2015年3月9日月曜日

記事 生活の党2015年03月05日 19:19「政権交代がなければ、それはもう民主主義ではない」小沢代表 1/2

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生活の党2015年03月05日 19:19「政権交代がなければ、それはもう民主主義ではない」小沢代表 1/2

「政権交代がなければ、それはもう民主主義ではない」小沢代表(2015年3月3日)
記者会見動画はこちら(外部サイト)

3月3日午後、小沢一郎代表が記者会見を行いました。会見概要は以下の通りです。
【 質疑要旨 】
衆議院選挙制度改革について
中選挙区制度復活について
企業団体献金について
政治とカネの問題について
辺野古での抗議者の逮捕事件について
動物の殺処分について
衆議院選挙制度改革について
Q.衆議院選挙制度に関する調査会において、定数配分についてアダムズ方式が良いのではないかとなっているが、どのようにお考えか。
小沢一郎 代表
A. アダムズ方式については知りません。憲法問題だから簡単に変えられないけれども、本来的には衆参で選挙制度も選び方も違って良いと思います。本来的な機能からすれば、衆議院はより国民の意見を可能な限り反映できるようなやり方にしていくというのがあるべき形ではないかと思います。
 その意味では、ずっと以前から言っているけれども、(選挙制度改革を)国会議員に検討させたら、事実上自分にかかわることだからなかなかできません。だから1つは、少なくとも衆議院は人口比例にすべきだと思います。それから5年に1度の国勢調査があるから、その調査の数字に則って自動的に人口比例で定数配分を行なうという案が一番良いと思います。
 そういう法律を与野党で作れば、国会につまらない審議会作ったりする必要もないし、誰も文句言いっこなしみたいになりますから。少なくとも衆議院はそうした方が良いと従来から主張しています。参議院は本来的に性格が違うべきなので、何も衆議院と一緒にする必要はないだろうと思います。
Q.その調査会での答申がまとまった場合、党としてそれには従うのか。
小沢一郎 代表
A. 従うべきだろうと思います。ただし、政府も国会も調査会とか何とかって隠れ蓑ばかり作るというやり方が私は良くないと思います。先に言ったような法律を作れば良いのです。そうすると自動的に5年毎の国勢調査でもって、人口比例で定数が決まると、誰も何だかんだ言う必要がありません。日本的風土の中で調査会だ、何だってよく意味の分からないものが作られるけれども、調査会の結論であれば、それは尊重しなければいけないと思います。
中選挙区制度復活について
Q.中選挙区制の頃の自民党は、右から左まで幅広くて、それが日本の政治の柔軟性であったと思うが、小選挙区制になり執行部に睨まれるとおしまいということで独裁型になっている。中選挙区制に戻した方が良いのではないか。
小沢一郎 代表
A. 中選挙区制に戻したら、自民党政権がまたずっと続きます。それはもう民主主義ではありません。政権交代がないということは民主主義ではありませんから、それはダメだと思います。小選挙区制だと執行部の力が確かに強まる可能性はあるけれども、それは本人自身がきちんと選挙に強くなればいいのです。
 ヨーロッパもアメリカも小選挙区制です。1人のリーダーシップがある指導者、例えばサッチャー首相が20年続けたいと言っていたけど12年で終わってしまいました。リーダーシップがあって皆が支持すればいいけども、そうでない場合は、きちんと党内で声を上げるべきだと思います。(そうした声を)上げられないというのは小選挙区制のせいだとは思いません。
Q.公認されなかったらどうしようもないのでは。それは郵政選挙のときに郵政(改革)に反対した者は(自民党の)公認から外された。
小沢一郎 代表
A. 反対だったら、その前に党内で(議論を)すればいいでしょう。 あのぐらいの人数が本気で(反対の議論を)行えば、そう簡単に小泉さんだってやれませんでした。いくら強大な与党でも本気になって10人、20人が反対したらできないです。今、誰も(反対を)言わないから、(執行部の)言うとおりになってしまっているのです。
Q.中選挙区制の頃の自民党は、ものすごく右から左と議論の幅があったのでは。
小沢一郎 代表
A. それは小選挙区制の(問題)ではありません。それはやっぱり政治家の資質の問題です。
小沢一郎 代表
A. 昔の自民党はああではありませんでした。自民党が変質したと思っているのです。今言ったように右から左まで色んな考え方の人もいたし、それなりの自分の持論を主張できる力を持っている人たちがいました。
 自分に異論を言う者がいたら、それを党で公認しないというのは、いくら何でも今の自民党でも受け入れられないと思います。安倍さんのことを批判的に言っていたから、公認しないとかまではできないと思います。本人が勇気を持っていればいいのです。
企業団体献金について
Q.今国会で政治と金の問題が議論されている中で、企業団体献金は廃止したほうが良いという議論もあるが、それについて如何か。
小沢一郎 代表
A. ずっと以前から言っていますけれども、企業も団体も社会的存在であることは間違いないのです。それを企業だからいけないとか、団体だからいけないとか、個人なら良いとかいうような仕分けの仕方は、私は間違いだと思います。
 個人であればあるほど、単位が小さくなればなるほど、献金とその期待観というのは強くなるわけです。あなた方が言うのと逆なのです。大きくなればなるほど、特定の個人との繋がりというのは一般的には薄れてくるのです。個人から多額の献金を受けていたら、出す方も何か期待するだろうし、それは物凄い繋がりになってしまいます。
 企業だからダメだとか、団体だからダメだとか、個人なら良いとかいう仕分けの仕方は、事実上の政治資金のメディアが言う本来のあるべき姿とは、その仕分けは関係ないのです。ですから私は、収支の公開をすべきだと主張してきました。どこからもらったって別に構わないのですが、それが国民にはっきり分かればいいし、それを何に使ったかということが国民に分かるということが大事なのです。
 日本は非常にクローズドな社会で、官庁で何をやっているか全然分かりません。マスコミだってそうでしょう。官庁の言うことを報道することになっています。 その全部が本当にオープンになっているかどうかは、外の人には全く関知できないし、認識できません。もっとあらゆる分野でオープンな社会にすべきだというのが私の持論です。 
Q.企業団体献金を止めて税金で政治のコストを負担しようということで政党助成金ができた。国民1人あたりコーヒー1杯分と最初は言われたが、それと二重取りという言い方もされる場合もあるが。
小沢一郎 代表
A. そういうことではないのです。私自身が手がけて作った法律ですから。金のかからないようにするために小選挙区制にしたのだと俗論を言う人がいますが、そうでもないのです。そのために小選挙区制に一生懸命取り組んだのではありません。それは政権交代を可能にし、議会制民主主義を日本に定着させるために小選挙区制度の方が良いという考え方の下で行ったのです。金がかかるか、かからないかというのはまた別な次元の話です。
 アメリカのように、ものすごく個人献金が多いとは言っても、事実上大口献金は全部企業なのです。 日本よりは、はるかに個人献金が多いところは、それなりの政治活動の資金としてかなり集まるということもあり得ます。他のヨーロッパの国でも色んな形がありますけれども、ドイツは政党のシンクタンクの費用も国の補助金で全部出して、韓国もそれに倣っています。
 政党助成金は、そういうことだから片方は止めるとか、良い悪いとかいう話しではなくて、やっぱりそれも使われようではないでしょうか。国民が納得すれば良いのです。国民が納得できないような使われ方をしたときに、それはいけないのではないかという批判が起きるわけです。本質的な問題として相容れないものではないかと思います。http://blogos.com/article/107126/

政治とカネの問題について
Q.安倍総理と岡田民主党代表が補助金を受給した企業から献金を受けていたが、知らなかったと説明している問題についてのご見解を。
小沢一郎 代表
A. そういう事実を知らなかったということが一般的には本当だと思います。私自身も、報道があって調べましたところ、同様の事実がありましたので返還するように秘書に命じておきました。補助金をもらっている会社ということもあるし、例えば会社が過去に脱税したとか、何かトラブったということもあります。献金を受ける立場からすれば「あなたのところ何もしてないでしょうね」と、一々聞いて受け取るわけではありません。「どうぞ使ってください」って言われれば、「有り難うございます」というのが普通ですから。特別な癒着関係があれば別ですけれど、一般的には知らないでもらうことが多いのではないでしょうか。その事実があれば、返還するということをきちんとやる以外に方法はないと思います。
Q.今、予算委員会では政治と金の問題で与野党双方が追及しあっていますが、それについてのお考えを。
小沢一郎 代表
A. そのこと自体は、献金の性質によって違います。例えば国務大臣であれ、一般の国会議員であれ、その職務に関して献金をもらったことによって、企業に見返りがあったとか、そういう類いの職務の公正性、政治家としての議員としての公正性を疑われるようなことで献金の授受があってはいけないということが常識的なことだと思います。だからそういうような問題点を含む献金だとすれば、それでいいのかという議論はあっても当然です。
Q.代表が献金を返還するように命じたと言われたが、返還はもう済んでいるのかどうかを。
小沢一郎 代表
A. それは担当の秘書に聞いてください。どこからいくらもらったか、まだ分かりません。そういう事実があったというから返すよう言いました。私の役目はそれで果たしたと思っています。
Q.補助金を受けていたということを知らなかったということか。
小沢一郎 代表
A. もちろん知りませんでした。
辺野古での抗議者の逮捕事件について
Q.玉木デニー幹事長に沖縄の件で質問がある。2月15日起きた辺野古の山城さんの逮捕と抗議活動の排除でアメリカ国防総省の指示だったという説を2月25日の沖縄タイムズが報じ、27日には琉球新報で同じく米国防総省の情報としてそれは否定しているが、どちらなのか。
玉木 デニー 幹事長
A. 簡潔にお答えいたします。私は基地司令官の命令だと聞いています。国防総省はあくまでも政治とはいっても文官ですから、彼らが直接軍隊を指揮・命令することはできないのです。その基地の管理を任されている司令官のおそらく指示によって、政府雇用 ・米軍が使用している日本人の従業員 ・警備員が排除の行動に出たのだと思います。その件に関しては(2月)23日に沖縄防衛局に11項目の質問を出しています。それを今日確認しましたら、まだ米国と政府からの回答がないので、それを待っていますということでした。それが出しだい公表します。
小沢一郎 代表
A. 問題は日本政府です。日本政府がきちんとアメリカと話さなければいけない。軍人は、自分たちの領域のことだからやりたいのです。軍人は軍事のことについては、どんどん広げたいもの。それは官僚の癖です。だけれども政治できちんとそれをコントロールしなければいけないのであって、それには日本政府とアメリカ政府がもっと話し合うべきです。
こんな何が何でもって官邸が強行してね。私は、アメリカも絶対得しないと思います。いつか国務省の誰かが県民が反対するのを押し切ってまでやるのはどうかということを言っていました。政治的に考えればそうなのです。日米関係にマイナスになるばっかりです。日本政府とアメリカ政府がきちんと話すべきですが、日本政府が今のような態度を取っているのは、ちょっと不思議でなりません。
動物の殺処分について
Q.先月、超党派の「犬猫の殺処分ゼロを目指す議員連盟」が発足した。動物愛護の法律・政策が進んでおらず、いまだに動物の殺処分があるが。
小沢一郎 代表
A. 殺処分というのは、事実上、公的機関では今たぶんやってないのでは。だけど、そういうのが起きるのはなぜかというのです。飼い主がいけないのです。ペットにもう飽きたから捨てるとか、大きくなったからもう捨てるとかそういう類いです。あるいは犬はだいたい鎖を付けているのが多いけど、猫は勝手に歩いているでしょう。飼い主がきちんと飼ってさえいれば、そういうトラブルは起きないはずなのです。
殺処分を何でもかんでもすべきでないと思うけれども、飼い主の責任をもう少しきちんとさせたほうが良いと思います。あまりにも人に危害を加えたり、日本の生態系を崩したりするようなものがいっぱいありますが、それをもっと厳しく取り締まったほうがいい。やっぱり売るほうも売るほうだけど、飼い主が責任を持つべきではないですか。そうすれば必然的に殺処分なんていうこともしないで済むわけです。死ぬまで飼えばいいのです。http://blogos.com/article/107126/?p=2

小沢氏の考えは、相当に常識、当然では? 評価したい。

再生核研究所声明 23 (2009/04/02):
秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
先の参議院選挙の結果 与野党の歴史的な逆転が生じ、小沢氏を中心とする政権交代の機運が高まっていた折り、小沢氏の秘書の逮捕、起訴事件が起きた。この件について、素朴な疑念を感じざるを得ない。なぜこの段階における逮捕、起訴かの問題である。
 検察庁は 長い間の 多額の企業献金は無視できないと述べているが、これは、不正を黙認、認めてきたことを示しており、もしそうならば、そのようなことは 許されることと理解するのは、慣例、普通である。検察庁は法を守る立場であるから、長期や多額になる以前に 事情聴取などをして 注意を喚起すべきである。これでは わざわざ犯罪を犯すのを待っていて、逮捕を意図的にしていると考えるのは 当然である。
立法府の責任ある野党の党首が 法に反していないと判断されている事情は、法の解釈によって異なる点があることを示している。それでは、逮捕する以前に、多年にわたる以前に、事情聴取などして、法の精神や解釈をすり合わせ、違法な状態が拡大しないように配慮するのは 法の番人たる検察庁の義務であり、在りようであると考える。小沢氏側は お金をすべて公開していること、これは重要な点である。 これは少なくとも小沢氏側は 公明正大にお金を集めていることを天下に示している。 闇にお金が動いていたのとは 全然違う状態である。
われわれは より良い社会を作るには どのようにすれば良いかと考察して、次のように考えている: どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。
平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。
1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。
また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思います。(再生核研究所声明1抜粋)
これは、社会の秩序をうまく保ち、美しい社会を築く原理として考えたものであるが、 今回の事件は、1)にも2) にも抵触すると考える。永年放置すれば、それは慣習、習慣として、許されるものと考えるのは当然である。そうでなければ、忠告や警告をして、法の精神を徹底させるのは 法の番人たる検察庁の義務である。いきなり逮捕では乱暴な処置と考える。このようなことでは 日本人はいつ突然逮捕されるか分らず、人々は安心して生活ができなくなってしまう。さらに、政権交代が話題となり、総選挙が間近に迫っている時の このような事件は 3)にも抵触すると考える。政権交代は 国家権力の移行であり、野党の党首の役割は 極めて大きな社会的な存在である。逮捕、起訴事件が最近、実際に示しているように、大きな影響を社会に与えるからである。このような事で、小沢氏が代表辞任となれば、結果的には 検察庁が直接政治を動かしたという重い事実が 歴史に残る事になる。逮捕、起訴の適否は やがて裁判によって決着が付けられるが、その時にはもはや結果によらずに、歴史は動いてしまうという 極めて重い責任を考えれば、 3)に著しく抵触すると考えざるを得ない。
国家権力が、軍事、検察、裁判、教育、官僚機構、経済界、マスコミなど広範に影響を及ぼすのは いわば普遍的(不変的)な事実(真実)である。従って、主権者たる国民は 国家権力がいろいろな悪い癒着構造を起こしていないか否かを絶えず検証し、警戒することは重要であり、マスコミなども民主主義が衆愚政治に陥らないように 国民とともに真剣に歩むことが期待される。ところが、マスコミなども、物事の本質と重要性を曖昧にして 軽薄な議論、論調、扱いが多いと言わざるを得ない。今回の事件は極めて重要な事件であり、日本国民は、日本国の民主主義が言論の自由を確かに保証し、法の番人で、公正と正義を実現させる国家の中枢である検察庁が 適切に機能しているか否かを、また、日本国民が真に国家の主権者であるか否かを厳しく、検証すべきである。 以上
(附記)
3.30 美しい国、日本(2008/2/11):
今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
日本の債務は2015年度に1000兆円(内閣府)
【政治の裏】米国が小沢一郎のせん滅を指示!ウィキリークスが暴露!裁判も捏造!?年次改革要望書を廃止した鳩山氏
米要人に「小沢一郎には気をつけろ」 ウィキリークスで漏れた「前原発言」
再生核研究所声明30(2010/01/18): 検察庁の暴走と民主主義の危機―広い視点
参議院選挙と衆議院の総選挙を経て、民主党党首鳩山氏と小沢氏の連携によって 日本国において初めて本格的な政権交代が実現したと言える。 再生核研究所は 日本国の民主主義が進化し、発展したものであると高く評価してきた。 なぜならば 政権交代によって、政界は浄化され、政治は活性化すると考えているからです。 よって、総選挙で 直接国民が実現させた現政権を 軽々しく考えるべきではない。
ところで、日本国の首相、与党の幹事長の職務が 如何に重いものであるかをまず確認したいと考えます。
外国軍が侵略してくれば、非常事態を宣言し、戒厳令を敷いて、憲法さえ越えた権力で政策を進めざるを得ません。その時の要が、首相と与党幹事長ではないでしょうか。 その時、誰もが疑いもなく、正当なる権力の基礎として、先の衆議院総選挙の結果を重く受け止めることになると考えます。 巨大地震や国家破産などが起きれば 同じような状況を迎えるのではないでしょうか。
現実の日本国は 如何でしょうか。37兆円の歳入で、92兆円を超える予算を、過去の膨大な借金の上に考えられている状況であり、日本国は 危機的な状況であるとは言えないでしょうか。外交も普天間基地問題に絡む、日米外交問題、経済再建や日航の再建問題と多くの難しい問題を抱え、それらのいずれもが強力な政治指導がなければ 日本国は苦しい状況に追い込まれることにはならないでしょうか。
ところが、新政権が予想以上の順調なスタートを切ったものと希望を抱いていた折り、再び、小沢氏の政治資金問題が浮上し、小沢氏に近い衆議院議員の逮捕までに発展し、再び小沢氏の辞任を求める風潮が高まってきている。小沢氏は疑いもなく新政権の要の人物です。
そこで、衆議院議員の逮捕と辞任を求める風潮について考察したい。
われわれは より良い社会を作るには どのようにすれば良いかと考察して、次のように考えている: 
どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。
平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。
1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。
(再生核研究所声明1抜粋)
 
これは、社会の秩序をうまく保ち、美しい社会を築く原理として考えたものである。
まず、法の番人であり、国の正義を実現させる国家の中枢である検察庁が 法に従って、一切の疑惑について解明し、法秩序を保とうするのは当然であり、基本的な任務であるとすることには 何ら依存のないところである。
しかしながら、今回の事件は 大きな社会的な存在である 政治家の犯罪に関わる問題であることに 通常の犯罪とは異なる視点が出てくると考える。たとえば、検察庁の考えるような全ての犯罪を犯していたとしても、それでもなお、政治家の立場を弁護する余地があると考える。 政治社会は大きな世界であり、検察庁が数十億円ものお金を不法に動かしたからと言えば、政治家は、それよりはるかに大きなお金を動かし、政策によって、国家に大きく貢献していると言えよう。政治家の視点からすれば どうして、そのような はした金で騒いでいるのかということにはならないでしょうか。しかも、それらは国を良くするための政治活動に使っていて、私利私欲で使ってはいないということにはならないでしょうか。集めたお金も 多くの場合、解釈によって合法、違法になるような場合が大部分ではないでしょうか。 多くの国民の支持を取り付け、法律を作る専門家が、批判にさらされるような隙を作るはずがないからである。 他方、国家予算の配分や外交、軍事、国権の統一などは そのようなお金には代えられない 計り知れない社会の重要事項ではないでしょうか。 それゆえに政治家の身分は 厚く保証されなければならないと考える。いやしくも多数の国民から直接選ばれた政治家に対して、逮捕などの乱暴な行為は 軽々しくとるべきではなく、礼節に基づいて自制した行為がとられるべきであり、そのような乱暴な行為は 選出した多くの国民を侮辱しているとも言える。また、政治家の身分が 厚く保証されなければ、政治家が 国や世界の重要なことを検討する余裕を失なうことにはならないでしょうか。
さらに、法治国家である日本においては、最終裁判の結果が出るまでは、無罪とみなされるはずではないでしょうか。 逮捕や捜索で、政治家が責任を 事実上とらされるとなれば、検察庁が直接政治を動かしたという民主主義の危機を迎えることにはならないでしょうか。 軍や検察庁の暴走こそ、何時でも民主主義の危機を招くのではないでしょうか。マスコミのみなさん 絶えず、それらの暴走の危険性を警戒されているでしょうか。 民主主義は何時でも衆愚政治に陥り易く、絶えず努力し、衆愚政治に陥らないようにするのは マスコミの大きな役割ではないでしょうか。
このようなことで、小沢氏が辞任となれば、結果的には 検察庁が直接政治を大きく動かしたという重い事実が 歴史に残る事になる。逮捕、起訴の適否は やがて裁判によって決着が付けられるが、その時にはもはや結果によらずに、歴史は動いてしまうという 極めて重い責任を考えれば、今回の状況は 公正の原則4項に 著しく抵触すると考えざるを得ない。
検察庁が正義を求め、真相を究めたい、明らかにしたいという思いは良く理解できる。しかし、これは各々の専門家が、自分の専門の中で、主張し、独善的になり、総合的な視点と全体的な状況判断ができず、結果として、おかしくなる状況を招いているのと似ているのではないかと考える。各省庁が自分の省庁のことしか考えられず、国家の全体の状況が見えないのと同じような状況であると考えられる。それゆえに 広い視点を有する政治家の役割は 現在極めて、重要である。
マスコミのみなさん、政治家のみなさん、国家の大事な問題を避けて、卑小な問題で騒ぎすぎてはいないでしょうか。 多くの日本の子供たちは異様な報道を どのように理解しているでしょうか。 外から見ると、総選挙によって民主的に実現した新政権を 何とかして壊そうとしていると 映らないでしょうか。 法の執行、裁判などは もっと慎ましく、検察庁と裁判所に任せ、国論としては もっと重要な課題を展開すべきではないでしょうか。 政治家を落とそうとするような論調は、結局は自分の国をおかしくすることに ならないでしょうか。 日本国は大丈夫でしょうか。与野党、国、地方などと言っていられるような状況でしょうか。 日本国は団結して、日本国の再生のために真剣に努力すべき時ではないでしょうか。今日本国においては、賢明なる安定政権が必要ではないでしょうか。
国民の皆様、私たちが直接選んだ政治家を大事にして、また私たちが直接民主的に樹立した新政権の下で、日本国再生を図ろうではありませんか。
新政権には 直接国民から支持されて実現した政権であるとの大義の基に、国民の期待に添うべく より良き政治を強力に進めて頂きたい と期待する。
以 上
再生核研究所声明 31 (2010/02/08): 法の精神と - 罪と罰
近年、政治家が政治資金問題などで、政治家としての責任が問われたり、芸能人の不祥事件で才能を有する芸能人が芸能界から追われたりする事件が起きている。また才能ある力士が同じような状況で、引退を余儀なくされている。そこで、疑問が生じて来たので 法律と法律に反した場合の処罰について考察したい。ここで法とは、法律とは、法治国家において定められた法律を意味し、罪とはそれらに反した場合を言い、罰とはそれらに対する裁判結果ならびにそれらに由来し、意図的に与えられた一切の不利益と定めよう。
そもそも法とは 社会生活を営むために社会の秩序を保ち、また社会生活を円滑に進めるために、国の代表者が立法府において定めたものであり、これは国の約束事であるから、第1義的に尊重し、遵法に心がけるのは 当然である。しかしながら、立法の背後には より良き社会を営むために という前提があることを まず、きちんと抑える必要がある。これは法が、生きた社会から遊離した理論的な世界ではないことを意味する。立法府の作る法が基本法 憲法に反していたり、また現実離れしているとか、場合によっては遵法が不可能の場合すら現に起こり得るのである。そこで、再生核研究所では公正の原則を掲げて、法の不備を次のようにして補完すべきであるとしている:
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか
3) それはみんなに受け入れられるか 
4) それは安定的に実現可能か
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる(声明1抜粋)。
実際、検察庁も裁判所も上記のような精神で法を運用していると考える。
しかしながら、罪と罰に対して、同一の罪は同一の罰に値するとは考えず、法の定める基準を尊重しながら、社会の利益の観点から判断して罰を考えるべきであると提案したい。そもそも、罰とは遵法させるための、社会秩序を維持するための便法であり、復讐としての罰は 否定はできないが、本質的には空しいものであると考える。法によって処罰され、また社会的な制裁によっていろいろな活動ができなくなってしまって、それによって生じる社会の不利益が大きい場合、そのような罰は適切であると言えるであろうか。法律関係者やマスコミ関係者は、罰を与え報道を行うときに、社会の全体的な利益の観点から慎重な対応をとるべきであると考える。具体例をいくつか挙げたい。まず、政治家の場合であるが、政治資金問題で 与党幹事長の責任問題が議論されているが、与党幹事長の日本国における役割の大きさと社会的な存在の大きさから、軽々しく罰を与えるべきではないと主張してきた(声明30)。国の中枢の人物の身分が厚く保証されなければ、国の秩序は維持できず、国家の運営は危ういと言わざるを得ない。才能ある芸能人を罰して、芸能界から消してしまうのは日本国として大きな損失にならないでしょうか。研究者が過ちを犯して、研究者としての人生に止めをさせば、長年の研究生活で得た貴重な経験が活かせず、大きな損失に繋がらないでしょうか。罰については、法の定める基準を尊重しながら、社会全体の利益から判断すべきである というのが 声明31の趣旨です。
みなさん、法のための法、無駄な罰、人を傷つける、罰、報道、いろいろ形式的な処分で、社会の大きな損失につながるような いわゆる罰について注意していこうではありませんか。才能や能力を社会のために活かして行こうではありませんか。ここにAがいて、罪を犯した。Aの人権を尊重しながら、社会全体の利益を考えて、罰を考えていこうではありませんか。Bが重罪を犯し、これからも重罪を重ねる可能性が強い。しかしながら、Bはある特殊な才能を有している。24時間の補助員を付けて、Bの才能を社会に活かそうではありませんか。もしBに それに見合うだけの社会的な価値を生む能力があるのならば。横綱の引退を招いたのは、日本の文化に問題があると考える。国会議員や、与党幹事長の辞任を求める風潮も同様である。両者に共通して言えることは、問題の本質を議論しないで、大きな役割と存在から見れば些細なことを 大げさに騒ぎ立て、報道して世論を惑わしているマスコミに大きな責任があると考える。
以上


再生核研究所声明81(2012.3.14)最高裁判所裁判官全員の罷免を提案する
国民の判断、審査は、単純明快な形をとる必要がある。 是か非、○か×の形をとるのが良い。 美しい日本国で 在ってはならない、裁判と検察の在りように対する疑念は、日本の司法界全体に対する不信として、処断し、司法界に活を入れる必要があると考える。これは長期政権の衰退、癒着構造と同じく、綱紀の緩みどころか、本末転倒、正義と法を守るべき司法界が、逆に社会正義を破り、法の精神を逆用しているのではないか との不信感さえ公然と出ている。 それにも関わらず、責任者の存在すら見えない暗黒の状況を作っている。 法と正義が信じられる国とは、 美しい国造りの根幹であり、これから、日本国の財政、経済の厳しさを克服し、原発事故と放射能対策に全力をかけなければならない折り、国家のタガを引き締めて行く必要があると考える。 そこで、
日本国憲法第79条第2項及び第3項と最高裁判所裁判官国民審査法に基づいて 最高裁判所 裁判官全員の 罷免を 提案する。
この行動を通して、司法界を牽制し、司法界の自覚を促し、司法界の再生を図る第1歩としたい。 国民がなかなか関われない司法界に、国民の固有の権利を名実的なものとして、実践、行使し、世界を震撼させたい。すなわち、日本国民は健在であり、法と社会正義を尊重、愛し、日本国においては 法と正義がしっかりしている国であると 世界に証拠をもって示したい。
また、法務大臣は その職責を全うすべく、自らの責任範囲を吟味し、職責に怠慢が無いか、しっかりと対応して頂きたい。 特に指揮権の発動などによって、国会議員の身分の保証などについては 積極的な取り組みを期待したい。 検事は 誰に直接責任を負っているのかと問いたい。 検事を監督する者は 誰かと問いたい。
さらに、直接国民から 選出された国会議員は 国民から負託された自らの役割の重要性と 国の最高機関の構成員 であることを自覚されて、司法界の在りようについても、絶えず牽制し、 弾劾裁判所などを積極に活用すべく 努力して頂きたいと要請する。3権分立とは 馴れ合いでも 住み分けでもあってはならない。 逆に緊張関係でなければならないと考える。
裁判官や検事は、聖職であり、法と正義をもって 国の基礎をなす者 ではないのか。
最後に 関係声明を挙げて置く:
再生核研究所声明16: 裁判員制度の修正を求める
再生核研究所声明 23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明 30: 検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明 31: 法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判
                                    以 上
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最高裁判所裁判官国民審は、日本における最高裁判所裁判官を罷免するかどうかを国民が審査する制度である。日本国憲法第79条第2項及び第3項と最高裁判所裁判官国民審査法に基づいている制度である。最高裁の裁判官は、任命後初の衆議院議員総選挙の投票日に国民審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙時に再審査を受け、その後も同様とすると定められている(ウィキペディア)。
裁判官弾劾裁判所: 日本国憲法において裁判官の独立を保障する観点からその身分は手厚く保障されており、罷免される場合は以下の3点に限定されている。
1. 心身の故障のために職務を行うことができないと決定されたとき(裁判官分限裁判)
2. 公の弾劾によるとき (64条)
3. 国民審査において、投票者の多数が罷免を可とするとき(最高裁判所裁判官のみ)
上記のうち「公の弾劾」を行う機関として国会に設置されているものが、裁判官弾劾裁判所である。制度趣旨は、公正な判断を確保するために司法裁判所による同輩裁判を避ける必要があること、国民による公務員の選定罷免権を保障するためにその代表である国会議員に任せるべきこと等があるとされている。
弾劾裁判に関する詳細な事項は、国会法125条から129条までと、裁判官弾劾法が規定する。
裁判官弾劾裁判所による裁判官の罷免事由は下記の2つに限定される。
1. 職務上の義務に著しく違反し、または、職務を甚だしく怠ったとき
2. 裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき
なお、罷免事由に至らない非行は、懲戒処分の対象となり得る。懲戒処分は、裁判官分限法に基づき、最高裁判所の大法廷又は高等裁判所において裁判により行われる(ウィキペディア)。

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