2018年7月31日火曜日

Williams: Can we really trust experts? The Ledger-5 時間前

Williams: Can we really trust experts?

The Ledger-5 時間前
Sir Isaac Newton (1642-1727) was probably the greatest scientist of all time. He laid the foundation for classical mechanics; his genius transformed our understanding of physics, mathematics and astronomy. What's not widely ...
 
ケースバイケース
 
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本


再生核研究所声明 437 (2018.7.31) :  ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である

人の生きるは真智への愛にある。 真智とは神の意志のことである。その素は情念にある。要するに事実、真実を知りたいという 心の底から湧いて来る情熱である。
ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることであるが、割る意味を常識的に掛け算の逆として、0 掛ける x が a  の方程式の解と考えれば、そのような解はa がゼロでなければ解が存在しないことが直ちに証明されてしまう。 ゆえにゼロ除算は不可能であるとなってしまう。 ところが算術の確立者が1300年も前に、既にゼロ除算を考え、さらに物理的な観点からアリストテレスがゼロ除算は不可能であると考察を行っているという。しかしながら、Einstein や多くの物理学者や 計算機関係者によってゼロ除算は考えられて来て 永い神秘的な歴史をたどっている。物理学の基本方程式にゼロ分のが現れて その時の意味が問題になり、他方、計算機がゼロ除算に遭うと計算機障害を起こすので、計算機障害を回避したいという動機もある。また、不可能であると言われると 何とか可能にしたいという自然な欲求が 人間の心 には存在する。 ― 実際、数学の歴史は 不可能を可能にしてきた歴史とも見られ、ゼロ除算も可能になるだろうと 予言していた数学者が存在していた。(再生核研究所声明308(2016.06.27) ゼロ除算とは何か、始めてのゼロ除算、ゼロで割ること:相当な記録、解説が蓄積されてきたので、外観する意味で表題の下で簡単に纏めて置こう。
先ず、ゼロ除算とは 加,減,乗,除の四則演算において 割る時にどうしてゼロで割れないかの問題を広く表す。ゼロで割ることを考えることである。西暦628年インドでゼロが文献上の記録として現れて以来議論されてきた。ある専門家によればアリストテレスが物理的にゼロ除算を最初に考え、不可能であるとされたという。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロで割ることは 割られる数がゼロでなければ、不可能であることが簡単に証明されてしまうが、物理法則などには、分数式が現れて、分母がゼロである場合興味深いとして、現代でもいろいろ問題にされ、インターネット上をにぎわしている。この件では、ビッグバン、ブラックホールの理論や相対性理論の関係からアインシュタインの人生最大の懸案の問題であるという言葉に象徴される。他の大きな関心として、計算機がゼロ除算にあって計算機障害を起こした事件から、ゼロ除算障害回避を目指して新しい数体系を考えている相当なグループが存在する。以下略)
ゼロ除算の発見には 思えば、奇妙な状況が起きている。ゼロ除算の本質は、基本的な関数y=1/x  の原点での値をゼロと定義して、それを1/0=0 と書くことである。沢山の理由付けや説明の方法は発見されているが、この事実は現代数学の公理系や定理から導くことができない。しかしここから発展されるゼロ除算算法から、現代数学の広範な部分に新規な知見や結果が沢山導かれ、それらを補完しなければ現代数学は 完全とは言えず、いろいろ不備を備えていることが800件を超える具体例で示されている。論理の厳密な展開でなく本質的な説明を簡明に行いたい。ゼロ除算とは、 要するに解析関数の孤立特異点で、そこでの値をローラン展開の正則部の係数C_0 で定義して、その結果を応用するということである。- 関数 W=1/z の原点での値をゼロとする。今まで、孤立特異点で 特異点の周りで考え、孤立特異点に近づけば無限の値に近づくと考え、特異点で極をとると 表現されてきた。 この事実は当然適切で、正しいがゼロ除算では、孤立特異点自身では 固有な値C_0をとるとするのであるから、未だかつて誰も考えたことのない数学、世界であると言える。ゼロ除算の結果を1/0=0/0=\tan(\pi/2) =0 などと表現すれば、 人は それは 何だ、とても信じられない結果で、 論理を越えて そのような数学は興味も関心もないと顔をしかめて表明するだろう。しかしながら、似たような世界史上の事件を想い出したい。- 非ユ-クリッド幾何学の出現で  平行線が無限個存在する幾何学が現れたと言われれば、そのような数学は 正しくても興味も関心も無いと 最初人々は考えたのではないだろうか。
ところが具体的にいろいろ考えれば、そのような世界は当たり前に存在して、 反ってユークリッド幾何学より面白く大きな役割を有することが分かってきている。ゼロ除算の数学でも1/0=0/0=\tan(\pi/2)=0 と言われれば、始めには同じように発想するだろう。しかし、具体的に良く調べてみると、ゼロ除算が無い現代数学が 基本的な欠陥を有することが、沢山の具体例から分かるだろう。ゼロ除算と現代数学は背反するのでは なく、 現代数学の欠陥、例外点として避けていたところを 補完して完全な数学にする性質を持っている。現代数学を完全化させる全く新しい数学が ゼロ除算である。ゼロ除算の余りに大きな影響のために ゼロ除算は数学の公理系の一つに加えられるべきものと考えられる。次も参照:

再生核研究所声明 434 (2018.7.28) :  ゼロ除算の誤解と注意点
再生核研究所声明 431(2018.7.14):  y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界? 
以 上

再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

ゼロ除算については、既に相当な世界を拓いていると考えるが、世の理解を求めている状況下で、理解と評価、反響にも関心がある:

ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える (再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)

そのような折り、ISAAC マカオ国際会議では、招待、全体講演を行い、ゼロ除算について、触れ、 論文も発表したものの(Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.  (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016  305pp.(Springer)  
今回頭記の200名を超える大きな国際会議で、ゼロ除算と微分方程式について真正面からゼロ除算の成果を発表することができた。
ゼロ除算には、世界史と世界観がかかっているとの認識で、この国際会議を記念すべきものとするようにとの密かな望みを抱いて出席した。そこで、簡単に印象など記録として纏めて置きたい。
まずは、3日目 正規の晩餐会が開かれる恵まれた日に 最初に全体講演を行った。主催者の学生が多数出席されたり、軍の専属カメラマンが講演模様を沢山写真に収めていた。図版を用意し、大事な点はOHPで講演中図示していた。用意した原稿は良く見えるように配慮したので、全貌の理解は得られたものと考えられる。 結びには次のように述べ、示した。宣言文の性格を持たせるとの意思表示である:
{\bf The division by zero is uniquely and reasonably determined as $$1/0=0/0=z/0=0$$ in the natural extensions of fractions. \\
We have to change our basic ideas for our space and world.\\
We have to change our textbooks and scientific books on the division by zero.\\
Thank you for your attention.}

講演に対して、アラブ首長国の教授が、現代数学を破壊するので、全て認められないとの発言があった。後で、送迎中のバスの中で、とんちんかんな誤解をしている教授がいることが分かった。過去にも経験済みであるが、相当に二人共 感情的に見えた ― それはとんでもないという感じである。閉会式に参加者を代表して謝辞を述べられたギリシャの教授が、画期的な発見で、今回の国際会議の最大の話題であったと述べられたが、要点について話したところ、要点の全てについて深い理解をしていることが確認された。さらにゼロ除算の著書出版の具体的な計画を進めたいという、時宜を得た計画が相談の上、出来た。
そこで、講演原稿と図版を出席者たちにメールし、助言と意見を広く求めている。理解できないと述べられた人にも 要求に応じて送っているが、現在までのところ連絡、返答がない。
主催者から、50カ国以上から200名以上の出席者があったと述べられたが、そのような国際会議で、招待、全体講演を行うことができたのは 凄く記念すべきこととして、出版される会議録、論文集の出版に最善をつくし、交流ができた人々との交流を積極的に進めていきたい。尚、正規の日本人参加者は8名であった。
ゼロの発見国インドからは6名参加していたので、1300年も前に0/0=0が四則演算の創始者によって主張されていた事実を重要視してその状況を説明し、特に対話を深め、創始者に関する情報の収集についての協力をお願いした。ゼロ除算について理解した、分かったと繰り返し述べていたが、どうも感情が伴わず、心もとない感じであった。若いカナダの女性に印象を伺ったところ、沢山の具体例を挙げられたので、認めざるを得ない、内容や意義より驚きの感じで、それが講演に対する全体的な反響の状況を表していると考えられる。
歴史は未来によって作られる。今回の国際会議の意義は 今後の研究の進展で左右されるものと考える。しかしながら十分な記録は既に残されていると考えている。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
                        
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]                                    
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカ物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB

世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:

Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

ところが結果は、実に簡明であった:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。

ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。

以 上

再生核研究所声明 385(2017.10.11): 地の果て、無限の彼方、平面の究極の果てを観るー 永遠とは何か、無限の先の不思議さ


平面上をどこまでも どこまでもある直線上を一方方向に行ったらどうなるだろうか。永遠とはどのようなものだろうか? そのようなことを多くの人は自然に思う、考えるのではないだろうか。これについて どこまでも どこまでも行っても行き着くことはなく、どこまでも どこまでも行くと考えるのが、 ユークリッド幾何学に現れる空間の捉え方であった。― これは砂漠の文化を反映していると哲学の先生に聞いたことがある。果てしない空間と歩みからである。
これに対して、立体射影で平面を球面上に写せば、どのような方向に行っても球面上の北極に対応する点として無限遠点が考えられ、全平面は 球面上の北極点を除いた点に1対1に対応して、無限遠点を球面上の北極に対応させれば、全球面と拡張された平面は 全体が1対1に対応して、ある意味で平面は完全化される。 ― これはアレクサンドルフの1点コンパクト化と呼ばれている。平面上の直線も円も立体射影で球面上では円に写り、平面上の直線と円は、立体射影で球面上では、北極を通る円に対応するか、北極を通らない円に写るかの違いに過ぎないとなる。すると直線と円は全体として1対1に対応して、円を1方向に行けばぐるぐる回るように、平面上をどこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったら 無限遠点を経由して反対方向から戻ってくることになる。- (この詳しい説明はサイトで簡単に説明されているので知識の無い方は参照して下さい。 以下に出てくる、円の鏡像やローラン展開もそうです。) これは永劫回帰、輪廻思想を表現するものとして 実に美しく楽しい。- この思想は四季を有するアジア文化の世界観を表しているという。
上記2つの考えは、基本的な世界観で ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学(楕円型)で、後者も確立して百年以上複素解析学を支える空間として定説になってきた。
ところがゼロ除算が齎した空間は これらとは全く異なる空間で、しかも、新しく発見された空間が 我々の初等数学全般を支える空間であることが 沢山の具体例で明らかにされてきた。
上記立体射影をもう1度振り帰えろう。その立体射影で、直線上を一方向にどんどん行けば、限りなく 球面上では 無限遠点に近づいていることが確認できる。そこで、その先、近づいた先を無限遠点として無限の記号で表してきた。どんどん球面上では北極に近づく、極限点は北極であると言える。しかしながら、ここで驚嘆すべきことがあった。近づいた先が無限遠点は良いが、実は究極の先で不連続性があって、突然、そこで 原点になっているというのが ゼロ除算の結果である。すなわち、W= 1/z に対して、 原点の値がゼロである。簡単な関数 y=1/x で原点の値はゼロである。ゼロの近くでプラス、マイナス無限に幾らでも近づくが、原点で不連続にゼロの値をとっている。繰り返し述べてきたようにこれが、アリストテレスの世界観に反し、ゼロ除算の理解を遅らせる、ゼロ除算が嫌われている一つの要素である。- 驚嘆すべき現象と言える。
どこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったら、限りなく無限遠点に近づく、しかしながらその先は、突然、原点に飛んでいる。動きの全体を簡単な関数y=1/xのグラフで理解して欲しい。
無限の先の不思議さに触れて行きたい。A を中心とするある円の、中心 A の鏡像は 世の常識と違って、実は中心 Aであることが証明された。中心Aの近くの点は無限遠点の近くに写るから、鏡像変換で中心 Aだけが 飛んで変に写っていることになる。この対応は円の半径には寄らない性質であることを確認したい。すると円外の無限遠点の近くが、中心 Aによることになり、無限遠点が一つだろうかという疑念が湧いてくるのではないだろうか。中心 Aごとに無限遠点が対応しているのではないだろうかとの思いがするだろう。- アレクサンドロフの1点コンパクト化とは、あらゆるコンパクト集合の外にある点を想像上で考えて1点コンパクト化と定義していて、1点は定義である。しかるに、立体射影では 原点の上に存在する北極点に対応する想像上の平面上の点として無限遠点が 定義されている。いずれも1点は定義で、イチ1についての意味は与えられていない。- さらに 立体射影が 平面の座標軸の取り方によっているのは歴然である。
さて、我々はゼロ除算算法を導入した。すなわち、 関数f(z)のa 点の周りでのローラン展開において 値f(a)を その展開における 定数項C_0で定義する。負べき項が存在するとき、z が aに近づくとき、f(z)は無限に、極に、無限遠点に近づくが、z が a自身ときは 値C_0をとる。この値は関数fによって 強力な不連続性で決まる。- これは無限の先に存在するという意味で、関数による無限遠点ともいえる。この値には不思議な性質があることを紹介しておこう:
次は 角の3等分を考えて生まれたNicomedes (BC 280—BC 210)の曲線である。
r = a + b/(cos theta);
a,b> 0 定数、x 軸を原線とする極座標。直線 x = bを考えるとこの関数のグラフは興味深い幾何学的な意味を有することが分かる(考えて欲しい)。もちろん、グラフはx 軸に対称で直線 x = bを漸近線にしている。aがゼロのとき、グラフは直線x = b である。しかしながらゼロ除算算法で、theta が 直角のとき、x,y直交座標系で、点(0,a)を表すことになり、この点の意味付けは 難しく神秘的とも言える。直線 x = bを漸近線にしているのに、奇妙な点(0,a)が曲線(関数)の無限遠点になっている。
次は Diocles (BC 249?-BC180?) の疾走線と呼ばれる面白い曲線であるが表現は複雑なので、適当な座標系で (2a –x)y^2 = x^3, r = 2a(1/ (cos theta) - cos theta) などと表されると述べるが、特異点ではいずれも美しい、関数のグラフの頂点が 無限遠点になる。この発現は実に面白い。― それにしてもギリシャ文化の素晴らしさに感銘を受けてしまう。
今回の話題はホットでいわば最前線の研究課題とも言えるので自由に考え、かつ新しい世界を探検して欲しい。元前橋工科大学教授 奥村博氏(Ph D.)の楽しい数学は大いに楽しめるのではないでしょうか。円と直線に関するユークリッド幾何学(和算)に ゼロ除算は新しい世界を拓いている。沢山ゼロ除算の結果が幾何学的に現れていて実に楽しい。それらは、 ユークリッド以来の新しい世界である。    
                               以 上

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