2018年4月28日土曜日

In che modo Newton ha scoperto la gravità usando una mela Ecco come Isaac Newton ha formulato la nota teoria della gravità utilizzando una semplice mela

In che modo Newton ha scoperto la gravità usando una mela

Ecco come Isaac Newton ha formulato la nota teoria della gravità utilizzando una semplice mela

Il mito narra che Sir Isaac Newton elaborò la teoria della forza gravitazionale dopo aver osservato una mela cadere da un albero nel suo giardino.
Il fisico e astronomo Isaac Newton ha contribuito fortemente all’evoluzione della scienza dimostrando come le leggi della natura agiscono sulla terra e sullo spazio con dinamiche analoghe. Un tempo Presidente della Royal Society, lo scienziato proseguì e implementò gli studi di Keplero e Galileo sul movimento dei pianeti, trovando nella matematica il linguaggio ideale per descrivere le sue leggi.

Il mito vuole che il suo principale contributo alla scienza derivi da un episodio accaduto nel 1966. Pare che in quell’anno Newton si fosse ritirato nella casa materna a Woolsthorpe Manor, quando assistette alla caduta di una mela da un albero del suo giardino. Come accade alle menti più geniali, il fisico non si fermò all’evento in sé ma utilizzò la caduta del frutto per porsi una domanda che ha trasformato il nostro modo di vedere l’universo. Più precisamente, Newton si chiese per quale motivo la mela cade sempre verso il centro della terra e non trasversalmente o verso l’alto.
Ne dedusse che la forza che fa muovere e cadere gli oggetti sulla terra è la stessa che fa girare i pianeti intorno al sole. In tale senso i pianeti “cadono” verso il sole, ne sono attratti, esattamente come accade per la mitica mela che cade verso il terreno del giardino.
Ma come è possibile? Per spiegare questo fenomeno Newton elaborò la teoria della gravità.
Quest’ultima può essere descritta come una forza che agisce sulle cose terrestre e spaziali tenendole insieme. Successivamente Newton ampliò questa teoria trasformando la semplice osservazione della mela in un’equazione, spiegando che questa energia impedisce non solo al mitico frutto ma anche ai pianeti di non perdersi nell’universo. L’evento della mela permise quindi a Newton di intuire che la forza gravitazionale agisce su tutta la materia terrestre.
Diversamente da quanto si creda inizialmente lo scienziato divulgò la sua teoria senza fare riferimento al racconto della mela, episodio che diventò pubblico solo nel secolo successivo attraverso l’opera realizzata dallo scrittore William Stukeley, il quale riportò il racconto della mela nell’opera Memoirs of Sir Isaac Newton’s Life.
Mito o realtà, Newton rappresenta tuttora uno dei più celebri scienziati ed è grazie alla sua formidabile teoria che dobbiamo i recenti sviluppi delle scoperte in campo fisico e astronomico.

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


再生核研究所声明 382 (2017.9.11)  ニュートンを越える天才たちに-育成する立場の人に

次のような文書を残した: いま思いついたこと:ニュートンは偉く、ガウス、オイラーなども 遥かに及ばないと 何かに書いてあると言うのです。それで、考え、思いついた。 ガウス、オイラーの業績は とても想像も出来なく、如何に基本的で、深く、いろいろな結果がどうして得られたのか、思いもよらない。まさに天才である。数学界にはそのような天才が、結構多いと言える。しかるに、ニュートンの業績は 万有引力の法則、運動の法則、微積分学さえ、理解は常人でも出来き、多くの数学上の結果もそうである。しかるにその偉大さは 比べることも出来ない程であると表現されると言う。それは、どうしてであろうか。確かに世界への甚大な影響として 納得できる面がある。- 初めて スタンフォード大学を訪れた時、確かにニュートンの肖像画が 別格高く掲げられていたことが、鮮明に想い出されてくる。- 今でもそうであろうか?(2017.9.8.10:42)。

万物の運動を支配する法則、力、エネルギーの原理、長さ、面積、体積を捉え、傾き、勾配等の概念を捉えたのであるから、森羅万象のある基礎部分をとらえたものとして、世界史における影響が甚大であると考えれば その業績の大きさに驚かされる。

世界史における甚大な影響として、科学上ではないが、それらを越える、宗教家の大きな存在に まず、注意を喚起して置きたい。数学者、天文学者では ゼロを数として明確に導入し、負の数も考え、算術の法則(四則演算)を確立し、ゼロ除算0/0=0を宣言したBrahmagupta (598 -668 ?) の 偉大な影響 にも特に注意したい。

そのように偉大なるニュートンを発想すれば、それを越える偉大なる歴史上の存在の可能性を考えたくなるのは人情であろう。そこで、天才たちやそれを育成したいと考える人たちに 如何に考えるべきかを述べて置きたい。

万人にとって近い存在で、甚大な貢献をするであろう、科学的な分野への志向である。鍵は 生命情報ではないだろうか。偉大なる発見、貢献であるから具体的に言及できるはずがない。しかしながら、科学が未だ十分に達しておらず、しかも万人に甚大な影響を与える科学の未知の分野として、生命と情報分野における飛躍的な発見は ニュートンを越える発見に繋がるのではないだろうか。
生物とは何者か、どのように作られ、どのように活動しているか、本能と環境への対応の原理を支配する科学的な体系、説明である。生命の誕生と終末の後、人間精神の在り様と物理的な世界の関係、殆ど未知の雄大な分野である。
情報とは何か、情報と人間の関係、影響、発展する人工知能の方向性とそれらを統一する原理と理論。情報と物の関係。情報が物を動かしている実例が存在する。
それらの分野における画期的な成果は ニュートンを越える世界史上の発見として出現するのではないだろうか。
これらの難解な課題においてニュ-トンの場合の様に常人でも理解できるような簡明な法則が発見されるのではないだろうか。 
人類未だ猿や動物にも劣る存在であるとして、世界史を恥ずかしい歴史として、未来人は考え、評価するだろう。世の天才たちの志向について、またそのような偉大なる人材を育成する立場の方々の注意を喚起させたい。偉大なる楽しい夢である。
それにはまずは、世界史を視野に、人間とは何者かと問い、神の意思を捉えようとする真智への愛を大事に育てて行こうではないか。

以 上


再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上


List of division by zero:

\bibitem{os18}
H. Okumura and S. Saitoh,
Remarks for The Twin Circles of Archimedes in a Skewed Arbelos by H. Okumura and M. Watanabe, Forum Geometricorum.

Saburou Saitoh, Mysterious Properties of the Point at Infinity、
arXiv:1712.09467 [math.GM]

Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
The Descartes circles theorem and division by zero calculus. 2017.11.14

L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007.

T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Submitted for publication).

T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)

H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.

H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.

S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).

S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .


2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より

*057  Pinelas,S./Caraballo,T./Kloeden,P./Graef,J.(eds.):
       Differential and Difference Equations with Applications:
        ICDDEA, Amadora, 2017.
           (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 230)
             May 2018       587 pp. 


再生核研究所声明 425(2018.4.28):  生命のリズム、生きること 
(学会、著作、解説などに気をとられ 声明の方は珍しく空けてしまった。待っているような状況も存在したが、しばらく間を取るのが良いような気持も、年度の変わり目の要素もあり、他方、豊かな自然の季節の変化の大きさに驚かされたりしてもいた。 ふと、人生の在り様、心の微妙さを表現してみたい気持ちが湧いてきた。最初の感じは悟りの心得であったが、幾らなんでもその題名は適当ではないようにその心の背景から感じて題名を表記のように書き、書き始めた。)
まず、修業、悟りの方向とは、凡そ世の過程はゼロから始まってゼロに帰する、したがってゼロに帰することを受け入れる気持ちを持つことが悟り、修業の方向であると 相当に考えを抱いてきた(夜明け前 - よっちゃんの想い 文芸社)。ところが一向に悟りは進まず、逆に煩悩がどんどん湧いてくるような反作用が働いている面も感じられてくる。年齢相当に、成功しても、失敗してもどちらでもよい、所詮大したことはない、 失敗すればかえって面白い、初期に戻っても、進んでも結局みな同じようになるので、何も拘ることはないという自由な気持ちも素直に受け入れられる気持ちになっている。そうすると世の中 人の営みが結構、幼稚におかしく見えてくる。人間社会も野生動物の世界も同じようで、調和のとれている野生生物の世界の方が完全な営みに見えて来る。人間社会の愚かしさと いい加減さには浅ましさより、いとおしささえ感じられてしまう。- 超大国の大統領が恥じらいもなく、アメリカファーストと公言されているのですから、凄いですね。核兵器を苦労して開発して、今度は廃棄するから、援助をお願いしたい。余りにも古い論理、考え方が続いているおかしさ。日本では、大事な国の問題よりセクハラや忖度問題で騒いでいるおめでたい世相。
悟りの方向として、無を受け入れる、元に戻ることを受け入れる修行、己を空しゅうする心構えを身につける。それらが正道と思われるが、それに対して、活動している、発展している心をリズムにのって未来未来と上手く展開していくのは 生命の充実として 良い在りようではないだろうか。どんどん生きていくということである。生きるということはもちろん、生物的な本能を満たし、創造的な活動を続けていくことである。良い感動は良い創造活動にあるのではないだろうか。
また良い創造を共感、共鳴することも人間存在の本質的な歓びに属するのではないだろうか。人の心は多様であり、人の志、心の在りようも多様であるから、何事も同じようには考えられず、帰するところは個人、個人が 良い思いを、感動するにはどうしたら良いかとなるが、これらは自分の心の総体をしっかりと捉え、環境の中で上手く調和させて行く心掛けが大事ではないだろうか。人はあまりにも周りのことに気遣いをし過ぎで肝心な自分をないがしろにしている現実があるように感じられるが如何であろうか。
人間の心は、極めて微妙で、変化を求め、どんどん変化している。その背後にあるものをしっかりと捉えようとし、さらにその方向の様子、ペースなどもしっかり捉えて、全体の調和ある在りようを志向して行きたい。岡本太郎氏の 芸術は爆発だ どんどん爆発して行けば良いは 確かにそうではないだろうか。 前向きにどんどん進んでいるとき、生命の充実が感じられる。それは悟りの他の方向とも言えるのではないだろうか。どんな過去の想い出も、足跡も空しく、前向きに進んでいるときこそが 充実感を覚えるときであると言える。
以 上




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