2018年1月7日日曜日

梅田雲浜直筆の書簡、山口萩に現存  吉田松陰らとの親密さ示す

梅田雲浜直筆の書簡、山口萩に現存 

吉田松陰らとの親密さ示す

 元小浜藩士で幕末の尊王攘夷の志士、梅田雲浜(1815~59年)が長州藩士に送った直筆書簡が、山口県萩市の同市立萩博物館に保管されていることが分かった。文面からは松下村塾で知られる吉田松陰らとの親密な関係がうかがえ、雲浜研究者は「松陰が雲浜を好ましく思っていなかったという説もあるが、実際は信頼し合い、濃密につながっていたことがあらためて証明される」としている。
 安政の大獄で獄死した雲浜の書簡の多くは廃棄されたため乏しく、その内容が収録されているのは「梅田雲浜遺稿並伝」(1929年発行)や「梅田雲浜先生」(33年発行)のみ。萩の書簡はこれらに未収録で、萩博物館でもほとんど一般公開されておらず、雲浜研究者の間では“新たな発見”と位置付けられるという。雲浜の玄孫、梅田昌彦さん(73)=奈良市、元大阪芸術大教授=が所在を確認。筆跡から雲浜の直筆書簡に間違いないという。
 松陰の生家である杉家から1980年、萩博物館(当時萩市郷土博物館)へ史料約6千点が寄贈され、この中に雲浜の書簡が1通あった。縦18センチ・横52センチで、1856(安政3)年に書かれたとみられる。同年12月11日、梅田源二郎(雲浜)から長州藩士で松陰の実兄、杉梅太郎(民治)宛てとなっている。
 あいさつに続き、「(長州藩の京都留守居役)宍戸九郎兵衛様と打ち合わせをして昨夜、防州戸田に着いた。用事が済み次第出発し、16日には萩に着く予定です」「滞在日数については御令弟(弟の松陰)や同志の方々と相談して、宿に伝えてください」などと記されている。
 雲浜は小浜藩籍をはく奪され、幕府から危険人物とみなされ始めていた。当時の雲浜は41歳で、松陰は20代後半。松陰は謹慎中だったため、兄に宛てたとみられる。雲浜は長州藩を訪れた際、物産交易を提案する一方、松陰らに尊王攘夷思想の影響を与えたとされる。
 梅田さんは「長州藩士らが、雲浜の受け入れ準備を十分に行って迎えた様子がよく分かる」と指摘。安政の大獄で捕らえられた松陰は、雲浜との関係を厳しく問われたが、親密さを隠していたことが知られている。
 杉家の史料群は萩市では有名だが、雲浜に焦点が当たることは少ないという。萩博物館特別学芸員で至誠館大特任教授の一坂太郎さん(51)=近代史=は「雲浜は政治運動のリーダーとして最重要人物であり、長州藩としては京都との物産交易を進める貴重なパイプ役だった。歴史的には過小評価されているが、雲浜はもっと検証されるべきだ」と話す。
 全国歴史研究会本部正会員で前小浜市長の村上利夫さん(85)=同市=は「数少ない雲浜の史料が、公立の博物館で保管されていたのは大変ありがたい」とした上で「雲浜の提言がなければ長州藩の財政再建や、その後の薩長同盟も実現しなかったかもしれない。この書簡が雲浜の功績を見直す契機になってほしい」と話している。http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/278167

再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
(NHK 大河ドラマ 花燃ゆ を見て 特に吉田松陰の言葉と最期についての感想を述べたい。)
素晴らしい NHK 大河ドラマ 花燃ゆ を楽しみに見ている。いろいろ素晴らしいところが多いのであるが、ここでは吉田松陰の言葉と最期についての強い印象を述べたい。まず、Wikipediaによって、基本的な情報を確認し、吉田松陰の言葉を確認して置こう:

立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
志を立ててもって万事の源となす
志士は溝壑に在るを忘れず
己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る
恐るるにたらず
凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
体は私なり、心は公なり
公を役にして私に殉う者を小人と為す
人賢愚ありと雖も各々一二の才能なきはなし
湊合して大成する時は必ず全備する所あらん
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし

それぞれに深く心に響く言葉である。 ドラマにも、志が大事である、あなたの志は何ですか、志がないから、つまらなく思っているなどと 反映されている。 まこと至言である。そこで、志の大事さ が 強い印象として残っている。 ― 志を立ててもって万事の源となす。 ― 
人生、好きなように生きれば 良い訳であるが、これは、環境に上手く順応して自分の心が のびのびと 良い感動が伴うように 生きるということである。 しかしながら、感動に満ちて、上手くいっても 人生で何かもの足りない気持ちが残るのではないだろうか。 また、どうしたら永く、感動が続くだろうか。 それには 人生に掛ける虹 というような、人生を貫く筋のようなものが必要ではないだろうか。 これこそ、 人生における志ではないだろうか。 我々は道を求める者、研究に励む者、芸術に励む者、芸に打ち込む者、スポーツに打ち込む者、政治を志す者、様々な いわゆる人物 にそのような芯、しっかりとした志を有している人物を世に多くみる。 1個の人間として このように生きている、生きたいと表現できるものである。
吉田松陰の志は明白である。日本国を外国の侵略から、命懸けで、自分の命を顧みずに、守るという 言わば 大義に生きる事である。 塾生にも 私は モミの粒となって、志を継いでくれる者が有れば 何ら命を惜しむことはないと言い、極めて高い志を懐いて、見事に実践して、実際、日本の歴史を大きく動かす原動力となっている。 まさに日本国の畏れ多い、偉大な人物として、尊崇の念が 湧いてくる。 言行一致、多くの人の信頼、そして30歳で、そのような心境に達して、生涯を閉じたというのであるから、 まことに凄い人物である。 そこで、松陰の生い立ちの環境や教育についても 大いに研究すべきではないだろうか。 それに比べて 現代の空虚な教育は如何であろうか。― 何か、人物が育たない教育にみえる。
また、この観点において、 歴史の重大な局面に出会うと,人間は 人間の神性に目覚め、 言わば大義に殉じたい心情が湧いてくる面があるのではないだろうか。 実際、多くの戦場などでは 自己犠牲で大義に殉じた人々は 世の英雄ばかりではなく、無数の無名戦士の中に 見られる 世界史における普遍的な現象ではないだろうか。
吉田松陰の最期の言葉、国を憂いて 真実を述べ 言わば意図的に処刑されることを 選択したのは、心に湧く 神性の現れ ではないだろうか。
平時にも、高い志を懐き、人生における虹をもてる者は まこと 幸せであると考える。

以 上

安倍外交は物味遊山?総理の100カ国歴訪が評価されていない理由

 

龍馬

教科書から消えるぜよ 脱暗記へ教員研究会提案

毎日新聞-2017/12/28
研究会は教科書の用語を減らすことで、歴史の流れをつかみ、社会や生活が変化した理由などを考える授業に変えることを目指す。 精選案は日本史1856語、世界史1835語。日本史では坂本龍馬が「知らなくても明治維新は理解できる」として外されたほか、蘇我馬子、桶狭間の戦い、大岡忠相(越前)、吉田松陰が含まれていない。世界史ではクレオパトラ、マリー・アントワネット、ガリレオ・ガリレイなどが省かれた。 精選案は先月、インターネット上で公表。教科書出版会社や学会、教員などから意見を ...

0 件のコメント:

コメントを投稿