再生核研究所声明 435 (2018.7.29) : 国際スポーツ大会における問題点 - 国際化と文化、グローバリゼーションの問題
問題提起の原点は、ワールドカップ サッカーの試合で浮かび挙がって来た問題です。選手の国籍が複雑で、国家間のスポーツ試合で妙な現象が現れていると言える。 簡単に述べれば国籍の移動を自由にすれば、どんどん優秀な選手を世界中から集めて、国の代表より、あるチームの強さを示し、国家間の競争とはかけ離れた形相をもたらすのではないだろうか。オリンピック競技でも国家間の競争で、優勝者は国旗や国歌をもって賞賛され、愛国心の高まりをもたらしている。 これは自然な心情で ある意味でスポーツの魅力の原因になっていると考えられる。誰でも自分の国の選手を応援したくなるだろう。そこで、 勝敗に拘り、優秀な選手を世界的に集めれば、国を代表しているという感情に 馴染まない面が出て来るのではないだろうか。その点を問題にしている。国を代表するスポーツに国籍問題を自由にすれば、国を代表するスポーツと言えるだろうか。この観点でスポーツ選手の国籍問題においては 全くは自由にすべきではなく、上手い制限が必要ではないだろうか。 国籍問題は基本的人権に抵触するから、軽々しい対応は 取るべきではなく、ちょうど良いくらいの制限が 慎重に検討されるべきである。
これは 広く現れている自由とグロ-バリゼーションの基本的な問題と同様であり、総合的な大きな課題である。 例えば、いわゆる大学のポストなどで国際的に自由にして、機会均等の原則を掲げ、世界的に同じように扱おうという精神が アメリカやヨーロッパでは 進んでいるが、日本などは相当に閉鎖的と見られているのではないだろうか。 真理の追究、研究重視、教育重視を掲げれば、大学に国籍問題があるのは おかしいという発想が基本的に存在する。 背後には自由、平等の精神も貫かれている。日本の文化、伝統から言えば俄かに国際化といってもスムースには行かない現実は直ぐに理解できるだろう。人事の在り様、評価の在り様、文化を支えている大学の役割など、日本と諸外国では相当に違う伝統を有するから、アメリカの様には 対応できないのは 当然である。そこで、丁度良いくらいの国際化を進めるのが 当然で、 一方的にこうあるべきだと決め付けない対応が大事ではないだろうか。
日本の相撲界でも 国籍問題をあまりに緩めすぎて 日本の固有な文化と伝統に馴染まないような 相撲界になっているのではないかと危惧される。
ものごとは全体的な微妙なバランスの下で 総合的な判断が求められる。一面や原理原則で決めつけず、柔軟な対応ができる様に視野を広め、感性を美しく保ちたい。
以 上
2018.7.27.15:10
2018.7.27.16:50
2017.7.27.20:03
2018.7.28.05:41 良い。
2018.7.28.11:05 台風の影響で雨の筈が、晴れたり青空が出たりしている。
2018.7.28.13:40
2018.7.28.17:58
2018.7.28.21:57
2018.7.29.05:44 完成できる。良い。
2018.7.29.06:05 良い、完成、公表。台風過ぎるがまだ曇り。今朝はある大事な考えがわいた。柴先生に伝える。
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