空間はなぜ三次元なのか? 初期宇宙での「フラックス・チューブ理論」から考察
英・米・独・ポルトガルなどの国際研究チームは、宇宙誕生後に起きた宇宙の急膨張(インフレーション)のエネルギー源を、ひも状のグルーオン場「フラックス・チューブ」によって説明できるとする説を発表した。空間が三次元であることの必然性も同理論から導かれるとする。
研究には、英エディンバラ大学、米国のチャップマン大学、ヴァンダービルト大学、独ドルトムント工科大学、ポルトガルのアベイロ大学などが参加。研究論文は、「The European Physical Journal C」に掲載された。
誕生直後の宇宙でフラックス・チューブの網目が宇宙全体を満たしたと考える(出所:ヴァンダービルト大学)
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グルーオンは強い相互作用(クォークおよびグルーオンの間に働く力)を媒介する素粒子である。原子核を構成する陽子や中性子などの粒子は、強い相互作用で結びついたクォークによってつくられる。このとき、クォーク間でグルーオンが交換されることによって、強い相互作用が媒介されると考えられている。
これは粒子間の電磁相互作用が光子の交換によって媒介されることと似ているが、光子が電荷をもたないため光子同士の間に電磁相互作用が働かないのに対して、強い相互作用の場合には力の媒介粒子であるグルーオン自体が量子色力学(QCD)でいうところの色荷をもっているため、グルーオン同士にも強い相互作用が働く。
グルーオン間の相互作用によって形成されるひも状の場は「フラックス・チューブ」と呼ばれている。陽子や中性子などのハドロン粒子から、クォークやグルーオンなどの素粒子を単独で取り出すことはできていないが、これはクォーク同士を引き離そうとすると長距離でのフラックス・チューブのエネルギーが強くなり、クォークをハドロン粒子内に閉じ込めてしまうためであると説明される。
一方、宇宙誕生直後や、加速器内での重イオン衝突実験などでつくりだされる高温高密度状態では、陽子や中性子にクォークやグルーオンが閉じ込められずに自由に動き出すクォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)の状態が実現すると考えられている。実際に、2005年には米ブルックヘブン国立研究所の相対論的重イオン衝突型加速器(RHIC)における実験でQGP状態が再現されたと報告されている。
今回の研究では、宇宙初期における高エネルギーでのQGP状態でフラックス・チューブに何が起こるかが検討された。それによると、このような高エネルギー状態においてクォークと反クォークのペアが大量に生成消滅することによって、無数のフラックス・チューブが形成されると考えられるという。
通常、クォーク・反クォーク対が接触するとフラックス・チューブは消滅してしまうが、これには例外もあり、ひも状のフラックス・チューブが結び目を形成するような場合にはチューブが安定して存在できるようになり、素粒子よりも長く存続するようになる。
たとえば、ある素粒子の軌跡が止め結び(オーバーハンドノット)の形を描いたとすると、それに対応したフラックス・チューブは三つ葉結びの形になる。この状態で結び目をつくったフラックス・チューブは、チューブによって結びついていたもとの素粒子のペアが消滅した後にも残るという。また、複数のフラックス・チューブが連結した場合にも、安定したフラックス・チューブの結び目が形成される。
このような過程を経て、初期宇宙の高エネルギー状態では宇宙全体にフラックス・チューブの固い結び目のネットワークが充満していったと研究チームは考えている。そして、このネットワークがどの程度のエネルギーをもつことになるか計算したところ、誕生直後の宇宙の急激な膨張(インフレーション)が起こるのに必要なだけのエネルギーを供給できることがわかったとする。
一度はじまったインフレーションが急に終わってしまった理由も、フラックス・チューブ理論から上手く説明できると研究チームは主張している。宇宙が急速に膨張していく過程でフラックス・チューブのネットワークが崩壊して分解していくため、宇宙がそれ以上インフレーションを続けるためのエネルギー源が失われるのだという。
フラックス・チューブのネットワークが分解すると、原子以下の粒子と放射線で宇宙が満たされることになり、これがその後の宇宙の進化のもとになったと考えられる。
フラックス・チューブの結び目がつくるネットワークのCG描画(出所:ヴァンダービルト大学)
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さらに、初期宇宙におけるフラックス・チューブに関する考察は、この世界がなぜ三次元の空間から成っているのかという物理学の根本的な疑問とも関わっている。数学上の結び目理論によれば、フラックス・チューブのような結び目は四次元以上の高次元空間では解けてしまい、結び目として存在できなくなると考えられるからである。
直感的に理解できるように次元を落とし、二次元平面で例えてみる。平面上に描かれた円の中に点をひとつ打ち、円を動かすことによってこの点を円の外に出すことができるかどうかを考えてみる。円が平面上にある場合には、点に円をまたがせないかぎりは円の外に点を出すことはできない。しかし、次元を1次元加えて円が三次元空間内を動けるようにすれば、平面上から円をもちあげ、点を含まない位置まで移動させることは簡単にできるようになる。
これと同じことが三次元空間内の結び目に対しても成り立っており、三次元空間では固い結び目をつくっているひもも、四次元以上の高次元空間では簡単に解けてしまう。したがって、もしも初期宇宙におけるフラックス・チューブのネットワークの充満が、インフレーションの駆動力になったとする今回の研究チームの理論が正しいとすれば、この宇宙は三次元の空間をもつという条件が必要になる。
空間が四次元以上あったとするとフラックス・チューブの結び目が存在できなくなるため、インフレーションによる宇宙膨張もはじまらず、宇宙はいま現在あるような進化をたどることはできなかったはずだ、というわけである。もしも余剰の次元が存在したとしても、それらは極微小のサイズにとどまることになると考えられる。http://news.mynavi.jp/news/2017/10/31/030/
フラックス・チューブとゼロ除算
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdfDOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
以 上
再生核研究所声明335(2016.11.28) ゼロ除算における状況
ゼロ除算における状況をニュース方式に纏めて置きたい。まず、大局は:
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド幾何学とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
1.ゼロ除算未定義、不可能性は 割り算の意味の自然な拡張で、ゼロで割ることは、ゼロ除算は可能で、任意の複素数zに対してz/0=0であること。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学などの多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが認められた。ゼロ除算を含む、四則演算が何時でも自由に出来る簡単な体の構造、山田体が確立されている。ゼロ除算の結果の一意性も 充分広い世界で確立されている。
2.いわゆる複素解析学で複素平面の立体射影における無限遠点は1/0=0で、無限ではなくて複素数0で表されること。
3. 円に関する中心の鏡像は古典的な結果、無限遠点ではなくて、実は中心それ自身であること。球についても同様である。
4. 孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。ゼロ除算算法。
5. x,y 直交座標系で y軸の勾配は未定とされているが、実はゼロであること; \tan (\pi/2) =0. ― ゼロ除算算法の典型的な例。
6. 直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。原点は、直線や平面の中心であること。この議論では座標系を固定して考えることが大事である。
7. 無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。
8. 接線や法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。
9. ゼロ除算算法の導入。分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、ゼロになっても、そこで意味のある世界。いろいろ基本的な応用がある。
10.従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分に関する多くの公式の変更。
11.微分方程式の特異点についての新しい知見、特異点で微分方程式を満たしているという知見。極で値を有することと、微分係数が意味をもつことからそのような概念が生れる。
12.図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。
13.確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。
14.ゼロ除算による空間、幾何学、世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用。
15.解析関数が自然境界を超えた点で定まっている新しい現象が確認された。
16.領域上で定義される領域関数を空間次元で微分するという考えが現れた。
17.コーシー主値やアダマール有限部分に対する解釈がゼロ除算算法で発見された。
18.log 0=0、 及び e^0 が2つの値1,0 を取ることなど。初等関数で、新しい値が発見された。
資料:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.):
Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)
Sep. 2016 305 pp.
(Springer) 9783319419435 25,370.
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
以 上
再生核研究所声明 391(2017.11.1): いろいろな数学者、数学者の心
数学者とはどんな人たちだろうか。回想しながら、感じを表現してみたい。まず、一般に思い浮かぶのは いわゆる世情の表現で、優秀で数学の感覚が発達していて、特にいわゆる数学の理解が早く、問題解きが 得意であるなどではないだろうか。学校でそのような優秀性が現れて、どんどん数学が好きになり、数学の研究者にまでになり、その優秀性を世界的にも示したいと考える数学者は 相当いるのではないだろうか。典型的な発想として、世の難問に挑戦して解決、自己承認を求めた偉大な数学者は多いと言える。始めから優秀ゆえその才能を活かして、数学者の道をひたすらに歩んでいる。その心は意外に純粋、単純で、天才ニュートンとライプニッツの微積分の先取性を生涯争った事実、ニュートンの株投資の失敗、ガロアの決闘、数学の王ガウスの非ユークリッド幾何学の発見者 若きボヤイに対するいわば冷たい対応など結構 想い出される。優秀さゆえに弟子たちに対する冷たい対応なども見られる。結構競争意識が強く、それが碁や将棋の趣味にも通じてもいる原因とみられる。
ところで、どうしても数学を志したい気持ちの本質は 何だろうか。上記才能の他、数理論が好きである、意外に社会、人間関係が好きではない、自分の世界を大事にしたいが あるのではないだろうか。また、数学の絶対性、永遠性に対するあこがれは ギリシャ以来の伝統として有るのではないだろうか。この辺は、そうは才能が無くても、数学好き、数学を趣味として研究している者の精神にあるのでは ないだろうか。
市井の数学愛好者、多田健夫氏について書いてきた
フォームの始まり
フォームの終わり
https://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360/66172415.html
が、別にやることが無くて、別に報いを求めることもなく、数学に集中して人生を終えた者がいる。その心を推察すると、いろいろ考えることが好き、社会生活、人間関係はそうは好きでなく、特別な趣味ややりたいことがない、そして大事なことは 人生に何か記念碑を残したい、できれば、 世の承認 ― あれこれをやったということを認められ、残したいということではないだろうか。このような心は 相当な数学者の基本的な心と言えるのではないだろうか。良い定理を発見して残したい、良い論文を書きたい、著書を出版したい等。
数学者、数学の研究といえば、抽象的で専門化が進み、細分化、深く成りすぎて、お互いに理解が困難に陥ってしまい、孤独で、閉じこもりがちになっているのが憂慮される。しっかりとした動機や目標もなく、ただ先人の理論の先を調べ、調査しているような研究が純粋数学のほとんどであると言えるのではないだろうか。ただ盲目的な研究である。現代のように世知辛い評価時代、あるいは競争の激しい時代になると、しっかりとした方向性、創造性に基づいた研究よりも評価され易い、確立した数理論の先を改善した方が手っ取り早いと、改善型の研究がはびこりかねない。
少し、時間が経てば、当時の流行で見るべきものは無かったと、雑情報、雑論文の溢れていた時代と評価されるだろう。
その様な時、数学者の存在は社会からは、変な社会の人たちに見られてしまうのではないだろうか。
数学者については 下記は素直に全貌が表されている:
再生核研究所声明285(2016.02.10) 数学者の性格、素性について
また、数学の細分化などについては次を参照:
再生核研究所声明 128(2013.8.27): 数学の危機、末期数学について
以 上
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