2017年11月13日月曜日

語り継ごう!「機動戦士ガンダム」ジオンの熱き血潮!

語り継ごう!「機動戦士ガンダム」ジオンの熱き血潮!

 「機動戦士ガンダム」この一大SF大河ドラマともいうべきロボットアニメシリーズは設定が非常に練って作られており、多面的な見方をすることができるところも面白さの一つです。アニメ本編のアムロ・レイとシャア・アズナブルを中心とした人間ドラマ、迫力あるロボット「モビルスーツ」たちの戦い、
 そして、アニメ本編ではわずかに触れるか語られないながらも、本やゲームなどで公開されてきた「宇宙世紀」の歴史…。今回は、いくつもの魅力を持つガンダムの要素の中から、敵役である「ジオン」にスポットを当てて語っていきたいと思います。


■「ジオン軍」について。



 ジオン軍は「機動戦士ガンダム」において、敵役となる陣営です。第二次世界大戦のドイツ軍を明確に意識したであろう軍の描写は、全体的に泥臭く、大半は男らしい人物で固められています。しかし例外的に、シャア・アズナブルとガルマ・ザビは美青年として描かれており、二人のブロマンス的な関係は当時のアニメ好きの女性たちのハートを大いにくすぐったそうです。
 ガルマが誅殺されたとき、当時のファンが実際に「葬儀」を行うなどのイベントがあったという都市伝説もあります。またジオン軍は、より現代人に近い人柄や考えを持つ人物が多い連邦に比べて生粋の軍人気質を持つ人物が多く、ランバ・ラル、黒い三連星のガイア・マッシュ・オルテガなどはある意味アムロよりも人気が高いといえます。また物語の各所に取り入れられた「ギレン演説」は名文であり、名声優銀河万丈さんによる迫力の演技と相まって、今でも多くのアニメファンの心を掴んでいます。

■受け継がれる「ジオン」の歴史



 現代より未来の世界、「宇宙世紀」において人々は宇宙に進出し、コロニーと呼ばれる人口の住居に住み続け、子を産み、そして死んでいき、四半世紀あまりが過ぎ去った。宇宙世紀0079、コロニー群国家の一つサイド3はジオン公国を名乗り地球連邦政府に宣戦を布告、大規模な殺戮行動と新型兵器モビルスーツの投入により人類の半数を死滅させながらも圧倒的な軍事的優位を獲得した。さらに地球に疎開した無人コロニーを落下させると同時に地球に進攻、遅れを取った連邦は戦術的劣位に立ちながらも善戦し、戦局は膠着状態に陥った。
 ジオン公国は、公王デギンを首領とし、その子ギレン、キシリア、ドズル、ガルマにより国家及び軍を統制していた。ギレンは総帥として国民及び軍に対して士気を鼓舞し、キシリア、ドズル、ガルマは各軍のトップに立ち連邦と戦っていた。ギレンはプロパガンダを利用して士気を高揚させるために演説を繰り返し、そのたびに兵たちは大義を胸に戦いに赴き、ある者は英雄となりある者は散っていった。一年戦争はジオン公国の敗北に終わったがジオンの血筋は絶えることはなく、後にデラーズ・フリートによる大規模な軍事行動(星の屑作戦)が勃発し、また地球圏から一旦離脱した小惑星アクシズではネオ・ジオンが結成され、その血脈は宇宙世紀において連綿と続いていった。

■ジオンの実情、そしてその魅力!



語り継ごう!「 機動戦士ガンダム 」ジオン の熱き血潮!
画像引用元: (c)創通・サンライズ
 ジオン軍は、偶然の出来事からガンダムのパイロットとして戦うことになるアムロ・レイに立ちはだかる敵です。初代アニメのオープニングでも「巨大な敵を うてよ うてよ うてよ」と歌われています。
 しかしこのジオン軍、実はアムロやホワイトベース艦長ブライトたちが所属する連邦軍よりも規模の小さい組織なのです。ジオン公国の実質の最高指導者、ギレン・ザビ総統は演説で、「地球連邦に比べ、我がジオンの国力は30分の1以下である」と述べています。
 一つの国家が何十倍もの物量を持つ国家連合に戦争を挑むというのは、いうまでもなく第二次世界大戦の日本やドイツをベースにした設定です。では、「にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か?」(ギレン総統演説より抜粋)というと、ジオンは連邦に先行して、レーダーなどが無効になるミノフスキー粒子下でも活躍できる「モビルスーツ」の開発に成功しており、「ザク」をはじめとする絶大な火力と運動性能を持つモビルスーツを開戦初期の艦隊戦に投入し圧倒的な戦果を挙げることができたからです。
 アムロのライバルである「赤い彗星」ことシャア・アズナブルは「シャアの五艘飛び」と呼ばれる、連邦軍の艦艇を立て続けに撃沈する戦果を挙げ、「黒い三連星」は、連邦軍の総司令であるレビル将軍を捕虜とすることに成功しています。またジオンはこれと同時に核兵器や生物兵器で敵対するコロニーを攻撃、さらに地球に対しては「コロニー落とし」を敢行し、人類の半数を死に至らしめました。大量虐殺は言い逃れのできない悪行ではありますが、彼らの言い分によれば、それは宇宙移民の権利や権益を踏みにじってきた連邦政府への巨大な鉄槌であるのです。
 事実、その要求は戦後世界に緩やかにではありますが実現しはじめ、人類は争いを繰り返しながら、次第にスペースノイドが中心となる世界の枠組みが構築されていきます。大義に散ったジオンの戦士たちの魂は無駄にはならなかったのです。
語り継ごう!「 機動戦士ガンダム 」ジオン の熱き血潮!
画像引用元: (c)創通・サンライズ
 ジオンのモビルスーツは全体的に丸みを帯びたフォルムが特徴で、特に緑色のボディを持ちマシンガンやバズーカといった実弾兵器で戦うザクは、そのミリタリーテイスト溢れる泥臭さから放映当時の少年とマニアの心を掴み、現在でも人気があります。
 バンダイがリリースする完成品ロボットフィギュア「ROBOT魂」シリーズでは現在、アニメ本編の作画を意識した「Ver.A.N.I.M.E」シリーズを展開しており、今度発売する「ザク・キャノン」は非常にミリタリーテイストに溢れており、とても男心をくすぐります!(受注生産となるため、欲しいと思った方はお早めに)
 また、模型雑誌などでは、戦車などスケールモデルの意匠を組んで改造されたザクなどの改造例も紹介されています。こういった渋いメカニックも、ジオン軍の魅力です。
タイトル
機動戦士ガンダム
監督
富野喜幸
放送期間
1981年~
主な声優
アムロ・レイ(古谷徹)、シャア・アズナブル(池田秀一)
製作会社
日本サンライズ
その他の情報
「機動戦士ガンダム」1981年3月14日
「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」1981年7月11日
「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」1982年3月13日
上映時間:
「機動戦士ガンダム」137分
「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」134分
「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」141分

シャア ザク シャアアズナブル 赤い彗星 ガンダムシャア
子供の頃よく見ていました:


 
再生核研究所声明 396(17.11.13): 人間の終末の心 - 人生も人間も大した存在ではない


人間の終末の心の状態を顧みて置こう。
西行の終末、西行花伝 ― 辻邦生、新潮社 に現れた状況は 詠んだ和歌の選の結果が楽しみで 伊勢神宮に献じるのを最大の楽しみにしていた様子が良く伺える。
これは どこかで映像で見た平家の公達が都落ちに 和歌を残したいと立ち寄ったシーンが 深く心に残っている それと同様の心境と解せる。これらに共通する心は 多くの研究者、芸術家に共通する 生きた記念碑を後世に残したい という心情で相当人間の本質を表していると考えられる。
信長の場合には、もうすぐ天下を取れるとみられる 最も充実していた折りに、突然の事件で 数時間で最後に追い詰められた いわば無念の思いの最後である。これは世に多く見られる現象であるので、一応の心構えとして 日頃努めるべきである。修業とはそのような心構えをすることではないだろうか。― 明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の  吹かぬものかは(親鸞)。
それに対して、秀吉は 相当に満足できる人生を送ったが、最後の心境には 一族の将来不安が有ったとみられる。上手く人生を歩んだ人の 一般的な心境ではないだろうか。
大石内蔵助達の最後は 義を貫き、志を遂げての最後で 爽やかであり、強い信念で生きたものの迷いのない最後とも言える。意外に戦場における 兵士達の最後の心境も同様ではないだろうか。国家や部隊と命運を共にして殉ずる精神で 結構普遍的にみられる心境ではないだろうか。- 追い詰められれば結局 大義に殉じざるを得ないし、我々の精神はそのように 作られていると言える。
人間は、本能的にも事実としても、人生はゼロから始まってゼロに終わることを知っていて、所詮はかない存在であることを知っている。しかしながら、なかなかゼロに帰することを受け入れられず、生物的な生命の延長と少しばかりは ちやほやされたい、褒められたいなどのいじらしい心を有しているのでは ないだろうか。― ここで、 ゼロに帰するは 全体を支えている大きなものの存在を否定して訳ではないことに注意して置きたい。
これ男子の本懐なり、板垣死すとも自由は死せず とか ソクラテスが、悪法もまた法なりといって毒杯をあおったのも その辺を周知のうえでの 肯定の終末といえる。
そう考えると、人間そうは 大した存在ではなく、人生もまた同様であると言える。
以 上

再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について


ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:

再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間

以 上
 

再生核研究所声明330(2016.11.01) 原始人間から人間を考える

人間が下等生物から、進化して現在の人類に至っている事実は 真実であると言える。この事実から、原始人間の生活とは、海岸や川辺に一族を中心に群がって生活してきた時代が何万年と続いてきたことは紛れもない事実である。雄大な生態系、その背後の豊かな自然に支えられてきて、一族は 生物や動物たちの群れのように環境の中で、バランスを取りながら、植物繁茂のように生存していたと言える。触れたい観点は、豊かな自然と生態系の中で、殆ど動物の群れのように生活してきたという観点である。 人生とは何か、人間とは何かと問ふとき、人間の経歴、原始人間の様をしっかりと捉えることは大事ではないだろうか。
人間とは、どのような存在で、どのように在るべきか の本質を示しているように見える。環境と生態系の上に存在して、それらのバランスの上に在るということである。そのような視点では、人間の知恵も能力も 大したものではなく ― 実際、人間はどんな動物も植物も、細菌さえ作ることができない ― 、逆に、人類は悪知恵が発達した まるで地球の生態系の癌細胞のような存在に成りかねないので 自戒したい。生物は自制出来る存在であるが、人間は自制できない危険な要素を有しているからである。使いようによっては非常に危険な機械、道具、手段を手に入れている。
この声明の考えの素は、人間の存在が結局、植物や動物の存在と本質的に変わりはなく、全ては生態系と環境の基礎の上に存在して、生命の運命は 本質的に変わりはない ということに気づいたことである。そのために、環境と生態系を人類の母なるものとして、大事にし、愛でて行きたいということである。
人間中心の考え方を厳に戒めて行きたい。自然、生物に対して畏敬の念を抱いてきた 神道の精神は 誠に良いのではないだろうか。お釈迦様の教えも 生態系に対する共感、共鳴に基づいた、人間的な在りようを諭されたものとして 誠に有難い教えであると考えられる。

尚、人間について考えるは、真智恵の愛と言えるが、沢山触れられている:
再生核研究所声明12:  人生、世界の存在していることの意味について 
再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 32: 夜明け -- ノアの方舟
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 47:  肯定死
再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか
再生核研究所声明 63 : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明74(2012.2.8): 人生・生命の肯定について再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明80(2012.3.20 ): 挑戦 とは 何か
再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること
再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 105(2012.11.06) 人間の愚かさ、弱点について
再生核研究所声明 112(2013.3.14) 公理系からの脱却、論理的思考、逆思考によって、視野を高め、広めよ ― 平成暗黒時代を このまま終わらせて 良いものか
再生核研究所声明 118 (2013.5.16) 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明 119 (2013.5.18): 冷酷な神々、自然    見捨てられた 人類
再生核研究所声明 120 (2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122 (2013.8.1) 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明 132 (2013.9.10):  神を如何に感じるか - 神を如何に観るか
再生核研究所声明 134 (2013.10.5): 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間
再生核研究所声明 141 (2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明 144(2013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
再生核研究所声明 145 (2013.12.14)  生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明1462013.12.17) 愛の本質、愛の原理 
再生核研究所声明1472013.12.27) 創造性についての 第二考察
再生核研究所声明1492014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明158(2014.5.22  生命と人生
再生核研究所声明159(2014.5.28  恋する男女は強い - 何故か?
再生核研究所声明160(2014.5.30  人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい
再生核研究所声明1682014.6.24) 霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見
再生核研究所声明1722014.8.5) 人間の愚かさについて
再生核研究所声明1732014.8.6) 愛が無ければ観えない
再生核研究所声明1752014.8.8) 人間の擁く 大きな虚像
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14) 計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明203(2015.2.4)人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11) 宿命論
再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態
再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態
再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
再生核研究所声明217(2015.3.13) ご自愛を ― 健康第一
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明220(2015.3.21) 戦争に関する心理について
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明254 (2015.11.2)  愛が無ければ観えない ― について、 更に
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明 274(2016.01.08): 間をとることの重要性、余裕を持とう
再生核研究所声明288(2016.02.19) 戦友達 ― 共生、共感、共鳴
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
以 上

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