調査で判明!半数の夫婦が「子供は欲しくない」と考えるそのワケは?
2015年03月05日 08時00分
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調査で判明!半数の夫婦が「子供は欲しくない」と考えるそのワケは?
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女性の場合、30代くらいになれば「結婚したら子供は数年以内に欲しい」とか、「子供が欲しいから結婚する(した)」という考え方の人が圧倒的に多いように思いませんか?
ところが、株式会社オールアバウトの「20~40代の恋愛・結婚・家庭観」に関するアンケート調査では驚きの結果が出ました!
その結果と理由をご紹介します!
■ 30代の独身女性の42.9%は子供は欲しくない!?
調査によると、30代の男性では38.7%が子供が欲しくないと回答しているのに対し、同じ30代の女性では約42.9%が子供が欲しくないと回答しています。
独身男性よりも独身女性のほうが子供が欲しくない人が多いようですね。
ただし、独身者の場合、子供を育てるということに関して、具体的なイメージがわきにくいでしょうから、その点は考慮すべきかもしれません。
■ 30代の既婚女性ではなんと48.5%も子供が欲しくない!
一方、既婚女性に関しては、驚くことに、30代の既婚女性が50%近くが「子供は欲しくない」と回答しているのです。これは30代の男性より20%ほど多く、同じ年代の独身女性よりも若干多い結果となっています。
■ 既婚女性が子どもを欲しがらない理由は、“現実”を知ってしまったこと!?
なぜ、未婚女性よりも既婚女性のほうが、そして既婚男性よりも既婚女性のほうが、子供を欲しがらない傾向にあるのでしょうか。
その理由は、ひとことで言ってしまうと妻側に“家事分担の不満”があるからのようです。
・結婚後の家事分担が不公平
“イクメン”などという男性も出現した現代でも、家事は配偶者任せにしたい男性が一定の割合でいるようです。
更に、独身男性より既婚男性のほうが、家事を配偶者に任せたいと思ってい割合が多い傾向に。
40代既婚男性に家事は配偶者に全て任せたいと思っている割合が14.5%もいます。
・ 話し合いではどうにもならないような部分がある
結婚後は家事分担を夫のほうは勝手に“任せたつもり”でいるのに、妻のほうは“任された覚えはない”と感じているという、大きな意識のズレがある場合があります。
妻側は話し合いではどうにもならないと感じつつ、納得しない状態で家事を多く負担しているのでしょう。
これでは既婚者女性が子供は欲しくないと思っても仕方がありません。キャリアを大切に思っている女性ですと、あきらめないといけないことも出てくるでしょう。
ただし、30代前半で子供が全然欲しくない人も、40歳前後では欲しくなることもあるようです。この傾向は特に女性はその傾向が強いとか。
いかがですか? 一緒に子育てに取り組んでいくためには、家事分担を結婚前にしっかりと話し合い、お互いの価値観を確かめ合っておかないといけないようですね。
そして、結婚後も、認識にズレが生じ始めたら、どうせ無駄なんて思わず、話し合うべきでしょう。「こんなはずではなかった……」なんて、後で思いたくないですから。http://news.ameba.jp/20150305-126/
再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態
人間の個性はいろいろであり、亭主の立場もいろいろであるが、男性や亭主の根源的な有り様を纏めてみたい。これは再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態と対で考察したい。
男性とは、何であろうか、亭主とは何だろうか。 それには、男性の関心の所在を見極めれば良い。男性は、家族の責任者であるから、外との関係で収入を得て、家族を養い、 安定した生活に何時も気を遣うのは当然で、それらの本能は立身出世を基本的に志向し、それらは多く、求道や真理の追究、多くの好奇心として現れ、男性の多様性は女性の多様性には比べられないほどである。高名な研究者が深夜ジグソーパズルに耽っていたかと想えば、探検家や登山家、岩登りなどに挑戦している姿などは、女性には中々理解できない面である。また、純粋数学者が動機も無くただ、真実の追求に人生にかけているなど、男性の趣味、志は豊かで、多様、深く、人間存在としても極めて興味深い。― これらを男性の特徴かと思うと、男性勝りの女性が世に多いことも注目して置きたい。家庭を持つ以前の男性にとっても 女性の関する難題については 次を参照:
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
男性の関心の原点が外にあるということは、家庭内で、安定に生活し、子供が健やかに成長していれば、概ね、内は諒と考えて、男性は志の方に大きな関心が行き、それは、多くの場合、家庭を顧みない、妻を顧みない亭主として 世の亭主の批判は定着化しているのではないだろうか? それはソクラテスの悪妻として2000年以前から変わらない、 主婦と亭主の根源的な関係である。― 逆に 男性が家庭に埋没していれば、女性は、物足りないと 実感するだろう。その意味で、男性は外に志を抱く、必要があり、家庭では孤独な存在になるだろう。結論的に言えば、男性は女性に比べて、より発展したそれゆえに、弱く、不安定安な存在で、進化したという意味では 女性より 神に近い存在といえよう。素敵な男性を育てるには、家庭をきちんと纏めて、育児をなし、よい食を整え、生活を整えれば、自ずから、成長するのではないだろうか。良き伴侶を見つけることの重要性は 女性の一大事であることは、古来変わらない原理ではないだろうか。これは自明のことであるが、世の女性の注意、奮起を促したい。男性にも 家庭を持たないで、悟り、人生を肯定することは 極めて難しい原理があることに 注意を喚起して置きたい。もちろん、良き伴侶を見つけることの重要性は 男性の一大事であることも、古来変わらない原理である。
以 上
再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態
人間の個性はいろいろであり、主婦の立場もいろいろであるが、女性や主婦の根源的な有り様を纏めてみたい。 次に、男性の生態、亭主の生態と対で考察したい。
女性とは、何であろうか、主婦とは何だろうか。 それには、女性の関心の所在を見極めれば良い。 女性は、頼りを求め、育児と食の関心が強い存在である。頼りを求めるは、愛の問題や恋の問題が深いと言える。家庭を持つ以前の難題については次を参照:
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
育児と食の関心は 次の段階であるが、当然、若くから、準備されていることは当然である。 本質的に、育児と食が満足できれば、女性は本質的に幸せであり、芸術その他の多くの趣味は、そんなに基本的な問題ではないように見える。亭主の立身出世も本質的では無く、経済的な条件の改善くらいの軽い意味しか、大抵の場合にはないのではないだろうか。もちろん、虚栄心で、亭主を頑張るように励まし、亭主を追い立てる場合も 希に世に見られるが、一般的ではないように見られる。他方、子供については、子供の将来を思い、子供を励ましている状況は 世に多く見られる。 これらを総括すると、 猿などの家族で、育児に勤しむメスザルと 主婦の生態は殆ど同じようなもので、慎ましく愛すべきもの、自然状態に近い存在であるように見える。多くの母親は、家庭の健全な状態を願い、健康や食に気遣い、生物の基本的な集団である家族を大事に考えているという意味で、主婦とは完全であり、男性にとっても家族にとっても素晴らしい存在であると言える。
主婦の立場では、生も死も大した問題では無く、宗教も多くは深い意味を持たず、学問、芸術、政治なども多くは大きな関心ではなく、大きな存在ではないだろう ― これらにおいて、男性勝りに 能力が高く、関心の強い方は 世に多いが、一般的とは言えないだろう。
結論的に言えば、女性は男性に比べて、より原始的な安定した、自然と神に近い存在といえよう。美しい女性を育てるには、愛情に恵まれ、経済的な基礎に基づく、豊かな生活が必要である。男性には、夢を与える志があるのが望まれる。 世の男性の奮起を促したい。
以 上
再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
日本の財政を考える より
日本の借金時計
財部 誠一 財部 誠一ジャーナルより
全国都道府県の借金時計 より
日本の借金時計 (数字はうそをつかない)より
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
リアルタイム財政赤字カウンターより
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
I AM NOT MOVING - Short Film - Occupy Wall Street
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカの専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
(ネバダレポートの要旨)
1. 公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
2. 公務員の退職金は100%カット。
3. 年金は一律30%カット。
4. 国債の利払いは5~10年間停止。
5. 消費税は15%引き上げて20%へ。
6. 課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7. 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券/社債につい
ては、5~15%の課税。株式は取得金額の1%課税。
8. 預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカのボツワナ共和国の国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀は法律により国債を直接購入(政府=財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカの植民地にならざるを得なくなります。以下略
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
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