内実を推し量る、判断するからである。現れた情報には意図的に作られたり、歪められたり、虚偽に演じられたりする場合は多い。演出と実際、現実の乖離を心配している。
現在は、評価、評価と 賑やかであるが、評価に客観性を与えようとして、多くを数値化する傾向が強いが その数値化が評価の実態を上手く表現しているかは 大いに問題ではないだろうか。 それで、 いろいろなランキングの公表の 世界的な風潮には 大いに警戒したい。実際と現れたものの乖離、本末転倒のような現象が 世に多く現れているのではないだろうか。少し、時代が経てば、愚かなことをしていたとなりかねないことが多いのではないだろうか。
この声明の趣旨は 表装と内実の観点から、上辺だけに気を取られないで、本来のことに思いを致そうということである。見かけに囚われないように気をつけようということである。本末転倒の現象や、見かけと実質の乖離を見出して、判断や観測能力を高めたい。軽薄な世相にならないように気を付けたい。
物事の本質を見るようにしよう、本来のあるべき姿を求めていこう。もともとの在るべき姿、存り様を追求して行こうと纏められるだろう。初心初期の精神を尊重したい。
以 上

再生核研究所声明 426(2018.4.29):  政治状況についての印象

再生核研究所は より良い社会を築くには 政治は大事であるとの認識から、素人の立場からいろいろな意見を表明して来ている。最近は政治状況が難しいこともあって、言及を避けている。実際、具体的に掘り下げて政治状況を分析、検討している訳ではないので、注意して下さい。
外から見ていると、セクハラ問題、政府の教育行政への介入などで国会は揉めているようであり、政府は憲法改正を進めているようである。野党はセクハラ問題で高官を辞任に追い込み、麻生大臣の任命責任を求め、国会審議を拒否しているようである。しかしながら、そもそも これらは本末転倒では ないだろうか。まず、国会は国権の最高機関として、財政、安全、教育、福祉など国家の大事を審議して 国を導く立場であるから、それらの国家の大事を議論して、国をどのように導くべきかの議論が本筋で、高官の不祥事などは本質的には検察など 法の問題である。 本筋を見失って 批判ばかりしていれば、何のための国会議員かと問われかねない。野党は与党のあらさがし、批判のための批判を繰り返しているようで、国民からすれば、変な感じに受け取られているのではないだろうか。いくら与党を批判しても 野党の信頼にはならず、焦点は国家をまかせられる政党かと 冷めた目で見ているのではないだろうか。 - あれでは国などまかせられないと思ってしまうのではないだろうか。
麻生大臣の任命責任追及など、相当ピンボケではないだろうか。大臣が 高官がセクハラ問題を起こすか否かを見極めて任命せよとなれば、大臣は詳しい私生活、人格まで評価することになり、逆に言えば大臣の権力の乱用と批判されかねない。責任追及は度を越していると考えざるを得ない。
国の大事は、国防の在り方、財政の在り様、経済政策、文教政策、福祉の在りようなどであるが、憲法改正が具体的に提案されている折り、それらの在り様を きちんとした理念を持って提案し、憲法改正に反対であれば、その理由をきちんとして 真正面から提案、議論していくべきである。安倍首相の退陣を狙っていろいろあら探しをしている状況が有れば、事の真相は 曖昧になり、国会は空虚な存在になってしまう。 野党は野党で 大義をもって 与党に対峙して素晴らしい国家像を現実的に常に示して、それゆえに 国を委ねても良いという状況にするのが政治の正道ではないだろうか。
ふがいない野党は、与党の補完勢力にしか見えない状況が 不幸にも日本の政治状況には あるのではないだろうか。
以 上


再生核研究所声明37(2010/05/20):
金正日を世界史の英雄に 朝鮮問題に関心を寄せる世界の人々に

世界の歴史を進化させ、平和な世界を築き、かけがいのない地球を大事にしていこうではありませんか。世界の懸案の問題の一つとして、南北に分かれた朝鮮問題が有りますが、素人的に考えれば、それらの解決は簡単ではないでしょうか。 そこで、解決法を提案しますので、世界の関係者に検討して頂きたいと要望します。
まず、両国の状況であるが、韓国は進んだ民主主義の国家であり、経済、文化、社会の状況においても高く評価できます。 他方、北朝鮮は偉大な指導者の下で、きちんと纏まっている独立国(日本国より独立国であると言える)であるが、民衆の生活水準は高いとは言えず、また、人間存在の重要な要素である自由が保障されているとは言えず、偉大なる指導者の下に在るとはいえ、経済、文化、社会的の状況はいずれも良いとは言えないと判断せざるを得ない。もともと1つの国家が分裂したものであるから、ドイツのように再び国家が統一され、良い国づくりができれば、全ての朝鮮の人たちはおろか、世界の人々によっても良いのではないかと考える。分裂国家の悲惨さは経験のない者にも容易に理解できるものである。 実際、家族や親族でも、別れ離れになっている悲惨な状況である。そこで、ドイツの統一や江戸城の無血開城のような教訓を活かして、全ての関係者が受け入れられ、幸せになる道を検討すべきではないでしょうか。 それは、次のような原則で、可能ではないでしょうか。

1)北朝鮮は国境を開き、韓国軍を無条件に受け入れ、韓国政府の指示に従うこと。それによって、北朝鮮の治安と秩序を保つ。統一朝鮮の在り様については、民主主義が確立している韓国政府が当面進めるものとする。
2)北朝鮮の指導者は 上記の件を徹底させて、全力を挙げて、韓国政府の指示を執行する(無血開城を想定)。
3)上記において、北朝鮮の指導者、軍、政府関係者の身分を保証し、過去の如何なる罪も問わず、韓国政府はできるだけ、現状以上の処遇ができるように努力すること。
4)特にこのような計画を進めるためには、北朝鮮の指導者の全面的な協力が絶対に必要である現実を重く評価して、指導者たちの身分の保障、その後の処遇について格別の配慮を行うこと。
5)世界は韓国政府の要請を受けて、応分の援助を行い、上記構想の実現に協力する。

もし、このような方向で、朝鮮の統一ができれば、金正日氏は、北朝鮮の英雄から、朝鮮全体の英雄となるばかりではなく、世界史における英雄として称賛され、世界各国で、熱烈に歓迎される人物になれるであろう。さらに、重い、指導者としての重責、将来不安からも逃れることができる。このような偉大なることは、真に偉大な指導者でなければ、絶対に実現できないことである。 実際、そのような計画には、反乱が起き易いものであるからである。
 世界の関係者は、このような考え方を、世界の関係者たちに広め、朝鮮問題を根本的に解決するように、協力、努力しようではありませんか。上記のように朝鮮問題が進展すれば、アジアの平和の問題は各段に改善されると考えられる。愚かな対立を無くして、より良い地球にしようではありませんか。未来の人たちは 現状をどのように見るでしょうか。

以 上
 

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