2017年4月20日木曜日

江戸時代、世界最先端だった日本の数学

江戸時代、世界最先端だった日本の数学

関孝和の業績

関孝和が算聖と讃えられるほどの業績を残しました。前回の傍書法はその1つに過ぎません。
傍書法(代数式の表し方とその計算法)、ホーナー法(多変数高次方程式の解法)、方程式の判別式、ニュートン法、零約術(近似分数)、不定方程式の解法、招差法(階差を用いた未定係数決定法)、正多角形に関する関係式、円理(円周率の計算)、ニュートンの補間法、球の体積、ハップス・ギュルダンの定理、円錐曲線論、方陣の一般論、授時暦の研究、…これら関孝和の数学の全貌を紹介することは困難を極めます。それでもなお関孝和の偉大さを伝えるために、業績の一端を紹介してみようと思います。ここでは、世界に先駆けた関孝和の発見を2つ取り上げます。
 

関の公式その1 関・ベルヌーイ数

自然数のべき乗をたし合わせる公式は総和公式と呼ばれます。高校数学の教科書に登場するのは次のようなΣを用いた公式で、数列の部分がkの1乗、2乗、3乗である場合です。すると、k の4乗、5乗、…と考えて、一般にp乗の場合の公式を考えることができます。総和公式の一般化に初めて成功した数学者こそ、われらが関孝和(1640?-1708)とスイスが生んだ世界的数学者ヤコブ・ベルヌーイ(1654-1705)です。
驚くべきことが2つあります。2人が同時期に研究を行っていること、そしてその研究の中身も同じであることです。
2人とも法則を見つけるために、kの4乗、5乗、…、10乗までの場合の総和公式を計算しています。
 『括用算法(かつようさんぽう)』(1712年)と『Ars Conjectandi(推測術)』(1713年)の中で発表されました。次が両者が10乗までの場合の総和公式を計算している該当部分です。
10乗までの公式を作ることで、一般にp乗の場合の公式を求めることができたことになります。
10乗の先の2人が到達したのはある特別な数でした。それが、Bnと表されるベルヌーイ数と呼ばれる数です。ベルヌーイ数を用いたp乗の場合の総和公式はベルヌーイの公式と呼ばれています。
ここで重要な指摘が必要になります。2人の著作の刊行年に注目してください。関孝和の発表はベルヌーイの1年前です。
したがって、ベルヌーイ数と呼ばれる数は関数(せきすう)と呼ばれるべきです。1年違いであることとベルヌーイ数と呼ばれてきたことを考慮して、関・ベルヌーイ数と呼ぶのが適当です。
私はこのことを2007年の拙書『天才たちが愛した美しい数式』(PHP研究所)で指摘しました。
物を積み重ねたとき、その個数の総数を求めることを朶術といいます。朶(だ)とは、かたまりになっているものを数えるという意味です。関孝和は関・ベルヌーイ数を一級取数、二級取数、…、総和公式を朶積術(だせきじゅつ)と呼んでいます。
関・ベルヌーイ数と関・ベルヌーイの公式の結論を眺めてみましょう。関・ベルヌーイ数は、図にあるような漸化式と呼ばれる式から計算されます。関孝和とベルヌーイは関・ベルヌーイ数のもとになる漸化式を発見に成功したということです。そして、次が総和公式を一般化した関・ベルヌーイの公式です。kの2乗の総和公式を関・ベルヌーイの公式で計算した場合を載せておきます。

関の公式その2 行列式
 
関の没後、弟子である山路主住(1704-1772)によって関流という一大流派が組織されました。
関流の数学では、関孝和の著作のうち『解見題之法(かいけんだいのほう)』『解隠題之法(かいいんだいのほう)』『解伏題之法(かいふくだいのほう)』が三部抄と呼ばれとりわけ重要視されました。
関流で数学を学ぶ者はこれらの本をマスターすると「見題免許」「隠題免許」「伏題免許」という免許状が授けられました。
「見題」とは四則(加減乗除)だけで解ける問題。「隠題」は1変数方程式を用いて解ける問題。「伏題」とは2変数以上の連立方程式が必要になる問題を意味します。
 中でも1683年、関孝和41歳の頃の『解伏題之法(かいふくだいのほう)』が重要です。
 第1章真虚 天元術を拡張した傍書法では複数の未知数の方程式を表現できます。本来求めるべき未知数の解法を真術といい、それ以外の補助的未知数の解法を虚術といいます。
 第2章両式附略省約縮 本来求めるべき未知数と補助的未知数を含む2つの方程式の導出法。
 略とは方程式の次数を下げること。省とは方程式の係数に含まれる共通変数を約すこと。約とは係数を約すこと。縮とは奇数次の項がすべて0の場合、未知数の2乗を改めて1つの未知数に置いて次数を半分に下げること。
 第3章定乗附畳括 定乗は2つの方程式から未知数を消去した場合にできる方程式の次数の計算法。
 ここに登場するのが終結式です。終結式とは次のように2つの多項式から定義されます。
 附録にある畳とは、2式に適当な式を乗じて引くことである項を消去すること。括とは、同じ未知数の同じ次数の項を求めることをいいます。
第4章換式 2つの方程式から換式と呼ばれる式を得る方法。
第5章正尅附交式斜乗法 換式から未知数を消去する方法。関孝和はここで一挙に未知数を消去することに成功します。
世界初の行列式の導入です。n=2、3、4、5の場合について行列式を計算する方法が述べられてあります。それが附録にある交式斜乗法です。n=3の場合の換三式は、大学の線型代数に登場する「サラスの公式」として知られているものです。行列の主対角線に平行な成分の積には+の符号、反対角線に平行な成分の積には-の符号をつけてたし合わせます。関孝和はこの2つをそれぞれ正、尅と区別しました。「サラスの公式」はサラス(1798-1861)によって1846年に発表されています。『解伏題之法(かいふくだいのほう)』は1683年ですからサラスの163年も前の発表です。
もはや「関・サラスの公式」ではなく「関の公式」と呼ばれるべきです。残念なことに、関は最後にミスを犯してしまいます。n=5以上でも交式斜乗法が成り立つと主張した点です。
このことが明らかにされたのは100年以上を経て、菅野元健の『補遺解伏題生尅篇』(1798年)や石黒信由(1760-1837)の『交式斜乗逐索』(1798年)によってでした。
 

現代に生きる関の数学

これら2つの関の公式は現代に脈々と生きています。高校数学の教科書に登場するΣの公式や関・ベルヌーイ数Bnは、これから先もけっして色褪せることなく数学の基本として教科書に書かれていきます。
行列式の理論も、最新のコンピューターの中で連立方程式の解法に役立っています。
私はこれからも「ベルヌーイ数」「サラスの公式」の表記を目にした時には、「関・ベルヌーイ数」「関の公式」と言い換えて、関孝和を伝承していきたいと思います。

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
 Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
 (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)  Sep. 2016 305 pp.            (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL

再生核研究所声明3592017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義

ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0  で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:

複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。

以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1 -16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

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