コヘレト書を読む(4)「無限」―太陽の下(もと)の循環― 臼田宣弘
3 太陽の下(もと)、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。4 一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地。
5 日は昇り、日は沈み、あえぎ戻り、また昇る。
6 風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き、風はただ巡りつつ、吹き続ける。
7 川はみな海に注ぐが海は満ちることなく、どの川も、繰り返しその道程を流れる。8 何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず、目は見飽きることなく、耳は聞いても満たされない。9 かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。10 見よ、これこそ新しい、と言ってみても、それもまた、永遠の昔からあり、この時代の前にもあった。11 昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも、その後の世にはだれも心に留めはしまい。(1:3~11、新共同訳)
今回の箇所も、前回の1章2節と12章8節のように、コヘレト書の終盤の11章7節~12章7節とインクルージオ(囲い込み)を構成していると考えられます。今回「『無限』―太陽の下の循環―」という題と副題を付けさせていただきましたが、11章7節~12章7節も、同じ題と副題が付けられる内容だからです。今まではインクルージオに目を向けて、インクルージオをセットにして書いてきました。しかし今回は、セットで取り扱うことはしません。11章7節~12章7節は、このコラムの終盤において、当該の章・節を扱う際に取り上げます。
さて、今回の箇所は「太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう」と書き出されています。実はコヘレト書は、「太陽の下の出来事」によって書き出されているひとまとまりの文が多いのです。
「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」(4:1)
「太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。富の管理が悪くて持ち主が損をしている」(5:12)
「太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのをわたしは見た」(6:1)
「わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた」(8:9)
「太陽の下、再びわたしは見た。足の速い者が競争に、強い者が戦いに、必ずしも勝つとは言えない」(9:11)
「太陽の下に、災難なことがあるのを見た」(10:5)
「太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。富の管理が悪くて持ち主が損をしている」(5:12)
「太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのをわたしは見た」(6:1)
「わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた」(8:9)
「太陽の下、再びわたしは見た。足の速い者が競争に、強い者が戦いに、必ずしも勝つとは言えない」(9:11)
「太陽の下に、災難なことがあるのを見た」(10:5)
以上は、これらの節を書き出しとする、ひとまとまりの文のその書き出し部分です。これらの文は、コヘレトがこの世界の現実をしっかりと見つめている部分であるように思えます。今回の1章3~11節も、世界における自然や人の営みの現実について書かれている部分であり、それが「太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう」(3節)として書き出されているのです。
4節から7節は、「太陽の下」の自然についての観察がなされています。大地(4節)、太陽(5節)、風(6節)、川(7節)について、それぞれ観察がなされています。この4つが古代ギリシャにおける4元素「火、風、水、地」と一致することから、「コヘレトは古代ギリシャ思想に精通している」とされることもあります。あるいは、この4つの節がそれぞれ、古代ギリシャの格言(ことわざ)であるとする見方もあります。一方で、この4つの節には、「大地における世代の循環」「太陽の循環」「風の循環」「川の循環」が書かれているということもいえます。そしてよく読んでみますと、それらの循環はすべて「無限」であるということです。
コヘレト書を読むときに、この「無限」という概念はとても大切です。私は専門家ではありませんが、「無限」についてはアリストテレス(紀元前384~322)もその概念を書いているようです。紀元前3世紀の人といわれるコヘレトが、アリストテレスを知っていたかどうかは分かりませんが、コヘレトの「無限」の概念には、ギリシャ思想の影響を見ることができるのかもしれません。その意味でも、4~7節に4元素論を見ることができるのは、大変に興味深いことです。
ただし、コヘレト書を読み進めてまいりますと、コヘレトは「無限」と「神の永遠」を峻別していることが分かります。コヘレトにとって「無限」とは、「太陽の下」での「限りのない始めから終わりまで」のことです。しかしコヘレトは、「それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」(3:11)と、人間には知ることのできない、「無限の外側の始めから終わりまで」があることを知っています。コヘレトの無限概念が、ギリシャ思想からのものであるのかどうかは、確かなことは分かりません。ただ、コヘレトにとって「無限」とは、「太陽の下」のものであり、「神の永遠」とは次元が違うものなのです。
コヘレトは、無限を「もの憂い」と言います。「何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず、目は見飽きることなく、耳は聞いても満たされない」(8節)。大地において世代が繰り返されることも、太陽が昇り沈みまた昇ることも、風が巡り巡ることも、川の水が流れ続けることも、「もの憂い」のです。
コヘレトは、「太陽の下」の人の営みも観察します。9節と10節では、「太陽の下」の人の営みに新しいものは何もないと言います。
かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。見よ、これこそ新しい、と言ってみても、それもまた、永遠の昔からあり、この時代の前にもあった。(1:9、10)
新しいと思えることであっても、実はそれは昔からあったのだと言います。コヘレトは、「太陽の下」の人の営みも、無限に繰り返し(循環)がなされているのだと言うのです。そして11節ではさらに、そういった昔からあってこれからまた繰り返し起こることも、いつかは忘れられてしまうと言います。「昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも、その後の世にはだれも心に留めはしまい」(11節)。太陽の下の人の営みの無限の循環も、時が過ぎれば忘れられてしまう。「それはヘベル(空しさ)なのだ」と言っているように思えます。
コヘレトは、「無限」がすべてだとする世界観に、限界を感じていたのではないかと私は考えています。それで、「もの憂い」「ヘベル(空しい)」と言っているように思えます。しかしコヘレトは、神は「無限」の外側におられる方であることを知っていて、その神とつながっていること、あるいは「神様からのプレゼント」を受け取ることを大事にしていた人なのです。コヘレト書がそこに到達するには、もう少しコヘレトの探求を経なければなりません。そこは少々辛抱していただいて、次回以後はコヘレトのその幾つかの探求を読んでみたいと思います。
◇
臼田宣弘(うすだ・のぶひろ)
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。NHK文化センター浜松教室聖書講座講師。「牧師のブログ」で情報発信中。https://www.christiantoday.co.jp/articles/25818/20180719/read-ecclesiastes-4.htm
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdfDOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
再生核研究所声明335(2016.11.28) ゼロ除算における状況
ゼロ除算における状況をニュース方式に纏めて置きたい。まず、大局は:
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド幾何学とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
1.ゼロ除算未定義、不可能性は 割り算の意味の自然な拡張で、ゼロで割ることは、ゼロ除算は可能で、任意の複素数zに対してz/0=0であること。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学などの多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが認められた。ゼロ除算を含む、四則演算が何時でも自由に出来る簡単な体の構造、山田体が確立されている。ゼロ除算の結果の一意性も 充分広い世界で確立されている。
2.いわゆる複素解析学で複素平面の立体射影における無限遠点は1/0=0で、無限ではなくて複素数0で表されること。
3. 円に関する中心の鏡像は古典的な結果、無限遠点ではなくて、実は中心それ自身であること。球についても同様である。
4. 孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。ゼロ除算算法。
5. x,y 直交座標系で y軸の勾配は未定とされているが、実はゼロであること; \tan (\pi/2) =0. ― ゼロ除算算法の典型的な例。
6. 直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。原点は、直線や平面の中心であること。この議論では座標系を固定して考えることが大事である。
7. 無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。
8. 接線や法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。
9. ゼロ除算算法の導入。分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、ゼロになっても、そこで意味のある世界。いろいろ基本的な応用がある。
10.従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分に関する多くの公式の変更。
11.微分方程式の特異点についての新しい知見、特異点で微分方程式を満たしているという知見。極で値を有することと、微分係数が意味をもつことからそのような概念が生れる。
12.図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。
13.確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。
14.ゼロ除算による空間、幾何学、世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用。
15.解析関数が自然境界を超えた点で定まっている新しい現象が確認された。
16.領域上で定義される領域関数を空間次元で微分するという考えが現れた。
17.コーシー主値やアダマール有限部分に対する解釈がゼロ除算算法で発見された。
18.log 0=0、 及び e^0 が2つの値1,0 を取ることなど。初等関数で、新しい値が発見された。
資料:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.):
Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)
Sep. 2016 305 pp.
(Springer) 9783319419435 25,370.
http://okmr.yamatoblog.net/division%20by%20zero/announcement%20326-%20the%20divi
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
以 上
file:///C:/Users/saito%20saburo/Downloads/P1-Division.pdf
再生核研究所声明 431(2018.7.14): y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界?
2018年7月12日8時25分 ひとりでに湧いてきた。 おかしな私に おかしな構想が湧いてきた。ガリレオは つぶやいたという それでも地球は動いていると。 そのように、これは真実と素直な心情と思えるので 一気に纏めて置きたい。
まず、次の記録、事実を回想する: 今日、2018.6.3.15時ころ、あるテーブルで 6人で 食事をとっていた。隣の方が、大工さんだというので、真直ぐに立った柱の傾きは いくらでしょうかと少し説明して 問いました。 皆さん状況は 良く理解されていましたが、65歳くらいの姉妹 御婦人、石原芳子さん、清水きみ子さんが、ゼロじゃない? と結構当たり前のように おっしゃったのには 驚き、感銘を受けました。ゼロ除算から導かれた y軸の勾配がゼロは 相当に 感覚的にも当たり前であることが 分かります。発見当時、妻と息子に聞いた時も そうでした。真直ぐに立った 電柱の勾配は ゼロであると 言いました。これは 当たり前ではないでしょうか。所が 現代数学は 曖昧になっていて、分からない、不定のような 扱いになっています。おかしいですね。世界史の恥にならないでしょうか?
発見当時20年以上の友人ベルリン大学教授に ジョーク交じりに問うたところ、y軸の勾配は 右から近づけばプラス無限大、左から近づけばマイナス無限大で y軸自身の勾配は 考えられないとなっているという(記録No.-1:2015.9.17.05:45、No.-2:2015.9.18.19:15.)。
原点から出る直線の勾配で 考えられない例外の直線が存在して、それがy軸の方向であるということです。このような例外が存在するのは 理論として不完全であると言えます。それが常識外れとも言える結果、ゼロの勾配 を有するということです。この発見は 算術の確立者Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の発見で、 ゼロ除算の意味の発見と結果1/0=0/0=0から導かれた具体的な結果です。
それは、微分係数の概念の新な発見やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える数学ばかりではなく 世界観の変更を求める大きな事件に繋がります。そこで、日本数学会でも関数論分科会、数学基礎論・歴史分科会,代数学分科会、関数方程式分科会、幾何学分科会などでも それぞれの分科会の精神を尊重する形でゼロ除算の意義を述べてきました。招待された国際会議やいろいろな雑誌にも論文を出版している。イギリスの出版社と著書出版の契約も済ませている。
2014年 発見当時から、馬鹿げているように これは世界史上の事件であると公言して、世の理解を求めてきていて、詳しい経過なども できるだけ記録を残すようにしている。
これらは数学教育・研究の基礎に関わるものとして、日本数学会にも直接広く働きかけている。何故なら、我々の数学の基礎には大きな欠陥があり、我々の学術書は欠陥に満ちているからである。どんどん理解者が 増大する状況は有るものの依然として上記真実に対して、数学界、学術雑誌関係者、マスコミ関係の対応の在り様は誠におかしいのではないでしょうか。 我々の数学や空間の認識は ユークリッド以来、欠陥を有し、我々の数学は 基本的な欠陥を有していると800件を超える沢山の具体例を挙げて 示している。真実を求め、教育に真摯な人は その真相を求め、真実の追求を始めるべきではないでしょうか。 雑誌やマスコミ関係者も 余りにも基礎的な問題提起に 真剣に取り組まれるべきでは ないでしょうか。最も具体的な結果 y軸の勾配は どうなっているか、究めようではありませんか。それがゼロ除算の神秘的な歴史やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える事件に繋がっていると述べているのです。 それらがどうでも良いは おかしいのではないでしょうか。人類未だ未明の野蛮な存在に見える。ゼロ除算の世界が見えないようでは、未だ夜明け前と言われても仕方がない。
以 上
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