2015年3月3日火曜日

KBSで韓国初の慰安婦ドラマ=主人公は連行された女性

KBSで韓国初の慰安婦ドラマ=主人公は連行された女性
KBSの三一節ドラマ『雪道』好評
「過去のことではない、忘れてはならない『私たち』の物語」
同い年の女性脚本家とプロデューサー、慰安婦を主人公に韓国で初のドラマ

KBSで韓国初の慰安婦ドラマ=主人公は連行された女性
 「プレッシャーもありますが、私たちが今、忘れてはならない話をやりたかったんです」
KBSの三一節(三・一独立運動記念日、3月1日)スペシャルドラマ『雪道』(全2話)で脚本を担当したユ・ボラさん(37)と演出のイ・ナジョン・プロデューサー(37)は低い声だがはっきりと言った。『雪道』は日本の植民地支配時代に慰安婦として連行された女性を主人公にした韓国で初のドラマだ。2月28日に放映された第1話は視聴率5.4%(ニールセン・コリア調べ)で、ひとまず視聴者の目を引くことには成功した。2013年のミニシリーズドラマ『秘密』をヒットさせて注目を浴びたユ・ボラさんは、慰安婦の物語について「長年温めてきたテーマ」と語った。「これ以上、遅くなっては駄目だと思いました。元慰安婦の女性たちが亡くなっているので。今の子どもたちも知っておくべき歴史でもあるし…」
このドラマのストーリーは、15歳の少女ジョンブン(キム・ヒャンギ)とヨンエ(キム・セロン)を中心に繰り広げられる。地方に住む平凡な少女2人は太平洋戦争の渦中に中国にある日本軍の兵舎に連れていかれる。日本にだまされて勤労挺身隊入りを志願したが、慰安婦として連れてこられたヨンエは、厳しい現実に耐え切れず自殺まで試みたものの、ジョンブンの助けで生きていく勇気をもらう。韓国人なら苦痛と怒りを感じずには見られないシーンが続くが、刺激的なシーンは可能な限り排除し、隠喩や暗示で表現した。10代の主演女優たちが演技を通して心に傷を負ってしまうかもしれないと配慮したものだ。その代わりに、ディテールを生かした。イ・ナジョン・プロデューサーは「慰安婦たちがどのような空間でどのような苦難を経験したかを伝えるには、その時代をしっかり再現しなければならないと考えた」と話す。慰安婦たちが着ていた服、使っていたものなど小道具の一つ一つを日本の資料も調べて新たに作った。
2人の少女の物語が、80代になったジョンブン(キム・ヨンオク)が売春をする10代の少女ウンス(チョ・スヒャン)を救うエピソードに重なっていくのも、このドラマの特徴だ。「慰安婦のことは過去の話だけではないと思います。今でも底辺にいる女性たちは言葉にできないほどの苦痛を経験しています。そういうことも合わせて伝えたかったのです」
慰安婦だったころの悪夢を一人で抱えて生きてきたジョンブンは、自分のことを救って死んでいったヨンエの姿をウンスの中に見つけ、ウンスを救おうとする。ジョンブンがウンスに掛ける「あなたは一人じゃない」という言葉は、ジョンブンを救ったヨンエが遺した言葉で、ドラマ全体を貫くメッセージだ。「全ての人が闘士になることはできないが、周囲にいる傷付いた人々の手を握ることはできます。私たちにはまだそのように手を握ってさしあげるべきおばあさん(元慰安婦)たちがたくさんいらっしゃるのです」
権承俊(クォン・スンジュン)記者

再生核研究所声明 101(2012.10.3)  
慰安婦問題 ― おかしな韓国の認識、日本の認識
戦後60年を過ぎても 韓国は 第2次世界大戦以前の問題、 慰安婦問題や日本の植民地支配を批判したり、さらに謝罪を求めたり、賠償を求めたり、繰り返しているように見える。
これらは、そもそもおかしいのではないだろうか。日本に侵略されたり、 虐待されたりしたとすれば、それは そもそも、自らの国家が、侵略を受けたり、乱暴をゆるしたのであるから、国家としての最も基本的な在りようを疎かにした、自分の国のだらしなさであって、 恥ずべきことではないだろうか。
そもそも 第2次世界大戦以前は 強い国が弱い国を侵略し、滅ぼしたり、虐殺するなど、世界の常識であり、力が世界を支配していたと言える。古くは、平和に暮らしていた国を滅ぼしたり、略奪したりしてきた歴史は幾らでもある。大和はアイヌ人を騙して、侵略を続け、アメリカでもアメリカインディアンを同じように追い詰め、 第2次世界大戦中ですら、愚かにも戦争を仕掛けた、日本国など、原爆を2つも落とされ、何十万という非戦闘員の命を落とされている。大和もアメリカも ご免なさいと謝ったり、賠償をしているだろうか。日本の韓国における非道など、世界史や、第2次世界大戦中でも無視できるほどのことではないだろうか。ドイツはユダヤ人の根絶さえ狙っていたように見える。どうして、 自分の国のだらしなさを 世界に繰り返し、宣伝し、侵略を受けたことへの反省がないのだろうか。 日本は原爆など落とされ、あるいは非戦闘員を多数失ったが、それは戦争であり、自分の国の無力さ、愚かさを反省して、アメリカを批判したり、賠償を求めたり、せず、 友好関係を進め、世界の歴史を進化させようとしている。
弱い、だらしのない国は 侵略を受け、滅ぼされるのも止むを得ないと考えるのが世界史の原理ではないだろうか。 2500年も前、古代中国では、国はどのように軍を備えるべきか、議論しており、孔子も隣国を侵略するように進言している。
再生核研究所は 世界は未だ、野蛮性を有しているから、世界史を進化させ、より良い世界を具体的に示し、世界平和の問題や、人類の在るべき姿について 提案している。未来志向である。世界史を進化させようではないかと訴えている。
韓国の慰安婦問題や植民地時代の問題のぶり返しは、再生核研究所声明 49:  アジアの愚か者、アジアの野蛮性 そのものであり、そのような見識では、同じ民族も、国家も統一できないのではないかと 憂慮している。
日本の大陸侵略の 時代背景、日本人の存念は 大谷杉郎 元群馬大学名誉教授が 心をこめて残された手記 (第二次世界大戦と日本の良心: 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社、84-86ページ) ― 第二次世界大戦の本質は、 世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。― )を参照されたい。より良い対応は有ったと考えるが、日本は 欧米のアジア侵略に正面から反逆して、 結果として、敗れはしたが、アジアの独立を導いた面 も 正当に評価されるべきであると考える。
元慰安婦などとの、日本政府との個別の問題対応などは、韓国への内政干渉であり、そのようなことは 韓国政府を侮辱するものである。そのような対応をとるべきではなく、元慰安婦などが 歴史的事実に不満が有れば、 それは、自分の国家の責任者に対して行うのが道理である。また、いろいろな国際舞台で 韓国は慰安婦問題や植民地時代の政策を批判などしているが、それらは、上記のように、自らの国の 自分達の無能力さを世界に表明しているものであり、いちいち反論したり、議論をすべきではない。無視すべきである。そのようなことで、言い争っていると、 外からみれば、どっちもどっちのアジアの愚か者の仲間と見えるだろう。
以 上



再生核研究所声明201(2015.1.23)ドラマ、言論、文芸、世相、関心を 近未来志向にしよう
NHK 大河ドラマ、朝ドラ、あるいは各社テレビ局の多くのドラマは 社会に大きな影響を与え、文化や世相の元になっていると考えられる。ニュースや各種新聞社の記事なども同じような大きな存在であると考えられる。各種出版物も同様である。
もちろん、現代的な話題が中心であることは、幅を含めての現在の重要性が極めて重大であるから、当然である。その原理は慣性の法則にあると考えられる。
ここで触れたい視点、考えは、過去の題材に対して、近未来の題材、関心、扱いが、過去のものに対する扱いに対して、非常に少ないのではないだろうか ということに思いを致すことである。
NHKなどの、大きなドラマが過去の題材を扱う意義は 何だろうかと問うて、逆転志向を始めよう:
過去の歴史を振り返り、いわば日本としての文化の継承と共に 日本人としてのアイデンテティの継承を確立したい、は 大河ドラマなどには、高邁な精神として有るのではないだろうか。その意義は極めて大きいと評価し、考えられる。また人々を導く、教育的な要素を持つのも当然である。他方、多くのドラマに過去の題材が使われているのは ドラマとしての楽しみ、娯楽としての位置づけではないだろうか。この観点では、水戸黄門や時代劇の大岡越前の現れる番組などが顕著な例と見られよう。
何らかの意味における 教育的な配慮、そして、楽しみの観点、それらから判断して、逆点させて近未来の題材をもっと増加させては どうであろうか。変えられない、過去よりも 自由を働かせ、夢も含められる 近未来の題材 は如何であろうか。
実は、この声明の発想の元には、特に外交問題などで、過去の嫌な問題を繰り返し 堀り返し、いたずらに国家間の関係を悪化させている現状に対する嫌気がある。過去のことに拘りすぎて、未来志向の部分が弱いのではないだろうか。いろいろな国際紛争や大震災などの問題でも、少し歴史が進むと、このようになって、このように対応できる時代が来るのだ と言うような視点が欲しい。 世界の世相を明るい方向に持っていきたい。それには、新時代における、新世界におけるビジョンが 必要である、 そのような世界観を持った思想の上に、論説など言論界も、文芸界も より具体的な肉付けを与え、ドラマや文化を支える多くの人々の参加が そのような方向で必要である。意識改革が必要である。 求められる。
このような、紛争が起きた。次の時代には、このような組織が機能して、このように対応できる。大震災などでも同様である。日・中・韓 は このような関係になって、大いに漢字文化圏として、共存、共栄でき、共鳴できるなどの 具体的な在りようを描いて、面白いドラマなどを制作して行くのは如何であろうか。過去の戦争ものをドラマ化するより より優位な在りようではないだろうか。 未来志向を提案したい。
言論界はもっと近未来のビジョンを明瞭に示し、世界の人々に 明るく示すような積極的な姿勢が望まれるのではないだろうか。在るべき世界に想いを致して行こう、夜明けの世界から見れば、未だ夜明け前の暗い時代と言える。
以 上

再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 
まずは 言葉を確認して置こう:
ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して物語を紡いでいく、芸術表現の一形態。日常会話で「ドラマ」といった場合、テレビドラマを指す場合が多い。
作品としてのドラマの特徴は、物語の一切が登場人物の行動によって描かれる点と、登場人物が何らかの目的を持っている点に特徴がある。その目的への障害に直面することで、登場人物は葛藤する。障害への直面は、往々にして、登場人物同士の精神的・物理的衝突の形で提示される。登場人物が行動を積み重ねていった末に、障害を最終的に乗り越えるか、乗り越えられないかが、物語の大きな山場となる。こういった過程そのものを、ドラマと呼ぶ場合もある。
映画が生み出されて以降は、上記の定義のようなドラマを主に描く映像作品を、ドラマとジャンルづける場合もある。
かつてドラマは演劇や戯曲の代名詞でもあった。しかし近代以降、葛藤や、行動の因果関係のない非ドラマの演劇作品・戯曲も数多く生み出されており、演劇や戯曲をドラマと呼ぶのは現代においては不正確と言える。
現実世界においても、現実の人物が上記のような状況に陥っていること指して、ドラマ、もしくはドラマティックと呼ぶ場合もある。(ウィキペディア)
上記 説明で 芸術表現の一形態、演劇や戯曲の代名詞 という部分は 言語の確認として大いに参考になるのではないだろうか。 これらの言葉の背景には、創作者や演出家、関係者の多くの生命の表現としての要素が本質的に存在するということである。 絵画や作曲者が絵画を描き、曲を創作するように ドラマを制作するということである。 なるほどそうならば、今NHK大河ドラマや朝ドラなど みなそれぞれに素晴らしく輝いていて 実に素晴らしいと賞賛でき、感銘できる。 芸術作品となれば、それは本質的に自由であり、生命の活動として 生命の表現として みなされる。
テレビドラマを指す場合が多い には、美術館で美術を楽しむ、映画館で映画を楽しむ、会場で音楽を楽しむというような相当に自由な表現の芸術作品と少し違った要素を有するのではないだろうか。 具体的には、
1) 広範に公開される。
2) 多くの場合、何かの素材に基づいた場合が多い。
3) 繰り返し、日常 連続的、定期的に続けられる。
などである。 ドラマについて何か書きたいと考えた動機は、ドラマを見ることが、人生でどのような意味を持つか、また、そのような観点から、ドラマは どのようにあるべきか と 問うことであった。
我々はなぜ、ドラマを見るのだろうか。 楽しいから、面白いから、感銘するから、 展開が楽しみだから、新規な世界が、珍しい、世界が覗けるから、知識や新しい情報が入って有益だから、共感、共鳴するから、など、などであろうか。― ドラマを通して 人生、世界を考察して、哲学したいからなどの 高級な視点も大事ではないだろうか。連続ドラマなど楽しく、次の展開が楽しみで、生活の張りになっているは 世に多いのではないだろうか。次が楽しみで、生活の張りになっているは好ましく、 それはそれで良いと評価できるが、それが現代のように沢山のドラマが賑わっていると、生活が逆に乱され、楽しいドラマ見て暮らして、人生それで良いかという気持ちが湧いてくる時がある。 素晴らしい映画や、ドラマの後で、虚しさを覚えることもある。― それは何を意味するだろうか、それは現実の生活、社会から離れて、言わば作られた虚像の世界にいることの虚しさを表しているのではないだろうか。― それに対して、何か 為になったという印象の残るドラマ は良いと言えるのではないだろうか。
ドラマの製作者が 露骨に視聴者の関心、人気を集めようとして、意図的に場面を整えれば、我々の心を意図的に弄んでいると感じ、気づけば 空しい、トリックの世界で、心を意図的に弄ばれていると感じるであろう。
視聴者は人生の意味を、自分の世界、心をしっかり捉えて、ドラマに弄ばれないように、のまれないように心がける必要があるのではないだろうか。
また、テレビドラマ製作者には、上記 何かの素材に基づいた場合、 実際、史実と創作の部分の大きな乖離は、真実、歴史、事実を歪めて 歴史が虚像化する危険性があるので、そのような観点について、注意を喚起して置きたい。また、視聴者は、この観点から批判的に見る必要が大事ではないだろうか。 テレビ普及時、テレビで1億総白痴化の言葉が騒がれたのを回想したい。次も参照:
再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題。

以 上

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