2018年1月26日金曜日

“地球最後の日まで「残り2分」” 終末時計 冷戦期と並ぶ

“地球最後の日まで「残り2分」” 終末時計 冷戦期と並ぶ

地球最後の日までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」の時刻を発表してきたアメリカの科学雑誌は、北朝鮮の核・ミサイル開発が加速していることや、トランプ大統領の核政策が予測できないことなどから、時計の針を30秒進め、冷戦期の1953年と並んで、過去最短の「残り2分」になったとして、強い危機感を示しました。
アメリカの科学雑誌、「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、25日、首都ワシントンで記者会見を開き、地球最後の日までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」の針を30秒進め、「残り2分」になったと発表しました。

「残り2分」は、冷戦期にアメリカと旧ソビエトが水爆実験を行った1953年と並んで、過去最短です。

理由については、北朝鮮の核・ミサイル開発が加速していることや、トランプ大統領の核政策が予測できないことなどから、核戦争の危険性が高まっているとしており、強い危機感を示しています。

また、トランプ大統領がパリ協定からの脱退を表明するなど、地球温暖化対策が停滞していることや、トランプ政権の登場でこれまでの国際秩序が崩れ、外交交渉が進まないことなども理由に挙げました。

そのうえでこの科学雑誌は、北朝鮮との間で、非核化に向けた対話を目指し、トランプ大統領が非難の応酬をやめることや、各国が地球温暖化対策を強化することなどで、危機を遠ざけることができると指摘し、迅速な行動を呼びかけています。

「終末時計」これまでの一進一退

「終末時計」は、核戦争の脅威について警告しようと、冷戦初期の1947年、科学雑誌の表紙に登場し、地球の滅亡まで「残り7分」とされました。

当時、核兵器を保有していたのはアメリカだけでしたが、1949年、旧ソビエトが核実験を行い、核兵器を保有するに至った際には「残り3分」に、1953年には、米ソが水爆実験を行ったのを受けて、これまでで最も地球の滅亡に近い「残り2分」まで進められました。

1960年代から70年代にかけては、フランスと中国が新たに核保有国となったり、ベトナム戦争など地域的な衝突が激しさを増したりした際に針が進められた一方で、部分的核実験禁止条約やNPT=核拡散防止条約が発効するなど、核軍縮や米ソの対立回避に向けた動きが見られると、針は「残り12分」に戻されました。

しかし、1980年代にかけて、針は再び進められます。世界全体の核兵器の数が6万発を超えるなど、核軍縮が進まなかったうえ、旧ソビエトがアフガニスタンに侵攻するなど米ソの対立が深まったことから、1981年には「残り4分」に、そして、1984年には「残り3分」にまで進められました。

その後、旧ソビエトのゴルバチョフ書記長の登場を経て米ソの対立が和らぎ、冷戦が終結して核軍縮の機運が高まったことを受け、1991年、時計の針は地球の滅亡から最も遠い「17分前」にまで戻されました。

ところが、1998年にインドとパキスタンが相次いで核実験を行ったことや、アメリカなど核保有国が核兵器の近代化を進めるなど、核軍縮のペースが落ちたことに加え、21世紀に入ってからは、地球温暖化対策が進まないことも考慮され、針は進められました。

さらに去年には、北朝鮮による核・ミサイル開発や、アメリカ・トランプ政権の核兵器や地球温暖化をめるぐ政策への懸念などから、針が「残り2分半」まで進められていました。

科学雑誌の中心メンバーが警告

科学雑誌の中心メンバーで、アリゾナ州立大学のローレンス・クラウス教授は、25日の記者会見で、「現在、米ソの冷戦期と同様に核戦争による破滅の危機が迫っているが、政府やメディア、それに科学や事実そのものに信頼が置かれなくなり、世界が直面する問題に対応するのが難しくなっている」と警告しました。

そのうえで、「私たちは、これまでの危機でも時計の針を戻すことができた。政府などに対し、正しい行動をとるよう促していかなければならない」と述べました。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180126/k10011303151000.html

とても興味深く読みました:
再生核研究所声明 1142013.4.20: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する 

(本声明は 2013.4.13: 8時半頃、研究室に向っているとき、電光のように閃いて 構想が広がったものである)

声明

再生核研究所声明86:  未だ おめでたい人類 - 先史時代

で述べているように、人類の絶滅は 地球の運命と共に避けられないだろう。そこで、生命の代表である人類が、大いなる意志を 再生核研究所声明 32:夜明け ― ノアの方舟 のように働かせるのは 最も崇高な人類に課せられた義務である。 しかし、人類が最も大事なことに気づかず(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)、偶発的な戦争や人口増大、環境汚染、急激な感染症や地球環境の変化で、人類の絶滅を招く危険性は 高いと考えるべきである。
しかしながら、人類の生存には 少しは先がある と考えるのは当然としても、大いなる生命の、すなわち、元祖生命体(再生核研究所声明 36:恋の原理と心得の 細胞的な存在 である個々の人間の終末は、そんなに遠いものではない。そこで、人類の歴史の終末と己が最後の時を重ね合わせ、想いをめぐらし、生存期間の充実を大局的に思考すべきである。
何が、世界史で評価されるべきであろうか。地球外生物は 人類の歴史をどのように評価するだろうか?
彼らは、まず、人類が 生命をどのように捉え,人生をどのように捉えたかに注目し、お釈迦様を以て、人類を高く評価し、科学面では ニュートン、アイインシュタインを以て人類のレヴェルを評価するだろう。数学の発展については、オイラーの公式の発見を以て、人類の高い智性を認めるだろう。さらに日本歌謡界のレヴェルの高さに感銘して、美空ひばり様の歌など、生命の切なさを歌い上げたものとして、上記に劣らない高い評価を下すだろう。人類の芸術についても 深い理解を示すだろう。しかしながら、異なる感性、感覚を有する地球外生物にとっては、人類の世界史の理解を まずは 人類が得た数学の全体の理解から始めるだろう。数学こそが、生命活動の客観的な表現と言えるからである。人類が得た手段、電波、原子力、計算機、人類の成した 衛星月に到達し、太陽系外にメッセージを送った事実は顕著な記録となるだろう。
この声明の趣旨は、人類の歴史に想いを寄せ、世界史の進化を促し、個々の、自分の人生の意義を確認して、自分たちの世界史の評価と自分の人生をきちんと捉えて、後悔の無い充実した人生を送くろうと志向することにある
島争いや、敵対行為など 野蛮な世界を抜け出して、夜明けを迎えたい。

再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

を参照。また各人が、おのおのの世界観で この種の展望、評価を行ない,纏めることは意義あることであると考える。
(再生核研究所声明は 将来バイブルのようになるだろう。なぜなら、お釈迦様以来、 人生、世界全般の在り様について 分かり易く、簡潔に、述べられた文献は 世に稀だからである。)

以 上
再生核研究所声明 119 (2013.5.18):  冷酷な神々、自然    見捨てられた 人類

これは 宗教上の神々を意味せず、人類を助け、救ってくれるような存在は無く、人類の生存の可能性は ひとり 人類の努力に任されていると言うことを表現したものである。

声明

再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代:

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の可能性の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。以下略。

次も想起して置きたい:

再生核研究所声明 114: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する

人類を生み、育くんで来た自然とて、優しい存在では無く、絶えず変化し、環境の破壊や汚染で、自然とともになどとは 言っていられない状況である。食物連鎖の法則や老、死などは 生命の本質として、世界を観なければならない。誠、造物主がおられて、このような厳しい状況を創造されたとすれば、それは極めて非情であるとも考えられる。あらゆる生命を肯定するということは、食物連鎖の法則や老、死などを諒として、受け入れなければならない。 否、生命の存在を肯定できる それらを越えるものが 有るだろうかと思考する。 在ることの意義として、 感動を考えれば (再生核研究所声明 12 : 人生、世界の存在していることの意味について) 愛、学問、芸術、こそ;真、善、美、聖の追究こそ、人間としての生きがいである ということになる。 ここで 特に愛とは、男女の愛、親子の愛から始まって、共生、共感、共鳴を伴う好ましい関係喜びを与える関係である。学問とは 真理の追究であり、芸術とは、生命の表現である。 聖とは、神性を有する人間が大義に生きることである。広大な宇宙で 地球は極めて孤独な存在であり、宇宙の特異点であると理解できる。宇宙を理解するには この地球に宇宙を反映させる他 手段は無い (再生核研究所声明 116: 宇宙空間、星間交流から人間を考える )。
孤独で、哀しい運命を共有する 弱い人類は 団結し、生態系を大事にして、家族のように 共生、共感、共鳴できるようにしようと 訴える。それが この声明の趣旨である。上記 造物者とは、生命にとっては、人間にとっては 真実 両親であり、親ほど有り難いものは 世に無い。

以 上
再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日
                                                                                        
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf


再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告


1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他


ゼロ除算の論文リスト:

List of division by zero:
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.201....
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Submitted for publication).
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1....
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。

ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか


〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか


NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか

NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか


ゼロ除算の論文

Mysterious Properties of the Point at Infinity

Algebraic division by zero implemented as quasigeometric multiplication by infinity in real and complex multispatial hyperspaces
Author: Jakub Czajko, 92(2) (2018) 171-197
https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.worldscientificnews.com%2Fwp-content%2Fplugins%2Ffiletype-icons%2Ficons%2F16%2Ffile_extension_pdf.pngWSN 92(2) (2018) 171-197
                                                                                                                                             
再生核研究所声明 408(2018.1.25):  数学を越えて ― 価値あるものとは
(ゼロ除算の研究に専念してきた物理学者と興味深い議論をしてきた。 それで気づかされた視点である。)
数学の本質論:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
から、最近でも数学についていろいろな意見を表明してきている:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明 400(2017.11.17): 数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明 401(2017.11.18): 数学の全体、姿、生命力
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
ゼロ除算の研究者は我々の研究グループを除いて世界で大体15名くらいいて、彼らの研究は今でも混乱していると言える。大きく分けると数学の基礎が無くて、論理が通じず、混乱している数学の愛好者たち、ゼロ除算不可能性に満足できず ― この元は多くは計算機がゼロ除算に会うと計算機障害を起こすが、それを回避することに動機がある ― 公理論的に独自の数学を建設している者、そして物理学上の立場からゼロ除算の研究に取り組んでいる者である。この最後のグループとの相当な議論をして感じたことを述べたい。― 尚、我々の研究グループは、内外大体8名である。ゼロ除算は本質的に解明され、基本は既に確定していると考えている。― 我々の存念を繰り返し内外に広く送っているが、上記グループからも批判が寄せられず、我々の主張を相当理解され、認めてきていると判断している。
特に二人の研究者はゼロ除算と物理学の関係を 人生をかけて、研究しているように見えるほど、研究活動が活発である。ところが繰り返し確認しているが、この二人はゼロ除算の定義、0/0の定義は何かとの質問に 定義はないと繰り返し言明している。それで数学者の立場からは議論はできず、論理的に考えられない状況になってしまう。論理的に矛盾であると言っても自分たちの立場を変えようとしないのである。事実は我々の結果に反して0/0=1 であると物理的な裏付けで主張され、数学がおかしいという考えを抱いていることが分かる。物理的な事実は数学を超えていると考えていることが分かる。多くの数学者はこの辺で交流を打ち切るのが 普通ではないだろうか。- 実際、彼らの理論は数学界でも物理学界でも受け入れられていないようである。
そこで、数学についてそのような視点から考えさせられることがある。いろいろな理論が提起されて、いろいろな結果が導かれる。何をもってそれらを評価し、価値あるものと判断できるかという視点である。公理系や論理も、仮定もいろいろ存在して、様々な研究成果が得られている。ここで、評価をどのようにするかである。ある純粋数学者は人類の名誉のためにこの問題を解いたと表現するが、他の人はそんなことは分からず、また興味も関心もないという。興味、関心の前に 結果そのものが分からないは 今や純粋数学ではほとんどであると言えよう。
数学とは何かを論じ、数学とは関係の集まりであるとして、良い結果とは、
基本的であること、
美しく感動させること、
そして 
世の中に良い影響を与えるものとして、
オイラーの公式が数学上の最高の結果であると表現した:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
T. M. Rassias, Editor, Nonlinear Mathematical   Analysis and Applications, HadronicPress,Palm Harbor,FL34682-1577,USA:ISBN1-57485-044-X,1998,   pp.223–234: Nonlinear transforms and analyticity of functions, Saburou Saitoh.

それで、結局は世界史に貢献できる結果こそが良い結果であると言えよう。
上記物理学者に 理論を越えてそれでは貴方の研究成果の効用、価値はどこにあるのかと 問う。すると反作用で、私たちの研究成果の効用、意義はこうであると応えなければならない。言わば、その証拠を分かり易く、明示する必要がある。- この精神で ゼロ除算の新奇な結果の位置づけ、重要性を説明するために 具体的な証拠を沢山探す必要性に迫られた。
数学者は、数学の自由な精神で自由に研究を進めても良いが、評価を求めるためには得た成果の意義、意味、価値を具体的に示すことが要求されると言える。
そこで、ゼロ除算の重要性を示すために多角的な取り組みを始め、いろいろな表現を考え、意見表明を行っている。数学者の名誉のために、人類の名誉ためにである。― 実際、数学には恥ずかしい初歩的な欠陥があると主張している。さらに、人はゼロ除算の真相から、人間の愚かさを自覚することが出来るから、人間の精神の開放に ゼロ除算は大きく貢献できると考えている。
以 上

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