2017年10月20日金曜日

「団塊ジュニア世代」が抱える閉塞感の正体とは? 城 繁幸(人事コンサルタント)

「団塊ジュニア世代」が抱える閉塞感の正体とは? 城 繁幸(人事コンサルタント)

「7割が課長になれない」40代のお金のリアル

働いても給料は上がらない、老後も十分な社会保障を得られないかもしれない……。働いたわりに報われない現在の40代は、まさしく「貧乏クジ」世代。今後、「団塊ジュニア世代」はどうなってしまうのか。さまざまなメディアを通じて格差是正を主張する人事コンサルタントの城繁幸氏に、現在の40代のリアルをうかがった。

賦課方式がすべての不公平の原因!?

最近よく聞く「世代間格差」。現在の65歳以上と20代とでは、社会保障の受益額に1億円の差があるという。今の40代の多くも不公平感を抱いていることだろう。このような不公平の原因は「賦課方式」にあると指摘するのは、人事コンサルタントの城繁幸氏だ。
「現在の日本の社会保障は、必ずしも自分が払った保険料だけで賄われていません。たとえば高齢者の生活を支える年金は、本人ではなく、現役世代が納める税金や保険料によって賄われています。このように、現役世代が現在の高齢者を支える仕組みを賦課方式といいます」
つまり、自分が高齢者になったとき、若い頃に払った保険料に見合った額の年金が返ってくるとは限らないわけだ。
「少子高齢化が進む現状では、この不公平さが解消される見込みは極めて低いですね。そもそも、出生率が2を割った70年代から、いずれ賦課方式が崩壊することは目に見えていました。本来ならもっと早く見直すべきでしたが、既得権を守るためにそれをしなかった。そして、そのバランスがついに崩れ始めたのが、『団塊ジュニア世代』と呼ばれる現在の四十代なのです」

7割は課長にすらなれない「不都合な真実」

40代が抱える問題は、年金の不公平さだけに留まらない。
「団塊ジュニアは人口が多いのに、ITバブルの崩壊で求人数が少なかった運のない世代です。当時の求人倍率は0.9程度、リーマン・ショック時ですら一を超えていました。また、年功序列で守られてきた生産性の低い人材を雇用し続けるために、この世代の給与はずっと低く抑えられてきました。ただ、年功序列、終身雇用のシステムとは本来、そういうもの。若いうちは働きに対して給与は低く、40~50代になってからはむしろ、働き以上の給与がもらえる仕組みです。
ただ、それはあくまで、会社が成長し続けるという前提があってこそ。その前提がなくなってしまった今、これまで給与を抑えられてきたのに、40代になっても給与が上がらない、という問題が起きているのです」
その象徴とも言えるのが、「ポストの減少」だ。
「40歳までに課長以上に昇進している大卒社員は、わずか26%という調査結果が、2006年の時点で出ています。調査対象となった大手企業では、おおむね40歳までに幹部候補の選抜を終えます。つまり、大卒であっても7割以上の人が生涯平社員で終わるということです。当然、給与も上がりません。
コツコツと働いてさえいれば出世の道が開け、収入もそれに応じて増えていく時代はすでに終わってしまっているのです」

ステレオタイプの幸せを捨てる勇気を持とう

年功序列の後払いシステムは崩壊し、40代の平均年収は年々下がり続けている。昇進も昇給も望めない中で、40代はどんなお金とのつきあい方をしていけばいいのだろうか。
「自分は40代だから、年収はいくらで、こんな家に住んでいなければならない……といった見栄をまず捨てることです。年収アップが期待できない以上、それに応じたライフプランを立てなくてはならないでしょう。
また、専業主婦の家庭は、奥さんに働いてもらうことも考えるべき。今なら週1日から働くことも可能ですし、どこも人手不足ですから、働き口はいくらでも見つかるはずです」
「柔軟性」という面では、以前より確実に進歩しているという。
「今では外資系や新興企業、中小零細企業など、非年功序列型の企業を選べば、年齢にかかわらずいくらでも転職できます。こうした企業は常に人材不足です。もし、現在の閉塞感に耐えられないのなら、転職を考えるのも一つの手です。ただ、そのためには、自分の強みを磨いておく必要があります。そう言うと、「自分には専門性がない」と嘆く人が多いですが、複数の職歴をミックスして強みとすることもできます。たとえば私は人事として採用と労務管理、さらにはリストラにも携わるなど、一通りの経験を持っており、大きな強みになりました。その道一筋という人はもちろんそれでよいのですが、引き出しがいくつもある人のほうが幅は広いものです。それは、転職をしない場合でも言えることです。強みがわからない人は、転職するかは別にして、転職会社に登録してみてはどうでしょうか。自身の市場価値を客観的に知ることができます」
厳しい時代だが、前向きであれば道は開けるという。
「そもそも、終身雇用で働き口が保証されることが、本当にいいのか。60歳を過ぎ、会社に与えられた仕事を嫌々こなすのは楽しいことではないはず。しかも、今の40代は年金支給開始年齢が70歳まで引き上げられている可能性が高い。40代は、人生の折り返し地点。将来のお金やキャリアをしっかり見直し、後半戦の戦略を立てるべきでしょう」
城 繁幸(じょう・しげゆき)人事コンサルタント
1973年山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士通に入社。2004年に独立。人事コンサルティング「Joe’s Labo」代表取締役を務める。雇用問題のスペシャリストとして、「若者の視点」を取り入れた独自の主張を展開。著書に『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書)、『7割は課長にさえなれません』(PHP新書)など。(取材構成:吉川ゆこ)(『The 21 online』2017年9月号より)https://zuuonline.com/archives/177740

とても興味深く読みました:チーンムキーポーンゲローzzzムキーッパンチ!悔し泣きううっ...ぽかん眼 目あんぱんまん眠い

再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算

(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29)  ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

数学基礎学力研究会のホームページ

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明 387 (2017.10.13):  ゼロ除算についての全体的な印象


ゼロ除算についての全体的な印象を述べて置こう。 まず、ゼロで割る問題 ゼロ除算1/0=0/0=0は、気づいてみれば 実は当たり前だった。これは初期から述べてきたように、有名なMoore-Penrose 一般逆であり、チコノフ正則化法による最も基本的な方程式ax=bの一般化された意味での解であり、ゼロ除算を含む体の構造(山田体)が確立され、高橋の一意性定理で我々の考え以外にゼロ除算は有り得ず、道脇方式の除算の考えにも合っているばかりか、美観や自然観からも自明、当たり前である。ゼロ除算は数学的に確定している。
さらに、この新しい数学が我々の一般的な数学であることを見るために、ユークリッド幾何学、線形代数、微積分学、解析幾何学、微分方程式、複素解析、確率統計学など数学の初歩から600件を超える知見を探して、現代数学には間違いを含む、初歩的な欠陥があり、我々の空間の認識は ユークリッド以来間違っていると述べ、著書素案原稿114ページを広く配布、助言と意見を求めている。日本数学会や国際会議でも発表、論文なども十分に公刊していると言える。 - ただ研究発表は 研究が初期的段階にあることもあって、権威ある形になっていないのは問題であるが、真実を求めようとすれば、内容は学部低学年レベルであるから、ゼロ除算の真相は 多くの人びとに容易に理解できると考えられる。しかし、現実には既に発見後3年を経過して4年目を迎えようとしている状況を考えると、理解が進まないのは誠に奇妙な状況と言える。その後も、どんどん変な書き物や解説が出ている状況がある。
ユークリッド以来、アリストテレス以来の事件であることを考えれば、無理もない状況とも言える。さらに神秘的なゼロ除算の重い歴史が回想される。今でも混乱が続いていて おかしな議論が止まない。
ゼロ除算については 数学界は世界史上でも汚点を残してきたと考えられるが、 真実が現れたのに その真偽を明らかにすることにも 時間を掛けすぎているように見える。数学は人間を超えて存在し、その論理的な展開には必然性があり、ゼロ除算の将来は 約束された豊かな新世界を拓いており、これは既に歴然で すっかり当たり前である。何事でも基礎、基本が優先され、尊重されるべきことは当然である。 - 人の生きる意義は 真智への愛、神の意志を求めることにあることを 想起して置きたい。
アリストテレス以来、空や無、非存在に対する恐怖心の感性が 人間の心の奥に潜んでいるようである。ゼロに対する畏敬の念は 誤解して、無神にも通じているようで ゼロ除算は嫌われる面を持っているようであるが ゼロの世界は 全ての母なる豊かな全体に通じていると明るく捉えている。 ( - 世の過程 は ゼロから始まってゼロに帰している。) 数学的には ゼロ除算は 美しく統一的に初等数学を完全化させてくれると言える。未知の広い新世界が広がっている。現代数学には初歩的な欠陥があると言える。
数学に初歩的な欠陥があるのに 何故、支障が起きなかったのかと言う素朴な疑問が湧いてくるかも知れない。計算機がゼロ除算に会って実害が出ていることを除いて、それは、不可能であると言って避けていた世界が見えていなかったことを意味し、実は我々の知らない広い世界が存在していて それは世界をより完全に見えるようになることを意味する。未知の大きな世界が存在していたということである。
ゼロ除算は \tan(\pi/2) =0 など、高校レベルの数学における基本的な性質を沢山導き、ユークリッド以来の空間の認識を変える基本的な数学で、しかも理論も高校生レベルで理解できるものであり、目も眩むほどに雄大に、深く進化している高級な現代数学に比べると極めて異例の数学だと言える。その影響の大きさを考えると、想像もできないほどに大きいと言える。天動説から地動説への変化を思わせる世界史上の事件である。
以 上

再生核研究所声明 386 (2017.10.12):  ゼロ除算の反響と存念、想い出、物語


ゼロ除算については、日本数学会での講演も3年間、春、秋の数学会で連続的に6回講演してきたが、学会では慎重に対応し 十分に講演内容を明らかにして臨んだ。数学会のプログラムは印刷物で5000をこえる部数を配布し、アブストラクトなども公開されているから 発見の先取性も保証されているという。学会講演が重要視されるのは当然である。内容は初歩的で誰でも関心を抱く性質を基本的に有していると考えられ いろいろな分科会で講演している。講演の冒頭、世にも稀なる事件が起きたと述べてきたが、それは誠にそうである。
アヴェイロ大学にいるときに偶然発見したものであるが、最初から異様な雰囲気であった。あまりにも基本的で しかも驚くべき結果であるので、状況の理解が出来ず、広く世界に状況を聞いたものである。如何に驚き、慎重に対応したかは再生核研究所声明などに詳しく記録されている。最初から、これは世界史上の事件に係わり、将来ゼロ除算物語ができると感じていたからである。― 無限遠点がゼロで表され、 ユークリッド以来 空間の認識が変更される。アリストテレスの世界観の変更が要求される。そこで、自分自身永く迂闊には話せない心情が有った。そこで、典型的な反響は、まず、ゼロ除算の結果を聞いて、
数学的にそんな筈はなく、全然問題にならないと発想する者が多い。- この6月、大きな微分方程式の国際会議(https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017)に招待され、全体講演を行うまでに認知、評価されているが、講演の後、感情を露にして、現代数学を破壊するもので全然認められないと発言された人が居たが、それは、典型的で率直な反響の例である。― とんでもないという発想である。感情を露に始めから拒否する者は結構多く、いろいろな人の表情が想い出される(折をみて興味深い実例を客観的な事実として纏めて置きたい)。まるで悪魔を見たような表情である。- これらを記録するとゼロ除算物語の面白い場面になるだろう。- これらの反響はどうしてかと 繰り返し反芻して、想いを巡らしてきている。
まず、ゼロでは割れないは 生まれながらの定説で、偉大なる数学史の永い間の定説である。多くの天才たちが関与してきて、絶対に揺るぐことのない真実だと 真面目な数学者ほど その信仰は深いと考えられる。それで、ゼロ除算は初めからダメ、興味も関心もないと断定される。3年経っても私の考えは変わらないと 相当な数学者が断定しているのには驚かされる。ゼロ除算については 世界には 相当おかしなことを考えている人が多く、また変な説が現れたかと、無視の態度を取る者が多い。ここに述べたのは、ゼロ除算の新しい発見、論拠を知らずに 初めから関与したくない者の態度を述べている。- 兎に角事情を知らず、初めからゼロ除算はダメ、興味も関心もない - である。
それらの原因には、ゼロ、空や無に対するいやな感じと、連続性、飛びに対する受け入れられない感覚があると言える。数学依然の感覚の問題である。
ところがゼロ除算の内容を知っても ゼロ除算はダメだと考える数学者は多い。ここにも2通りの人がいる。数学を誤解して、矛盾に会って、受け入れられない者 と 相当正確に数学の内容を知っても受け入れられない者である。前者は矛盾であるから、正確な理解を求めるのは当然であるが、この観点でも世にも珍しい事件である。3年を超えて理論を詳しく解説し、議論しているのに、数学としてどうしても理解できない専門家がいる。- こうなると数学の論理で説得できない事情さえ現れている。- ゼロ除算は初期から、当たり前、自明であると述べてきているが、このような場合には、先に進めず、理解されるまで待つ他はない。論理などは難しいものはなく、せいぜい高校生程度の論理であるが、上記のような予断で論理を真面目に考えないことの理由であろう。先入観が理解を妨げていると言える。― このような態度をとらないようにするのが、数学教育の重要な精神の一つであるが、皮肉なことに 数学者ほど囚われているような状況である。これは ゼロ除算の歴史をみれば良く分かる、これは既に事実である。
(ここには、相当に研究してきてしまって、最早自らの説を変えられない存念で自説にしがみついている者も複数存在すると感じられる。BBCで世界に奇怪な説を公表した者、著書や間違った論文も結構多く出回っている。それら10数件について、それらはみなダメだと説得している。)
数学は、相当理解しているにも関わらず、ゼロ除算の数学はダメだ、それは齋藤の世界で、そのような数学はできないと発想している 真面目で有能な数学者も結構いる。この背景についても思いを巡らしている。どうしてだろう。あるドイツの方に国際会議の開催される町までバスで一緒になり 話したときの反響が極めて印象的である。関数 W= 1/z の原点での値はゼロであるなどと述べたとき、異様な表情をされて それは アリストテレスの世界観に反するので、受け入れられない、それが正しくとも そのような数学は受け入れられない、議論を打ち切りたいと 感情むき出しにしたものである。彼は極めて有能で紳士的な数学者である。20年以上も前にオーベルバッハ数学研究所での国際会議で 一緒で お互いの勇姿(?)の想い出を共有している。国際会議場や晩餐会、観光などで沢山写真を撮ってくれた。それ以来、ずっとアリストテレスを意識することとなったが、数学が分かっても新しい数学を受けいれられないのは、その心は、連続性が崩れている新しい現象のためと考えられる。無限の先が 突然、原点に飛んでいる現象が奇怪に感じられるためである。 ― しかし この点で、関数y=1/xの原点の値がゼロであることは、図を見て、原点が関数のグラフの中心になるので、それは良い、美しいと発想する者も多い。
そこで、我々の世界、数学はどうなっているか と問い、初等数学全般を見直すことにした。はじめは 新しい数学は変な小さな例外的な世界を記述するかも知れないという気持ちもあったが、円の鏡像の古典的な結果の間違いやx、y直交座標系でy軸の勾配がゼロであることを発見してから、どんどんゼロ除算が我々の世界に現れていて、我々の世界ではゼロ除算、関数にゼロ除算を適用したゼロ除算算法が無ければ、我々の数学は不完全で、従来数学の盲点が露になってきた。現代数学には間違いを含む欠陥があると主張している。そこで、この重要な内容の理解を求めて、114ページに全体的な解説を纏めて、下記のような文を付けて内外の数学者たちに広く意見を求めている:
Dear the leading mathematicians and colleagues:
Apparently, the common sense on the division by zero with a long and mysterious history is wrong and our basic idea on the space around the point at infinity is also wrong since Euclid. On the gradient or on derivatives we have a great missing since $\tan (\pi/2) = 0$. Our mathematics is also wrong in elementary mathematics on the division by zero.
I wrote a simple draft on our division by zero. The contents are elementary and have wide connections to various fields beyond mathematics. I expect you write some philosophy, papers and essays on the division by zero from the attached source.
____________
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hi roshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.  
http://www.scirp.org/journal/alamt     http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://okmr.yamatoblog.net/division%20by%20zero/announcement%20326-%20the%20divi
http://okmr.yamatoblog.net/
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017
国内の方には次の文も加えている:
我々の初等数学には 間違いと欠陥がある。 学部程度の数学は 相当に変更されるべきである。しかしながら、ゼロ除算の真実を知れば、人間は 人間の愚かさ、人間が如何に予断と偏見、思い込みに囚われた存在であるかを知ることが出来るだろう。この意味で、ゼロ除算は 人間開放に寄与するだろう。世界、社会が混乱を続けているのは、人間の無智の故であると言える。
三角関数や2次曲線論でも理解は不完全で、無限の彼方の概念は、ユークリッド以来 捉えられていないと言える。(2017.8.23.06:30 昨夜 風呂でそのような想いが、新鮮な感覚で湧いて来た。)
ゼロ除算の優秀性、位置づけ : 要するに孤立特異点以外は すべて従来数学である。 ゼロ除算は、孤立特異点 そのもので、新しいことが言えるとなっている。従来、考えなかったこと、できなかったこと ができるようになったのであるから、ゼロ除算の優秀性は歴然である。 優秀性の大きさは、新しい発見の影響の大きさによる(2017.8.24.05:40) 
思えば、我々は未だ微分係数、勾配、傾きの概念さえ、正しく理解されていないと言える。 目覚めた時そのような考えが独りでに湧いた。
現代数学には間違いがあり、欠陥がある、我々の空間の認識は間違っていると述べているので、相当の数学者は興味と関心を持たざるを得ないのではないだろうか。
しかしながら、それでも興味も関心を持たない人がいるが、それは あまりにも忙しく 他に興味や関心を抱く余裕がない状況に置かれているからではないだろうか。生活に追われたり、自分の専門にはまっている場合が多いのではないだろうか。数学などは 抽象的な世界とも言えるので、そんなことに関わっては居られないという心情、状況があるのではないだろうか。もちろん、意欲が無ければ論外である。興味、関心が無ければ始まらない。
しかしながら、1300年以上に亘って、算術の創始者が0/0は0であると定義していたものを それは間違いであると言ってきた世界の数学界は 相当おかしく、世界の数学界の恥ではないだろうか。またこのような状況に対しては研究者として 良心の呵責を感じてしまう。
以 上

再生核研究所声明 385(2017.10.11): 地の果て、無限の彼方、平面の究極の果てを観るー 永遠とは何か、無限の先の不思議さ


平面上をどこまでも どこまでもある直線上を一方方向に行ったらどうなるだろうか。永遠とはどのようなものだろうか? そのようなことを多くの人は自然に思う、考えるのではないだろうか。これについて どこまでも どこまでも行っても行き着くことはなく、どこまでも どこまでも行くと考えるのが、 ユークリッド幾何学に現れる空間の捉え方であった。― これは砂漠の文化を反映していると哲学の先生に聞いたことがある。果てしない空間と歩みからである。
これに対して、立体射影で平面を球面上に写せば、どのような方向に行っても球面上の北極に対応する点として無限遠点が考えられ、全平面は 球面上の北極点を除いた点に1対1に対応して、無限遠点を球面上の北極に対応させれば、全球面と拡張された平面は 全体が1対1に対応して、ある意味で平面は完全化される。 ― これはアレクサンドルフの1点コンパクト化と呼ばれている。平面上の直線も円も立体射影で球面上では円に写り、平面上の直線と円は、立体射影で球面上では、北極を通る円に対応するか、北極を通らない円に写るかの違いに過ぎないとなる。すると直線と円は全体として1対1に対応して、円を1方向に行けばぐるぐる回るように、平面上をどこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったら 無限遠点を経由して反対方向から戻ってくることになる。- (この詳しい説明はサイトで簡単に説明されているので知識の無い方は参照して下さい。 以下に出てくる、円の鏡像やローラン展開もそうです。) これは永劫回帰、輪廻思想を表現するものとして 実に美しく楽しい。- この思想は四季を有するアジア文化の世界観を表しているという。
上記2つの考えは、基本的な世界観で ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学(楕円型)で、後者も確立して百年以上複素解析学を支える空間として定説になってきた。
ところがゼロ除算が齎した空間は これらとは全く異なる空間で、しかも、新しく発見された空間が 我々の初等数学全般を支える空間であることが 沢山の具体例で明らかにされてきた。
上記立体射影をもう1度振り帰えろう。その立体射影で、直線上を一方向にどんどん行けば、限りなく 球面上では 無限遠点に近づいていることが確認できる。そこで、その先、近づいた先を無限遠点として無限の記号で表してきた。どんどん球面上では北極に近づく、極限点は北極であると言える。しかしながら、ここで驚嘆すべきことがあった。近づいた先が無限遠点は良いが、実は究極の先で不連続性があって、突然、そこで 原点になっているというのが ゼロ除算の結果である。すなわち、W= 1/z に対して、 原点の値がゼロである。簡単な関数 y=1/x で原点の値はゼロである。ゼロの近くでプラス、マイナス無限に幾らでも近づくが、原点で不連続にゼロの値をとっている。繰り返し述べてきたようにこれが、アリストテレスの世界観に反し、ゼロ除算の理解を遅らせる、ゼロ除算が嫌われている一つの要素である。- 驚嘆すべき現象と言える。
どこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったら、限りなく無限遠点に近づく、しかしながらその先は、突然、原点に飛んでいる。動きの全体を簡単な関数y=1/xのグラフで理解して欲しい。
無限の先の不思議さに触れて行きたい。A を中心とするある円の、中心 A の鏡像は 世の常識と違って、実は中心 Aであることが証明された。中心Aの近くの点は無限遠点の近くに写るから、鏡像変換で中心 Aだけが 飛んで変に写っていることになる。この対応は円の半径には寄らない性質であることを確認したい。すると円外の無限遠点の近くが、中心 Aによることになり、無限遠点が一つだろうかという疑念が湧いてくるのではないだろうか。中心 Aごとに無限遠点が対応しているのではないだろうかとの思いがするだろう。- アレクサンドロフの1点コンパクト化とは、あらゆるコンパクト集合の外にある点を想像上で考えて1点コンパクト化と定義していて、1点は定義である。しかるに、立体射影では 原点の上に存在する北極点に対応する想像上の平面上の点として無限遠点が 定義されている。いずれも1点は定義で、イチ1についての意味は与えられていない。- さらに 立体射影が 平面の座標軸の取り方によっているのは歴然である。
さて、我々はゼロ除算算法を導入した。すなわち、 関数f(z)のa 点の周りでのローラン展開において 値f(a)を その展開における 定数項C_0で定義する。負べき項が存在するとき、z が aに近づくとき、f(z)は無限に、極に、無限遠点に近づくが、z が a自身ときは 値C_0をとる。この値は関数fによって 強力な不連続性で決まる。- これは無限の先に存在するという意味で、関数による無限遠点ともいえる。この値には不思議な性質があることを紹介しておこう:
次は 角の3等分を考えて生まれたNicomedes (BC 280—BC 120)の曲線である。
r = a + b/(cos theta);
a,b> 0 定数、x 軸を原線とする極座標。直線 x = bを考えるとこの関数のグラフは興味深い幾何学的な意味を有することが分かる(考えて欲しい)。もちろん、グラフはx 軸に対称で直線 x = bを漸近線にしている。aがゼロのとき、グラフは直線x = b である。しかしながらゼロ除算算法で、theta が 直角のとき、x,y直交座標系で、点(0,a)を表すことになり、この点の意味付けは 難しく神秘的とも言える。直線 x = bを漸近線にしているのに、奇妙な点(0,a)が曲線(関数)の無限遠点になっている。
次は Diocles (BC 249?-BC180?) の疾走線と呼ばれる面白い曲線であるが表現は複雑なので、適当な座標系で (2a –x)y^2 = x^3, r = 2a(1/ (cos theta) - cos theta) などと表されると述べるが、特異点ではいずれも美しい、関数のグラフの頂点が 無限遠点になる。この発現は実に面白い。― それにしてもギリシャ文化の素晴らしさに感銘を受けてしまう。
今回の話題はホットでいわば最前線の研究課題とも言えるので自由に考え、かつ新しい世界を探検して欲しい。元前橋工科大学教授 奥村博氏(Ph D.)の楽しい数学は大いに楽しめるのではないでしょうか。円と直線に関するユークリッド幾何学(和算)に ゼロ除算は新しい世界を拓いている。沢山ゼロ除算の結果が幾何学的に現れていて実に楽しい。それらは、 ユークリッド以来の新しい世界である。    
                               以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿