世界的「反グローバル化」の流れは統計にも表れている
英国、米国、フランスなどで
相次ぐ反グローバル化の政治潮流
グローバル化(グローバリゼーション)について語られ始めてから久しい。国対国の国際化とは異なり、国境を越え地球規模でヒト、モノ、カネが飛躍的に拡大することを意味するグローバル化は、政治史的には東西の冷戦構造が終焉をとげた1991年のソ連崩壊をメルクマールとしている。世界銀行の世界開発報告書はこう記していた。「2次にわたる世界大戦間に資本、労働、財の流れが制限され世界経済は分断化されたが、冷戦が終わった1990年以降にグローバリゼーションが加速し、こうした制限が緩和され世界経済は統合化へ向かった」(2009年版)。
そして、昨年から今年にかけてイギリスのEU離脱、アメリカ第一を唱えるトランプ政権の誕生、そしてフランス大統領選において反EU、反移民を唱える極右政党「国民戦線」のルペン候補が5月7日の決選投票に進出するなど、反グローバル化の政治潮流が鮮明になりつつある。そこで、これまでのグローバル化の流れをデータ的に振り返ってみることにする。
再生核研究所声明 137 (2013.10.16): 世界の危機と 権力者の選出
(2013.10.9には 声明135にも有る通り、いろいろな考えが湧いたのであるが、実は 目覚めの後、声明136と この声明の原案も湧いていたのである。)
その朝 閃いたのは、奇妙な感覚で、人類絶滅の僅かな危惧の閃きである。
生物絶滅の一般的な形相、食料難、種族増大、感染症、衰退、内紛と外敵、および環境の悪化 などの観点を考えれば、人類には生存の余裕が 少しはまだ、あると考えられる。しかしながら、近代科学の進歩によって、偶発的な事件で、人類絶滅の可能性が、現に 既に存在するのではないか という危惧の念である。
人類を絶滅させる そのような要因は、急激な人為的な感染症、大量破壊兵器の意図的、偶発的な使用に追い込まれる事態が考えられる。偶発的な戦争や、混乱に伴って、追い込まれる事態である。
それらを行動に結び付けられる いわゆる権力者たちの冷静な判断を失えば、既に 世界は何時でも 危機を迎えていると考えられる。
その朝、閃いた考えは、実は 次の1点である。権力者が、最も大事なこと(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)を明確に自覚し、己れを犠牲にして、世界史に帰依できるか 否かである。究極の選択における、健全な選択である。人物たる人物に権力を委ねているか 否かの問題である。ここで言う、人物たる人物とは、己を犠牲にして、世界史に帰依できるかの一点にある。 全ての国々で、このような人物を権力者にしておけば、世界は 当分は 安泰に経過できるだろう。
特に、アメリカ大統領選挙などで、健全な家庭 を持っていることが、大統領の重要な要素と考えられていることは、高く評価されるべきである。 健全な家庭を営む者は、愛の本質を理解し、己を越えた存在について、身を以て体験しているから、人間存在の本質と、世界史への帰依は 理解しやすいからである。
このような危惧の念を起こさせた事件として、いわゆる キューバ危機が存在した。若きケネディ大統領の立場を理解して、退いた フルシチョフ首相は この意味で、世界史に寄与された人物として、高く評価されるべきではないだろうか(再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この観点から、世界は、2500年前の 中国古代の文献、礼記から大いに学ぶべきである:
古代の賢王のたちが天下を治めたときの心得は、五つであった。有徳者を貴ぶこと、身分の貴い人を尊ぶこと、老人を尊ぶこと、年長者を敬うこと、及び幼少を慈しむことである。この五つが古代賢王たちの政治の心得であった(再生核研究所声明2: 教育方法と賢王の心得 (礼記(中)新釈漢文大系 発行所 明治書院 p 709ー710 抜粋))。
世界危機の問題に発展しないまでも、権力者の影響は大きいから、絶えず、人物の選出には注意して、己れを犠牲にして、公のため、公正の為に行動できる人物か否かを 何時も注意深く判断するように心がけたい。危機を煽ったりして、心は、本当は 自己の貧しい、卑しい野心、利害の立場のことばかり考えている政治家は 世に多いからである。人物を選び、信頼関係の上に 国家に、世界に、公に貢献して行きたい。次も参照:再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項。
以 上
追記: しかしながら、強い者が弱い者を虐待して、逆襲に遭い、世界の思わぬ中枢を狙われ、あっけなく人類絶滅を招く可能性も否定できないのが 近代科学の進歩の 危険な要素でもないだろうか。その辺の警戒と対策は 世界にとって 大事ではないだろうか(再生核研究所声明86: 未だ おめでたい人類 - 先史時代)。
再生核研究所声明 143 (2013.12.10) グローバリゼーションの危険性
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ 他の周辺の広大な農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で 他の農家がやって行けず、農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は 哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつに考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記で いわゆる市場主義の原理で 事を進めれば、生業が成り立たなくなると言う、根本問題を提起している。 実例でも、例えば、 広々としたベトナムの農村では、田植えを 手で、一株ずつ人海戦術で植えているが、日本では、田植え機械で 夫婦二人で、どんどん田植えが行われている。稲刈り、収穫作業も同様の差がある。農作業の重労働を想い出し、胸を痛めたものであるが、アメリカの小麦の生産方式など考えれば、日本の農家の農作業など、ベトナムと日本の差以上であろう。それらが、市場主義、自由競争となると、ベトナムの農家も日本の農家も成り立たないのは、道理である。このような危惧は、至る所に現れ、世界混乱の主因になるだろう。長い間続いていた、文化、習慣、慣習、生活基盤の破壊である。― インドの痛ましい情景を時として、回想する。土を運ぶのに、土を籠に入れ 頭に載せて、沢山の女性が連なって運んでいる。普通考えられるトラックで運べば、如何に簡単に大量に運べるかを考えると、痛ましい仕事である。しかしながら、それらを機械化すれば、失業者の増大や、取り巻く環境の激変で大きな混乱が起きるだろう。
そこで、グローバリゼーションの危険性 を 夢の中の青年に代わって、世に訴え、注意を換気したい。
個々の存在してきた、事実、経過は大事であり、何事、新しい変化との調和に 思いを致さなければ、混乱の素になるだろう。何事変化に、早ければ良い、改めれば良い の考えには 根本的な問題が内在していて、危険であると考えたい。
グローバリゼーション は エントロピー増大の法則のように 避けられない面が有るだろう、そこで、絶えずブレーキをかけて行くような配慮、全体的な影響と調和を考える努力が必要ではないだろうか。
以 上
追記、参考資料(ウィキペディア):
グローバリゼーション
グローバリゼーション(英: Globalization, Globalisation)は、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。
概略[編集]
この語は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。
世界史的に見れば、何らかの現象の「グローバリゼーション」は、大航海時代に起源を発する。大航海時代により、ヨーロッパ諸国が植民地を世界各地に作り始め、これによりヨーロッパの政治体制や経済体制の「グローバリゼーション」が始まり、物流の「グローバリゼーション」が起こった。これが本格化し始めた時期は19世紀で、ナポレオン戦争による国民国家の形成や、産業革命による資本主義の勃興が、近代の「グローバリゼーション」を引き起こした。
第二次世界大戦が終わると、アメリカ合衆国を筆頭に冷戦の西側諸国で多国籍企業が急成長し、現代の「グローバリゼーション」が始まった。1970年代から「グローバリゼーション」という語は使われるようになったが、より一層広まった時期は、アメリカ合衆国が湾岸戦争に勝利し、ソビエト連邦が崩壊したことにより、アメリカ合衆国の単独覇権が確立された1991年以後である。ソビエト連邦が崩壊すると、経済面では、「運輸と通信技術の爆発的な発展や、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大によって、文化と経済の枠に囚われない貿易が促進する事態」も指すようになった。グローバリゼーションの負の現象、例えば工業や農業といった産業が世界規模での競争(メガコンペティション)や、多国籍企業による搾取の強化と、それに伴う国内産業の衰退とプレカリアートの世界的増大という事態を指す場合もある。そのため、最近では否定的な語として用いられる例も多くなった。
1991年以後、グローバリゼーションの負の現象を非難する人々は、主要国首脳会議の開催地などで反グローバリゼーションを訴えている。又、グローバリゼーションが多国籍企業を利して末端の労働者を害する現象「アメリカニゼーション」だと揶揄する人々も少なくない(グローバル資本主義)。
異義語[編集]
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は国家と国家の間で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は地球規模で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。
訳語[編集]
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所の「外来語」言い換え提案では「地球規模化」を挙げている。グローバリゼーション、グローバル化といった言葉もよく使われる。中国語では、「全球化」と訳される。
徴候[編集]
グローバリゼーションの傾向が認められる現象は多くあるが、現代の「グローバリゼーション」では3つの流れがある。(1)第二次世界大戦後に地球規模化した現象、(2)世界恐慌最中の1930年代前半に失われたが、現在に復活している現象、(3)米ソ冷戦終結後の1990年代に地球規模化した現象:の3つである。これらの現象には、ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系、インフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。一方で、様々な社会問題が国家の枠を超越し、一国では解決できなくなりつつある。
より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
· 世界経済の融合と連携深化。
· 貿易の発展。
· 直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
· 国際金融システムの発展。
· 多国籍企業による世界経済の支配割合の高まり。
· 世界で最適な調達・販売を行なうサプライチェーン・マネジメントの発達。
· 地球規模的に適用される標準、基準などの増加。(例:著作権法)
· 異文化交流の機会増加。
· 増大する国際的な文化の交換。文化の同化、融合、欧米化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、日本化及び中華化を通じての文化差異の減少。
· 不法入国者・不法滞在者を含んだ移住者の増加。
· 政治主体の一元化
· 世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
· 経済的格差の世界化
· 社会問題の世界化
· 疫病の世界的流行。
· 犯罪の世界規模化。
· 地球全体の環境問題。
· 紛争への世界的関与。
※上記のすべての項目に地球規模化が認められるかどうかについては議論の余地がある。
賛否[編集]
グローバリゼーションの進展については、賛同して推進しようとする意見もある一方で、批判も強く、様々な立場から撤廃しようとする意見[(反グローバリゼーション・脱グローバリゼーション)が提示されている。様々な分野においてその功罪につき議論されている。
国家経済的視点では、ジョセフ・E・スティグリッツは、グローバリゼーションの利点を認めつつも、現状の市場・制度の下では二極化が進む欠点の方が多いと述べる。 またポール・クルーグマンは主に覇権国家や多国籍企業の利益追求を肯定・促進する(新自由主義)ために広められるドグマの一種であると書いている[要出典]。ただしその著書『グローバル経済を動かす愚かな人々』からも分かるように、クルーグマンはグローバリゼーションそのものに反対しているわけではない。
以下でグローバリゼーションに対する賛成・反対双方の意見を載せる。ただしここに載せた意見が経済学的に正しいとされているものとは限らない。貿易#貿易に関する誤解も参照の事。
賛同[編集]
· 国際的分業(特化)が進展し、最適の国・場所において生産活動が行われるため、より効率的な、低コストでの生産が可能となり、物の価格が低下して社会が豊かになる。
· 投資活動においても、多くの選択肢から最も良いものを選択することができ、各企業・個人のニーズに応じた効率的な投資が可能となる。
· 全世界の様々な物資、人材、知識、技術が交換・流通されるため、科学や技術、文化などがより発展する可能性がある。また、各個人がそれを享受する可能性がある。
· 各個人がより幅広い自由(居住場所、労働場所、職種などの決定や観光旅行、映画鑑賞などの娯楽活動に至るまで)を得る可能性がある。
· 密接に各国が結びつくことによって、戦争が抑制される可能性がある。
反対[編集]
· 安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで競争が激化すると、競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされる。
· 投機資金の短期間での流入・流出によって、為替市場や株式市場が混乱し、経済に悪影響を与える。
· 他国・他地域の企業の進出や、投資家による投資によって、国内・地域内で得られた利益が他地域・国外へと流出する。
· 従来は特定地域に留まっていたテロリズムや武力紛争が全世界化し、各地域の安全が脅かされる。
· 多国籍企業の進出や人的交流の活発化によって、生活と文化が世界規模で均質化し、地域固有の産業や文化が消滅する。
· 地域間競争の活発化によって、投資・経済活動の巨大都市(世界都市)への集中が進み、農山村や中小都市が切り捨てられ衰退する。
再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
日本の財政を考える より
http://www.zaisei.mof.go.jp/
http://www.zaisei.mof.go.jp/
全国都道府県の借金時計 より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/map.htm
http://www.geocities.jp/mkqdj167/map.htm
日本の借金時計 (数字はうそをつかない)より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
リアルタイム財政赤字カウンターより
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー・テレサ
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