2017年10月5日木曜日

日本のアカデミズムは危機にあるのか――ノーベル賞受賞者も警鐘

日本のアカデミズムは危機にあるのか――ノーベル賞受賞者も警鐘

10/5(木) 12:06 配信
21世紀に入ってから、日本はノーベル賞の受賞ラッシュが続いている。2001~2016年に、16人(米国籍取得者も含む)が科学分野で受賞し、20世紀の科学分野の受賞者(6人)を大きく上回っている。だが、これだけの華々しい成果を上げてきた日本の基礎研究に対し、様々な方面から警鐘が強く鳴らされている。ノーベル賞受賞者も指摘する、その元凶とは。(ライター・青山祐輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)

地方から失われていく、科学研究の基礎体力

2016年5月、ある天文学の研究プロジェクトによるクラウドファンディングがネット上で話題を呼んだ。
徳島大学の古屋玲准教授を中心とした研究チームによる、ハワイ島マウナケア山頂付近にある電波望遠鏡を使った天体観測計画。話題になったのは、その目標額がわずか80万円だったからだ。金額は現地までの旅費を調達しようとしたもので、クラウドファンディングは成功した。だが、古屋准教授の研究環境は、さらに悪化しているという。
ハワイ島マウナケア山頂付近にある観測施設(写真:アフロ)
「徳島大学は地方の小さな国立大学で、主要な使命は研究というより、教育と地域貢献。つまり、よき市民を社会に送り出すことです。それでも、これまではどんな研究テーマも奨励されていたのが、昨今は『役に立たない研究は自分でやれ』と言われるまで悪化しています」
国立大学に所属する研究者には、毎年研究費が支給される。金額は、大学や研究分野などによってさまざまだが、おおむね公平に学内で配分されていた。しかし、その状況が大きく変わろうとしているのだという。
古屋准教授のチームによるクラウドファンディングは、なんとか資金集めに成功したが……(提供:古屋准教授)
「2018年度からは『重点クラスター』と呼ばれる学内の特定の研究グループにだけ配分することになった。残りの人はゼロです。重点クラスターの選択基準は端的に言って、医療技術や医薬品開発など直接役に立つかどうかです。恐れていた最悪の事態がついに来ました」
この結果、2018年度は大学から古屋准教授には研究費が支給されない見込みだという。研究費がなければ、研究活動もできない。
「選ばれた重点クラスター以外、つまり研究費ゼロを避けるために、なんとかクラスターを作ったけれど外れてしまった研究者たちは、『研究をしたければ科研費やクラウドファンディングなど外部資金を調達しろ』と学内説明会で言われました。でも、クラウドファンディングなんて誰もができるわけではないし、科研費だって全員の提案が採択されるわけではない。私の場合は、たまたまうまくいきましたが、それを全員にやれというのは無茶だと思います」
地方の国立大学から研究の灯が消えようとしている。そして日本の科学アカデミズムが危機に瀕しているとの指摘は、海外からも寄せられている。

世界における「科学エリート」の地位を失いつつある

「日本の科学研究はこの10年間で失速していて、科学界のエリートとしての地位が脅かされている」
イギリスで発行される総合科学雑誌『ネイチャー』2017年3月23日号は、そう指摘した。
同誌によれば、世界的に評価の高い学術誌や論文誌に掲載される日本からの論文は、2012年から2016年にかけて6%減少した。また、専門家による検証済みの文献を広く網羅するスコーパス・データベースに収録されている全論文数は、2005年から2015年の10年間で約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えていないという。
日本から発表される科学論文数はなかなか増えない(写真:アフロ)
こうした状況の背後にあるのが中国の急速な成長で、米国などの科学先進国の地位が相対的に低下している。だが、日本の論文数の減少は、他の先進国と比較しても突出している。なぜこれほど減っているのか。ネイチャーは、その要因を国としての予算配分にあると指摘した。
論文数では、中国の伸びが他国を凌駕している(図版:ラチカ)
「日本政府の研究開発支出額は、世界で依然としてトップクラスであるものの、2001年以降ほぼ横ばいです。一方で、ドイツ、中国、韓国など他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています」
東京に長く滞在経験のあるネイチャーの記者、デイヴィッド・シラノスキー氏も指摘は驚くべきことではないと言う。「過去10年以上にわたり、日本の論文数は増えも減りもしなかった。なぜなら、人口増加、経済成長、科学予算のすべてが横ばいだからです」
ネイチャーの論評は、単なる事実の指摘にとどまらず、日本に対して強く警告を発している。この直後、日本のメディアでも「アカデミズムの危機」を報じる動きが広がった。
一方、ネイチャーの記事以前に、国内でも同様の指摘はなされていた。
鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長は、2015年5月1日付の自身のブログで、主要国の全論文数や人口あたりの論文数といったデータで、2000年代前半からすでに日本のアカデミズムは世界に水をあけられつつあることを示した。2016年3月には豊田氏はネイチャーインデックスからの取材にも応え、「我が国の競争力は高まっていないどころか、過去10年間を見ると日本の基礎研究は弱体化している」と発言していた。
そして、基礎研究の弱体化に対して危機を訴える声は、日本の研究者においていっそう広がっている。
昨年ノーベル賞を受賞した大隅良典・東京工業大学栄誉教授。日本からは、2014年から科学分野で3年連続受賞者が出た(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「就職できないから」東京大学でも大学院生が減少

「基礎科学で減っているのはお金ですが、人も減っているんです」東京大学副学長で理学系研究科長の福田裕穂教授は、危機感を強く訴える。「理系でも(産業化しやすい)応用研究には国からお金は出ます。でも、基礎研究にはお金がつかないし、研究者も減っているんです」
科学研究への予算配分は「日本の未来に対して投資するのか、しないのかという、国としての選択の問題」だと語る東京大学副学長・理学系研究科長の福田裕穂教授(撮影:殿村誠士)
2016年10月、全国34の国立大の理学部長らで構成され、福田氏も所属する「国立大学法人理学部長会議」が、「未来への投資」と題した声明を出した。
この声明では、国立大学への運営費交付金が10年以上にわたり毎年1%ずつ削減されことによって、日本の基礎研究の体力が奪われたこと、またそうした基礎研究の衰退で将来日本からノーベル賞が出なくなる可能性がある、という懸念を強く訴えた。
国からの運営費交付金が削減されても、大学の支出は一律に減らせるものではない。例えば光熱費の節約には限度があるし、安全にかかわる支出は減らすことはできない。そこでしわ寄せを受けてきたのが人件費だ。
国立大学の予算に占める人件費の割合は、2005年度の41.7%から2015年度の32.9%と10年で9ポイントも減っている。ところが、教員(研究者)の数は2004年度の6万897人から、2013年度で6万3218人と増えている。
人件費が減っているのに、研究者の数は増えている。このカラクリを支えているのが、2~5年程度の雇用期間があらかじめ設定された「任期付きポスト」の増加だ。
国立大学は、任期なしの常勤ポスト(特に助教授)を減らし、その分は任期付きポストで補ってきた。そして、その任期付きポストの人件費の原資として頼っているのが、「競争的資金」という研究予算だ。
東京大学でも、過去10年間で40歳以下の教員は任期無しの雇用が半減し、任期付きの教員の方が多くなっている(撮影:殿村誠士)

問題を抱える「任期付きポスト」

国立大学に所属する研究者の資金は、大きく2つからなる。ひとつは「運営費交付金」からの分配だ。運営費交付金は国からの補助金であり、この交付金の一部が研究者へ割り振られ、研究の基盤的な資金となっている。もうひとつが「競争的資金」だ。競争的、とあるとおり、研究者自身が審査を通過した研究やプロジェクトに対してのみ給付される。
この2つの研究資金のうち、この十数年で政府は運営費交付金を減らし、競争的資金を増やしてきた。大学間や研究者間での競争を促し、日本全体の国際競争力を強化しようという狙いだ。
運営費交付金が減る一方、教員数は右肩上がりに増えている(図版:ラチカ)
だが、そこで発生した問題が、若手研究者への雇用のしわ寄せ──任期付きポストの増加だった。人件費の抑制によって、国立大学に所属する40歳未満の教員のうち任期付き教員の割合は、2007年度の39%から2016年度には63%にまで増えた。
教員の総数が増えているなかで、任期無し教員は減り続けている(図版:ラチカ)
任期付きポストの問題は、任期期間の終わりとなる1年前には次の「ポスト探し」という就職活動が待ち受けていることだ。任期付きポストでは若い研究者が腰を据えて研究できず、このポストの広がりが日本の基礎科学の弱体化の大きな要因だと福田教授は言う。
「なぜなら、ノーベル賞を受賞するような画期的な研究の多くは、その受賞者がだいたい30歳から40歳ぐらいのときの仕事。2000年以降の日本の17人のノーベル賞受賞者でも、その多くが20代後半から40代前半でした」
「たとえば」と、福田教授は、昨年ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典教授の若き日を振り返る。
「昔から大隅さんとは友だちですが、東大の助教授でオートファジーの研究を始めたころの彼は『福田君さ、いろいろ遺伝子が見つかったけど、どんな働きかわからないものばかり』と嘆いてばかりいた。でも、彼はそのわからない遺伝子をコツコツと研究していった」
2000年以降の科学分野でのノーベル賞受賞者は、その多くが20代後半から40代前半のときの研究が受賞対象となっている(図版:ラチカ)
当時の大隅氏の研究は顕微鏡観察が中心だったので、「研究費はわずかで済んでいた」(福田教授)という。だが、それらの地道な研究ののち、教授として基礎生物学研究所に転籍し、多くの資金とさまざまな手法を用いて本格的に遺伝子の働きを解明するようになった。そしてその若き日の研究がノーベル賞に結びついた。
「だから、大隅さんの研究で大事だったのは、お金がなくても時間のあった東大時代と、それを大きく展開した基礎生物学研究所の時代。つまり、若い時の研究に打ち込める自由な時間があったから。でも、それが昨今の任期付きポストだったら、できたかどうか疑問です」(福田教授)
「基礎研究で成果を出すには、誰もやっていない独創的なことをやらないといけない。そこには、小さな成果で終わってしまうかもしれないリスクもある」福田教授は言う(撮影:殿村誠士)
実際、若手研究者の考え方や研究姿勢にも影響が出ている。
「100億円を超える次世代望遠鏡について議論する場で、本来なら『こういう望遠鏡を作って、こういう研究をしたい』と夢を語るとても楽しいもののはず。なのに、実際には若手はほとんど参加しなかった」
前述の徳島大学の古屋准教授は、ある天文分野のシンポジウムで議論がまったく盛り上がらなかったと振り返る。ゲストとして招いた理論天文学者も、若手の参加がきわめて少ないことを憂いていたという。
「その翌年は、私自身がシンポジウムの主催者側になったので、主題を『若手研究者の本音とシニア層の本音:研究の多様性と深さを今後も追求するために』として、若手を煽ってみました。すると若手が参加し、意見もたくさん出るのです。ところが、どれもこれも将来への不安ばかり。それも当然です。雇用期間が数年の任期付きポストにいる方々にとって、10年先、20年先の次世代望遠鏡の夢よりも、自分が研究者を続けられるかの方が差し迫った問題です」
こうした傾向に、深い懸念を抱いている研究者は多い。
その一人が2015年に「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長だ。
東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授は「これ以上、高等教育を弱体化させてしまって、日本はどうする気なのか。もっと国民的な議論をしないといけない」と語る(撮影:殿村誠士)

科学技術への投資なくして日本に未来はない

梶田氏は、いまの基礎科学が置かれた状況を「非常に厳しい」と断言する。
「研究者もひとりの人間ですので、2年後にクビになる身分と、クビにならない身分では、研究の質も変わってきます。2年後に次のポストを探さないといけないとしたら、なかなか長期的な仕事ができないからです」
梶田氏自身は博士号を取得後、2年間の任期ありの雇用を経て、東京大学宇宙線研究所で任期のないポジションを得た。そのために「クビになるということを考えないで、純粋に研究に打ち込めた」と語る。
梶田氏は現在、さらなる研究のため、新たに「ハイパーカミオカンデ」の建設計画を指揮している。建設費用だけで約550億円を見込む巨大プロジェクトであり、多額の国の援助を必要とする。
ただし、これだけの投資を行ったとしても、この研究成果はすぐに産業や経済に還元されるわけではない。まして、ノーベル賞のような栄誉を確約できるわけでもない。
それでも、日本は基礎科学に投資し続けるべきだと梶田氏は断言する。
「資源がない日本は、科学技術創造立国を目指すしか道はないんです。言い換えれば、科学や技術で世界のトップでないかぎり、日本は世界で埋もれてしまう危険があるということです」
東京大学では研究継続への危機感から、独自に財源を確保しで2021年度までに若手研究者のうち300人を任期なしポストへ転換することを決めた(撮影:殿村誠士)
梶田氏は、この20年ほどで普及してきた「選択と集中」という言葉に、基礎研究の立場から違和感を覚えるという。
「『選択と集中』は盛んに言われてきた言葉ですが、その結果、大学がどうなったか。東大はいいかもしれないですけど、地方の国立大学では衰退が激しくなった。学問の多様性を急激に失わせている気がして、将来の芽が出る前に根こそぎなくしているような感じがするのです。むしろ、重要なのは多様性です。科学には多様な可能性があるので、きちんとサポートしていかないといけない。それは、つまり、無駄になる研究もあるかもしれないということ。それでも、そうした部分に目をつむるという感覚も必要なのだと思います」
2017年の自然科学分野でのノーベル賞は、日本人の受賞がなかった(撮影:殿村誠士)
前出の福田教授は、「基礎科学は50年後、100年後に役に立つものだから」と語る。
たとえば、DNAの二重らせん構造が解明されたのは1953年のことだが、その発見なくして、現在の製薬や農業、医療における遺伝子工学の応用はあり得なかった。そして、そのような基礎科学の力こそが世界からの信頼を得る原動力であり、国力なのだと福田教授は言う。
「国力という言い方はなんとなく軍事力みたいでいやだけど、科学の力も国力なんだよ」
基礎科学への投資は、多様性の重視であり、100年先の未来への投資であり、国への信頼でもある。そうした超長期的な考えをもてるかどうか。世界は日本に注目している。

青山祐輔(あおやま・ゆうすけ)
1974年生まれ。IT系出版社でWeb媒体編集記者、月刊誌編集者などを経て独立。フリーランスのライターおよび編集者として、テクノロジーとビジネスのクロス領域を中心に取材を行う。https://news.yahoo.co.jp/feature/766

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
 Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
 (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)  Sep. 2016 305 pp.            (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL

再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切

(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016        305 pp. (Springer) 
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上

再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

ゼロ除算については、既に相当な世界を拓いていると考えるが、世の理解を求めている状況下で、理解と評価、反響にも関心がある:

ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える (再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)

そのような折り、ISAAC マカオ国際会議では、招待、全体講演を行い、ゼロ除算について、触れ、 論文も発表したものの(Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.  (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016  305pp.(Springer)  
今回頭記の200名を超える大きな国際会議で、ゼロ除算と微分方程式について真正面からゼロ除算の成果を発表することができた。
ゼロ除算には、世界史と世界観がかかっているとの認識で、この国際会議を記念すべきものとするようにとの密かな望みを抱いて出席した。そこで、簡単に印象など記録として纏めて置きたい。
まずは、3日目 正規の晩餐会が開かれる恵まれた日に 最初に全体講演を行った。主催者の学生が多数出席されたり、軍の専属カメラマンが講演模様を沢山写真に収めていた。図版を用意し、大事な点はOHPで講演中図示していた。用意した原稿は良く見えるように配慮したので、全貌の理解は得られたものと考えられる。 結びには次のように述べ、示した。宣言文の性格を持たせるとの意思表示である:
{\bf The division by zero is uniquely and reasonably determined as $$1/0=0/0=z/0=0$$ in the natural extensions of fractions. \\
We have to change our basic ideas for our space and world.\\
We have to change our textbooks and scientific books on the division by zero.\\
Thank you for your attention.}

講演に対して、アラブ首長国の教授が、現代数学を破壊するので、全て認められないとの発言があった。後で、送迎中のバスの中で、とんちんかんな誤解をしている教授がいることが分かった。過去にも経験済みであるが、相当に二人共 感情的に見えた ― それはとんでもないという感じである。閉会式に参加者を代表して謝辞を述べられたギリシャの教授が、画期的な発見で、今回の国際会議の最大の話題であったと述べられたが、要点について話したところ、要点の全てについて深い理解をしていることが確認された。さらにゼロ除算の著書出版の具体的な計画を進めたいという、時宜を得た計画が相談の上、出来た。
そこで、講演原稿と図版を出席者たちにメールし、助言と意見を広く求めている。理解できないと述べられた人にも 要求に応じて送っているが、現在までのところ連絡、返答がない。
主催者から、50カ国以上から200名以上の出席者があったと述べられたが、そのような国際会議で、招待、全体講演を行うことができたのは 凄く記念すべきこととして、出版される会議録、論文集の出版に最善をつくし、交流ができた人々との交流を積極的に進めていきたい。尚、正規の日本人参加者は8名であった。
ゼロの発見国インドからは6名参加していたので、1300年も前に0/0=0が四則演算の創始者によって主張されていた事実を重要視してその状況を説明し、特に対話を深め、創始者に関する情報の収集についての協力をお願いした。ゼロ除算について理解した、分かったと繰り返し述べていたが、どうも感情が伴わず、心もとない感じであった。若いカナダの女性に印象を伺ったところ、沢山の具体例を挙げられたので、認めざるを得ない、内容や意義より驚きの感じで、それが講演に対する全体的な反響の状況を表していると考えられる。
歴史は未来によって作られる。今回の国際会議の意義は 今後の研究の進展で左右されるものと考える。しかしながら十分な記録は既に残されていると考えている。

以 上

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