再生核研究所声明 392(2017.11.2): 数学者の世界外からみた数学 ― 数学界の在り様について
平和が永く続くと歌謡界、スポーツ界、芸能界など、重層に深く発展して、いわゆる一般の人たちには近づけない形相を帯びてくる。NHK大河ドラマや朝ドラなどの映像など 高級でどうして作れたか不思議でならない。しかし、ここに挙げた分野などでは、それらの良さが一般の人たちにも理解され 楽しませてくれるので、社会貢献、社会の役割などは相当理解できる。
このような視点から、数学について考えてみたい。人類精神の名誉のため の研究ではなく、専門外の人にとっての数学である。
まず、数学の役割であるが、それはギリシャ時代以来、数学の学習を通しての論理的な思考の訓練と、科学を記述する言語としての数学教育が重要視され、実際、各種入試などでは 数学の学力は重視されてきている。- これらの要請は、計算機や人工知能が 発達しても当分 本質は変わらないと言えるだろう。しかし、これらの状況に従って、カリキュラムの在り様や、教育の精神は絶えず変更が必要であろう。
上記に述べられている内容については、素材は相当に固まっていて、教育内容は安定していると見られるのではないだろうか。
そこで、日進月歩の数学研究内容の高度化と深さは、他の分野に比べて、数学の抽象性もあって、理解が困難で、専門家の間でさえ交流できない状況は普遍的見られる。一般人にとっては、大抵は始めから話題にもできず、内容の理解の最初の1歩さえ、踏み込めないであろう。すなわち多くの研究成果は、社会的にも一般の人にも何にもならない内容であると考えられる。しかし、物理的な問題、医学的な問題など具体的な問題解決の観点から等 具体的な研究の位置づけのある研究は 何も一般人に理解できなくても 当然そのような研究は十分に意義があることは誰にでも分かるだろう。しかしながら、数学内部から湧いた純粋な数学の内容は高級で、抽象的で、理解もできず、興味、関心を呼び起こすことは相当に難しいのではないだろうか。そのような課題は、数学界以外では ほとんど意味がないと言われかねない。これが現代数学における純粋数学の姿ではないだろうか。
もちろん、人類の名誉のための 自由な研究は それ自体 誠に 尊いものである。しかしながら、数学界が社会でより安定的な存在になるためには、高等数学より、基礎的な数学を重視し、数学の興味や好奇心を駆り立てる教育的な視点を強めていくのが 良いのではないだろうか。教育より研究であるという発想は、高等研究機関や大学などでは当然、としても 広範な大学や学校では勧められない発想ではないだろうか。 評価、評価の世相が 研究や形式的な研究業績などに拘りすぎている世相が無いかと気になる。数学の教育や数学の社会的な存在性に配慮していきたい。― 何のための数学かとは 絶えず問うていきたい。
数学の研究ではなく、数学を楽しんでいるような先生は、教授は世に必要であり、良い先生であり、良い教育者ではないだろうか。世情、研究者自身本意ではない つまらない抽象的な研究に走り過ぎてはいないであろうか。楽しむような数学を世に広めたい。― もちろん、これは一面の観点である。
以 上
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2017.11.02.05:45 良い。
2017.11.02.06:05 完成、公表
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