「AIは人間を超える」なんて、本気で信じているんですか?
哲学の視点から語る「科学の限界」
AIが人間を超える知性をもつ、AIで多くの人の仕事が奪われるーーそんな議論が盛んになって数年。空前の「AIブーム」は、どんな結末を迎えるのか? 一部の人が夢見る「シンギュラリティ」はやってくるのか?
こうした過熱に「待った」をかけるのは、情報学者の西垣通氏だ。元エンジニアでコンピュータに精通した氏は、なぜ「AIは人間を超えない」と考えるのか。そこにはカンタン・メイヤスー、マルクス・ガブリエルなど気鋭の哲学者が提唱する、最先端の哲学が関係していた。
今回、メイヤスーの主著『有限性の後で』の翻訳でも知られる、哲学者・立命館大学准教授の千葉雅也氏と西垣氏の対談が実現。科学者さえ気づいていない「AIの限界」を存分に語り尽くす。
AIブームは、これで3回目
千葉:西垣先生の新著『AI原論』では、「思弁的実在論」と銘打って、僕も訳者の一人であるメイヤスー1の『有限性の後で』という本を、かなり大々的に議論の中に取り込んでくださっています。新しい哲学の動きを、現在のAIブームの状況を考えるためのガイドにして議論を立てていいたので、とても驚きました。
西垣:そうですか。私としては、その試みが絶対に必要だと感じていたんです。ですから、自然な流れでした。というのは、いったいこの本をなぜ書いたのかという話に繋がるんですよね。
千葉:ぜひ詳しくお聞かせください。
西垣:AIは今、すごいブームですよね。しかし実は、AIのブームというのはこれが3回目なんです。
第1次ブームは1950年代から60年代で、私も当時はまだ学生でした。それは日本にはあまり影響しなかったんですが、1980年代の第2次ブームは、日本も非常に盛り上がったんですね。
私はちょうどその頃スタンフォード大学にいたものですから、その渦中にまきこまれました。専門家の思考をシミュレーションする「エキスパートシステム」を考えた先生が、私がいた学部の学部長だったんですね。
日本では、その頃第五世代コンピュータ2というものが出てきました。これは戦後日本のIT産業のなかで最大の国家プロジェクトで、私もスタンフォードから帰って一時期参加したこともあったんですが、見事に失敗したんです。技術的には成功したものの、実際の産業ではまったく応用されずに終わった。
当時の技術者たちは、「なぜダメだったんだろう」と悔しがったのですが、ご存知の通り、そのあと覇権を握った本当の「新世代コンピュータ」は、つまりパソコンとインターネットだったんですよ。
昔は「メインフレーム」と呼ばれる大型のコンピュータの中で計算をやっていましたが、第五世代コンピュータはその延長です。でも、本当にイノベーティブなシステムは、小型のパソコン群とそれをむすぶインターネットだった。それが90年代から2000年代に一気に広まって、現在に至るわけです。
千葉:大規模システムで集約的に計算するんじゃなくて、個人向けのコンピュータをネットワークでつなぐという発想が、結局は新しいパラダイムだったんですね。
西垣:どうしてそうなったのかを考えてみたいんです。私の周囲にも、第五世代プロジェクトに関わっていた技術者はたくさんいました。彼らとしては非常に心外ですよね。なぜ失敗したんだろう、っていう思いが当時ありました。大変な予算をかけてやったわけですし。
現在のAIブームは、はっきり言って米国の後追いですが、その第五世代コンピュータは、少なくとも日本オリジナルのものを作ろうとしたわけです。それが失敗した理由をちゃんと考えないといけないだろう、という思いが私にはまずありました。
第五世代コンピュータというのは、「知識命題」にもとづく自動的な推論操作を突き詰めて、高速化していくことに真正面から挑戦したプロジェクトだったんです。
知識命題というのは例えば、「こういう症状が出たら、この人はこの病気にかかっている」というふうに医者が結論を出したり、あるいは法律家が「こういう事件を起こした場合はこういう罪になる」と判断したりするような、そういう推論の基礎になる命題のことです。エキスパートの専門知識を、コンピュータの中で自動的に組み合わせて答えを出すという考え方ですね。
しかし、人間の専門家は単に純粋な論理処理をやっているだけじゃなくて、実はそこに総合的な判断とか直感とかを織り交ぜているわけです。医者も、こういう症状が出たら100%これだって言うわけじゃなくて、いろいろ試行錯誤しながら診断しますよね。全部を自動的に判断しても、出てくる答えが正しいとは限らないわけです。
1) カンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux):1967年生まれのフランスの哲学者。パリ第一大学准教授。近年注目されている新しい哲学のムーブメント「思弁的実在論」の中心人物の一人とされる。
2) 第五世代コンピュータ:1982年から1992年にかけて、当時の通産省が取り組んでいた人工知能開発の国家プロジェクトにおいて、開発目標とされたコンピュータのこと。プロジェクトには約570億円が投入され、機械翻訳システムなどの開発が目指されたが、目標を達成できなかった。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56489
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした:
With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
とても興味深くみました: ゼロ除算(division by zero)1/0=0、0/0=0、z/0=0 2018年05月28日(月) テーマ:数学 これは最も簡単な 典型的なゼロ除算の結果と言えます。 ユークリッド以来の驚嘆する、誰にも分る結果では ないでしょうか? Hiroshi O. Is It Really Impossible To Divide By Zero?. Biostat Biometrics Open Acc J. 2018; 7(1): 555703. DOI: 10.19080/BBOJ.2018.07.555703 ゼロで分裂するのは本当に不可能ですか? - Juniper Publishers ↓↓↓ https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所 2014年2月2日
再生核研究所声明 394(2017.11.4): ゼロで割れるか ― ゼロで割ったらユークリッド以来の新世界が現れた
ゼロで割る問題は、ゼロ除算は Brahmagupta (598 -668 ?)以来で、彼は Brhmasphuasiddhnta(628)で 0/0=0 と定義していた。ゼロ除算は古くから物理、哲学の問題とも絡み、アリストテレスはゼロ除算の不可能性を述べていたという。現在に至っても、アインシュタイン自身の深い関心とともに相対性理論との関連で相当研究がなされていて、他方、ゼロ除算の計算機障害の実害から、論理や計算機上のアルゴリズムの観点からも相当な研究が続けられている。さらに、数学界の定説、ゼロ除算の不可能性(不定性)に挑戦しようとする相当な素人の関心を集めている。現在に至ってもいろいろな説が存在し、また間違った意見が出回り世間では混乱している。しかるに、 我々は、ゼロ除算は自明であり、ゼロ除算算法とその応用が大事であると述べている。
まずゼロで割れるか否かの問題を論じるとき、その定義をしっかりすることが大事である。 定義をきちんとしないために空回りの議論をしている文献が大部分である。何十年も超えて空回りをしている者が多い。割れるとはどのような意味かと問題にしなければならない。 数学界の常識、割り算は掛け算の逆であり、az =b の解をb割るaと定義し、分数b/a を定義すると考えれば、直ちにa=0の場合には、一般に考えられないと結論される。それで、ゼロ除算は神でもできないとか神秘的な議論が世に氾濫している。しかしながら、この基本的な方程式の解が何時でも一意に存在するように定義するいろいろな考え方が存在する。有名で相当な歴史を有する考え方が、Moore-Penrose一般逆である。その解はa=0 のとき、ただ一つの解z=0 を定める。よって、この意味で方程式の解を定義すれば、ゼロ除算 b/0, b割るゼロはゼロであると言える。そこで、このような発想、定義は自然であるから、発見の動機、経緯は違うが、ゼロ除算は可能で、b/0=0 であると言明した。Moore-Penrose一般逆の自然性を認識して、ゼロ除算は自明であり、b/0=0 であるとした。
それゆえに、神秘的な歴史を持つ、ゼロ除算は 実は当たり前であったが、現在でもそうは認識されず混乱が続いている。その理由は、関数 W = 1/z の原点での値をゼロとする考えに発展、適用するとユークリッド以来、アリストテレス以来の世界観の変更に繋がるからである。1/0は無限大、無限と発想しているからである。実際、原点の近くは限りなく原点から遠ざかり、限りなく遠くの点、無限の彼方に写っている歴然とした現象か存在する。しかるに 原点が原点に写るというのであるから、これらの世界観は ユークリッド空間、アリストテレスの世界観に反することになる。それゆえに Moore-Penrose一般逆は一元一次方程式の場合、意味がないものとして思考が封じられてきたと考えられる。
そこで、この新しい数学、世界観が、我々の数学や世界に合っているか否かを広範囲に調べてみることにした。その結果、ユークリッドやアリストテレスの世界観は違っていて、広範な修正が必要であることが分った。
そこで、次のように表現して、広く内外に意見を求めている:
Dear the leading mathematicians and colleagues:
Apparently, the common sense on the division by zero with a long and mysterious history is wrong and our basic idea on the space around the point at infinity is also wrong since Euclid. On the gradient or on derivatives we have a great missing since $\tan (\pi/2) = 0$. Our mathematics is also wrong in elementary mathematics on the division by zero.
I wrote a simple draft on our division by zero. The contents are elementary and have wide connections to various fields beyond mathematics. I expect you write some philosophy, papers and essays on the division by zero from the attached source.
____________
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
国内の方には次の文も加えている:
我々の初等数学には 間違いと欠陥がある。 学部程度の数学は 相当に変更されるべきである。しかしながら、ゼロ除算の真実を知れば、人間は 人間の愚かさ、人間が如何に予断と偏見、思い込みに囚われた存在であるかを知ることが出来るだろう。この意味で、ゼロ除算は 人間開放に寄与するだろう。世界、社会が混乱を続けているのは、人間の無智の故であると言える。
三角関数や2次曲線論でも理解は不完全で、無限の彼方の概念は、ユークリッド以来 捉えられていないと言える。(2017.8.23.06:30 昨夜 風呂でそのような想いが、新鮮な感覚で湧いて来た。)
ゼロ除算の優秀性、位置づけ : 要するに孤立特異点以外は すべて従来数学である。 ゼロ除算は、孤立特異点 そのもので、新しいことが言えるとなっている。従来、考えなかったこと、できなかったこと ができるようになったのであるから、ゼロ除算の優秀性は歴然である。 優秀性の大きさは、新しい発見の影響の大きさによる(2017.8.24.05:40)
思えば、我々は未だ微分係数、勾配、傾きの概念さえ、正しく理解されていないと言える。 目覚めた時そのような考えが独りでに湧いた。
典型的な反響は 次の物理学者の言葉に現れている:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out(2017.10.14.8:55).
現代数学には間違いがあり、欠陥がある、我々の空間の認識はユークリッド、アリストテレス以来 間違っていると述べている。
ゼロ除算の混乱は、世界史上に於ける数学界の恥である。そこで、数学関係者のゼロ除算の解明による数学の修正を、ゼロ除算の動かぬ、数学の真実にしたがって求めたい。詳しい解説を 3年を超えて素人向きに行っている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
以 上
再生核研究所声明 405(2017.12.31): ゼロ除算が拓いた幾何学の現象 ― 堪らなく楽しい新奇な現象 - デカルトの円定理から
図と式の表現が表しにくいので 簡単に参照されるサイトhttps://arxiv.org/abs/1711.04961
を挙げて その中の図と式を参照して頂いて、ゼロ除算が如何に面白いかを解説したい。
まず、始めにデカルトの円定理と呼ばれる美しい定理を参照して下さい。3つの円が外接するときに、それらに内接したり、外接する円の半径の間の関係を確立した定理です。
式は美しいのですが、表現で4つの半径は、完全に対称になっていることに気づけばさらに 美しさを深く理解できます。
論文の発想は、そもそも、点や直線は円の特別な場合と見なせるという数学を想起して、デカルトの円定理で述べた基の3つの円を 点や直線に置き換えた場合にも成り立つかと問題にしました。 点は半径ゼロの円ですが、直線も半径ゼロの円だということはゼロ除算の結果導かれた発見です。すると、デカルトの円定理の式で、1/0 が出てきますが、それらはゼロと解釈すれば 良いとなります。それで、2つが円で、もう一つが共通接線である場合を考えると、図1-2のようですが、きれいに成り立っていることが分かります。 この辺の定理、事実は和算の得意とする分野で、デカルトの円定理も含めて和算でも広く知られていたということです。3つの円が、点や直線になった場合をすべて考えてみて何時でも成り立てば、デカルトの円定理は 一層美しいと言えます。 あらゆる場合を考えるのですが、2つが円で、一つが点の場合、それらに接する円は存在しないようですので、その場合デカルトの円定理は成り立たないようにみえます。
そこで、点では成り立たないので、小さな円の場合を考えて、その円を点にした場合にどうなるかを考えてみました。どんな小さな円でもデカルトの円定理は成り立っていますから、その小さな円の半径がゼロに近づいた場合を 考えてみるとどうなるかと考えたくなります。
数学的に厳格に議論するために、3つの円と内接円(外接円)をきちんと方程式で書いて議論しました。 円を点にするとき、 円の表現は孤立特異点を有していて、そこでは考えられないというのが 現代数学です。 ゼロ分の式はゼロのところで考えられないからです。 例えば、定理7の円の方程式で、z = 1,-1 の場合が考えられる。そこで、意味のある図形が出てくる。 ゼロ除算算法では孤立特異点で有限確定値を与えることができますので、今まで考えられなかった特異点で考えみました。― 無限の彼方が、特異点に成る場合も多い。その結果、驚嘆すべきことが起きていることが分かりました。(この辺の記述は厳密な表現より情念に思いを入れました)。
その特異点から、点円原点と、赤い円と青い円が出て来ることが分かりました。点がこれらの3つに分かれて出てきたという実に面白い現象です。 原点の場合にはデカルトの定理が成り立ちませんが、赤い円では、何とデカルトの円定理が成り立っていることが、ゼロ除算算法での計算の結果から確認できます。 青い円は美しい状況に置かれた円ですが、それは点に近づけた円が、突然、元の2つの円に外接する、しかもちょうどそれらの円を直径にする円に変形したと解釈すると、ちょうど内接する円が 緑の円で、デカルトの定理が成り立っているという、驚嘆すべき現象です。
点に成って定理が成り立たない場面で、点が突然変異を起こして定理をそのまま成り立たせている現象が現れたと発想すると、この現象は世の一般的な現象における新規な現象として注目すべきではないでしょうか。 見かけ上成り立たない場合、そこが変形して成り立たせる世界が存在する。 ― ものは燃焼で変形する、変形以前のあるものは変形してもそのまま、引き継がれている。意味深長では ないだろうか。― 山根現象を想起して下さい。 ― これは、運動エネルギーが一定であったものが ある時、物質は突然消えて、物質は消えて運動エネルギーが熱エネルギーに変化する現象を表しています。
赤い円は、美しいので、その分野の有名なバーコフの円と呼ばれる円ですが、2つの円に直交していますが、点に近づいていくとき、 円は接していたのですが、出てきた円は接するのではなくて、直交でしょうか。 実に面白いことは ゼロ除算が発見した典型的な結果として、y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0 ですから、バーコフの円は2つの円に接しているということを述べていますから、 堪らなく楽しいと言えます。― 直交は接していると解釈できるという新発見です。 緑の円は美しく3つの円に接しています。
論文では、あらゆる場合を考えたと述べていますので、3つの円が3つの点でも、3本の直線の場合も考えて、デカルトの定理は成り立っていると述べていますので、さらに面白いです。それには、ゼロの意味を考えてゼロとは何かを発見する必要が有ります。
以 上
2017.12.29.14:17 アーカイブ審査の上、公表された。超古典的な考えに間違いがあると書いてあるので、担当者は慎重に扱った。http://arxiv.org/abs/1712.09467
再生核研究所声明 414(2018.2.14): 第1回ゼロ除算研究集会基調講演要旨
(日時:2018.3.15(木曜日) 11:00 - 15:00 場所: 群馬大学大学院 理工学府)
ゼロで割る問題 例えば100/0の意味、 ゼロ除算は インドで628年ゼロの発見以来の問題として、神秘的な歴史を辿って来ていて、最近でも大論文がおかしな感じで発表されている。ゼロ除算は 物理的には アリストテレスが 最初に不可能であると専門家が論じていて、それ以来物理学上での問題意識は強く、アインシュタインの人生最大の関心事であったという。ゼロ除算は数学的には 不可能であるとされ、数学的ではなく、物理学上の問題とゼロ除算が計算機障害を起こすことから、論理的な回避を目指して、今なお研究が盛んに進められている。
しかるに、我々は約4年前に全く、自然で簡単な 数学的に完全である と考えるゼロ除算を発見して現在、全体の様子が明かに成って来た。そこで、ゼロ除算を歴史的に振り返り、我々の発見した新しい数学を紹介したい。
まず、歴史、結果と、結果の意義と意味、を簡潔に 誰にでも分かるように解説したい。
簡単な結果が、アリストテレス、ユークリッド以来の 我々の空間の認識を変える、実は新しい世界を拓いていること。それらを実証するための 具体例を沢山挙げる。我々の空間の認識は 2000年以上 適切ではなく、したがって 初等数学全般に欠陥があることを 沢山の具体例で示す。
ゼロ除算は新しい世界を拓いており、この分野の研究を進め、世界史に貢献する意志を持ちたい。
尚、ゼロおよび算術の確立者 Brahmagupta (598 -668 ?) は1300年以上も前に、0/0=0 と定義していたのに、世界史は それは間違いであるとしてきた、数学界と世界史の恥を反省して、世界史の進化を図りたい。
以 上
再生核研究所声明 416(2018.2.20): ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。この意味が分かるまでは、 次には進めませんので、興味があれば、 次で解説されている最初の方を参照してください:
ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
できない(不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。
また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。
ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。
ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。
この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。
内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。
以 上
再生核研究所声明 417(2018.2.23): ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。何事始めが大事ですから、この意味が分かるように 次で詳しく解説されている部分を編集して、分かり易く説明したい:
ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
前回の声明、再生核研究所声明 416(2018.2.20): ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
それ以前のこととして、今回はより基本的なことを述べたい。
12割る2は6、12割る3は4、12割る4は3、12割る6は2です。 12割る5は、商は2で余りは2で、12割る7は 商は1で余りは5です。これらを、普通、12/2=6,12/3=4,12/4=3,12/6=2 と分数で表現し、後半のように割り切れないときは 余りを表現したり、少数点以下割り算をどんどん 続けて行く場合などいろいろな考え方、表現があります。ここでは、簡単な場合として 自然数、1、2、3、4、、、、 の場合を考えましょう。
割り切れるときには、次の等式が成り立つことが大事です:
2X6=12, 3X4=12, 4X3=12, 2X6=12.
実際、12割る3を考えるとき、12の中に3が いくつ有るかと考え、3に何を掛けたら12になるかと考えるのではないでしょうか。ここには少し難しいところが有って、計算機などは決まった考えしかできないので、12から3を次々に引いて何回引けるかと考えれば、何時でも決まった考え方で割り算の商を求めることが出来ます。前半の考えは掛け算の逆を考えて、後半は引き算を何回やっての考え方ですから、前半の考えには感覚、予想などが必要であって、難しいですが、引き算の繰り返し(除いていく計算、除算)をただやればよいのですから、簡単です。計算機はこのようにして 割り算を実際行っています。
ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えるのですから、上記の場合、割る数、2,3,4,6のところでそれらがゼロだったらどうなるかと考えること、それがゼロ除算です。 ゼロで割ることを考えることです。
掛け算の逆で考える方法では、ゼロに何を掛けてもゼロですから、例えば、100/0は 0Xa=100 を探したいと考えても、0Xa =0 ですから、できない、存在しないということになってしまいます。そこで、現代数学では ゼロで割ってはいけないと教えられています。 数学界では2000年を超えた定説です。問題は、世の中には、分母がゼロになる公式が沢山現れて、分母がゼロになる場合が問題になります。
例えば、理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。(r^2は rの2乗の意味)。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば無限大か? 無限大とは何か、数か? その意味が不明であるという点である。
そもそも足し算、掛け算の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも大事な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の我々の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と神秘的な問題は、アインシュタインの人生最大の関心であったという言葉に象徴される。
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどです。
ゼロ除算を発見して議論を広く議論して間もなく、道脇愛羽さん当時6歳と緩まないネジで 有名なお父さん道脇裕氏たちは、3週間くらいで何でもゼロで割ればゼロであるとの驚嘆すべき発見に対して、理由を付けてそれは自明であると述べてきたのは 実に面白いことです。多くの専門家が、2、3年を越えても分からないと言っている経過を見ると本当に驚きです。
100/0 を100 から 0を何回引けるかと考えると、0を引いても100 は減りませんので、引いたとはいえず、減らすという意味で引ける回数はゼロ、したがって100/0=0 そして、余りが100であるとしました。 私たちは、割り算の意味を拡張して、ゼロ除算は拡張された分数の意味、割り算で 何でもゼロで割ればゼロであるという理論を数学的に確立させました。
1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?
できない(不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。
また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。
ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。
ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。
この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。
内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。
以 上
God’s most important commandment
never-divide-by-zero-meme-66
Even more important than “thou shalt not eat seafood”
Published by admin, on October 18th, 2011 at 3:47 pm. Filled under: Never Divide By Zero Tags: commandment, Funny, god, zero • Comments Off on God’s most important commandment
http://thedistractionnetwork.com/.../never-divide.../page/4/
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
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http://thedistractionnetwork.com/.../never-divide.../page/4/
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http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
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http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
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再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
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